二月豫記表
日本語で書いた佛語文典は折竹氏の佛語文典
二月一日 天氣 快晴 寒暖 風寒し 豫定 午前十時、36.7
第三十六回記念祭。
母がレントゲンに掛る為父母昨夜の夜行で上京。小野方に宿る。
父母(南北中朶明)と姉と其他四人(南北中明)の飾物見物に案内
す。非常の人出(殊に午後)であつた。
○父母姉と大学病院にゐたから、実際に見たのではないが、五・六時頃先輩
が酒に酔つて来て、飾物を壊していくのである。せっかく作つたのだから
もつとおいとけば良いのに。尚昨夜少しこわされた部屋もある。これ
なぞは眞に憤慨だ。昨夜は生徒と先輩が見て廻る。そして、委員
が採点して、賞をきめる。生徒達も見て廻るとか。要領の良いのにな
ると、昨日の夕方見て廻る。(一般人の中でである。)
○八時頃から約一時間式。僕は父母の所へ行つてて居なかつた。
○昨夜午後七時より一般人面會謝絶。本日午後四時より外出禁止。然し法
文だけ。
二月二日 天気 晴 寒暖 暖 來信 戸山教會 發信 小松醇郎
昨夜全寮コンパを欠席して十時にねる。今朝目を覚したのは十一時半。
ストームで二回、コンパが終へて連中が歸って來た時午前四時だけ。十三時間
ねた訳。起きてからも二、三時間はねぼけてゐて、人心がつかなかった。
○寮は包容性に乏しい。即ち如何なる性格のものも愉快に寮で生活し
うると云ふ訳に行かない。或特殊の者のみに取つての楽園である。
○東京は没落の都也。
○我が独法クラスの三大天才。曰く石澤次夫。曰く鮫島宗良。曰く今井博人。
○人の意志をふみつけるのは実に心苦しい。
○酒酔の醜体を見れば、酒をのむ気はしない。
○危険は常に身辺にあり。只知らぬが佛のみ。
二月三日 天氣 曇後晴 寒暖 寒
春が来た。春が來た。
今日中村孝也先生の古事記抄による古代史の講義が終つ
た。
◎独文法が記念祭前で終へたので、記念祭後は文法の時間をティール
に廻す。
二月四日 天氣 曇 寒暖 寒 豫定 午後九時36.1.5 70
二月五日 天氣 快晴 寒暖 暖 發信 姉 豫定 A.M.9 36.8.5 70
○近頃喉がいたくて風気だ。
○第三学キ大掃除。
○父母の相伴で小野方でゾーニの御馳走になる。
二月六日 天氣 快晴 寒暖 暖
久し振りで―今年の二回目―神田へ行く。非常に暖で汗ばむ位。
春か夏の様な気分になる。心も浮立つ様である。
今日は昨日より風は良い様である。父母昨夜立つのをのばして、今
朝立つたらしい。
二月七日 天氣 晴 寒暖 暖
丸善行。本年二回目。未だ風で消耗してゐる。
◎シャトウブリヤンのルネを佛日対してよみ出す。
◎カントのプロレゴメナ日独対してよみ出す。髙校の中に終
へれば良い予定。
人間は自分の分らな世界を見るに、軽蔑(ベツ)の目で見る
か、さもなかれば畏敬の目で見る傾向がある。
二月八日 發信 髙木、父、弟妹へ記念祭の繪ハ書送る
二週間振りで入浴する。非常に気持が良い。風気分がどうも
ぬけなのに、入浴したら良い様だ。
記念祭費會計掛を承つて、決算する。支拂二円七十一銭。
徴収第一回十銭第二回三十銭第三回二十銭第四回二十銭計八十銭。合計七円
二十銭。
二月九日 天氣 快晴 寒暖 暖
久振りで上野公園へ行く。空髙く気持良い。
○足袋をぬいで、素足になる。素色と草*との接觸の感じに
春の來篤を感ずる。
○死ぬ前の有様を考へる。息子に放蕩息子があるとか、親類がもめ
てるとか、未完成の仕事があるとか云ふ様な事があれば、気安く死ねないだ
