小松家文書館館長の小松紘一郎です。昭和17年8月13日生まれです。生まれたのは山形県です。でも本籍は長野県茅野市米沢で、そこに古い農家一軒あって今私が所有者になっています。これが小松家文書館の現場です。
小松家は江戸時代から何代にもわたって名主を務めていた当地の名家の一つでした。戦後私の祖母のいさのがここで亡くなって以来、長男である私の父の摂郎は東京在住でとてもこの家を保持する余裕はありませんでした。そういう訳でこの家は放置されてすっかり荒れ果ててしまいました。ほっておくと倒壊するかもしれないような状態に摂郎の長男の私が見るに見かねて30年ほど前に大改修をして現在に至っています。
家には300年の間ここで暮らしてきた先祖の人の残した文書や物が色々あります。文書、本、衣類、生活用具、農具、等々実にいろいろなものが残されています。文書では、天保・弘化・嘉永時代の村役人だった与兵衛さんの「御用日記」や村の各戸の米の産高と年貢の台帳である「成ヶ帳」、また高島城から村へやってくる連絡帳の「村次控」などの村の公文書的なもの、明治時代になると村の惣代を務めていた曽祖父米治さんの「惣代日記」、作者がちょっと確定できないが俳句の短冊などなどもあります。そして曽祖父の一人娘だったこの家で死んだ最後の人である祖母いさのの読んだ本や勉強のあとを表す帳面類、戦後のいさのの日記、手紙、不在地主に指定されご先祖の営々と作ってきた田畑を農地改革で手放さねばならなかった時、いろいろな人とやり取りした手紙、農地改革への抗議を綴った文などが残されています。本では何人の御先祖が使ったか手垢のついた古辞書、また浄瑠璃の台本、孟子などの和綴じ本、或いは寺子屋で使ったものでしょうか、子供の手習いの本などがあります。衣類では裃がありました。身に付ける物では編み笠、陣笠とか煙草入れ、巾着等。農具では千歯扱き、唐箕もあります。またいさのに乞われて養子に来た武平さんの記録なども公表してみます。
こういったものをホームページに活字と写真で載せて紹介しようという訳です。相当な仕事量になりますが、何とか完成めざして行きたいと思います。
2015年7月
2020年8月の末に東京の自宅を払い茅野の家に転居しました。小松家文書館の本拠に住むことになりました。祖母がここで亡くなってから65年間ちゃんと住む人がいなかったのですが、ここに至ってやっと住む続ける人がでました。これは画期的なことではあります。こういう家は住むには不便で冬は暖房が大変です。しかし今や世の中変わってきて、ここにはすぐそばに大きなスーパーストアができていて買い物は小金井より便利なぐらいです。
半年ぐらいが過ぎました。とにかくご先祖が300年前から住んでいた家ですから、大分改造されたとはいえ、先祖の人が動いた動線を私も動いているわけで、そういう事を感じつつ生活をしています。曾祖父の米治さんもここのどこかの部屋で、ちびた筆で村の日誌を記録していたわけです。彼が使ったかわかりませんが、毛のすり減った筆がたくさんありました。家の横には筆塚が今も健在です。今の体調から言えばあと何とか10年ぐらい頑張れるように思います。小松家は私で最後ですが、最後の人として小松家の歴史をできるだけ記録して後世に残すことが私の使命であるという信念は保持しています。。