昭和2年小学校6年時の作文である。全部で8篇。この時和郎は諏訪湯の脇に母、姉(次女百枝)と一緒に住んでいた。父親の武平は松本二中の校長として松本に単身赴任をしていた。長男摂郎は第一高等学校生、二男醇郎は松本高校生、長女澪子は諏訪高等女学校教諭、次女百枝は東京女子大国語専攻部の学生、という状態で有った。なかなか大変な高学歴一家であった。長男と和郎の年は、7歳の差があった。若干気がついたところを書いておこう。
どつかの小僧ととうふやのけんか
これは「どつか」に傍点が付いていてこういう技を身に付けていたことが分かる。どこで学んだものか。文中は「けんか」が「けんくわ」になっている。これは漢字につける旧かなの影響だろう。
みずぐさ
このみずぐさというのが分からないのだが、みずは東北地方の万能山菜らしいが、それなのかちょっと不明である。
がらすをこはしてどきょうだめしをした事
「一生けんめいにとんでいく」という表現はこのあたりでは走る事を「飛ぶ」というので方言がそのまま出ている。玄関が「げんくわん」になっていて、振り仮名の「げんくわん」の印象が強いのだろうか。口語的には「げんかん」だろうが、文章にすると振り仮名の「げんくわん」が出てきたのだろうか。
竹馬のれんしゅう
ここには「ばんてんがはり」という言葉がみえる。ちょっと調べると群馬県吾妻郡あたりの方言であるようだが、当時諏訪にもあったのか、興味のあるところではある。
湖水で死んだ人
「おしんめえ」という言葉がある。おしまいの意味だろうが、火を燃やした残り火のことらしい。これももうよほど年の人でないと分からないだろう。「とんでゆく」が「どんでゆく」になっているようだが、濁点はむかしはかなり緩やかであった感じがあるので、こういう一種の間違いも多かったのであろう。
宿なしねこ
「風を立てゝ」に傍点が振ってある。ここなど小学生にしては芸が細かい。
以上がちょっと気になった点である。意外の問題点を見出した感がある。
1.どつかの小僧ととうふやのけんか
2.みずぐさ
3.がらすをこはしてどきょうだめしをした事
4.竹馬のれんしゅう
5.湖水で死んだ人
6.宿なし猫
7.スケートに行く約束
8.火事のなり始め