浪蕐観の冊子について
小松武平は明治38年4月新妻のいさのを伴い大阪の新設小学校へ校長として赴任すべくはるばるやってくる。ここ信州や東京と大阪の風土の違いに色々感ずるところ多かったようでそのことを「浪蕐観」という冊子を作ってまとめようとしたようである。表紙に浪蕐観と大書し15丁の縦罫用箋を和綴じにした158㎜×235㎜の冊子である。しかし、「浪蕐観」執筆に手をつけたものの多忙故か途中で放擲してしまったらしく、6ページで終っている。そして、次に何かの「序」らしい文章が1ページ、また次は「小学校教育上ノ実際問題常識的観察、教師修養」とありこれは一行で終っている。その後が「女子日誌」という題の初めての子供の育児日記が15ページ書かれている。これは明治39年5月20日から6月17日までの記録である。女の子なのでうれしさも少ないと書き、各所からのお祝いにお返しを出した記録で終っている。母であるいさのの澪子病床日記と比較すると男親の子供に対する情熱の薄さが目立ってなかなか興味深いものがある。以下に「浪蕐観」と「女子日誌」を掲載する。(若干読めない所がある)
浪蕐観
一、 道ノ狭キ事
明治丗八年四月三日着阪、四日諸方ニ行キシニ道狭ク車上ニ在ルモ車ノ衝突ヲ恐レテ常ニ安心ナシ 何時小路ヲ去ツテ本道ニ出ヅルヤト待テドモ遂ニ出デズ 裏小路ト思ヒシハ即大阪ノ本通リナリキ
二、 車代ノ安キ事
四日東西南北終日乗り廻ハリ自ラ謂ヘラク代議士候補先生ノ運動モ之レニ過グル事多カラザルベシト然ルニ斯クノ如クシテ車代一円以下トハ益々奇ナラズヤ
三、 家ノ構造陰氣ナル事
商家盡ク土蔵作リニテ屋内甚ダ暗ク関東人士ハ或ハ病ヲ起サン事ヲ恐ルヽ程ナリ 問フ市人曰ク「明ナレバ金タマラズ」ト、妙ナ迷信モアツタモノ哉ト初来者云ハザルハナシ、
四、 家ノ構造、間口狭ク奥行狭キ事
所得税ナラ五六十円拂フ家ニテモ間口ハ大概三間ヨリ四間位ナリ 奥行ハト問ヘバ二十五間ヨリ三十間ナリ 表坐敷ハ甚ダ美ナラズ 深ク入レバ其美、其静雅驚クベキ家ナリ
五、 商業分類的之事
余需用品ヲ買ハントシテ三四時間走リ廻ハレトモ遂ニ一軒ヲモ見出サズ 即チ巡査ニ尋ネ行ケバ忽チアリ其求メントスル所ㇵ西洋出口物ト■■トナリ、其町ニ出ヅレバ戸々皆其店ホナリ 蓋シ町ニヨツテ其賣品ヲ異ニスルナリ 更ラニ一家一戸ニ付テ云フモ賣品一定シテ雑物混賣ナシ 一物ヲ多量ニ販売スル問屋的商家ナリ
六、 商人ノ不正直
如何ナル大店ニ行クモ必ズカケネアリ 「ヲマヘン」決ナラザルモノヲ見レバ大抵五割ノ掛値アリ 預定時間ヲ守ラサルハ東京商人ト大相違ナリ、
七、 人気ノ陰険
直言スル勇気ナク陰言多シ、党ヲ作リ他ヲ陥ルヽニ巧ナリ、学校ノ如キ校舎ヨク校長先生ニ定マル而シテ其定マルハ皆運動ニヨル、人気ノ陰険ナル事到底関東人ノ想像シ能ハサル所ナリ