らう。一生の終りとして、解決を要する問題が残つてると、死ねないだらう、
実感が伴はないだらう。すっかり仕事を片付けて死にたい。
○もう髙校生活の1-3が終える。1-3だ。考へると情ない様な気になる。
二月十日 天氣 雨 寒暖 冷
雨降る。夜櫻鳴堂で吉田紘二郎の「木に凭りて」を読み終へて、
出て来て、空を見るとカラット晴れ、星が降る様であつた。明日の晴天が思は
れる。散歩しやう。
六時頃ポツカラ目が覚めた。昨日柔道の組選があったので勝った文一のスト
ームがあった。其は兎に角六時から起きて、カントのプロレゴメナを一頁読
む。カントもさう難しくはない。文藝物の様に文がひねくれてはゐない。組み合
って複雑になってゐて、何処から何処へ続くかが分らん様だが、
統整的である。術語でも憶えればさう難しくもないだらう。
二月十一日 天氣 曇 寒暖 寒
紀元節の式がある。八時半校庭へ整列。わざく校庭迄持って行か
なくても教室で良ささうだのに。九時十分過に始り、二十分前に終る。
三年前送別午餐會。午前十一時半―二時半
○人間を分類し、順序をつけるにも色々の標準がある。身長によ
るのも其一つ。体重によるも其一つ。学校―今日の―成績の順序
も其一つたるに過ぎない。決して全人間的分類ではない。云はば、記憶
と模倣の点から見た順序である。然し、人間の頭は大体に調
和が取れてる。即ち馬鹿に記憶にのみ秀でてゐて、推理が欠けてるとか、云ふ事
がないのが一般だから、成績の良いものは一般に頭が良いと云ふ事と云
へる。然し例外の随分多い事も考へねばならない。
二月十二日 天氣 快晴 寒暖 寒
二十三日迄本学年の授業。二十四日休。試験は二十五、二十六、二十七日三月一日二日三日。
○大概の人の思想にはいくらかなりとも矛盾があるものだ。全体整然と
整頓してゐて、矛盾のない思想を持つてる人は極少い。厳密な意味
でなら一人もないだらう。
○人とつきあつて見ると、大概第一印象と大差なものである。然し段々つ
き合つて居る中に其人の性質に関して新しい発見が出るものである。
二月十三日 天氣 快晴 寒暖 寒
○どんな頭の良い人、氣の利いた人でも或方面では存外疎いものだ。
○或人をかう云ふ人だ思つてゐる。其中が其が間違ひだと分る事もある。
間違はない事もある。尚、或人をかう云ふ性質だと思つてゐるとする、そして
或場合に際して、あの人はかう云ふ性質だから、此場合はかうするだらうと予
想して見て、朶してその人がさうすれば、大概其の考は正しい。
○本等で、一髙の寮の事に就いて書いてあるのを見る、然しながら其等は只
讃美するだけなのが多い。残念ながらほんとに寮を考へ、曇らざるまなこで
ほんとに寮を批評してあるのを見た事がない。僕に云はせれば、寮は多分
に長所も欠点も持つてゐる。
○人の言動の中で、一寸面白しいからやつて見ると云ふのが随分多い。ほんとに
其眞意義を考へて見るので、一寸面白い位でやるのである。然も其を得
意らしく云ふのが多い。例へば寮生の間でも、食費の滞納とか、学校を欠席
するとか其他ほんとに考へればつまらない事だが、一寸豪潔らしく見える位の
事から得意になつてやつてゐる。
二月十四日 天氣 曇 寒暖 寒 來信 母
○各人の思想は各人の偏見独断の上に成立つ。
○人は只ぼんやりと、何も考へずに其儘当然と認める事を、或人は其
に就いて考へ込む。
◎
藝術1.文学2.音樂3.繪畫4.彫刻
5.建築 6.舞踊 7.演劇 8.映畫 |
二月十五日 天氣 晴 寒暖 暖
