八月一日 天氣 夕立 寒暖 暑
父と弟とが白骨温泉へ行く為、朝五時二十三分の汽車
で立つので、五時頃からおこされて、切符を買ひに行
かせられる。女学校の三村先生と三人で行くのだ
さうだ。
八月二日 天氣 晴 寒暖 暑
八時起床。久し振りで一時間起床が遅い。昨
日早かった為である。
波多野博士の「西洋宗教思想史」を讀む。実に
良い。
カントは兎に角うなづける事を云ふ。
晩、高橋さんの奥さんが遊びに來る。
明日、渋の湯へ行く事とする。
八月三日 天氣 雨 寒暖 冷 受信 父
雨の為、渋温泉行きを延ばす。
晩、姉が歸る。
八月四日 天氣 曇後雨 寒暖 冷
八月五日 天氣 夕立 寒暖 暖
午後四時近く発の汽車、和郎と山浦へ行く。渋の湯へ行くのに、
米沢から出ると一里近いからである。
八月六日 天氣 曇夕立 寒暖 暖
午前七時、一人で家を出発し、渋の湯に向ふ。家
を出る時には何だか、天気が良くなりさうであったが、後
には悪くなつた。坂の下の水をのむ所へ九時半
につく。晝食にも早いので坂に掛る。持物は現代日本
文学全集有島武郎集有島生馬集とむすび二個
だけ。
正午つく。直ちに雨が降り出す。部屋は梅一。去年
と同じ。一人で來る者は皆此の部屋へ入れると見える。相
客二人。晩、娯樂室に天漢軒黄龍師の浪華節
を聞く。浪華節も面白いものだ。山岡總介(?)の娘
靜江の話。
八月七日 天氣 晴 寒暖 暑
午前髙見岩迄行く。佐久の方は雲があつて良く
見えないが、見晴らしは良い。赤ん坊を連れた一連
の人々と一緒に行く。
朝、相客二人かへる。
溫泉場などへ來て見ると、浴衣をを着てゐてもその人の職業
が大概分る。百姓、町人、学生、教員。が、やはり学生が何
と云つても上品である。
八月八日 天氣 快晴 寒暖 暑
ピンポンをする。永明の塚原から來た二人の姉弟
の子供がピンポンをしてゐる所へわりこむ。
甲州の早稲田だかへ行つてる人と奥の湯元の冷湯
で逢ふ。晩君と碁をする。二度共負ける。此は上諏訪
の篤屋のおやぢの所でやつたのだが、其処でやつてゐた
二人のぢいさんはうまいくと云つて見てゐた。下には下
がある。
宮枝治雄氏も渋へ來てゐる。
Eine Jungfrau von Shibu Onsen.
午後東京からの人で、相客二人來る。
八月九日 天氣 晴 寒暖 暑 受信 同級会 大田(?)來テヰル
朝梅五へ甲州の人と侵入する。碁を見る。
甲州の人と又やると、此度は勝つた。
愈々かへる。九時半出発。五円五十戔拂ひ、茶代
五十戔出す。歩いてかへり、一時半、米沢村の家へつく。
一時間以上も休み、買つて來たパンを食ひ、四時三分
茅野駅発で上諏訪へかへる。
渋への道には実に良い所がある。余は往復共
に歩いたのだが、余の目的は溫泉のみでなく、途中も
又目的である。
一人で來るのも又面白い。やたらの人に話しかけ、知り合ひ
となる。色々面白い性格を発見する。一生交流のない人
が多いと思へば、名残惜しい様な気がする。
溫泉にゐる間の如きは、人生の一部分を切断した様
な気がする。
八月十日 天氣 晴 寒暖 暑
小野勇さんが來る。醇郎と三人でボートを出す。
夜、勇さんかへる。
八月十一日 天氣 曇後雨 寒暖 暑
午後河西先生を訪問する。着いたら直ぐ夕立が降り
