○四月一日 (金) 曇 寒
午前、病院え行く。発熱わ膿が原因、切るほどでわない由。病院で午食。
午後二時、家えかえる。一休みして紘一郎と一緒にテアトルえ行き”せむしのこうま”をみる。又、病院えよる。
この頃身体に元気がない。いくらか風邪気である。
夜、雑誌をよむ。
受信 醇郎、百枝
○四月二日 (土) 晴 寒
午前、雑用。
午後、学校。病院。陽子、膿が出て熱が下る。これで順調に行くだろう。
明日、民科で話をすることになる。大熊さんが病気で来られないため。
母、快方に向った由。
夜、大熊さん来る。
発信 母、萩生眞義、中村吉治、醇郎
受信 母、萩生眞義
○四月三日 (日) 曇後雨 寒
午前、雑用。
午後一時、病院。二時半、師範え行く。民科の講演会。山岸氏、菊池氏に続いて、大熊氏の代りに“宗教と共産主義”の話をする。後、民科大会。六時終了。
夕食後、疲れてねむる。
今日からサンマ・タイム。炬燵のある中からサンマ・タイムもおかしい。
発信 世界評論社
○四月四日 (月) 晴 暖
午前、雑用。
午後、祐二郎をつれて病院え行く。陽子、元気よし。葡萄糖の注射、内服薬も終了。膿も出ない由。
午後、神谷秀夫来る(病院え行く前)。
第三書房の“辯澄法”着。
夜、“宗教と共産主義”を書く。8枚也。
発信 民友社(二)
受信 民友社(二)、武内義雄、日本出版協会、民主評論社
○四月五日 (火) 曇 寒
午前、雑用。
午後、学校。一時から組合総会。途中から去って、病院え行く。
“東北学生新聞”の原稿発送。
夜、“現代哲学サイクロペディア”の原稿を書き始める。こういう原稿わ厄介なものである。
とにかく子供わうるさいものである。
夜、暴風。
漸く梅の花が咲く。
発信 服部英次郎
○四月六日 (水) 雨後曇 冷
午前、雑用。
午後、裕二郎をつれて病院え行く。代りに延世が家えかえる。萩原氏見舞に来る。陽子、起る練習を始めてよい由。六時、延世と代って家えかえる。
夜、入浴。後、原稿。“マルクス主義”(10枚)終り。
発信 山新出版社、キネマ旬報発行所
受信 服部英次郎
○四月七日 (木) 雪後雨 寒
午前、雑用。とんでもない寒い日である。
午後、学校。坂本氏の辞令が3月末日附で出た由。余の辞令も同日出た筈である。病院え行く。陽子、後10日で退院出来る由。起きる練習をしている。橋倉さんの所えよる。
4月は山形で俸給を貰えないことになったので、金の工面をしなければならない。
夜、原稿料催促の手紙を書く。後、原稿。
発信 服部英次郎、岩﨑武雄、松本敬之助、堀内喜雄、長谷川泉
受信 上田庄三郎、醇郎
○四月八日 (金) 曇 寒
昨夜も少し雪がふる。午前、雑用。
午後、紘一郎と共に病院え行く。露城館で”ターザン砂漠え行く”をみる。
夜、原稿。“コミュニズム”(7枚)完了。
発信 学生評論社
○四月九日 (土) 晴 寒
午前、学校。神戸え電報を打って貰う。富士え行って金を出す。買物など。
午後、紘一郎と共に外出。学校えよる。散髪。病院。陽子、昨夜腹痛。
夜、原稿続き。
発信 植田清次、湯沢誠
受信 斎藤英策
○四月十日 (日) 曇後雨 寒
一日中家にいる。相当の疲勞あり。
病院えわお婆ちゃんが行く。
夜、“ファシズム”(7枚)完了。これで“現代哲学サイクロペディア”の原稿終了。字引の原稿わ案外厄介なものである。
受信 坂本都留吉
○四月十一日 (月) 曇 寒
午前、学校。神戸から返電来らず。
“哲学評論”の原稿発送。
服部氏から電報。講演会23日に延期。
昨夜、配給の花見酒をのむ。いくらかいいが今日も疲れている。咳も出る。
生徒がぼつ~帰ってくる。
午後一時、紘一郎をつれて附属え行く。紘一郎の入学式。三時すぎ終了。病院え行く。陽子、虫が出てから元気よし。延世、発熱八度。
須田から書物着。
夜、雑用。風邪気味。
受信 日本評論社、内外書房
○四月十二日 (火) 晴 寒
昨夜、サムケがする。二階にねる。
午前、雑用。
午後、病院え。陽子、よろし。延世、発熱八度。余も七度三分。二人とも高波さんにみて貰う。たいしたことわないらし。
夜、雑用。薬をのんだせいか、昨夜より気分よし。
受信 キネマ旬報発行所
○四月十三日 (水) 快晴 暖
今日わ久し振りのいい天気である。風邪もどうやらいいらしい。
朝、ヒカリ書房来る。本を賣る。2,000円也。
午後、母、病院え行く。子供達と留守番。子供のうるさいのには全く閉口する。
夜、“哲学者わ世界平和にどう対処するか”を書き始める。
受信 東北大学新聞社
○四月十四日 (木) 雨後曇 寒
昨夜又雪がふる。今日わ昨日より気分悪し。
午前、雑用。
