○六月一日(土)  曇小雨 暖

午前、少し丁寧に掃除をする。それから本をよむ。面白くよめた。

午後、東京基督敎女子靑年会(館)の映画をみに行く。ロイドとマノンレスコオ。

夜、よし松でアンティ板倉校長の相談会。三十名以上來る。実行委員をあげる事になる。

今日は少しねつっぽい。強くなる事。がんばる事。後四週間だ。

 

○六月二日(日)

岩波講座の茅野蕭々「現代文藝思潮」並に三木淸著「史的観念論の諸問題」讀了。卽、午前勉強。

午後、哲学会の春季公開講演会に行ってみる。戸田貞三の「カトリック敎と家族生活」と紀平正美の「王陽明と辨証法」。留守に矢島文子來る。

夜、半年振りの藤原氏(不明)科会。新顔も多くみえて、十人來る。杉本の話がある。

昨夜遅かったので、ほてる。

 

○六月三日(月)  晴 暖

あつい位になった。蚊が出はじめる。

メリメ作杉捷夫譯「カルメン」讀了。

新村から端書が二枚來る。下谷に居を定めたそうだ。

アンティ校長の委員会があるが、さぼる。

フッサールをよむ。

哲学上において凡そ有名なものはみなよむ決心をする。

夏休の予定。一、アリストテレス・デアニマの課題の所。二、コーエン・ロギク、前半の未讀の所。三、ヘーゲル、フェノメノロギーの去年度の所の次。

 

○六月四日(火)  晴 暑

朝早く行ったら出助敎授休講。

銭湯でみたら、八二度。

昨夜、二時、鼠に目をさまされた。

今日はだいぶのぼせなくなった。靜かにしてゐるといいとみえる。

七日に父が上京するさうだ。

ストリントベルク作小宮豐隆譯「父」讀了。

近頃は気持がおちついて來た。

 

○六月五日(水)  晴 暑

醇郎、徴兵検査の爲、夜行で歸京。

竹岡勝也「日本人道主義」等岩波講座の中の日本に関するものをよむ。

哲学で有名なのはとにかくみんなよんで了ふ事を決心した。

 

○六月六日(木)  雨後晴 暖

「ラテン後期」はつまらないし、面白くないしするから出席するのを止す。この時間にコーエンをよむ事にする。

コーエン研究会に川上君、日高君、下田君が入る。

輪講のやうなものによって、我々は得る所が誠に多い。

川上君と日高君とのやっているHegel: Enzyklopädieの輪講にも出ようと思ふ。随分忙しいが、昨年一年失敗したので、其の失を取り返すべく今年はうんと頑張る。

 

○六月七日(金)  曇小雨 冷

昨夜も鼠に目を覚まされる。

朝父が来る。それで早くおきる。

父のもって來た「山うど」を学校へ持って行って、羊吉君にわたす。

コーエンを少しよむ。この種の本を本気でよむ気がして來た。

勉強(哲学)に一つの飛躍をえた。之は輪講からかちえたものである。他人から学びうるだけは学ぶべきだ。

井上益之進は学問はもってゐるが、生活をもってゐないのが缼点だ。が、一方の旗頭ではある。

 

○六月八日(土)  曇後晴 暖

出先生、演習、あたった。いささか準備不十分。

放課後(下田と)神田へ行く。HegelのEnzyclopädieを探す。ない。戸坂潤の「科学方法論」が出た。

古山先生が父の所へ來た。

又、少し熱っぽい。

醇郎が徴兵から歸った。丙種合格。風気だと。

しばらくぶりで土曜にゆっくり家にゐる。

散髪。鏡でみるに、我ながら少しやせた。

勉強に対するDrangを強く感ずる。

出隆譯「デカルト方法省察原理」讀了。二回目。いつかの夏よんだ事がある。

 

○六月九日(日)  晴 暖

午後、晝寝をしたら、元気が出た。

夜、矢島が来る。父に逢ふ。

「プウニンとバブリン」トゥルゲエニェフ作小沼達譯、讀了。

漱石の短編「幻影の盾」「琴のそら音」「一夜」「趣味の遺傳」等をよむ。漱石はしばらくぶりだが面白かった。

明道館誌へかいた論文や今井への覚書における如き槪括的の考へ方では到底だめである。一先づ人の哲学へ深く入って行って、そこからやがて出てくるのでなければ力強さはえられない。

 

○六月十日(月)  晴 暑

ドストイエフスキー「白痴」をよむ。

新村が本をかへしに一寸寄る。

夜、父・姉と金子先生の所へ行く。父から皆で手の平療治の傳授をして貰ふ。僕は成績一朝にしてあり。

 

