澪子病床日記解説

原文は125㎜×70㎜の小さな手帳に66頁に渡って書かれたものである。いさのは明治38年4月、夫の武平が東京高等師範学校卒業後、大阪の東区に新設される第4高等小学校の訓導兼校長として赴任するのでともに諏訪からはるばる大阪までやってきたのであった。翌年の5月に長女の澪子が生まれた。その子が生後一か月余で体調不良になり、そのことがこの日記を書く機会になったようである。実家にいないために自分の母に手伝ってもらうこともかなわず、色々と苦労が多かったであろう。当時の医療状態ではいったいこの子はどうなってしまうのだろうという不安にかられても不思議はなかっただろう。苦労しながらともかく何とか一年を無事に過ごした記録がこの文章である。しかし、よく記録を残したと思われる。やはり書くということに抵抗がない人であったようだ。
6月26日から7月6日まで河野病院に入院する。7日から30日まで通院し、31日から子供を連れて初めての帰省となる。これはなかなか大変な旅で、笹子トンネルであろうか、「トンネル中ノ苦シサ弱キ澪子ハムシ死ニハセヌカト心配スル程ナリ 気息ハツマリ煙ハ入リ手モ足モ顔モ真黒今迠ニ覚エナキ苦シキ汽車旅行 初メテ旅ナル澪子ノ苦シサハ如何ナラムト思フダニ心苦シクイダキシメタルママアエギ通シテ来リヌ」とある。故郷の茅野では両親が初孫を見て、大喜びの様子が記されている。9月26日まで茅野で暮し、27日大阪へ帰る。この時武平の兄と父の米治が一緒に大阪へいっている。
この後は大阪での澪子の成長が記録される。12月5,6日から「バーバー アバー等シキリニ云ヒ出ス」とある。翌年1月には「大ニナル声ニテサワキフザケル大人モ及バヌ程大キナリ」2月には「人ノマネヲナスコト多シ」また、「カーチヤンガ云へるやうナレリ」と言っている。4月後半は下女のはしかが移ったらしく、澪子が高熱を出し、看病に忙しいが幸い5月には治る。5月20日無事に誕生日を迎えて、一年の諸事を振り返り、感慨にふける、という具合である。
付記
この手帳にはこのほかに色々な事が書かれている。
1いろは順の人名簿。
2銀行の預金等。三十四銀 四十二年 50円(これは三十四銀行に預けた金の記録らしい)日本貯金 二十五 南海鉄道新株 十七、半 京阪電鉄 十二、半 摂津紡績 二十五円 日本紡績 二五 大阪商船 二五
3小松百枝●(一字不明)次女の百枝が明治43年に生まれた記録
4浮世と題した短文

5夫、長男摂郎 次男醇郎の着物の寸法メモ
6誰かは不明だが子供のでたらめな鉛筆のなぐり書き。

これをみると澪子は明治39年生まれで、百枝は明治43年生まれだから4年以上使っていたらしい。明治時代は物をこれぐらいの時間幅で使っていたのだろう。3、4は以下に全文を記録しておこう。

3 小松百枝●
明治四十三年十一月廿日午後十一時記 三時間程の苦しみにて生る気つきてより今迄よりやや手間どれ発水のおそき様思ひしに三ツテニタンなりし由産婆悪なば子は勿論親の身も危険なりしに、やや小さき子なりし 極めて健かに育つ母子共に障りなし、九日目に看護婦を返す、此日より國より両親来る 二ヶ月半程して私も風を引きて休みしに乳少し細くなりし様にて困難を感じぬ 少しづつ牛乳を与ふ お宮参りは母つれ行く、六ヶ月程の頃に生乳一合五勺程与ふ
二月全家風を引きし時少しセキらしき事云ひし故二日分医師の薬をのませしのみ
それもどちらでもよき様なりし 未だ熱の出でし事一度もなし五月十日種痘をなす十五日に役員に見せに行きしが少しも熱出ず、十二日頃より少々熱出始め十七日もあり十八日午後は熱引けきげんよし
熱も三十八度達極めて少しなるきげんもあまり悪るからず少し気重の様なりしのみ夜中泣きて困りし事は生後一度もなし 種痘中も夜ㇵよく眠り夜中に一度泣くくらいなりき 醇郎等の様にねて居らず始めより起こしし故にや少しも下に居シず負ふかだくかせずしてㇵならずかく外気にふれさす方丈夫の様なり

4 浮世
ふと目さむれば午前二時あたり静まりて月おぼろに虫の声いとあはれなり
打見ゆればわがいとし子は神のごと罪無面上むけて席つけたるままいとよく眠れり主人もよく眠りてにや身動きだにしたまわず 下女また晝のつかれにや折々うなりの声いと近きふすまの外に聞ゆ
あゝこの静けき夜あゝ浮世にさすらふ我に物思へとやあゝこのさびしの秋の夜けたかくゆかしき秋の夜
(これには日付がないが、子供が一人のようだから、明治39年か40年の秋の一夜であろうか。ふと目が覚めて手帳に書きつけたものであるが、味わいが深い文章と思う。)

