一月一日(水) 曇 寒
ね正月。
一月二日(木) 曇 寒
ね正月。
午後八時半、陽子等來る。紘、敬來る。
疲れあり。去年の十二月からの疲れ。
一月三日(金) 晴 寒
風邪気味。少し咳が出る。一日中ねている。
年賀状を書く。
氷奌下〇・四度。
一月四日(土) 晴 寒
一日中家にいる。風邪、昨日よりよろし。
年賀状を書く。
祐、去る。
昨夜もねむれず。
泉谷君から電話。
一月五日(日) 曇 寒
午後、四人で花壇へ行く。
氷奌下一・一度。
一月六日(月) 曇 寒
午後、のり子と二人で留守番。のり子ギャーギャー泣く。
夕方、花壇まで。
今年はじめて風呂に入る。
考えてみれば、十二月は疲労していた。ようやく復調してきた。
一月七日(火) 晴 寒
午後、美大。カント。出席多し。
一月八日(水) 雨 寒
一日中家にいる。
陽子ら、呉行を延期。
一月九日(木) 曇 暖
陽子ら去る。ぶじ呉着。
午後、花壇まで。
年賀状終了。
一月十日(金) 曇 寒
一日中家にいる。午後、ひるね。
泉谷君から電話。
一月十一日(土) 晴 寒
午後、荻窪の診療所へ。
六時、泉谷君の所へ。
血圧、一四〇−八〇。
一月十二日(日) 曇 寒
午後、花壇まで。
ゴーゴリの「鼻」をよむ。
マイナス〇・一八度。
昨日より身体の調子よろし。
大寒波。
大相撲始まる。
一月十三日(月) 晴 寒
午後、社大。「鼻」について。
寒波居すわる。
一月十四日(火) 晴 暖
ようやく寒波去る。
午後、美大。ヘーゲル。
一月十五日(水) 晴 暖
有効な休日。
一日中家にいる。午後、ひるね。昨日の疲れあり。
一月十六日(木) 雨 暖
一日中家にいる。
一月十七日(金) 晴 寒
三日ぶりで外出。花壇。
一月十八日(土) 晴 寒
マイナス一・八度。
一日中家にいる。疲れあり。
芥川の「芋粥」をよむ。
一月十九日(日) 晴 寒
午後、花壇。
昨年の十二月から疲労があったが、どうやらぬけたらし。
「哲学史講義」のプラン。
一月二十日(月) 晴 寒
昨夜ねむれず。社大休む。
一日中家にいる。
井上君へ電話。
「哲学史入門」第二刷着。
一月二十一日(火) 晴 寒
一日中家にいる。
美大休講。
一月二十二日(水) 雪 寒
一日中家にいる。
東海、休講。
一月二十三日(木) 晴 寒
午後、花壇まで。買物。
一月二十四日(金) 晴 寒
一日中家にいる。
東海へ電話。試験のこと。
一月二十五日(土) 晴 暖
五月の暖かさ。
一日中家にいる。
美大から電話。
一月二十六日(日) 曇 寒
午後、外出。花壇等。
北の湖、十二勝三敗で優勝。
一月二十七日(月) 曇 寒
一日中家にいる。午後、ねむる。
東海から電話。
社大へ電話。
去年十一月頃からどうも身体の調子が悪い。
社大ゼミ、休む。これで四九年度の授業は終り。
国会討論始まる。
一月二十八日(火) 曇 寒
午後、外出。花壇まで。
一月二十九日(水) 曇 寒
午後、外出。ソフィアまで。
カイケツ、大関になる。
美大から答案着。
一月三十日(木) 曇 寒
一日中家にいる。
昨夜ねむれず。
国会討論をきく。
一月三十一日(金) 曇 寒
午後、花壇まで。
国会討論をきく。不破哲三。
ようやく体力もついてきたようだ。
体重五〇キロ。
この一月はつまらない月だった。
二月一日(土) 曇 寒
午後、花壇まで。
紘、敬來る。
二月二日(日) 雲 寒
