○九月一日(火) 晴 暖
ひるごろ岩波の小僧が「追想録」を五部持って來る。明日皆出來ると。
一日中送票を書く。數百枚。葉書も数十枚。一人でやるので洵に苦勞也。外のものは口で文句は云ふが仕事は出來ない。苦勞は苦勞する人以外には分らない。
○九月二日(水) 曇 凉
午前、送票書きと松村氏の予習。
午後、松村氏。
夜、金子先生を訪ふ。
歸ってから送票書き。夜、十二時過ぎ、終了となす。送票三五三枚、五二一部。?がいたい。
「追想録」が立派に出來て、嬉しくて夜ねむれず。
○九月三日(木) 曇 凉
朝岩波の小僧來る。送票全部渡す。三五三枚、五二二部也。一部計へ謝り。之で兎に角「追想録」作製の大事業は一段落ついた。大いに喜ぶべし。
午前、日高氏を訪ふ。諸用を果す。
午後、新宿へ行く。武藏野館で「マダムと女房」を見る。最初の日本語トーキー。宜し。それから土産など買ふ。
「追想録」の中、ここへ届ける分一六七部、今日中に届けると云ったに遂に來らず。
○九月四日(金) 晴 暑
朝、岩波の小僧が「追想録」百六十七部を持って來る。その中二十五部を持って帰鄕。午前十一時二十二分新宿発。六時茅野駅。七時家につく。「追想録」を母と醇郎に見せる。出來榮え非常によろしく、皆非常によろこぶ。苦勞したものはうれしい。百枝やレイ子氏は苦勞しなかったから、そんなにうれしくあるまい。
○九月五日(土) 曇小雨 暑
朝、今井原法先生、二中の卒業生、生徒二人、計四人墓參に來る。
笹岡初之亟氏、小松造之助氏墓参。
父の命日。
午後、醇郎と寺へ行きピンポンをする。又碁をする。
○九月六日(日) 小雨 冷
午前、ピンポン、ひるね。
午後、醇郎と碁をしてゐる所へ笹岡勘助氏來る。僕と碁をする。我より二三目強し。
○九月七日(月) 晴 暖
ひる頃五味重郎氏來る。ピンポンをしたり、碁をしたりする。カン助ぢいさんも來て、碁をする。
山岸りうえん氏來る。
涼しい秋。
○九月八日(火) 晴 暖
朝、九時、醇郎東京ヘ立ツ。母ト余ト茅野駅ニ送ル。ソレカラ二人デ茅野ノ材木屋ニ寄ル。上諏訪ヘ行ク。三輪立藏氏ノ家ニ行ク。午後ニナッテ小口治男氏ノ所ヘヨル、碁ヲ打ツ。コノ間ニ母ハ角間へ行ク。三村安治氏ノ所ヘ行ク。ソノ中ニココヘ母モ來ル。三村先生モ來ル。夕食入浴後辞ス。牛山傳造氏、樋口てう氏ノ所ヘ二十分位ヅツ寄ル。九時三分上諏訪発デカヘル。藤森正雄氏ト同車。疲レル。
○九月九日(水) 晴 暑
午前、散髪。寺に行き和尚に會ふ。
午後、樋口マコト氏、樋口家を代表し墓參に來る。
母と寺に行き和尚に會ふ。追想録、囘向料等を持って行く。
もっと休養する必要があると云ふので、上京を十五六日迄のばす。明日母と渋溫泉に行く。
葉書を九枚書く。
○九月十日(木) 晴 暑
朝、渋の湯へ行くために出掛けようとしてゐる所へ茅野の木屋が來る。山の材をみに行く。
十一時、渋の湯行きの自動車があると思って鬼場へ行ってみたが無く、仕方なく歩く。非常に暑く、歩くに難儀を感ずる。笹原まで歩く。
笹原から自動車で渋の湯に至る。笹原発三時がおくれて三時半頃になる。又、途中で道路がすべって車が進まなくなり、しばらく困難する。
この日佛滅也。
入浴二回。
○九月十一日(金) 快晴 暑
入浴四回。母と散歩などする。日にやける。
ひるね。浴客少し。
する事なく、馬鹿の如し。神経は安まる。
○九月十二日(土) 晴夕立 凉
入浴三回。渋の湯の辺り、風甚だしく、寒し。
午後二時少し過ぎ宿を出づ。笹原まで歩く。坂を下るのでさして苦勞なし。又暑くなし。この間約二時間を要す。
笹原から東諏の自動車で鬼場まで至る。芹ヶ沢廻り、この間三十五分のドライヴ。快し。田舎の山、道、家美し。夕立景色も美し。
だいぶ健康は回復した。
○九月十三日(日) 晴 暑
朝。北大塩のお寺へ行く。宮坂準氏死去のおくやみ也。宮坂準宗氏と一時間程いろいろの話をする。
そこから鑄物師屋へ行く。おる事一時間。飯を食べて行けと云ふのを断って歸る。
鬼場、矢ヶ崎へ買物に行く。