澪子病床日記

明治三十九年六月二十六日
生後三十七日

澪子数日前ヨリ病氣ノ気味ニテ乳ノ飲ミ方モハカハカシカラズ泣キムヅカリ困難シタ 前日朝主人ノ出校前ハ別ニ変リアルトモ思ハズ笑ヒナドシ居リシガ昼頃ヨリ発熱シ氣分悪シキ有様ナリシカバ体温ヲハカリシニ三十九度ニモナラントス驚キ早ク医師ニ診察ヲ乞ハント思ヘドモ主人ハ留守ニテ下女ハ非常ニ多忙加ヘルニ雨ノ瀧ノ如ク降リシキリ学校迠御迎ニ来ルモ中々困難ナリ胸痛メツヽ御帰リヲ待ツ 此日ハ学校職員ニ澪子ノ祝ナシヽ日ニテ何故ニヤ御帰リオソシ 其間ノ心ノ待遠シサモドカシサ云ハン方ナシ 五時半頃御帰リナリ早速近傍ノ津田医ヲ招キ診察ヲ乞フ 胃腸病ニテ大シタコトナシト熱ハ三十九度泣キ声モ常ト変ワリ小サク元氣ナキ有様ニテイトヾ心安カラズ此夜ノ中ニ引キツケ来ラバ大事ト夜モスガラ心痛メツヽ枕辺ニ二人ニテツキ添フ
水枕シ頭部ヲ冷ス
身体及頭部ハ火ノ如ク熱ク手足ノ先ハ冷ヘテ氷ノ如シ
足部ニハユタンポヲ入レ手ハキニケ握ツテ暖ヲ取ラシム
手足ヲ動カシテモ又眠リ中目ヲ動カシ白目ノ一寸見エテモ引キツケニハアラズヤト二人胸ヲ痛メヌ
アヽ生後僅カ四十日足ラスノ小サキ身ニ高熱ノ往来シテ如何ニ苦シヤラン 病イ何ナランカ 全快スルヤ否ヤ 若シカノ事アラバ如何ニセンヤ 未ダ故郷ノ父母ニハ顔ダニ見セズ暑中帰国ヲ一向ニ待チワビ居ラシモノヲ、我モ赤キ一ツ身ノ衣抱キテ泣ク世ノ母と同ジ悲惨ヲナムルコトカ
三才頃迄着セント作リシ衣サテハ之レヨリ仕立テント心配ニシ多クノ美シキ布見テハ一トシテ涙ナラヌハナク枕辺デ泣キ明カシ又アヽ変リ得ルモノナラバ替リテ我病マシモノヲ
此夜ハイツニナク夜ノ明クルノオソキ心地シテ一時二時三時ト先ヅ無事ニ過グシ四時ニ至リヌ
主人ハ急ギ又医師ヲ迎フベク出デ行ク 未ダ下女モ誰モ起キズ御一人門アケナドシテ行カル 忽チニシテ来ラル 熱度九十度腹部大ニ張ル手足冷ユルコト甚シ医師ハ今夕迄ニ熱下ラズハ危険故河野病院ニテモ入院セバ宜シカラント云ヒ灌腸シテ行カル時ニ熱三十八度五分 大ニ心地ヨキ様子ナリキ ソレヨリ追々熱下リ正午頃ハ三十八度位トナリシガ午後ハ又上リテ又苦痛ノ様ヲ示シヌ 主人ノ帰リヲ待チテ医師ノ診察ヲ受ケ其上手後レナラヌト處置ヲ取ラント下女ヲ津田医ニ走ラス一度ニ来ラズ二度ニテ来ル 熱度三十八度八分再ビ灌腸ス 明朝ノ様子ヲ見テ入院ノ宜否ヲ定メント云ヒテ帰ラル イヨイヨ不安ナレバ主人ハ電話カケニ行キ河野病院ヨリ院長ヲ迎フ
心配シツヽ夕飯スマシ居リシ時平野産婆見舞クレヌ 共々心配シ院長ハ只今何々ノ辺ニ往診ナレバ使ヒヤリテハ如何ナド云ヒ居ル内ニ院長見舞クレヌ 診察乞フ 院長ハ軽キ腹膜炎ナラント云フ 早速入院セシムル事ニ決シ着替ノ衣両三枚取リマトメテ澪子ハ平野サンニイダカレ己レハ澪子フトン及着物ヲ持チテ後ヨリツヾキテ共ニ車ニテ行キヌ
主人ハ一人取リ残サレサミシキ上ニ心配ヲ重ネ氣ヅカハシサ如何ナラン 己ガ家ノ門ヲ出ヅル時アヽ此子モ此家に生レ出デタレド再ビ生キテ此門ヲクヾリ得ルヤ否ヤ、後ニテハ入用ナケレバ有ランカギリノ衣皆着セ度キ如キ心地ス アレヲ見之レヲ思ヒテハ涙ノ種ナルノ■主人ニ挨拶モ出来ズ涙ニ家ヲ出テヌ帰ル時ハ冷カナルヤイトシ子ヲイダキ泣キナガラ来ル様ニハナラズヤ
併シ院長ノ入院ヲ進ムル程ナラバ全ク望ミナキ事ハアラジ
出宅ノ時主人ノ「人事ヲ畫クシテ尚全快セズバソレ迠トアキラムベシト」共ニ顔見合セテハ又泣キヌ、前夜主人ノ云ハレシ「ナマジ■子供ノ無カリセバカヽル憂目ハ見ヌモノヲ」トヤ何タル悲惨ノ言ゾヤ
時ハイツシカ過ギテ早ヤ市街ハ電燈キラメキ人ハ夕涼シニニキハシキ頃トハナリシヌ
其間ヲ車ト共々己レ等三人、病院ニ運バレツヽ■■途中ニテ先ノ我教子ノ我ヲ知リテ車ノ後ヨリ追スガリ「先生ドコヘ行キマス」ト呼ベルサレド之モ出来ヌ程ニ■~只ソコマデト故夢ノ中ニ云ヒヌ 車ハイツシカ農人橋ノ上ニ来リ目前ニ電燈キラメク大ナル建築物即チ河野病院ハ見エヌ
此時ノ我心中ニハ此中ニテ悲シキ目見ル事カ又今ノ我涙ノ顔ヲ病院中ノ人々見ラルヽ時ノ心苦シサ等コモゴモ迫リ来リ心ハケマシ強ク涙押シカクシツヽ行キヌ
病院ハイト静カニシテ受付ニ両三人アリシノミ二階ニ至レバ早ヤ室ハ用意セラシアリ又ソコニ休マセ腹部ニ■入ヤラ当て頭ニハ水枕ヲナシテ冷ス
薬モ与ヘヌ 時ニ八時体温三十九度 十一時頃ニハ体温三十八度ヤヽ下レリ
下女モ来レリ我ハ夜中少シモ休マズ 午前二時頃ニハ院長来リ診察セラル