十一時、七度二分。十六時、七度。
紘、敬に美大の答案をみて貰う。
一日中ねている。午後、ねむる。
二月三日(月) 晴 寒
風邪、七度五分−七度二分。
二月四日(火) 雨 寒
風邪、七度七分−七度二分。
美大へ点数表を送る。
寒い立春。
二月五日(水) 晴 暖
七度二分−六分。なかなかひつこい。ルルをのむ。
二月六日(木) 晴 寒
七度五分。
二月七日(金) 雨 寒
七度二分−六度五分。
二月八日(土) 曇 寒
七度七分。
延世、荻窪の診療所へ。藥を貰ってきてくれる。
二月九日(日) 曇 寒
八度。どこから出る熱か分からない。藥もきかない。
食欲なし。
愛知県知事も自民党当選。
二月十日(月) 曇 寒
七度。
山本晴義「若きマルクス」着。
東海から答案着。
社大からリポート着。
二月十一日(火) 曇 寒
七度二分。どうもひつっこい。
祐、紘から電話。
二月十二日(水) 晴 寒
六度七分。
着物をきかえる。
二月十三日(木) 晴 寒
さしみをたべて胃を悪くする。
二月十四日(金) 晴 寒
低気圧がくる。
誕生日。
源泉徴収票の整理。
ひつっこい風邪。二週間かかった。
二月十五日(土) 晴 寒
紘、敬來る。東海の答案をみてくれる。
二月十六日(日) 晴 寒
藥をのんで胃を悪くする。
美濃部知事三選不出馬。
二月十七日(月) 晴 寒
午後、安藤医師來診。
早川、太刀川、釈放される。
東海へ奌数表を送る。
二月十八日(火) 晴 寒
氷奌下二・六度。この冬の最低。
少し食欲が出てきた。
二月十九日(水) 曇 寒
身体の調子変らず。
二月二十日(木) 曇 寒
胃はまだ十分回復していない。
二月二十一日(金) 雪 寒
積雪十五センチ。六年ぶりの大雪。
一ヶ月ぶりで風呂に入る。体重四六キロ。
二月二十二日(土) 曇 寒
いつまでも寒い。
社大のリポートをみる。
二月二十三日(日) 晴 寒
社大のリポートの奌数をつける。
和、文來る。
二月二十四日(月) 晴 寒
社大へ奌数表を送る。
風呂へ入る。
受信 社大
二月二十五日(火) 晴 暖
春一番。
発信 社大
二月二十六日(水) 晴 寒
寒波。
浣腸。
二月二十七日(木) 曇 寒
食欲なし。
風呂に入る。
二月二十八日(金) 曇 寒
身体の調子おおむねよろし。
間組爆破。
三月一日(土) 晴 寒
午後、外へ出てみる。一ヶ月ぶり。予想以上に衰えている。
敬來る。
三月二日(日) 晴 寒
今朝寒い。〇度。
午後、外へ出る。昨日よりよろし。
三月三日(月) 晴 暖
「パスカル」二千増刷。
三月四日(火) 晴 寒
午後、外出。
三月五日(水) 曇 寒
国民文化会議、岩波へ電話。
三月六日(木) 雨 寒
畔夫氏死去。
参議院予算委員会をきく。
三月七日(金) 雪、晴 寒
石原慎太郎知事選出馬表明。
三月八日(土) 晴 暖
しゃっくりが出なくる。(ママ)
外へ出る。
広島三−二ロッテ。
紘、敬來る。
三月九日(日) 晴 暖
午後、紘一郎のくるまにのっかって花壇へ行く。一ヶ月以上ぶり。コーヒーうまし。
大相撲はじまる。両横綱負ける。
三月十日(月) 曇 寒
淸水、井上へ電話。
一日中家にいる。
美濃部知事三選出馬。
東京−博多、「ひかり」直行。
三月十一日(火) 曇 寒
午後、花壇へ行く。往復歩く。
三月十二日(水) 曇 寒
一日中家にいる。
美濃部、正式出馬表明。
三月十三日(木) 曇 寒
午後、花壇へ。
