○十月一日 (土)    晴 暑

午前十時半家を出る。

十二時大阪発。特急平和号。九時東京着。十時、荻窪着。

 

○十時二日 (日)    晴 冷

午前十時半、上野の学士院え行く。日本哲学会の創立総会。午後五時終了。民科グループで上野でお茶をのむ。

 

○十月三日 (月)    晴 暖

午前十時、家を出る。民科本部えよる。関西方面の報告をする。畫食。

午後、教育会館に上田氏を訪う。不在。河出書房で田辺氏に会う。本郷で大井正に会う。東大え行く。鈴木君に会う。世界評論社え行く。本堂氏、林氏に会う。

 

○十月四日 (火)    雨 冷

午前、出さんを訪う。畫食の御馳走になる。

午後、教育会館え行く。上田庄三郎氏に会う。教育新報社から原稿料(4月分、2千5百50円也)を貰う。三越え行って買物など。銀座え行く。余りきれいでもない。

夜、鈴木平八郎がくる。

 

○十月五日 (水)    雨 冷

午前、世界評論社え行く。林氏、本堂氏に会う。

午後、東京駅で急行券を買う。日本評論社え行く。“理論”の編集会議。

夜、“東大新聞”の学生来る。

東京わ概して立ちおくれである。

国際情勢わ急激に動いて来た。広東総攻撃開始。

 

○十月六日 (木)    雨後曇 冷

午前八時起床、九時家を出る。阿佐ヶ谷から省線十時半、東京発鹿児島行急行にのる。汽車わすいている。雨が止んで、西え行くほど天気になる。名古屋辺りから月夜になる。九時十三分大阪着。省線で本山え。十時家えつく。東京の話など。

受信 芦田弘夫

 

○十月七日 (金)    晴 暖

午前、学校。芳村等来る。古林さんから情勢を聞く。

学校から大阪民科え行く。森氏に会う。

夜、鍵本がくる。

発信 林省吾

受信 新関嶽雄

 

○十月八日 (土) 晴 暖

一日中休養。

午後、延世、子供二人をつれて映畫をみに行く。裕二郎と二人で留守番をしてひるね。

夜、読書等。

発信 武内義範、森幸一

受信 阪大新聞部

 

○十月九日 (日)    曇後晴 暑

午前中から三の宮え行く。セントラルで“北ホテル”をみる。“巴里祭”に近い作品。元町を歩き、午後三時家えかえる。畫食。

代りあって家じゅう銭湯え行く。

夜、読書。

発信 渡部一郎

 

○十月十日 (月)    晴夕立 暑

午前、学校。研究室。

午後、“読書のすゝめ”を書く。6枚也。

夜、明日の用意。

 

○十月十一日 (火)    晴 涼

午前、学校。予科の授業。ルネッサンス。

畫休みに社研。

午後、研究室。原稿を書く。神戸大学で惜しいのわ研究室だけ。

夜、“主体性論爭のゆくえ”完了。6枚也。

受信 醇郎

 

○十月十二日 (水)    曇 暖

午前、家にいる。

午後、学校。二時半―五時、予科教授会。

大阪大学新聞部の原稿発送。

夜、田辺、柳田の書物をよむ。柳田氏の進歩わ少し驚く。

受信 母

発信 母

 

○十月十三日 (木)    曇小雨 冷

午前、学校。“神戸大学新聞”出来。

午後、研究室。“東京大学新聞”の原稿を書く。6枚也。学校から元町え行く。散歩。

留守中に醇郎来訪。

夜、明日の用意。

 

○十月十四日 (金)    曇小雨 冷

姫路行。十二時十七分三の宮発広島行の汽車にのる。姫路まで立って行く。二時、姫路着。三時、高校着。紅松氏に会う。四時からヘーゲルの話。後、座談会七時半終了。紅松の所で夕食の御馳走になる。九時姫路発の山陽電鉄にのる。十時半兵庫着。兵庫で長くまたされ、十二時近くに家えつく。

“東京大学学生新聞”の原稿発送。

受信 民科大阪支部、武内義範

 

○十月十五日 (土)    曇小雨 冷

午前、雑用。

午後、御影え行く。一時から社研で“主体性理論”の話をする。後、座談。

中共軍広東入城。日本でわリベラリストまで追放。奇妙なコントラストである。

夜、たまっていた新聞雑誌をよむ。

発信 武内義範、大阪大学新聞部、潮流社

受信 大阪大学新聞部

 

○十月十六日 (日)    晴 暖

午前十一時家を出て、陽子と共に吹田え行く。陽子を吹田え置いて、大阪え行く。午後二時から京阪神労組会館で民科大阪支部大会。六時すぎ終了。吹田えかえる。夕食の御馳走になる。九時すぎ本山えかえる。