六月二十七日 晴
熱度ヤヽ下レドモ未ダ高シ
早朝下女ヲ種々持チ来ルベク帰宅セシム
七時頃ニヤ主人御出アリ
顔ノ悪シキ云ハン方ナシ昨夜ハ少シモ休マズトノ御事、我御顔ヲ見テハコラヘコラヘシ悲シサ一時ニ出デテ只涙ニムセブノミナリキ
午前院長ノ御診察アリ 病ハ悪シキ方ナラズト此日室入様乃花井様ノ御見舞アリ
主人ハ午前真丈学校ヲ休マル午後帰り後又来ラル
此日ハ熱大ニ下リ午後ヨリハ大ニ安心セリ夜陰山先生御見舞アリ
十一時頃帰ラム 水枕温湿布トル

六月二十八日 晴
熱上ラズ朝少シ発汗アリ
十時ニナリシニ顔手足腹部等全身ニ赤キ小サキモノ出来アリ 院長ハ汗モト云フ 元氣大ニヨロシクナケリ 別ニ■■コトナリ 主人午後ヨリ来ラル

六月二十九日 雨
熱度上ラズ 気分ヨロシキ様ナリ 平野サンノ顔ヲ見テハシキリニ笑フ 早朝ヨリ下女ヲ返ス 十二時頃来ル
主人午後来ラル 先ヅ先ヅ澪子ノ一命ハ取リトメタリ ウレシサト安心トニテ氣モ狂ハン許リナリ 二十六七日頃ハ目クボミ肉落チアハレナル様ナリシガ今日比ハ早ヤ肥エ来リ元ノ様ニナリシ様ナリ

六月三十日 晴
下女ヲ早朝ニ返シムツキヲ乾カシ来ラシム
金魚一疋死ス、澪子ノ変リカ
下女ハ自宅ニテ晝食ヲスマシテ来ル 此日熱サ甚ダシク澪子ノ身体ハ汗ニヒタサレタルカ如クヌグヘトモヌグヘドモ出デシ始末ニ困難タメニ汗カブレ多ク出デ氣分悪キ様ナリ サレドモ病氣ハ日ゴトニ宜敷ヲ示セリ 此日医者拂ヲナス 平野サンヘモ御礼ヲナス 午後四時半頃ヨリ陰山先生見舞下サル
六時頃帰ラル 主人ハ第一校ニ大阪市教育評議員会アリテ四時頃ヨリ行カル

七月一日 雨
此日モ早朝ニ下女ヲ返ス
午前十時頃戸塚様御見舞アリ
澪子昨日ノ朝ヨリ通ジナキ故平野サン来リテ灌腸ヲナス
此日ハ一日ナレバ院長ハ休ミ看護婦モ皆休ミテ院内静カナリ 二時頃主人来ラル
澪子ヨク笑ヒ全く旧ニ復シタルモノ如シ 病前ヨリ却テ知恵付キシ心地ス
雨降リニテムシ暑キコトカギリナク澪子ノ身体ハ三度程汗ヲフキヤリタリ
午後澪子ノ眠リタルトキ主人ト共ニ玄関ノ上ノ休所ニ出二じ往来ヲナガメツヽ語ル 折リシモ一夫婦ノイト賤シキ姿シテ三人ノ男児ヲ従ヘルガ雨ヲ第一棟ノ門前ニシノゲルアリ見レハ五人ニ洋傘一本ノミナリキ ツクヅク見レバ労働者ノ輩ナラン イト貧シケナリサレドモ小供ヲイダキテ如何ニモ喜バシケニ営シツ スコシツツ居ル様実ニ幸福ヲ感ジ居ルモ■如シアヽ人ノ幸福ハ何処ニアルモノニヤ 夕飯ヲスマシテ御帰リアリ
澪子変リナシ

七月二日 晴
澪子ノ泣声ニ目サメ見レバ早ヤ四時東空ノホンノリ明ケソメ乳ヤリムツキ替等ス 下女ハ支度シテ帰宅ス 澪子我顔ヲ見テハ笑ヒ語ル事多ク実ニ愛ラシ母ノ顔ヲ覚エテニヤ
昨日ヨリノ汗カブレ甚シクボツボツ大キウナリテ先ニウシヲモトシカ如ク誠ニ気分悪シソウナリ 午前ハヨク眠ル院長サンノ御回診ノ折ハ我澪子ノジュバン洗ヒニトテ下ニ行キアラズ
午後三時頃下女来ル
四時半頃ニヤ主人ト北野先生共ニ来ラル
主人ハ夕飯ヲスマシテ午後六時頃帰ラル ソレヨリ己レハ湯ニ行キ後休ム
此日ハ雨晴レ風通リテ涼シク為メニ氣分ヨキニヤ澪子朝ヨリキゲン宜敷ナリヨクネムリサメテハ笑ヒ語リス 此兩三日ハ取リワケ知恵ヅキシ心地ス
此日通ジナシ

七月三日 晴 涼
今日ハ昨日ニモ増シテ涼シク夜ノ明ケ方ハ寒キ程ナリキ
早朝ニ下女ヲ帰宅セシム
朝看護婦ノ来リ体温ヲハカリ等セル中澪子ノキゲン非常にニヨク、笑フ
澤山ノ通ジアリ色ヨシ後眠ル 未ダアセモ引カズ苦シソーナリ
午前ハヨク眠リサメテハ飲ミ■■■又眠リ己レハ用事ナキニ苦シミヌ 昼飯ヲ食シ居ル時下女来ル 主人ハ第一校ニ会議アルトテ其帰リニ立寄ラル 平野サンニ頼ミテ退院ノ日ヲ院長ニ尋ネテモラフコトニス
午後モヨクネムル
此日ニ回許ノ身体ヲフキ粉ヲフル 夜十時頃清瀬看護婦帰院セラレ尋ネラル