三月十四日(金) 曇 寒
一日中家にいる。
井上から電話。京都行の件。
三月十五日(土) 曇 寒
午後、花壇へ行く。
買物。
三月十六日(日) 曇 寒
一日中家にいる。
午後、ひるね、テレビ(相撲)、入浴。
三月十七日(月) 曇 寒
午後、安東医院へ行く。大丸でコーヒーをのむ。今日はかなり歩いた。
三月十八日(火) 晴 寒
昨夕、そばをたべたら気持悪くなる。
三月十九日(水) 曇 寒
一日中家にいる。
和さんへ電話。明日來る。
知事選擧告示。
三月二十日(木) 雨 寒
和、文來る。
三月二十一日(金) 雨 寒
入浴。
テレビで半年ぶりにプロ野球をみる。巨人一−五。
三月二十二日(土) 曇 暖
今日は具合悪し。
三月二十三日(日) 曇 寒
陽子、ひろ子、のり子來る。
紘、敬來る。
三月二十四日(月) 曇 寒
一日中家にいる。
今日はいくらか身体の調子よろし。
三大学へ敎科書を通達?する。
発信 社大 美大 東海
三月二十五日(火) 曇 寒
一日中家にいる。
三月二十六日(水) 晴 寒
町田中央病
(町田市立中央病院へ入院。紘、会社へ行き手伝わず。以下かっこの中は延世の註)
三月二十七日(木) 晴 暖
一日中無事
(「無事」ということばは、はじめて。そういうせっぱつまった気持になってきたのであろうか。)
三月二十八日(金) 晴 暖
一日中無事。
玉置さんから電話。
三月二十九日(土) 晴 暖
東海へ電話。
廊下、控室へ出て?る。
(電話の側の長椅子で休んでいる時同室の患者さんから煙草一本頂いて喫う。これが最後の煙草となる)
三月三十日(日)
三月三十一日(月) 晴 暖
陽子、ひろ子、紀子
四月一日(火) 晴 暖
陽子、ひろ子、のり子、延世くる。
(最後の日記)
四月十六日(水)
寝台車で、町田から癌研へ。(紘一郎註)
四月二十八日(月)
638号室に移る。午后二時頃。
点滴継続、酸素吸入して調子悪し。明日の朝まで、点滴が続く。我々も余りねむらなかった。
四月二十九日(火)
比較的調子良し。点滴五本。(午前3時〜午后9時)小便多し、六回
祐二郎に何か謝ることがあるとしきり。夜、筋肉注射一本。熱は相変わらず8℃くらい。
久々に点滴から解放される。腕・脚を少し動かして運動する。
四月三十日(水)
紘出社・
午前中、ボンヤリ
午后、新ブン少々ヨム。ラジオキク。話をする。
熱 最高七度五分。
タン、酸素なしです?す。
一日中、点滴。
五月一日(木)
午前中、ウツラウツラ。
点滴、入らなくなり中断。
熱、最高七度八分。夕方よりタンが出はじめる。
輸血200cc 今日で十回目。これで一時輸血は中止。
和幸たちに「どうもありがとう」と言う。話も少しする
午後、祐二郎来る。のぶよ町田三泊の休養より戻る。
和幸、文子氏見舞。
五月二日(金)
朝六時 八度七分
夜まで八度前後の熱がつづく 一日中氷枕。
点滴四本をつづけてする 足の静脈。
お見舞
中村御夫妻、近藤政世、文子さん、須田さんが夜八時頃。
話は出来なかったがよく分り、目であいさつ出来た
食事
熱があったわりにはよく通り卵のおつゆや茶碗むしなど殆ど食べる。食間に残った牛乳や重湯ジュースなど飲む。
祐二郎泊る。
五月三日(土)
朝やっと下熱 体を拭き着替える
祐、洗たくものを持って一たん帰る
朝食九時、卵1ヶ、重湯みそ汁少々
十一時、牛乳半本、重湯少々
昼食 ねぼけていたのでむせてしまい成績悪し。