○六月十一日(火)  晴 暑

午後、コーエンをよむ。一人でよんでゐるとどうしても上すべりをしていけない。一人でよんだ所はよみかへさねばなるまい。

夜、木村直交氏夫妻が来る(父に)。

夜、長坂が来る。本をかへしに、又かりに。気持はおちつかなかったが、割合に充実して話した。わざわざ來て呉れて嬉しかった。

僕にとってなすべき事は、もりもり勉強する事。

夕方からは外へ出ると涼しい風がふく。快い初夏。

 

○六月十二日(水)  曇小雨 冷

夜、十時発で父かへる。

手の平療治がうまくなる。

ディルタイをよみたい。

すべては経験から出て來る。経験において検証しえない理論は空だ。

卒業論文の一つのプラン。フッサールの現象学。そのイデオロギーを彼の体験に引き戻して解明する事。かねて、他の人々の体験と比較する事。シエラー、ハイデッガー、コーエン。

 

○六月十三日(木)  曇 冷

四人とも疲れてゐる。健康にならなくてはいかん。

島崎藤村著「櫻の實の熟する時」をかってきて讀了。二回目。

正邪の階級性。

苦しい世の中に生れたものだ。

知らぬが佛。

漠たる不安、けちな気分を一掃する事。

 

○六月十四日(金)  曇 冷

輪講の収穫多きものである事をしった。僕は未だ時間があいてゐる。それで色々計畫を考へてゐる。山田や矢島と本をよまうと企ててゐる。來学期からはヘーゲルがふえる。

十合さんの手紙が亞米利加から來た。

夜、五味重郎と今井が來る。

ドストエーフスキイ作米川正夫譯「白痴(前編)」讀了。余り面白くない。人ばか出て來てごたごたする。

 

○六月十五日(土)  曇小雨 暖

河角さんから手紙が來る。「問題に関する理論」をよんだ感想だ。太田からやっと返事が来る。Hegel: Enzyklopädieがあるさうだ。

夜、矢島を訪ふ。〝手の平療治〟を敎へる。留守に新村が來たと云ふ。

久しぶりに入浴。

理論から云へば、到底マルキストにはなれない。が、苦しいのは事実の問題だ。

チェホフ「許嫁」をよむ。

 

○六月十六日(日)  曇 暖

哲学科遠足。村山貯水池。二十二名参加。あまりいい所でもない。が、人が親しくなるのでいい。学校でえられないものがある。出先生がはしゃぐ。

今学期は有能であった。学校方面への進出。昨年の缼を取り返す。來学期はうんとがんばろう。

チェホフ作「可愛い女」をよむ。

今考へると、今日の遠足は色々のいみで有意義であった。

 

○六月十七日(月)  晴 暑

午、明道館へ行く。キタスのたわごとを書く。

三時、矢島と白十字で話す。七月、矢島とDiltheyの第五巻をよむ事とする。

一髙へ廻る。三井に逢ふ。一高対日歯の野球を少しみる。

明晩、日高君川上君と出先生の所へ行く事とする。

手の平療治上達する。手の周りに輪光がみえる。

コーエンをよむ。Einleitung und Disposion.が正に終了した。七八頁迄。

 

○六月十八日(火)  雨後晴 冷

苦しい問題、事実。

理論、理論闘爭。冷靜。

夜、川上君日高君と出先生訪問。永く話す。

早く学校を出たいとも思ふ。学校は桎梏ででもある。

未だ時間があいてゐる。もっとつめられる。勉強しなくてはならない。勉強する事だ。

Y・F.

これからの世の中はくるしいぞ。

近頃は割合気持(身体的・生理的)はいい。

今日は少し考へがまとまった。

 

○六月十九日(水)  晴 暑

又大波が來た。経済生活の問題。独りで苦むより外ない。強くならなくてはだめだ。

対板倉校長の昨夜の会について矢島・今井から様子をきく。いよいよさわぎになった。

働きたい。ただ消費するだけではすまない。

学校は束縛だ。自由へ!

めまぐるしいまでの今日一日の気持の変化。

理論闘爭(哲学)への欲望。

 

○六月二十日(木)

理論闘爭。

気持がおちついた。一つの波をこしたと思はれる。

哲学科の学生の根本的缼陷は生活を欠くと云ふ事である。本はよめど、理論はあやつれど、自分の問題を持ってゐない。理論闘爭をせねばなるまい。追々進出する。が、せくには及ばない。

「敎育史」、今日で終り。図書館で春水の「時代鏡」をよむ。

五味重郎が來る。一緒に道志社に行く。実行委員が畫策してゐた。山田と話す。山田もよくなった。一緒に報恩会に行く。小椋に會ふ。三人で少し街を歩く。涼しい。

 

○六月二十一日(金)  雨後曇 暖

放課後、矢島と歩いてゐると河角さんに逢ふ。

矢島と新村を訪ふ、台町の下宿に。

矢島と家へかへる。夜、一緒に歩く。主として戸坂潤について話しながら護国寺迄歩く。大塚仲町でコーヒーをのんで別れる。

つかれる。

非常に気持がおちついてゐる。今年の始め以來不安、悩をやうやく征服しえたかに思ふ。ほがらかな気持でゐる。

宮坂準が一寸來る。

戸坂潤の〝『問題』に關する理論〟をよみ返す。良い論文だと思ふ。

輝かしき理論闘爭。

 