午後、病院え行く。陽子、起きる練習をする。延世、七度一分。病院から家え帰ってから、非常に疲れを感ずる。毎日の病院通い、家でわ子供にとりつかれる、夜は原稿、それに金の心配と重なり、疲れるのももっともである。
留守中坂本氏来訪。山高わ明日始業。
服部氏から手紙来らず。
夜、原稿続き。
受信 母、須田宗興
○四月十五日 (金) 晴 冷
午前、雑用。昨夜、発汗。今日わ割合気分よろし。
午後、学校。俸給を受取る。病院え行く。陽子、居ざっている。かえりに縣委員会えよる。
服部氏から手紙。まだ発令になっていない。
夜、原稿、続き
発信 服部英次郎
受信 桃井律子、服部英次郎、岩山武雄、大井正
○四月十六日 (土) 雪後曇 寒
又雪がふる。いつまで降るつもりだろう。
午前、葉書を書く。
午後、学校。病院。陽子、歩く練習。歩けるようになれば退院してよろしいと。サムケがするので病院で熱をはかってみたら7度2分。延世の薬を貰う。
服部氏え電報と速達を出す。23日に行くと云ってやる。
第三書房から印税来る。
夜、“哲学者わ世界平和にどう対処するか”完了。28枚也。
発信 母、醇郎、武市健人、林省吾、大井正
受信 民友社、第三書房
○四月十七日 (日) 快晴 暖
午前、手紙など書く。
午後、母、子供二人をつれて病院え行く。後、静かでよろし。ひるねして、気分よくなる。煙草もなるべくすわないようにする。
夜、“論理学”を書く。7枚也。これで原稿終り。
発信 岩崎武雄、桃井律子、第三書房
受信 坂本都留吉
○四月十八日 (月) 晴 暖
おそく起床。急に暖くなった。
午後、坂本氏来る。武市氏、今日出発の由。後、病院え行く。明後日退院の予定。
民友社え原稿二つ発送。
雑誌いくらか到着。
明後日夜行で出発の予定。
神経大学予科え余の著書を一組送る。
夜、雑誌をよむ。
○四月十九日 (火) 小雨 冷
午前、母、病院え行く。
午後、学校え行く。届を出す。
入浴。
午後、紘一郎、発熱9度5分。発汗、段々熱が下る。風邪らしい。
夜、明日の用意など。
発信 民科哲学部
受信 民科哲学部
○四月二十日 (水) 晴 暖
午前、病院え行く。切符や土産を買う。
午後、母が病院え行く。四時、退院してくる。
午後九時、家を出る。十時二十四分山形発。上野行普通列車。割合すいている。
発信 母、中村吉治、平和擁護大会
受信 平和擁護大会
○四月二十一日 (木) 小雨 冷
汽車中寒し。宇都宮で一齊検査。馬鹿なことをする。午前十一時二十五分上野着。東京駅で汽車時間をしらべる。午後一時、阿佐ヶ谷の家えつく。午食後、ひるね。
午後七時半、家を出る。九時四十分東京発。京都行普通列車えのる。大変すいている。
○四月二十二日 (金) 晴 暖
汽車中寒し。午前十時三十五分京都着。関西わ花が満開である。省線で吹田え。十二時すぎ醇郎の家えつく。夜行が二晩続くとつかれる。
午後、ひるね。日中暖くなる。
夜、雑用。入浴。
発信 のぶよ、林省吾
○四月二十三日 (土) 小雨 冷
午後十時、家を出る。大阪で阪急にのりかえ、阪急で六甲まで行く。経大え十二時つく。学長、服部氏等に会う。
午後一時から講演会。武市、小松、樺の順。四時半終了。後、文科関係の?表会。八時すぎ終了。経大わ上って行くのが大変だが、素晴らし景色が良い。
中共軍南京占領
発信 のぶよ
○四月二十四日 (日) 晴 暖
午前、休養。
午後、神戸え行く。元町を歩く。三田博雄、今井林太郎と会う。
夜、和郎がくる。
○四月二十五日 (月) 晴 暖
おそく起床。神経大学え行く。午食。
午後、学内をみる。図書館、研究室等。後、三田氏とともに本山村の縣營住宅をみに行く。六畳に四畳半、少しせまい。
辞令わ4月末日で出る由。
少し風邪気也。
発信 のぶよ
○四月二十六日 (火) 晴後雨 暑
午前、家にいる。
午後、大阪え行く。心齋橋を歩く。大阪商大えよって、林直道氏と会う。守口の和郎の所え行く。泊る。
○四月二十七日 (水) 小雨 暖
和郎の所をでて、吹田えかえる。
午後、神戸え行く。家の件等。梅田で切符、急行券等を買う。
発信 のぶよ
○四月二十八日 (木) 晴 暖
午前十時起床。八時に家を出る。九時十分大阪発東京行急行に乗る。窓外の景色美し。
午後九時半、東京着。十時半、阿佐ヶ谷の家え着く。紘一郎、はしかの由。
○四月二十九日 (金) 晴 寒
午前、家にいる。
午後、外出。出さんを訪う。後、銀座え行く。土産など買う。
発信 のぶよ
○四月三十日 (土) 晴 暖
午前十時、家を出る。東大え行く。大井正氏を訪う。
正門の所で池上氏に会う。塙書房え行く。しまっている。神田え行く。社会教育連合会に堀尾勉を訪う。書物を幾冊も貰う。上田庄三郎氏不在。世界評論社え行く。林氏、本堂氏に会う。
歸形わ明後日とする。