夕食 ほんの数さじ
午前中はタンが少くよくねる
午後はタンでだめ
醇郎さん夫妻がお見まい。分ったが話は出来ず
お見舞がつづいたので「大ぜいくるね」と言う
受信 のり子が中耳炎とか
五月四日(日) 曇時々雨 梅雨のよう
朝 汗多し、熱六・九度
食事進まず むせるのがこわいらしい こちらの気持が反えいするのかしら。
夕食はとうとうとらず。
5時半頃呼吸が悪く酸素吸入をする二時間ぐらいでおさまりタンも減じる とうとう食べずにねてしまう
午後 陽子がひろ?子紀子をつれてくる。陽子にはわりあいはっきりした言葉が出た。
顔つきが割によいし、先日来た時よりはよいので望みができたと言って帰る
五月五日(月) 晴
昨夜は一時間〜二時間に一回おきてガーゼでタンをとったせいかよくねむり朝は看ご婦にわりあいはっきり返事をした。食事の後タンと一緒に食べたものをはき出すので食べさせないように言われる。のみ下す力がなくなったらしい。
一日中酸素吸入 ねている時間が多い
熱、朝六・五度 昼七度 夜八・五度
小菅夫妻がお見舞。反対側を向いているが「声で分るよ」と言う。sz
四時頃から呼吸苦しくこ?。佐々木先生が舌根沈下と言う。枕をはずしガーゼで舌をひっぱるとまっ赤な顔をしたのではっとしたがそれから普通の呼吸に戻りタンも減る。こいタンもだんだん減って十一時半頃私達も床に入る
五月六日(火)
祐二郎は勤めに出て啓さんが来てくれた
十二時少し前に食道鏡の検査があり悪いものは発見出来なかった 結局脳の障害のためにのみ込みにくかったり食慾が出なかったりするのだろうと。そうだとすると癌研としてはすることがなくなるようでもある。老人専門の病院があれば、その方がよいことになる 一週間後の細胞診の結果を待って対策を考えることにする
祐二郎が家に帰り久しぶりに一人でねたらねつかれず主人の息づかいが耳について困った。起きてみたら酸素吸入をつけているのでびっくりした。
五月七日(水) 晴
熱は一日中七度以下。言葉ははっきりと出にくいようだったが午前二時間午後三時間ぐらい目をさましていた。呼吸に気をつける。
食事は少しづつ入る。とろりとした液体なら心配なく入るようだ 昼は一緒に食事をしてみたらつられて口を開けるようだった。
祐二郎、紘一郎それぞれの職場よりtelあり。
ベッドの側で30分晝寝する。
五月八日(木) 春闘国鉄スト
午前中、病院より電話あり、余り調子良くないとのことで、十一時すぎ家を出て、京王線・地下鉄丸の内線・タクシーで、かけつける。今日は何も食べず、時折、眼をあけるけれど、何も言わない。午后、医師の診察后、呼ばれて、今夜持つかどうかといわれる。親セキ、みつ江さん、陽子に連絡する。会社へも美坂氏に電話をする。
はたしていつまで持つか。寝息は、大変静か。
五月九日(金) 5: 6:10 呼吸数へる。医師、看ゴフへ言
6:30 中村家 小松醇郎へ連らく
6:10 陽から電話あり、今日はつけないだろう。
断続的な呼吸が一時間ほど続く。
8:15 永眠
正に眠るが如く往く(紘記す)
午后3時頃、お棺に入って家につく。かどをギリギリでまがりながら、無事五階まで来た。
五月十日(土)
お通夜 19〜21時
五月十一日(日)
告別式 13−14時
相模原焼場 14:30−16:00
五月十五日(木)
初七日 和幸さんのお経にて無事終了。八時半頃帰る。