七月四日 晴天
午前中ハアマリヨクハ眠ラザリシモ眠リヌ 午後ハ腹ニ痛ミテモアルニヤ身ヲモガキ苦シミ一寸モ眠ラズ 午後四時過グル頃沢山ノ通ジアリソレヨリ眠ル 陰山先生帰リニ立寄ラル

七月五日 晴
午前中ニ通ジ四回 午前中ハ少シモ眠ラズ 腹部ノ工合重シキニヤ正午ヨリ少シ眠ル 便ハ未ダ不消化ナリ
十一時頃中村サンノ奥サンボッチャント共ニ見舞ハル
午後通ジ二回程アリ少シ下痢ノ風ナリ 主人午後三時半頃来ラル 毎夜一人ニテ淋シク眠レズシテ神経衰弱ニナリシ様ナリトテ打見レバイタク肉落チノセラレシ心地ス
澪子の容体及退院ニ付テ等種々語ル 國元ヨリ手紙来リシモ云ヒヤリシモノハアラズシテツマラヌ薬八卦等様ノモノアリシ由今更ニ昔者ノ役ニ立タヌヲ感シス 今ノ分ニテハ明後日ノ退院モ六ヶ敷カラン
明日中國ヨリ来■■■何度モハ用意セザルベカラサルベシ等主人ニハ外用事多キニカヽルツマラヌ事直ニ御心労セラレハイトツラケレドセンナシ
六時頃ヨリ御帰リアリ 澪子夜ハヨリ眠ル

七月六日 曇リ
何分ニモ澪子胃腸ノ工合悪シク何故ニヤ哺乳ノ時間ノ正シカラヌニヨルニアラズヤ 乳ハ昨日検査シテ頂キシモ悪シカラズト云フ 今日ヨリハ如何ニ泣クトモ正シキ時間ノ外ハ一切与ヘヌコトニセント朝ハ五時、七時 九時 院長ノ御回診ノ時モ早ヤ帰リテ宜敷トノコトニ喜バシク自宅ノ静ケキ処ニテ心永ク養生サス方ヨロシカラント此日退院ノコトニ決ス 十一時頃学校ノ小使ノ役所ニ来リシトテ寄リクレシ故幸ト主人ニ通知シ自ラハ退院ノ用意シテ午後七時車ニテ退院ス