だいぶ肥えて來た。自分で分る。色も随分よくなって來た。秋には大いに頑張るであらう。
実践が拒まれてある時、人に許されるのは空想のみである。
○九月十四日(月) 晴 暑
朝、長田義男氏來る。
明日上京の豫定で片付けをする。
鬼場へ買物に行く。塔ばを持って墓參りに行く。今井原法氏の持って來て呉れたもの也。
朝、肌ぬぎになって日光浴。益々肥える。
日高氏から來信。飜譯の事。責任が長屋氏に移るの件。
夜、伊藤みきえ氏來る。今井こと氏來る。
○九月十五日(火) 曇小雨 暖
朝から片付けをする。
午後四時八分発で上京。
郵便物類が澤山來てゐる。松村さんから、打ち切りにして呉れ、と云って來た。余り休んだからであらう。向ふは向ふ、こっちはこっち。飜譯も忙しくなるから丁度いいだらう。それに大体面白くない仕事だし、どうせ一高へは入れないのだから早く止めた方がいい。
東京は刺激が強い。一寸田舎がなつかしまれる。東京にだけ花が咲くんじゃない。俺も田舎者になったかな。
○九月十六日(水) 曇小雨 暖
しばらく振りで上京すると事務が輻輳してゐる。「追想録」の手紙約二百通に目を通す。
飜訳の清書。(Ⅰ、1)終り。
○九月十七日(木) 曇 暖
(Ⅰ、1)長屋さんへ送る。授業料を會計課へ送る。
手紙を数通書く。どうも事務が多くて困る。
午後、上野の松坂屋へ行く。ニットー・レコード、レコード・コンサート。それから今泉君の所へ廻る。「追想録」を謹呈する。
夜、矢島羊吉氏を訪ふ。
東京にゐると健康が崩れて行く。それも仕方がない。しかし十日の休養は無駄ではない。
父の発病より二ヶ年、死去より一ヶ年。卒業後半ヶ年。今は決算期に際してゐる。「追想録」は完成した。松村さんは打切りとなる。後は飜譯のみ。精神を改めてつとめんかな。
専門外の仕事はするものではない。
○九月十八日(金) 曇 暑
午前、飜譯(日高氏訳)をみる。
午後、日高氏を訪ふ。
事務が漸く一段落した形。やれやれ。
目方約十三貫四〇〇匁。
飜訳を大体十月中に片付ける予定にした。大いに忙し。すると十一月は校正。まづ今年中はうかばれない。
断然飜譯を開始する。
○九月十九日(土) 曇小雨 暑
午前。独文法の予習。飜訳。
午後、三代川氏。
修身科中等敎員免許状來る。
近日は、就寝十一時、起床八時。
東京にゐるとよく金がなくなる。
「追想録」五十五部発送。第三回也。之で一段落。
日高氏の飜訳は中々がっちりしてゐる。大変よく出來ている。しかし文章に對する感受性に於いては我に一日の長あり。
健康に注意する事大なり。衛生家になったもの也。
○九月二十日(日) 晴 署
飜譯。(Ⅲ。2。)訂正終了。(Ⅳ。1。)飜譯開始。
この日外出せず。憂鬱也。
夜、ラヂオ、映画劇の夕。
中澤壽三郎氏來る。
少しひるね。だいぶやせた。人には大体きまった目方がある。僕はそれが十二貫強なのだから情ない。ここ一二年で定量が減った。定量を増す事を計らなければならない。しかし來年の夏まではむつかしからう。
この日一銭も使はず。珍し。
日記を書く事が非常に慰めになるのだから面白い。
○九月二十一日(月) 晴 暑
飜譯、續行。日光浴、三十分。ラヂオ、早明三回戦。
午前と云ふ奴は妙にたいくつな時間だ。仕事に調子が乘って來ないからだらう。この日妙に憂鬱なり。浪人だからだらうか。僕はどうしても動的の人間也。一日中家にゐるはいとも憂鬱である。浪人は生活に中心がないから憂鬱なのだらう。一学期はそれでも学生生活の續きで在学中と大して変らない気持でゐた。二学期は、松村さんへ行かなくなったりして、だいぶ生活がちがって來た。〝追想録〟も完成して一つの大きな仕事がなくなったので、それだけは暇になった。暇があっても仕事が出來るとは限らない。勉強しようと云ふ気分になれる事が大事である。時間はないやうであるものである。之からの仕事はハルトマンが主たる第一のもの。それから三代川氏一週一回。主なのはこの位のもの。先学期よりは可成り簡單になった。神経衰弱はどうやら治ったらし。