○六月二十二日(土)  晴 暑

夏至。快晴。

出助教授演習、アリストテレス、今日で終。

Diltheyをよむ。割合に面白い。

夕食後、長坂の所へ行く。不在、五味智英としばらく立話をする、矢島の所へ廻る、羊吉不在、此の間徒歩。羊吉にあはずしてかへる。

輝かしき理論闘爭に入らんとして第一学期終る。夏休みにおいて十分準備し、來学期における進出を期す。

とかく気持の平安が倒されがちになる。健全なる気持の確立に努める。けちな不安をつぶす事。認識へ、理論闘爭へ。

 

○六月二十三日(日)  曇小雨 暖

午後、よし松、対校長の会、約二十名出席、どうも連中と気持があはなくなって來た。

これからの人間は苦しい試錬を経る。

マルクス主義のみきはめもついたやうに思ふ。そして我が理論はマルクス主義者からははるかに遠い。

自分で自分の問題を苦む、そして展開させる。今一段落に達したかの觀があり、心の平靜のほがらかさがある。

 

○六月二十四日(月)  細雨 冷

チェホフ「女主人」をよむ。

夜、今井が來る。

哲学。論爭。学問。理論。

羅典後(ママ)(前期)、今日で終り。

段々授業が終へて行くのは、朗らかな気持がする。

 

○六月二十五日(火)  快晴 暑

出助敎授、中世哲學、終り。

伊藤助敎授、哲学史、出缼を取る、もう一回。

今年も半分おへる。

上諏訪もなつかしく思ふ。

わしならかうかく、と云ふわけで声明書をかいてみる。杉本と千野のかいたのが、いみをなさないので。三木張りの文章でかく。

夜、長坂が来る。セカセカと話して去った。

チェホフ「貞操」をよむ。

 

○六月二十六日(水)  晴 暑

桑木さん、未だ終へず。例のグルッペ、小澤、矢島と三人で先づ藪でそばを食ふ。それから三越でアルプスの活動写眞をみる。

夜、北澤正が來る。

 

○六月二十七日(木)  晴後雨 暑

伊藤助敎授、フッサール、今日で終り。

コーエンを缼席して、午後矢島の所へ行く。午後夜を通じて十頁程ディルタイをよむ。早稲田の古本屋を廻る。

姉や妹と気持がずれて來たのをかんずる。

○六月二十八日(金)  晴 暑

「哲学研究」の楢崎淺太郎「ディルタイの心理学的理念の基本的なものに就て」をよむ。午前。

希臘語前期、呉講師、今日で終り。未だ授業は残ってゐるが、学期がおへたかの如き気持になる。

夜、今井博人、五味重郎が來る。

 

○六月二十九日(土)  晴 暑

午後、長坂を訪れて午前中に話す。

午後、晝寝をする。

午後六時、中村明君が来る。哲学会に行かねばならぬので、大学まで一緒に行って分れる。出先生の講演、フューシスについて。

精神上の危機は一先づ経過したかの如くである、がたまゆらのしづけさであるかもしれない。しかし、事態は日々覚悟を定めるべく要求して止まない。これからどう変って行くかは分らない。立場をふみこえふみこえして進んで行かねばならぬ。自分の仕事もおぼろげながら分って來たやうに思ふ。マルキストの理論には反対せねばならぬ所がある。

 

○六月三十日(日)

「思想」の高橋里美〝コーエンの「根源の判断」並に「根源の原理」について〟をよむ。

Dilthey:Entstehung der Hermeneutikをよむ。

一日中家にゐる。一寸散歩に出ただけ。夏休気分で今日も晝寝をする。

結局自分の問題は自分で苦んで考へるより仕方ない。

Diltheyはすきだ。CohenはどうもすきになれないHusserlは中間に位する。

益々三木がすきになった。彼への尊敬を以て六月を送る。

 

夏休の心得。 夏休に多くを期待するのはやはりよくない。殊に専門の方は平生だけですますやうにすべきである。夏休は時間は多くても、それだけ多くの勉強が出來ると云ふものではない。夏休でもやはり面白い事、好きな物をするが、一番いい。努力して面白くない勉強をするのは愚である。有名なもの、平生よみたくてよめなかったもの、方面の違ったもの等をこの期によむといい。

今年の休は、哲学については七月東京でディルタイ百頁、ヘーゲル三十頁を輪講でよみ、松本ではアリストテレス二十頁、其他としては小説をいささかよんだのがそれでも無意味ではなかった。來年から豫定を立てる場合には、特に哲學は平生において自給自足であるべきである。夏休は方面違ひの、自由の、樂しい勉強の時期であってほしい。(八・三〇)