七月七日ヨリ三十日迠
此日ヨリ一日オキニ病院ヘ通フ
暑サ日ニ増シ強クナリテ車中ニテモ中々苦シ 此間工合ヨキアリ悪シキアリ通ジハ概ネナク灌腸ニ清瀬サン来テ頂キシクモ三回其後ハ自ラナシヌ
入院中ニ出来シアセモノヤハ甚シク中々ニナヲラズ困難シヌ
産後ニ針持チテハ悪シトテ控ヘ居リシ故澪子ノ着物一モナク蒸シ暑キ夜ツイテ裁縫セシ事モアリ 薬價ニ不足ヲ告ケリセズヤト心痛メツヽアリシ日モアリ ■夜中ノ看護ニツカレ果テ病院ヘ行キガケニ車ノ上ニテ眠リタルモシバシバナリキ 二十二日頃ヨリ又発熱 小林ト云ハル小児科医ニ来診ヲ乞フ
分ラズ両三日シテハ耳病ナル事分リ之レヨリハ耳ノ療診ガテラ毎日病院ヘ行ク中々困難ナル事ナリキ 午後丈ニテ自宅帰省ノ用意ヲナス我ハ非常心身トモニ非常ニ疲労ヲ感ジヌ
数日前ニハ帰省ヲ小供ノタメニ危険ナリト院長ハ云ハレシモ二十九日ニ再ビ問ヒシニ病モヨロシケレバトテ漸ク許サレヌ
三十日ニハ明日出発ノコトトテ薬ヲ多ク貰ヒ来ルイヨイヨ帰省モ迫リシコトトテ家ヲ形付ケ衣類ナド取リマトメテ立入様方ヘ預ケタリ
小供ノヨク泣クカラトラトテ心モ落付カズ氣許リアセリテサッパリ形付カズ 主人ノ氣楽ニ畫ネナドスル 心ニクキ許ナリキ
三十一日ニハ正午後ヨリ出立ノコトトテ朝ヨリ用意ス
此日中村サマヨリ送別ノ品アリ立入様ヨリモ
陰山先生手傳ニ来リクレアリ 小供ヲ相手故更ラニ形付カズ時間後シコトシテトナリヘモ寄ラズ車ニテ停車場ヘカケツケリ 北野様も御立寄リアリ 玉造リヨリ梅田迠ノ気分ノ悪シカリシコト此文ニテハ長途ハ六ヶ敷カラント思ハル澪子ニ変リナシ 梅田ヨリノ汽車ハ便所モナク汽車ニテ不便ナリキ 澪子ハオドロキシニヤ笑ヒモセズ泣キモセズ只アキレ居レリ京都辺迠■■ノアツサ云ハン方ナシ 東海道ノ夕景色中々ニヨク海風ニ面ヲ吹カレテ心地ヨサ云ハン方ナシ 人モ餘リ居ラズユレモ小ナリ 主人ノ変リテ休ミイダキヌ 東ノ空ホノボノ明ケハナシ富士ノ雄姿ヲ眼前ニ見シトキノ心地ヨサ何ニタトヘシヤウモナシ 品川停車場ニシバラク休ム 田舎メキシ人数多ク居リ押シ分ケラレヌ程ナリキ
新宿ニシバラク休ム前ニテ朝飯ヲスマス 澪子着物ヲカヘアリ 停車場ペンチノ上ニフトンシキ枕シテイネ笑フ様ノ無邪気サ愛ラシサ長キ旅ノツレツレニヨキ楽シキ道ヅレナリキ 之レヨリ中央線ニ乗ル 涼シナルベシト思ヒシニ暑サ蒸シ少シ人ノ多カリシニモヨリナリ 富士登山者御嶽参ノ如キ人ノ多カリシ事云ハム方ナシ
トンネル中ノ苦シサ弱キ澪子ハムシ死ニハセヌカト心配スル程ナリ 気息ハツマリ煙ハ入リ手モ足モ顔モ真黒今迠ニ覚エナキ苦シキ汽車旅行 初メテ旅ナル澪子ノ苦シサハ如何ナラムト思フダニ心苦シクイダキシメタルママアエギ通シテ来リヌ 汽車中ニ多クノ小供アリシモ澪子ガ一バン行儀ヨカリシキ
郷里ニ近ヅキ今三四ノ停車場ヲ過キナバ茅野ト云フ処ニ来リ澪子不浄ノ事ヲナス
立テイダキ居リシ事トテ澪子ノ着物ヨリモレカ着物迄沢山ニツキ実ニ仕末ニ困リ果テヌ
共ニ乗リシ客ノ多キ中ニテ実ニ泣キモ出シタキ思ヒヲナシヌ
イヨイヨ待チ待チシ茅野ヘ来リヌ 下車シ見レバ宮川校ニテ教ヘシ女生徒四五人在り 久々ニテノ遭遇共ニ大ナル変化アリ、茲ヨリ車ヲ雇ヒテ帰宅ス 道悪シクユレ甚シ 月ハ明ラカニ頭上ニ照シ吹ク風イト涼シク四面皆草木ナラヌツナリ実ニ得モ云ハレザルヨキ心地ナリキ 我家ノ門ニテ■■見シニ家ノ青キモノニウヅモレタル一層深キ感アリキ 両親ハ通知ナキコトトテハオドロキトナ喜ビトニテ大サワギ母ハ澪子ヲイダキ取ルヤ直ニキッスシサモサモ愛ニタヘヌラシク己カ乳ヲ吸ハセ等シテ愛シク此夜澪子ハ長途ノ旅ニツカレシニヤ泣キテ止マズ 砂糖湯ヲ与ヘシニ漸ク泣キ止シテ眠ル 母ハ己カ床ノ側ニツレ行キテイネシメ側ラハナサズ夜モスガラ眠リモセデ見マモリシ様ナリキ ソレヨリハ別ニ変化ナク過グシヌ 通ジハ有リヌ 無ク灌腸ヲ時々ナス 父母ハ変ル換ルイダキテ行儀悪ニクナシ終リヌ 如何ニ蚕ニテ忙シクトモ毎日湯ニハ入レヌ 汽車中ニテ言語ノ通ゼサル故ダマリ来リシ故ニヤ 在阪中ノ様ニ話シラセザル■ナリキ
汽車ニテユレテ脳ヲ痛メシニハアラヌカト主人ト共ニ心配シヌ 十日程過ギシニ又シャベリ出シ今度ハ前ニモ増シテ知恵ヅキシ様ナリ話ブリナリ 笑フモ前ヨリ多クナリ十五日頃ヨリハ顔ダニ見バヨク笑ヒ時々声ヲ立テ笑フ
二十二日ニ高木ゆく子様及北大塩ノ従妹ノ人来リシシニ大ニ笑ヒ語ル 実ニ愛ラシ、近隣ノ人皆澪子ノ着物及、オシメノ美シキニオドロキタル様ナリキ
御里ニ帰リテハ気候宜シク又取リ扱ヒモヨカリシ故ニヤ澪子ハ工合悪シキ事ハナク僅カニオデキノ為メ両三日泣キタルノミ
己レ一日腹部ヲ患ヒ非常ニ腹痛ヲ来シ下痢セシ時ハ全クミルクニテ過グシシニ此日ハ泣キ通シナリキ食ノ足ラサリシ為ナラン
二十四日ニ一寸ウブイ見ル
二十五日二十六日両日モ北大塩トイモジヤニ客ニ行ク 行キ返リ共ニウブイシ故ツカレシ風ナリキ
二十八日ニハ澪子ノ客ヲナス ヨキ■発ナリキ
二十九日ニハ主人出宅セラル
父ニイダカレテ茅野迄行ク 十一時発車 父ノ出発ヲ何モ知ラズ無心ニ笑フ 帰リニハ停車場ニテ久シク乳ヲノミ居リシ故暑クナリセン方ナク車ニテオニバ迠来リソレヨリイダキ来ル 一人減シタル程ナレドモ非常ニ淋シキ心地ス 此日夕方灌腸ス
三十日別ニ変リナシ 澪子ノ祝ニ貰ヒシモノ記入ヲナス
時計ヲナガメツヽ主人ハ今頃ハ何処等ト考フ 此日取リ分ケアツカリシ故如何ニ苦シク入ラレシカイトヾ感深シ
三十一日澪子変リナシ 新宅ヨリ貰ヒシメリンスノ衣縫フ
其他ノ衣類ノツモリヲナス
品川駅頭ニテ出シ給ヒシ御ハガキ来ル 分レテハイヨイヨナツカシキ心地ス
夕刻ト夜ト淋シサ澪子ト二人ニテ カヤヲ守ルイトド心細キ感セラル

九月一日
朝ヨリ雨 淋シサ■ラル心地ス 母又ハ下女ニ頼ミテ澪子ノ守リヲシテ貰ヒ新宅ヨリノ衣縫フ 母ハハラカケヲ縫フ 澪子ニシテ人心地アルモノナラバカクモ二人ニテ■余ニ衣縫ヒクシバ如何ニヨロコバンモノヲ何ノ感ニモナクサハグ又■■ナシ
澪子オデキ出来テヤヽカユ■■云フ