八、 計算ニ敏ナル事
人見レバ直ニ財ノ有無、金使ヒ風ノ如何金慾如何ヲ計リ 多々利スル者ヲネタミ直ニ陥レント計ル
教員ノ増俸ナドヨク非常ノ大問題ヲ起ス事アリト云フ
九、 ■■ニ教員スレ会ヒヨリ 御眞影ノ紛失セン事アリ 恐ルベシ
十、 人ヲ訪レバ必ズ紙上に菓子ヲ出ス 之ヲ食フハ不可ナリ 持チ帰ルナリ、 夏單衣ノ時三四軒廻ハレバ大迷ワクナリト云フ
会アレバ父子兄弟ヲ出シ ヲリ ヲ取リ帰ヘルモノ多シト云フ 会ハ凡ベテ会場ニテ会食スル非ズ ミヤゲ貰ヒニ出席スルナリ
十一、 教育ノ傾向ハ形式的ナリ
教授訓練ノ内容ヨリ形式ノ製形長ズ
十二、 教師ハ上ツトメ下怠リ上進歩シ下後ル
故ニ萬時萬物上命ニヨツテ行ハル下ヨリ発動的ニ研究スルモノ一モナシ 下級ニ意気アルモノナシ、関東人ハ遂ニ下級ニ立チ能ハズ上壓ニ堪ヘズ
■本部長三浦視学ハ天下地方視学中有数ノ人物ナリ 師範又頗ル進歩ス 而シテ府下一般ハ実ニ驚クベキ不進歩ナリ 総ヘテ教授トナラザル教授ヲナシ居ルモノ少ナカラズ
十三、 区ノ命令■即日、制服規定フル校長■■■即日 ■■■奇ナリ
女子日誌
明治丗九年五月ニ十日
午前一時女児出産
大阪市東区東雲町二丁目一六〇番屋敷、伊吹堂ト云フ骨ツギ医ノ裏手ニ当ル小屋ニ生ル
五月廿七日海戦記念日マデト思ヒシガ遂ニ今日生ル、而カモ男子ナレカシト祈リシニ女子ナリ、喜ビ従ツテ少ナシ
母ハ三日前ヨリ産婆ノ言ニテ出産近ヅキツツアル事ヲ知レリ 産婆ハ毎日来宅、此レ前ハ一ヶ月ニ三四回ヅツ)
十九日早朝ヨリ看護婦一人ヲモ仕ヒ置ケリ、産婆看護婦皆河野婦人科病院ヨリ来レリ
十九日午后学校裁縫教師ナド頼ミ布団ヲ作ル
産婆看護婦ノ其他ノ人ノ出入多キヲ以テ隣家目ヲ側立ツ而カモ妊婦ハ戸外ニ時々出ヅルヲ見テ驚ケルモノヽ如シ
午后九時布団整ヒ一回入浴シ食事ヲ済シ十時頃就辱ス 十一時ヨリ妊婦腹痛ヲ叫ブ 十二時ヨリ痛ミ増シ出産ノ傾向明ナリ 寝室ヲ便所側ニ移ス
看護婦 産婆俄ニ■ニシテ大ニ困難ス
余電話ニテ看護婦ヲ呼バントセシモ公衆電話所十時後ハ許サレズ 依ツテ車夫ヲ走ラス
産婆来ラザルニ正ニ出産ノ■■アリ 小児ノ頭見フ
機迫ルヤ産婆来リ直チニ出産ス
家ノ狭キト不ナレノ者ノミニテ大ニ困難ス
気候ノ暖カキハ大ニ好都合ナリ 戸ヲ開キ外気ノマヽナルモ何等ノ故障ナシ
生児ハ女児、隣家二歳ノ男子ノ泣声ヲ聞キテモ感触ヲ起ス位ナリ
生児ノ健骨格ノ堅固肉附ノヨキ産婆モアキレ居レリ「母ハ気丈夫ダカラヨイガ随分難儀デアツタロー」ト
母ノ経過極メテ良好出血モナク安臥談笑ス
夜明ケ朝食後若手看護婦用事ニ出デ晝迄帰ラズ 家内一同立腹ス