遂に冬の実感を得ずして、冬を送る。
二月十六日 天氣 晴 寒暖 寒 來信 新潮社 淺野順一
二月十七日 天氣 晴 寒暖 風空
○天才の半面は馬鹿である。天才と馬鹿が合さつて天才となる。
馬鹿と馬鹿と合さつての馬鹿は只の馬鹿だけのものであつて何にもな
らないが、馬鹿の方面と天才の方面とが一致調和して生じた所の天才は僔い
ものである。此場合の馬鹿の方面は天才の方面を色付るものとして僔い。
其は丁度明を現す暗、光を示す影の様なものである。
一月十八日 天気 晴 寒暖 寒 來信 新潮社、和田卓次 發信 母、姉、和田卓次
○つまらん人間に限って、小主観に立てこもって分ったらしく何かと
云ふものだ。小主観を捨てなくては大主観は得られない。
○明年度の部屋割発表。文乙二は和六朶五東二(組選)。従
来迄明五が文乙二であつたが、本年度は文乙三になつた。
二月十九日 天氣 曇 寒暖 暖 來信 父
○父から明年度の通学個所に就いて手紙が来る。
因て、巣鴨なら報恩會へ行く。宮坂準君不在。三輪保
君在中。報恩會は好きだったが、いやになつた。
□僕の作った笑話
A.とても忙しい。さかさになってもとても間に合はない。
B.さう云はないで、兎に角さかさになって見給へ。
二月二十日 天氣 晴 寒暖 冷風
○明道館へ行く。やはり明道館も面白くない。今日夕方から考
が來年度は入寮したいと云ふ方へ向いた。ほんとーは、通学でも入寮
でも大した問題ではないだらうと思はれる、客観的に。然しどつちでも
良いから、どっちにしても良いではないかと云ふだらうが、どうもさうはいか
ない。どっちでも良いから、良い加減にどっちかへ入るとすると、やはり他
の方に未練が生ずる。そこで考へるが、どっちが良いか分らない。一長
一短であって、決算してどっちが良いかと云ふ事は、僕等の頭を絶する。
其様に考へるのはつまらないから止せと云ふが、さうかと云つて止すのは考へ
るのを中止したのでなく、考へなくなったのである。迷ふのを、思ひ切って
迷ふのを止す事は迷ふなくなる迄は出来ない。其は不可抗力で
ある。
二月二十一日 天氣 快晴 寒暖
中村孝也先生の筆記より抜く古事記日本書紀
古語拾遺 祝祠 風土記 万葉集 |
二月二十二日 天氣 曇後雨 寒暖 寒 來信 諏中学友會日誌二十五号
試験時間割発表
八―九―― 一〇―二―三 一―二
二 二十五 英* 自
二 二十六 数 史
二 二十七 漢
三 一 獨 ヴインク 國靑
三 二 英 クレメン 獨三
四大
三 三 地 文杉
二月二十三日 天氣 曇 寒暖 暖
○咽喉を害す。 午前十時半 三六度九分 七六
午後七時 三七度一分 九二
午後十時 三七度 八〇
○つらつら考へるに來年度は明道館へ入りたい様に考が変った。一年寮
にゐたのだから、そんなにゐなんでもよい。其理由はとても言語等に表せ
ない程デリケートだがまあ、肉体的に見て、往復はいやでも運動になる事。
且生活が規則的になるから体の具合が良くなる。事実此年は一年を通
じて体の具合の良かつた時は殆ない。精神的に見ては、比較的孤独
の生活が出来る。且明道館には文科一年の人が一人もゐないか
らその点は独立的である。
二月二十四日 天気 晴 寒暖 寒 發信 姉
午前八時 三六度九分 八四 アスピリン0.5瓦服用
○中村孝也先生の講義は古事記が終つてからは、佛教、儒教文化
の日本へ入る事、佛教の発達史等に就いて、であつて、試験の中一題は
古事記雜観で宿題。である。
