小松いさのへの弔辞(平林ます)

小松さん。いさのさん。あなたはどうしてこんなに早く逝かれました。どうしてこんな変わり果てたお姿になられましたか。忘れもされぬ去年の八月十七日の暑いあの夏の日に加西さんとご一緒にお訪ね申し上げましたその時はご病気とは申されましてもまだまだお元気でいろいろのお話もお出来でしたので必ずご全快になって長く長く明るく楽しく暮らしませうとお約束いたしましたね。その時のお姿が只今目の前に浮かんで胸一杯で御座います。私が幾度となくこのお宅にお訪ねいたしました時は自動車の音のやむと一所にきっとお迎えにお門までお出で下さってまあまあよくこんな遠い所までととけんばかりの笑顔をお見せ下さいましたあなたが今日はそのお声もありません。ああ思い起こせば五十有余年のその昔あなたは十八歳私は十五歳明治三十二年の十月一日でした。上諏訪貞松院で訪準の教員養成のため六ヶ月間の講習が催されました時にあなたは埴原田からわたしは上諏訪の大和区からでかけてそれが初めてのご対面でした。それ以来心の友となりその翌年四月に長野の学校に入学し三年間の寝食を共にしその間お互いは励まされたり励ましたり慰められたり慰めたりまた同じ布団の中に抱いて寝て頂いたこともありました。
あなたはお年もお上えであられるその上に何もかも御優秀の御成績でお裁縫など困りましたときはご親切に優しくお手伝い下さったり図画の描けないで悲しかったときはきれいに塗ってお見せ下さったり又風邪を引いてさみしく一人寝ていたときに美味しいお菓子を持ってきて下さいましたね。それから冬の休みにあの寒い雪の和田峠を何回越えたことでせう。西餅や東餅やのおおきないろりに草履履きで歩み込んでお互いに熱い美味しいお豆腐汁に舌鼓を打ちました事などが今更のようにおなつかしく脳裏によみがえって参ります。それから卒業しましたときあなたは宮川私は上諏訪でしたので二人はそっと手を握りあって喜びましたね。その後お互いに家庭の人となり子どもの教育に忙しくそれでもときどきの文通は怠りませんでした。あなたが東京にお出での時や松本にお出での時私たちの子どもたちはそれ勉強にそれ受験にと一人も二人も三人も一人残らず親戚以上のご親切を頂きました。あなたは四人のお子さま方お立派にお育てになり皆様この上もなき今日のご成功は一重にあなた様のむす と敬服の外御座いません。之を持ってあなた様の御一生は栄一に光輝き遊ばされます。近くは長野の学校の同窓会をお宅でお開き下さって十一人のお寝間着とお布團をご用意下されお餅をついたり甘酒をつくられたり松茸シメジと数々の御馳走をして下され二泊三日の物語に夜を更かした大勢のお友達を喜ばして下さいましたね。どんなにうれしいありがたい一生の思い出だったでせう。皆さん今日のあなたのご不幸を聞かれてどんなに嘆き悲しんで居られることでしょう。ああ極楽世界とやらあの世とやらへは遅かれ早かれわたしも参ります。其の時はあのわたしの結婚式の時あなたから頂きました二重廻しの小豆色の上等の帯〆を今尚大切にしてありますからそれを忘れずに持って参ります。あなたは必ずそれを目当てに迎えて下さいませ。遠い遠い冥路の果てまで長く長く楽しく嬉しく手を取り合って参りませう。おなつかしい小松いさの様安らかに安らかにお眠り下さいませさようなら。
昭和三十一年壱月五日
同窓会総代
平林ます