谷川ト云フ人大サ二尺斗リノ タイヲ持チ来リシモ切ルニ手ヲ傷ケ二時間苦シミシモ遂ニ切レズ 魚屋ニ持チ行キ切リ貰ヒタリ、 食ヒキレズ腐敗セシムル恐レアリ
味噌ヅケトセリ
牛村氏ヨリカン入スープニ、瓶入アメヲ持チ来ル
午后産婆又来リ手当ヲナス
五月ニ十一日
学校教員ヨリ祝品ヲ受ク 戸塚和気二氏見舞ニ来ル
武井勝■二氏ヨリ祝品ヲ受ク
母子更ラニ異常ナン
生児ノ目方ヲ見シシニ 七百六十九匁アリ
カゴナドニ入レ計リシ コツケイサ 頗ル面黒シ
産婆来リ湯アゲシノ際行ヘり
身長五十センチ位アラント産婆云フ
生母辺縁ノ傷ノ痛ム発熱アラバ医師来診ヲ乞ヘト産婆任意(注意)アリ
五月廿二日
生母乳タマリ張ル 看護婦吸出ニツトム 中々労多キ仕事ナリ
生児稍母乳ヲ吸フニ■■
武居陸路ニ婦人ノ見舞アリ
立入婦人ノ見舞アリ 祝品ヲ受ク
陰山裁縫教師来リ 児衣枕ヲ作ラル
産婆来リ説ク常ノ如シ
五月廿三日
産婆来リ説ク事常ノ如シ
生児黄胆ヲ始ム 之レ生児ノ常ナル由、始メテ知リヌ 田舎人ハ知ラズ
生児日ト夜トヲ違ヘテ終日眠ルハ不都合千万ナリ
五月廿四日
生母損傷尚止マズ 熱度七度六分ナレバ産婆又来ル
中村氏ヨリ祝品ヲ受ク
生児吸乳大ニ巧ミトナルモ尚乳出多キ過ギ乳房ノ張リ過分産婆生母ニ少シク養分ヲ扣ヘル事ヲスヽム
横傷手当ノ際痛ミ烈シキヲ訴フ
神経過敏小事ニ怒リ甚シ 夜電話ニテ産婆ト相談ス
五月廿五日
久保氏ヨリ祝品ヲ受ク
和気訓導母祝品ヲ持チ来ル下婢ノミ面会セシガ下碑来■■人ナルニ目ヲ廻ワシ驚キ居レリ
産婆来リ丁寧ニ手当ヲナス
生児黄胆ヲ始ム 之レ初生児ノ皆ナス所ナリト云フ
五月廿六日
生母損稍痛ミ減ジタルヲ云フ
臍帯取レルベシト云ヒテ浴セシメズ
岡林博太郎氏祝品ヲ持チ来ラル 児名ニ付種々相談スルモヨキモノナシ 難波津ニ咲くや木の花冬ごもり今を春べと咲くや木の花ノ王仁ノ歌ヨリ取リ 冬籠(フユロ)トシテ如何ト云フ
五月廿七日
臍帯尚取レズ 産婆来リ又■セシム
児名ニ付相談スレドモ良名ナシ 古事記ヲ探シ 王仁ノ歌ノ文字ヲ見ントセシモ右ノ歌フ古事記ニナシ
五月廿八日
此日臍帯去ル
渡辺■氏ヲ清水谷高等女学校国語教師ノ許ニ遣リ歌ノ出所ヲ正サシム 万葉集ノ序文ニアル旨ヲ知リ得
名ノ候補、摂子、茅渟子、茅江子、瓢、幸子、みを、等ナリシガ遂ニ 澪子ト決定ス
大阪ヲ澪標(みをつくし)ト云フヨリ採レリ
五月廿九日
出生届ヲ東区役所ニナス
生児ノ目方ヲ見ントシ衡ヨリ落ス 母驚キ赤面ス、目方七百八十二匁
河野病院庶務ヨリ薬價及看護婦費通知来ル
廿日ヨリ廿五日迄ノ費用拾弐円斗ナリ(産婆費ハ含マレズ)
五月丗日
中村清彦氏ヨリ祝品ヲ受ク
五月丗一日
長谷川君ヨリ祝品ヲ受ク
竹内区役所書記ヨリ祝品ヲ受ク
出生十二日ニナルモ生母傷所全快セズ当看護婦ヲ置ク事ニ決ス
六月一日