○友達と云ふものは大切である。大林郁次氏が二学期通学して、三
学期に復寮されたので、又親しく交際する事になつたが、氏から
生き方、学び方学問の仕方等に就いて随分学んだ。其他一髙へ入つ
てから生き方に就いて多く学んだのは、今井博人君、石沢次夫君で
ある。
二月二十五日 天気 晴 寒暖 冷 來信 父 書留、姉 發信 父
午後二時 三六度九分 八〇
エチモロと自然科学。余り良くはない。
○夕方姉がわざわざ中村孝也先生の国民文化史概論中・下巻を西荻窪
の遠方から持って来て呉れた。僕は済まない様な気がする。実はさう必
要ではなかったのである。試験だと云ふので、速達ではおそくなるから
持って来られたのである。葉書にさう緊要でない旨を書けば良かったのを、
ついすまない事をして了つた。で、僕としては今日明日其を読むのは勿論、来
年度に、あの本を三冊もう一度読んで、少しでも心をなぐさめやう。
二月二十六日 天氣 快晴 寒暖 暖 來信 父
○数学二題。一題出來て一題出來なかった。一学期中何も分らないでゐて、前
一日で然も消耗してゐる所に見たのだから無理もない。
○歴史は僕の苦手。さう出來る筈がない。
○帆足理一郎氏の哲学概論は素人に哲学を紹介するのが目的である。
紀平正美氏の哲學概論は自己の説を述べたものである。其間、趣旨
が判然分れてゐる。日本人の頭になつた―飜訳にあらず、日本人独創の―
哲学概論は紀平正美氏のだけである。
○信ずると云ふ事は平面的と立体的と兩方の條件を具へてゐなければ
ならない。平面的條件と云ふのは、Aと云ふ事を全く疑はないと云ふ事である。
立体的條件と云ふのは、平面的に信ずると云ふ事を又全く疑はない、其を
又疑はないと云ふ事である。
○岐路に立つて、AせんかBせんかと迷つて、自己の頭では遂に解決しえない時、
其を擧げて、先輩父兄等に一任し、又は其得の得らないとき、御神くぢ等に任すのは、必
ずしも迷信ではない。
二月二十七日 天氣 晴 寒暖 暖 來信 母 發信 母
○漢文。は昔から出來なかつた事がない。但し菊池久吉氏の時は例外。
○午後明道館へ行く。大体退寮して、明道館へ入る事に決心はしたものの、尚明
道館生活を究めに行つた。やはり、入らう。就いては京橋片倉ビルディング内片倉生
糸紡績株式會社の櫻沢鶴吉氏を問はねばならぬ。明日行かうと思つてゐたのだが
館生が今日行けと進めたので遅かつたが三時半明道館出発した。同ビルディン
グに依つて、西洋文化搬入の近代生活の一面を見る。父は先ず葉書を出すか電話
で聞くかして且明道館員の誰かに伴れて行って貰へと云つてよこしたが、其
何にも背いて行つた。不在。ビルディング式のものに少し面くらったので、父が伴
れて行つて貰へと云つたのは此為だらうと思はれた。尚其他に理由あるのか?
○此度の試験は良い加減にやつた。ほんきになつてやる気がしない。
○母から手紙が来る。来年入寮する事を進めてある。其心持が、世間的手前
位からさう云つてゐる事は明に分る。女なんて頭が悪いものだ。然し明道カンへ入
るとすればやはり寮に愛着を感ずる。一長一短だ。然し将來迄考へて見ると、現在
の愛着の心位つまらないものの様に思へる。然し実感上此愛着は断ちたない。考
へずにノーモンクに同館へ入らう。もう充分考へたのだ。尚いくら考へても分るものではない。父の意志に従はう。父の意志は入館を進めてゐることは明だ。
◎通学願四月二十五日迄
二月二十八日 天氣 快晴 寒暖 暖
昨夜雨が降つたので、快晴非常に気持が良い。