昭和二六年一月

元旦
前日にて何もかか一形つきして今日ハ
一日手紙書き 午後書いた丈出す
新年のはかぎを沢山買つたから諸方へ出す

二日
手紙書き 午後出しに行く 封書も有り
村でハ出来ず 矢ヶ崎へ買物なから行く

三日
足袋カバー作り

四日
百枝の着物のつぎをなす

五日
夜 田村㐂一氏方へ醇郎よりの返事を届ける
考へ方も上げる
清陵の息も居て本屋にて御馳走になる
お茶
百枝の着物のつぎ

六日 百枝の着物を縫ふ 夜十時頃迄

七日 百枝の着物を縫ふ

八日
新やへ呼はれて行き 菅沢のお母さんと一緒
に御馳走になる

九日 歯いしやへ行く

十日 和郎より小包来る 小包用紙 袋等
下駄 けずし節 飴しやぼん 皆買ひに出
様と思つて居た処調法なり

十二日
矢ヶ崎へ買物に行く
帰りに山岸正勝氏方へ魚 五十円余
伊藤千房氏方へ魚
千房氏方へ是非と呼ひ込まれ肉 すきやき
にて夕飯の御馳走になる

十三日
仙台中村氏 大阪和郎方へ小包を出す

十四日
手紙出しに オニバに行き帰りに ミカン等
買ふ
風呂をわかす 非常な寒さなり

十五日
伊藤三平氏来る年賀として五十円
午後墓の雪かきをなし明日の墓参りの
用意をなす

十六日
早朝より おめい玉を作る
墓参りに行く
午後寺へ行く 米一升 金三十円 持参
寺にて夕飯を御馳走になる
帰りて伊藤二戸へ行く
勝之氏方へミカン持参 御馳走になる
三平氏 一美氏夫妻も居る
帰途一美氏方へ寄る
三平氏にカボチヤ二個餅を贈る
一美氏にカボチヤ 一個

十七日
午前 裁縫
午後 念佛講に出席
帰りて風呂をわかし入る

十八日
前晩風呂につけて置いたものヽ洗濯
半日かヽる

十九日
塚原の歯いしやへ行く
帰りに時計直しを持つて来る
歯の工合 大によくなる もう行かなくもよいかと
思ハれる

二十日
午前中裁縫
午後 区総會に出席す
御馳走作りをなす

二十一日
平林ます氏より 二十一日に尚確定の上通知すとの
御はかき有りしも 其後の何の通知も無く或ハ
来られるやと思ひいろく準備して待ちしも遂に
来られす 餘り寒い故ならんか

二十二日
自分 平常着の半天を縫ふ

二十三日
半天仕立上り 東京の伊藤美代子氏より手紙
及写真来る
摂郎よりはがき来る

二十四日 綾子氏より手紙来る
午前中手紙書キ
百枝、伊藤美代子氏 摂郎
百枝に封書 神経衰弱対策其他中村さんに
依頼の事等々
午後 私羽織布探がし

二十五日
洗濯 フトンカバー 紺絹
十一時頃 㐂七氏来ル キナコ砂糖キビの餅
を上げる 二時半頃帰ル
矢ヶ崎へ買物に行く
風呂をわかし夕飯後入り後テラポール
を塗る痛まず工合よし
髪を洗ふ

二十六日 天気よく日中暖かなり
張物 布探がし
東京林さんより婦人公論二日本評論二 紘一郎の日記来る

二十七日 天気よし 張物
七子の羽織のヘラ付け 下組子供正月用品を
預る 世話番との事なり
醇郎よりはかぎ有り写真も沈降度も大に
よくなつたと有り
東京林氏、ます氏醇郎にはがきを出す

二十八日 七子羽織縫ふ 風呂をわかす

二十九日 羽織を綿入れ迄す 氷豆腐届ク

三十日 午前羽織クケ 豆ヲ豆腐へ持参す四升と加工賃四十円 オカラ二升位ヨコス
午後 矢ヶ崎へ買物ニ行く

三十一日 朝与平氏石灰窒素 三俵持参シクレル
家の形つげ 夜具フトンを倉へ入レル
ます氏からはかき有り風引きで来られな
かつた故 二月半頃来るとの事
フトンカバーを修繕す
夕方醤油買いに行き矢沢みな氏方へ寄
りしも来客有り寄らずに帰る
晩新やへ日本評論を松雄氏ニ上げ
明日の肥料を持ち来る事を頼む