出した。少時話して、うどんの御馳走になり傘を借
りてかへる。
父と碁を二度やって、二度共五目おいて十一目負
けた。それでも、休の始には正目おいてまけたのだ。
八月十二日 天氣 晴後小雨
それでも涼しくなつた。殊に夜は然り。
八月十三日 天氣 晴後雨 寒暖 暑 発信 同級会 佐藤囗男 受信 佐藤囗男
午前中、大類伸著「西洋中世の文化」と漱石の「坊っちやん」
とをよむ。
午後醇郎と百枝とを連れて女学校のコートでテニス
をする。
八月十四日 天氣 快晴 寒暖 暑
近來、暑いには暑いが、七月あつかった時よりは暑
くない。秋めいて來た。
午前河西先生の処へ傘をかへしに行き、かへりに
四十戔で鈴木堂薬局の前の床屋で散髪し、又「西洋
中世の文化」を讀了した。此の本は良い本である。中世
はかういふものかと思った。装訂が実に良い。
午後、百枝と女学校のコートでテニスをする。
八月十五日 天氣 曇 寒暖 暖
朝六時父に起こされる。父と六時四十分の汽車に
発車の笛が鳴つてから飛びのる。盆の為だ。所が盆は
十六日からではなく、埴原田だけは十八日からださうだ。
で、一時間半程休んでゐたが、又引きかへす。
八月十六日 天氣 曇勝ち夜夕立 寒暖 暖
午前例の漱石を讀む。
午後父と弟とテニスをする。そこへ何処かの三人連れが
來たので、一緒に二組を作つて、しばらくする。盛んにブヨにく
はれる。
八月十七日 天氣 曇勝ち 寒暖 暖
此の間河西先生の処へ傘を返しに行つたが、あれは家
のと間違つてゐたので又、取りかへに行く。
午後、醇郎和郎を連れてテニスに行く。何処か
の連中が來る。
八月十八日 天氣 晴 寒暖 暑
朝、父・醇郎・百枝山浦へ行く。母・姉・余・弟は午後三時
四十八分発で行く。上諏訪の家は閉め切つておく。
夕方、子供たちで迎火に行く。かういふ習慣も面白
いものである。
八月十九日 天氣 晴 寒暖 暖
道草をよむ。
八月二十日 天氣 晴 寒暖 暖
午前賢者ナータンをよむ。
午頃餅をつく。
餅を持って鋳物師屋の家へ行く。歸りに小平
寬司氏の家へ寄つて、話してゐる。
八月二十一日 天氣 半晴 寒暖 暑 発信 新井勝
朝墓参りに行く。
母・姉・余・和郎計四名、午後七時四十七分茅野駅発で
上諏訪へかへる。
対三髙戦ボートが今日あつたわけだ。二十二・二十三が庭球、
二十四日が野球ださうだ。
明晩上京の予定。
八月二十二日 天氣 快晴 寒暖 暑
正午後九時上諏訪駅発で上京。
八月二十三日 天氣 晴 寒暖 暑 発信 寺嶋和夫 小松正平 太田和彦 小平寬司 受信 岩波書店、囗サイ書房、一髙寄宿寮、来テヰル
六時明道館へつく。流石東京は暑い。朝から
汗が出る。部屋の掃除などをして巣を作る。朝
食を喫してから、対三髙庭球戦(一髙コート)を見に行
く。因みに、短艇は八艇身の差で大勝、昨日のダブル
は二対一で勝つ.今日のシングルスは途中迄であつたが
抑へてゐた。
それでも夕方は涼しい。晩神田へ行つて、少し本を仕
入れてくる。
八月二十四日 天氣 快晴 寒暖 暑
午前テニスの残りを見る。結果ダブル一髙二点、
三髙一点、シングル各三点、つまり五対四で勝つ。
午後二時半ヨリ、明治神宮外苑球場で対三髙