夜、雑用。

発信 民友社

受信 民友社

 

○十月十七日 (月)    晴 暖

午前、学校。研究室。

午後、元町え行く。そごうから松だけを花岡さんと林さんえ送る。民科えよる。

夜、明日の用意。

 

○十月十八日 (火)    晴 暖

午前、学校。予科の授業。ルネッサンスと宗教改革。

午後三時―四時半、予科の教養講座。主体性論の話。

後、大阪え行く。上四の専念寺における志賀義雄氏の懇談。八時半終了。

発信 花岡謹一郎、林省吾

 

○十月十九日 (水)    晴 暖

午前、元町え行く。京都えの土産等を買う。

午後二時すぎ家を出る。本山から大阪え、大阪から急行で大阪え。五時義範氏の家えつく。

夜、読書等。義範氏外出。

 

○十月二十日 (木)    晴 冷

午前九時半、義範氏と共に大学え行く。哲学会大会第一日。堀氏等の話をきく。

義範氏の研究室で畫食。

午後、街え行く。三條、四條を歩く。哲学会えかえる。

夜、読書等。

発信 大学新聞社

 

十月二十一日 (金)    晴 暖

午前九時半、大学。哲学大会第二日。京都大学新聞社えよる。

義範氏の部屋で畫食。三田氏とともに三一書房え行く。大学えかえる。人文科学で桑原氏に会う。

服部氏、梯氏その他に会う。

夜、義範氏の所え石田氏来る。

 

○十月二十二日 (土)    曇 冷

午前、街え行く。買物など。

義範氏の研究室で畫食。哲学会の公開講演会。野田氏と池上氏。途中から出て、民科の講演会え行く。梯氏と会談。

五時、義範氏の研究室を出発。七時半本山の家え着く。

夜、新聞などよむ。

受信 眞下信一、哲学会、岩波書店

 

○十月二十三日 (日)    晴 冷

一日中休養。

午後、紘一郎をつれて銭湯え行く。

夜、雑用。“談話”を書く。500字。

発信 眞下信一、武内義範

 

○十月二十四日 (月)    晴 暖

午前、学校、研究室。

午後、三の宮え行って買物など。

京都の疲れが出た感じ。

夜、明日の用意等。

発信 三一書房、東北大学新聞社、京都大学新聞社、東大自治会

受信 三一書房、林省吾、京都大学新聞社、東大自治会、大畑末吉、山形大学会計課

 

○十月二十五日 (火)    雨後曇 冷

火曜わよく雨がふる。午前、学校。予科の授業でデカルト。

午後、新聞部の学生来る。“談話”を書き始める。1,700字。

夜、“哲学大会の印象”を書く。4枚也。

受信 醇郎

 

○十月二十六日 (水)    晴 暖

午前、学校、研究室。

午後、“談話”の原稿をわたす。民科え行く。縣委員会え行く。民科幹事会。六時半終

了。

“学園新聞”も原稿発送。

夜、“潮流”をよむ。

受信 市原亮平

 

○十月二十七日 (木)    曇小雨 冷

午前、非常におそくおきる。午後もひるね。今日わかなり休養出来た。

夕方、散髪。

延世、発熱。

夜、“展望”等をよむ。

発信 鈴木平八郎

受信 鈴木平八郎

 

○十月二十八日 (金)    小雨後晴 寒

午前、休養。

延世、午後9度近く発熱。庫本によって医者を頼んで貰ったが、今日わ往診しない由。併し、夕方から7度台になる。

余も風邪気。少しわ熱が出たらしい。

 

○十月二十九日 (土)    晴後小雨 暖

延世、日中わよし。

午後、高木氏来る。化膿性偏頭腺炎。

夕方から、発熱。9度4分になる。高木氏え行って薬を貰ってくる。

余も亦風邪気味。くしやみと鼻汁が出る。併し、昨日のようにサムケはしない。

夜、雑用。

受信 花岡謹一郎

 

○十月三十日 (日)    曇後晴 寒

午後九時すぎ家を出る。十一時京都えつく。丸物で畫食。京大え行く。

午後一時から“唯物論について”講演。後、民科、唯研等と座談会。奈良本氏参加。午後すぎ去る。七時すぎ家えつく。寒冷前線のため恐ろしく寒い。普通車で京都大阪間50分、大阪本山間30分。

留守中高木氏来診。咽喉え薬をぬった由。延世、大変良いらし。

 

○十月三十一日 (月)    晴 暖

延世わ最高8度4分。

余は午後3時37度4分、仝午後八時37度5分。

午後、熱のある所外出。岡本まで行って買物をする。醇郎えきてくれるように電報を打つ。

たしかに昨日の京都行わ無理であつた。