○九月二十二日(火) 晴 暑
飜譯、續行。
午後、日高氏來る。夕方迄かかって飜譯訂正の照合。
小野金三郎氏來訪。
やはりやせもせず、肥えつつあるらし。秋なり。それに仕事も激しくなく、睡眠もよろし。
○九月二十三日(水) 晴 暑
七時起床。八時少し過ぎから仕事を始める。午前中に飜譯三頁弱。多い方也。「思想」十月号一部來る。我がデビュー也。愉快也。午後、本鄕へ行く。学内風景を見物する。本鄕久し振り也、本鄕よろし。三代川氏へ廻る。家へ歸ったら松本壽美子さんが來ている。学校の事など一時間ほどはなす。
飜譯、(Ⅳ。1)終了。四日を要す。一日平均約四頁。他に用事がある時は可成り忙し。飜譯もかなり上手になった。原文をよむと譯文が出て來る。又早くもなった。
○九月二十四日(木) 曇 暑
昨日動きすぎたので今日は疲れてゐる。
飜譯(Ⅲ、3)訂正開始。
午後、母と高島平三郎氏を問ふ。二時間以上も色々と話をする。
朝、又「思想」一部來る。之は「讀者」としてのもの。前金切。
岩波から「追想録」の請求書が来る。送料迄いれて七〇〇部で七二六円五〇戔。
「追想録」をいい記念だと云ふ人がある。もちろんさうには違ひないが、それだけの爲に作ったのではない。もっと本格的の意味を持ったものと考へる。
○九月二十五日(金) 晴 暑
七時起床。飜譯(Ⅲ。3)訂正終了。(Ⅰ。2)訂正にかかる。
午後、日高氏を訪ひ、飜譯照合。
○九月二十六日(土) 雨 冷
飜譯、(Ⅰ。1、3、)訂正終了。直ちに長屋先生の所へ速達で送る。一寸母と衝突する、不愉快也。
午後、三代川氏。
松村氏の件の詳細判明。さうだらうと思った。こっちにも文句は十分あるが、もうそんな事はどうでもいい。
母のさかしらな文句のうるさい事。だから家にゐると憂鬱也。
夜、女子大の映画の会。醇郎と杉林三吉氏とを引率。
この日佛滅也。
○九月二十七日(日) 曇後晴 暑
飜譯、(Ⅳ、2)に取り掛る。飜譯も上手になって、大分自由に出來るやうになった。
午後、日光浴をしたり、ゴロゴロしてゐたり、無爲に過す。主観的には不愉快だが、客観的には休養になっただらう。
夜、諏訪神社のお祭りを見に行く。
朝から晩迄喧嘩の絶え間なし。皆自分の事は棚に上げて、人のあら探しのみ。かう云ふ生活もいやになる。
母と妹とが市川源三氏を訪ふ。「哲学雜誌」七月号「思想」十月号を呈す。
○九月二十八日(月) 晴 暑
飜譯、續行。
野球、昨日帝大始めて早大に勝つ。今日ラヂオを聞く。今日は負ける。
我が憂鬱甚し。それでも学校へ進出する事によって幾分は除かれるであらう。しかせんか。
近頃は人の來る事もなく、人を訪ふ事もない。妙に引込思案になり、人に會ふのがおくかうになって了った。だから憂鬱になるなり。大いに進出策を爲さんか。
貸家の件。引越す事になるやもしれず。
日高氏今泉氏兩人へ三越の商品券三円宛配達させる。
○九月二十九日(火) 曇、雨 暖
飜譯。
夜、大学院学生の会。高峯君のスピノザと鶴田君のベルグソン。後で斯波さん、日高氏、今泉氏、森島氏と明菓ではなす。桑木さんに會ふ。久し振りで多くの人に會ひ心樂しむ。憂鬱の慰めにはなった。始めて背広を着て行く。日高氏曰く「中々良いねえ」。
○九月三十日(水) 晴後曇 晴
朝、岩波から「思想」の稿料が來る、一枚二円で五十八円也。神田の第一銀行へ行って現金にかへ、戸塚の郵便局へ入れる。三省堂と岩波に寄る。之で午前中は終へる。
午後、百枝と貸家を見に行く。本鄕で三軒みる。とにかく大部分のものがこの方面に通ふのに郊外にゐる必要はない、と云ふのも尤もである。
夜、用事で矢島氏を訪ふ、中に上らず。又母と高島屋へも行き、留守番の礼をする。
飜譯を大いにいそいで(Ⅳ。2)終了。四日間、やはり一日四頁。一日四頁はかなり忙がしい。之で九月を終る。それでも九月半月の間にかなり能率を上げた。
母の性質の見にくい所が余りに強く感ぜられ、実に不愉快なり。
人間はなんと見にくく、いとはしいものであらう。