野球戦応援スル。八対四デ大勝。三年ノ屈辱
ヲ晴ラス。
八月二十五日 天氣 晴 寒暖 暑 發信 新潮社 大林郁次 受信 大林郁次
晩今井が遊びに來る。
晩いやに涼しくなつたと思つたら、一時頃降り出した。
八月二十六日 天氣 晴 寒暖 暑
十一時起床。寢たのが一時過ぎ。昨日晝食から夕食迄
晝寢をしたからだ。
午後矢島の所へ遊びに行く。泊る。別に面白い事もな
い。矢島のおやぢは良く勉強する。感心だ。息子の方
が早く隠居しさうだ。
八月二十七日 天氣 晴 寒暖 暑 發信 小松正平
三十二度を越える。一通りの暑さでない。
晝近く矢島と出て來て、アイスクリームと藪そばとを
おごつて貰ふ。
午後丸善から三越の方を廻る。丸善にもほしい本があるが
さう急にはよめないから、買はないでかへる。三越では醇郎の万
年筆を大枚参円八十戔で買つて、送らせる。
これから、しばらく日記を少し丁寧に書く事とする。
シヨーペンハウエルを讀む。兎に角大したものだ。今迄讀んだ本の中で、最
感激を以て、よんだものの中に一である。
今日三越へ行つたとき、大勢三越ホールへ入つて行くので何だらう
と思つて入って行つたら、操人形をやつた。結城孫三郎氏作で「塩
原」であつた。操人形とは成程かう云ふものかと思つた。
八月二十八日 天氣 晴 寒暖 暑 受信 新潮社(新潮)
一番暑い。
午後洗濯をする。洗濯と云ふものも妙なものだ。
朝晩は讀書する。靜かな讀書は祝福だ。
八月二十九日 天氣 曇 寒暖 暖 發信 甲子社書房 姉(二ツ) 受信 姉
午後神田へ行く。髙橋穰氏のエビングハウスの心理学を
五十戔で買つて來る。原書を持つてゐるが、中々よめさうもな
いし、且つ安いので買ふ。歸りに眞砂町三六の七一の共成社
で姉に頼まれた.ペン習字ノートとペン先とを買つて
來て、送る。
八月三十日 天氣 雨後晴 寒暖 冷 受信 太田和彦
三時頃目をさましたら猛烈に雨が降つてゐた。久し振
りの雨だ。午前中は盛んに降つた。午後新井さんの
國の人に碁を教へてゐる中に、四時から止み出して、夕飯
頃はきれいに晴れた。雨後のすがくしさにさそはれて散
歩に出る。ブラくして学校迄來る。すると、北原春雄氏五
味智英氏小林直人氏古山貞雄氏等に逢ふ。皆で町を
歩いた。にわかに秋めき、虫のねも繁く、非常に気持が
良い。
八月三十一日 天氣 半曇 寒暖 暖
午後借りた本を返しがてら、山岡克己氏を訪問する。渋
谷駅で下りていささか迷つてからたどりつく。妹さんが路地
で見つかったのでよかつた。番地だけで探すのだから無理もない。
尤も、十合さんの家を探したときは、番地も知らなかつた。山
岡さんの家を一寸出ると、広い森林地帯がある。ずーっと郊
外へ出た様な気がする。こんな所に、道玄坂から五分位の処に
こんな所があるのは妙だ。二十世紀の中へ、中世が割り込んだ
様な気がする。五時頃家へかへつて見ると河角さんが來
てゐた。第二着。今夜十一時過ぎ新村義広氏が来る
筈。夕飯後小林直人氏が遊びに來る。何時迄でも哲
学辞典を見てゐるので前の社宅へ行つて碁を打つてゐた
ら歸つて了つた。社宅の伸びた様な顔をした男と打つて
少し負ける。実力は余の方が少し上だが、上つてゐたのでまけた。
明日から授業だが当分大した授業もないだらう。