九月二日
二百十日ノアラシ寒シ
澪子の着物ヲ縫フ 母ハ腹掛ヲ縫フ 澪子人心ツキアラバ如何ニヨロコバンニ 澪子大便通シ一度オシメヲ汚サズニナス ハネルコト甚シ
オデキ大キクナレリ 笹岡茂氏来ラレ澪子ニ帽子ヲ贈ラル 半日程遊ヒ行カル
主人ヨリ手紙来ル大阪時事新聞来ル
澪子ハ手足ニテハネル事甚シ 此日ハヨク眠ル 此日ハ昨日ト共ニ雨降リシ故オシメコダツニテ乾ス
澪子左ノ乳ヲノミ居リニシカ右ノ小サキ手ヲ我ガ左ノ腹ノ下ヘ入レクスグッタシ何ト思ヒテナシタルニヤイト愛ラシ
此日湯ニ入レ暖メテ腹掛ヲカケル 小サケレドモ頭ヨリ腹迄一パイナリ ウストキ色メリンスニテイト愛ラシ

九月三日
昨日迠ノアラシノ静タリ天気トナレリ
気候寒ク空高シ
サナガラ秋ノ如ク単衣ニテハ寒ク様ニテ袷ヲ着ス 当地ハ之レ程ナレトモ尚大阪辺ハ暑キニヤ 少シウメアハセ度キモノナリ オシメ襦袢等洗濯ス 昨日ノ仕立残リノ澪子ノ着物ヲ仕上リ
澪子頭ノオデキ大キクナリ如何ニモ痛ソーナリ機嫌悪シク夜ニ入リテ甚シケレドモ九時頃ヨリハヨク眠ル
通ジハ自然ニ朝一回ヤリタル時ニ出ヅ 今日デ三日共ニ都合ヨク出ル 小用モ多クハオシメヲウルヲサズシテナスニ至レリ 此日ハ出ツル前ノ知ラセ、ムヅカリ、アリテ直ニヤラザリシ故ニ二回程手後レニテ笑ヒヌ
今日ハ主人ヘ書ク手紙出シニ母ガ澪子ヲ負ヒテオニバニ至レリ
夕方母ト共ニ澪子ノ着物ニツキ様々相談ス

九月四日
晴レ渡リイト寒シ
今日ハ澪子オデキノ痛キニヤ又ハ通ジナカリシ故ニヤ一日半ヨク眠ラズ ムヅカルヨリテ仕事ハ出来ズ 澪子ウブヒ袢天ヲハリ又着物ノツモリ等ナス

九月五日 少シ暖
澪子ノオデキ大キクナリ今迠ニ例ナキ程トナス ヨクウミ口アキテ多クノウミ血出ヅ夕方■■■シキ様見エタリ
夕方ヨリ夜ニカケテ澪子ノ着物ヲ手ニス又自らノ帯ヲ直シナトス 夜諸方ヘ出スハカキヲ書ク
有賀、小柳、三輪渚氏ヨリ手紙来ル

九月六日
澪子オデキ直リ機嫌大ニヨクナレリ 主人ヨリ手紙来ル 大阪モ涼クナリシ頃来レト 此日澪子ノ着物縫フ 忙シサ云ハン方ナク ■等イツ結ヒマヽニヤ夜モ十二時近ク迠ナス

九月七日 雨
子守リニ日を過ぐす 午後今井こと氏来宅上ノ家ノ叔母モ寄ラレシバラク遊ブ 夕方澪子着物二枚程綿ヲ入ル
澪子機嫌ヨシ 夕方■来ノ時下女モリセシニ紙キレヲ手ニテ喜ビ遊ブニ至レリ

九月八日
変リナク裁縫ヲナス

九月九日
子守リニ日ヲ過クス 裁縫ヲナセドモハカトラズ 此日父上諏訪ヘ買物ニ行キタリ

九月十日
澪子此夜ヨリ手ニ物ヲ持チテ口ニ入ルヽフリナス此夜夕飯ノ時サヽゲヲ口ニ自ラ入レテチューチュート吸フ
此日ノ晝飯ノ時モホシソーナル顔シテ口ヲ動カシ見テ居ル故サヽゲヲ一本持タセシニ今日ハ昨夜ノ如ク吸ハズシテカム様ナル風ヲナス故イダキ居リシ父出シ見シニ先ヲ■(図あり)位許リカミ切リタリオドロキ口中ヲ見シニ舌ノ上ニアリシ故取ラントセシニノミテ仕舞ヘリ皆々オドロキ父ハ岩本医ニ走リ手術ヲ乞ヒシニ医ハサホトトハ云ハズ早ヤ食ヒゾメノ来リシナラバアンジルコトナカラン 御宅ハ注意深キ故カクニク云ハルヽガ他ノ家ニテハ意止めメサル処ナリトテ薬ヲ二日分程与ヘラル 帰リテ薬ヲ与フ 父ノ帰リシ頃ハヨクネムリ居リ少シモ工合悪シキ風ナシ 夕方ニナリテモ夜ニ入リテモ裁縫ヲナス 夜ハ主人ニ出スベク手紙ヲ書ク 夜一時頃ヨリ澪子ノ目サメ語リ出シ三時頃ヤウヤクネムル母ハ直ニ起キ来リテ世話シクレヌ

九月十一日 雨
雨両三日ツトメテ裁縫ナシタル故ニヤ気分悪シク目カスミ身サムケシテ起キラレザリキ 澪子ノ衣■縫フ アマリツトメズ
澪子少シノコトニ声立テヽ笑フニ至レリ