産婆休日ナリトテ通常婦人服ニテ来ラレ話ヲナス
郷里ヨリ電報来リ鋳物師屋女死去ヲ報ズ
六月二日
生児眼ヲ開キ泣カズニ居ル事多キテ加フ
吸乳量昼多シ、黄胆全快ス
六月三日
南区青■第三校ニ展覧会アリ 生徒ヨリ生母ヲ招クモ行キ得ズ遺憾ナリト云フ
午后余展覧会ニ行ク計画中々ニ大キク経費八百円ニテモ大ナルヲ知ル
松家喜■氏祝品ヲ持チ来ラル
看護婦十五日雇ヒタルモ最早用ナシトテ辞シ去ル、茶菓ニテ送別ス、生母終日起キ働キタレバ疲レタリト云フ
六月四日
産婆来ル 湯ヲアブシ生母ヲ診察ス
河野病院長最早生母ニ薬ヲ要セズト云フ
陰山氏ヨリ祝品ヲ受ク
生児目方八百三十五匁トナル
臍帯腹帯ヲトル
六月五日
看護婦来リ湯ヲアブス種々用事ヲナシ夜ニ入リテ帰ヘル
六月六日
看護婦来リ湯ヲアブス
毎日湯アブシヲ自宅人ニテナスベクスヽムルモ為シ得ルモノナシ
生児午后泣キ方例ヨリ多シ何力異常アランカト疑フ
六月七日
生児早朝ヨリ親ノ顔ヲ見ツメテ能ク笑フ
看護婦来リ見シニ生児臍少シク痛ミ赤色液ヲ分泌スルモヨフ湯アブシヲナサズ 生児泣キ方稍多シ
陰山裁縫教師来リ 小布団ヲ作ラル
生児ノ知恵付キ人ノ顔ヲ見テ笑フニアキレタリ
立入婦人来リ 之レヨリ湯アブシヲナシクレント云フ
六月八日
産婆モ看護婦モ来ラズ 湯ヲアブサズ
学校医ヲ頼ミ来リ 生児ノ臍ヲ見テ貰フ別ニ心配スルニ及バズト云フ
生後廿日ノ児トシテハ大ナリト云フ
六月九日
産婆モ看護婦モ来ラズ 湯アブシヲナサズ
石井鈞三郎君祝品ヲ持チ来ラル
本日ハ生児ノ臍全快セシ如ク見ユ
チリメンヲ買ヒタリ衣ヲ作リ■■ノ用意ヲナサントスルナリ
立入婦人来リ相談セラル
六月十日
立入君来リ祝ニ付相談シタル、看護婦来宅
他家ヨリノ祝品ヲ見積リシニ十三■金額廿余円ナリ
六月十一日
秋田氏ヨリ祝品ヲ受ク
生母始メテ湯ニ入ル 明日病院ニ行準備ナリ
夜泣多ク睡眠不足ス
六月十ニ日
母子車ニ乗リ病院ニ行キ診察ヲ受ク
生母尚少シ傷アリ 生児ノ臍少シスリ傷アリ 他ニハ不都合ナシ
十三日
立入婦人ヨリ湯アブシヲシモラフ
六月十四日
立入婦人湯ニ入レラレシニ熱カリシト見エ泣キタリ
六月十五日
生母自ラ湯アブシヲナス
六月十六日
生母湯アブシヲナス
祝返礼ノ用意ヲナス
六月十七日 小使二人 及び下婢ヲ
返礼ニ廻ハラシム
返礼品物ハ鰹魚節ヲ主トス 立入氏内旋ニヨル 價格ハ豫定ヨリ減ジテ品トナス 立入氏ノ忠告ニヨレルナリ
貰ヒシ祝品價格大畧左ノ如シ
一五、〇立入君 三〇、〇秋田君 一五〇 不破君
五〇〇 学校教員 一〇〇 ■丁中 一二〇 岡村君
一五〇 石井君 一五〇 松家君 一五〇 伊吹堂
一五〇 中村君 一〇〇 武井■■家 一〇〇 和氣君母
一〇〇 陰山君 五〇 竹内君 五〇 長谷川君