自九月十二日
至九月二十五日
澪子■■■健目コジキ時々出来テ困難セリ大阪ヨリ■■■度々ノ手紙ニイヨイヨ明日出宅シテ父ニ送ラレ帰阪スベク用意ス 母ノ名残惜シガルコト限リナリ 只涙ノミナリキ 此日ニハ餅ツキ等ス イモジヤノ母モ来ル 澪子ハ無心ニ笑フ 夜十二時頃迠荷造リ等ス

九月二十六日
午前十一時茅野発ノ上リ列車ニテ出発ス 朝雨降リシキリイトド露ナレ 笹岡茂氏ワザワザ見送ラル 汽車中ハニギハシイモジヤノ兄上ト父ト澪子ト四人ナリキ

九月二十七日
暑キ帰省ノ時ニ比ブレバイトヾ冷シクテ苦シミナカリキ
此日ヨリ澪子歯ヲ吹キ始ム 京都アタリヨリ澪子イヤガリテ困レリ 梅田迠主人出迎ヘラル 帰宅ス 何モ用意ナシ 下女ウカウカトヤツシテ許リ居ル風見ユ
不意ノ帰宅ニヤヽオドロケル如シ 澪子変リナシ

九月二十八日
此日ヨリ家ノ形ツケト家人ノ世話ト自ラ身体ヲ休メル暇アラズ 父上等ハ毎日見物ニ金毘羅ヘモ行ケリ 父ヨリタンスヲ買ヒテ貰フ、六日朝早く出阪セラル

十月七日ヨリ
澪子マスマス智ヱヅキ歯ヲ吹クコトイヨイヨ多シ
私ノソバニツキ居ラズハ直ニ大声アゲテ叫ブニ至レリ
オモチヤヲ持チ始ム

十一月十日頃ヨリ声大ニ太クナリテ男ノ子ノ如シ
歯ヲ吹ケドモ未ダ出来ズ
乳房ヲカム事多シ

十一月十一日 笛ヲ吹キ始ムム
他ノ人ノ吹ク処ヲ見テノ後自分ニ吹キ見ル

十一月七日頃ヨリ朝夕牛乳ヲ五勺ヅヽ飲マシム
十一月十三日夜 此所山本氏ノ来客アリ午後七時頃眠リシニ未ダ牛乳ヲノマザリシ故忽チ目ヲサマシテ如何ニモ物足ラヌ如シ故ニ直ニ乳ヲノマスシニ未ダ全ク終ラヌ内ニ目ヲフサギ殆ンド終ル頃ニハ乳房ヲ自ラハナシテ熟睡セリ 之レ習慣ヨリ来ルナラン

十一月ニ入リテハ眠ル前ニゴタヲ云フ様ニナレリ 目サメハ極メテ宜敷ク何時目サメシヤ知ラヌヤウナリ何カ人声スト思ヒ行キ見レバ目サメテイタヅラヲナシ居ル如シ

十二月五六日頃ヨリ バーバー アバー等シキリニ云ヒ出ス
私ヲヨクヨク知リ居リテ少シ見えズトモ直ニ泣キサケブ
未ダ通ジハナク一日オキニ灌腸ヲナス 気分ハヨキ様ナリ
十二月始メヨリ五六日風ヲ引キ居タリシモ直ニ直ル

十二月廿日頃ヨリ腹ノ工合悪シク非常ニ青色ノ糞出ス
一日三回位ヤヽ下痢ノ気味ナリシモ気分ハ少シモ悪シカラヌヤウナリシカバ一日一日トステ置キシガ直ル風モ見上ヱサリシカバ二十五日河野病院ニ行ク 只ノ腸カタルナリトテ薬四日分服シテ全快セリ
之レヨリハ腹ノ工合ヨクナリ自然ニ通ジアルヤウニナリ十二月ニ入リテハ人ノ見定メツキテ世話シ悪クヽナレリ
此頃ヨリ種々ノ音ヲ出ス様ニナリ家内丈ノ時ハイロイロノコトヲ云ヒテサワゲトモ一人ニテモ知ラヌ人ノ来ランカ直ニタマリテ一言モ発セズ其人ノ顔ヲ見送テハ泣キ出ス
一月二日岡村先生新年ノ礼ニ来ラレ玄関ニテイダキシニ直ニ泣キ出ス又三日頃林泉様来宅ダカレシニ之又泣キ出ス
一月十日頃ヨリハ大ニナル声ニテサワキフザケル大人モ及バヌ程大キナリ
十二月末ヨリ一月ニカケテ寒カリシカバオムツモ暖メテヤリシニオシリタヾレシ故ヤメヌ
一月十日頃自然ニ通ジアレトモ非常ニカタク苦ミニ夜ノ小便三回位ナリ
十二月寒サニ入リシヨリ一ツノ夜具ニ入レテイネシニ両方共夜中目サムルコト多クシテ困シ故ニ一月半頃ヨリ又元ノ様ニ別ニ伏セシメ上ノフトン丈一所ニセシニ夜中目サムル一度位■■(好結)果ナリ
一月ニ入リテヨリ下前ノ歯出来アリ乳ヲカム
食物ヲ欲ス一月半頃ヨリ飯汁位ヲヤル 喜ブ事タトヘルニ物ナシ 毎食ノトキヤル
一月廿日ヨリ下女モ其他知タル人ヲ見テ先ノ知ラバ居ル時ハヤイヤイト黄ナル声シテ叫ヒ見リルニ至レリ
又此頃ヨリ小便都合ヨク出テアマリオシメヲヌラサヌ様ナリヌ
二月ニ入リテヨリ人ノマネヲナスコト多シ フーフート吹ケド直ニ吹キ鼻ヲ■■バ■ヒ等ナス
オイデオイデアソヒテニ■~■アムハー等出来ル
二月半ヨリ髙イ髙イトテ手ヲ髙ク上ケルコト出来ル様ナリ
二月十四日種痘ス
前ヨリ少々風ノ気味アリシモナス 十五日頃ヨリセキ出テ乳ヲ出ス
二月十八日 小島医ニ来診ヲ乞フ 大シタコトナシト薬ヲ与ヘラル
二月十七日頃ヨリ人ノ泣キマネ如キコトヲ云フ
二月ニ入リテヨリ己カ意ニ叶ハヌトキハ怒ル風アリ
二月十一日夜記す
此夜常ヨリモ多クセキセバ気分ニ変リ■風■人ノ袖等引キテイナイ■イタイタヲ目ラタス風■イタイタノ言語八分通り迠ハ出来ル様ナリ 此夜小島医ノ注意ニヨリ室ヲ暖ムルベク火鉢ヲ入レ湯ヲ立ツ
二月十七日頃ヨリカーチャンノマネヲナス カーハ出来レトモチヤンガ出来ズカーカート云ヒ居ル
十八日夜ヨリ種痘大ニフクレ少シ熱出ヅ
十九日ニハ河野病院ヘ行ク 気管支炎トノコトニテ帰る
廿日 廿一日 中々ヨロシカラズイヂレテ乳ヲカム 廿日ノ夜ハロクロクネムラズ小サキ声ニテ泣ク
廿一 小島医来診セラル 十八日ニハ左ノミナリシモ両方ニナリシト云ハル 室暖ムルコトヲ注意ス尚発達セバ湿布ヲセヨト命ゼラル
二月ヨリカーチヤンガ云へるやうナレリ 人ガ呼ベバ手がいたく出ルヤウニナレリ
種痘ノ時ノ熱三十九度七分迠上ル 肺炎の心配アリシ故湿布ヲナス 忽チ熱下ル

四月半頃ヨリ少々熱アル様ナリキ 下女十日頃ヨリハシカヲナシ居リシ故大ニ注意シテ伝染セヌ様ニツトメシモ甲斐ナカリキ
十九日ボツボツ顔面ニ出来始メタリ 橋本医ヲ頼ミテ診察ヲ受リハシカナラント云フ 三十八度位
二十日
大ニ出来始メタリ此日ハ朝ヨリ伏サシメテ起サズ 三十八度位
二十一日
大ニ出来始メタリ セキハ餘リ出デズ タマニ少シ出ズル程トナリ 小島医モ来診セラル経過宜シキ由 九度以上ニ上ル
二十二日
九度四分位迠上ル 顔面手足一面ニ出来テ苦シゲナリ 一日中ツキキリネムラズ 夜中ネムラバ
廿三日
九度五分迠上ル
日夜ネムラズ 看護ニ労シ果テタリ 最峠ナリシナリ
廿四日
熱八度四分ニ迠下ル 正午九度二分 午後五時頃八度四分 顔面ヤヽヒケ始メタリ
此夜ハヨクネムレリ
廿五日
午後八度六分迠ナル 下リ目ナリ
廿六日
セキ出デ困リ果テタリ 熱ハ高カラズ
廿七日
全身汗モ出来困ル
廿八日
近く軽快ノ風アリ
廿九日
熱定マル セキ心配ナリ 日中少シ起ス フラフラセル風アリ
三十日
大ニヨロシ併シセキハ相変ラズナリ 夜中主人ト共々一時頃迠起キテ吸入等カ■ス
五月一日
別ニ変リナシ元気イヨイヨヨロシセキ出ズ
■十日間程注意スベキヤウ云ハル
五月二十日 誕生日
満一年トハナリヌ 澪子此頃ハ大ニ智慧付キテ面白シ トトコイコイ、■ウマウマ、マンマ イヤイヤ等シヤベリ其他分ラヌコトハシキリニ休ミナクシヤベル
未ダハヘサレドモ少シイザル風アリテ少シハ身ヲハコブ 座リハヨク出来一人ニテオモチヤニテ遊ブ 耳ト鼻ト口トヲ知ル 人礼ヲナセバ同ジク礼ヲナス 人頭ニ手ヲ上クレバ手ヲ上ゲ胸ニ手ヲ当ルレバ胸ニ当テ他ニテモ人ノマネノミナス
歯ハ上四枚下二枚ニテビスケット等ガリガリト食ス 食物ハ此頃ヤヽ牛乳ヲキラヒ如何ニシテモ食ラズ種々ニダマシテハ一日ニヤウヤク一合位ノマセルナリ
生卵ハ好ム 黄味許リ取リテ少シ塩振シテ一日ニ二三個ハ食ス 飯ハ主人ノ食事ノ時食卓ニ並ビ指ニテツマミテ喜ビテ食ス 一回ニ大人ノ三四口位ヨリ多カラズ
菓子ハビスケット日ニ四五個位食ス オカシハ餅等ハ餡ヲホリ出シテ食スコトヲ覚エタリ
何カ珍ラシキモノ又ハ面白キモノヽアルトキハ其方ニ指サシヲシテ人ニ教フ
主人出宅ノトキハ跡ヲ追ヒテ泣ク サレトモ■ノスル時ハ直ニ忘ル
人ニ何カ食物ヲヤル時ハウウト云ヒテ泣ク
門等ニ居ルトキハ通ル人ヲ相手ニ両手ヲフリ何カシヤベリオイデオイデ等ヲシテ一人ハネテ喜ブ
遠方ニ主人ノ見エルトキハ非常ニ遠方ニテモ見ツケテ喜ビオドルモ其他知人ハ如何ニ遠方ニ見ユルトモ見ツケテ喜ブ 負フトキハエンエントテ身ヲユリテ喜ブ
誕生日ニハ祝セントテ朝ヨリ用意シテ餅ハ餅屋ニツカセアハギコシラヘ等シテ隣家ヘ配ル 又陰山和気氏来ラレシ故酒肴ヲ取リテ祝フ 夜ヨリ春日様来ラレ談笑シ酒ヲ出シテ祝フ 去年ノ今日頃ハ苦シミ居リシカト思ヘバイトヾ其時ノシノバルルナリ