三月豫表記
三月一日 天氣 曇 寒暖 寒 發信 櫻澤鶴吉
○近頃は頭が変だ。トンチンカンな事ばかしてる。
○ウインクレル普通。国語教(?)の解釈七つ。普通。明日はクレメントの書取
と三浦吉兵衞氏の近代名家短篇集巻三。のハウプトマンノ線路番ティール。
語源学、はW.Skeatののが良.“先づ、Primer of Etymology.
次に、Science of Etymology. 尚、Principles of English Etymology. VolⅠ.,Vol.Ⅱ. Vol Ⅱ.はout of print.”
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範囲四七頁―八一頁 昨日十頁程やつておいて、今日十一時やり終
へた。随分辛かつたが遂に頑張って、やり終へた。
As a general rule ―though exceptions have exited
―mathematicians cannot be poet;―Hearn.
If you find that you can work best in solitude,
it is a duty both to yourself and to literature to deny
yourself social engagements that may interfere with
the prodnction of good work―Hearn.
三月二日 天氣 曇 寒暖 寒 來信 髙坂千早
○互に矛盾するA・Bなる二つの事がある。A・Bを超越したC
に達するに二つの方法あり。一つはA(B)ヲ否定する事によって、
より髙いB(A)の飛躍によりCに至る。其二はA・Bを含
み矛盾なきCに飛躍する。
三月三日 天気 晴 寒暖 暖
○試験は地理と杉校長の文法。普通。
○午後七時より〝ときわ〟で解散コンパ。
○片倉製糸株式會社に高坂氏を訪ふ。
○雑誌「考へ方」へ僕の寄稿した奴。×は主な奴。
六・七・一一六 誌友諸君へ 七・二・一〇六 語感文感
六・七・一一七 第七回國漢文講習會試験問題出所 七・一〇・九七 國漢文の懸賞に就いて
六・十・九六 追加 七・一二・九三 上よりの教育と下よりの教育
七・一・一六九 感謝と希望 七・二・一三 ×四年修了で髙校に入学し得る制定に就いて
七・六・九一 考へ方を思つて 七・五・一五 ×非考へ方的教育の悲哀
七・九・一〇二 受験を超越せよ 八・一・四六 ×準備時代に於ける感想
七・九・一〇五 無題 八・十・二 ×「考へ方」を唯一の武器として
七・一〇・一〇〇 作文の文体に就いて 九・一・三三 ×榮ある戦士を送る
三月四日 天氣 曇 寒暖 寒 來信 父、姉
昨夜の解散コンパより続いての駄辯りの為十時頃起床。午前
中荷造り。午後荷物一切明道館へ持つて行く。小野圭治氏方
竹内潔氏方(氏不在)伊藤三平氏方訪問。
午後十時飯田町駅発。此頃より雨降る。大月より雪。
○第二十三号諏訪中学校学友會誌 一一三頁
個人主義の提唱 小松摂郎
三月五日 天気 荒 寒暖 寒
午前五時四十分上諏訪駅へ着く。午前中睡眠。積雪七八寸。
東京から諏訪へ来ると、諏訪の方がずつと寒いので、気候が送戻
りをした様な気がする。
○東京で育つた人々と我々の如き田舎で育った人々と比較して見る
に、今迄の生活の環境が随分異ふ。だから彼等は我々と非常に異つた文
化を持つてゐる。此一年は僕に取つては彼等の文化を吸収する時期であつた。
博猟時代とも云へる。此からは其中から良いもののみを抜くのである。彼等の文化は我等の文化より必ずしも勝れてはゐないむしろ劣ってゐる。
○憶我悟りぬ。難解なる独語の本をつヽく勿れ。平易な
るものの中に読むべきものあり。
三月六日 天気 晴 寒暖 寒
三月七日 天氣 快晴 寒暖 暖
昨日醇郎卒業式。夕方より夜にかけて、解散の宴を学校
の記念館で行ふ。其に行つた醇郎が何時迄立つても歸つて来
ないので、迎に行つたら途中で逢ふ。そんな訳で十一時半頃ねた
ので、今朝目を覚したのは十一時少し前であつた。
三月八日 天氣 快晴 寒暖 暖 發信 父、姉、櫻沢鶴吉
○婦人の友(一九・一―二十・三)連載の長編小説加藤武雄作愛
の道を読む。相当面白い。
○「講座」なる大村書店発行の雑誌は來月(四月号)を以て
廃刊す、と。
三月九日 天氣 晴 寒暖 暖
◎大正十四年一月一日の南信日日新聞に農村振興策と云ふ
様な題で、僕の文がある。此は作文練習の意味で、同新聞
聞(ママ)の新年募集文に出したのであつて、新聞載らうとは
思はなかつたのが、ヒョッコリ出たのである。父が「今は修養時代で
あつて、発表時代でない」と云つて小言を云つたが、こんな
訳なのである。
三月十日 天氣 雪 寒暖 寒
○いくら風気である。昨日入浴後外出した為らしい。注
意すべき事である。
○村松遺稿を殆今日一日で讀み乾す。彼も又相当頭が良い。
彼の教養は師範学校だけであるが、若し彼が大学迄順調に行き得た
としたならば、学界で相当の地歩を占めたたらう。学界で名のある人達
の中にも随分頭の悪い連中が多いから。
○此からは断じてつまらない本は買はない。世界的立場から見て、価
値あり、権威ある本のみを買ふ。
此本は全体として窮屈な感じを与へる。
三月十一日 天氣 雪 寒暖 寒
○酒、煙草、代返、ストーム、万年床、寮雨、猥談、活動写眞、カフエ、等、何れをも経断(ママ)したが決してダラク
したとは思はない。むしろダラクから遠ざかつたのを感ずる。
○人間は規則的生活を營むべきものである。其が人間の天命であ
る。雀を見給へ、毎日規則的に起き、鳴き、食ふ。大宇宙を見給へ、
整然と其の序を守つてゐるではないか。やたらに不規則な生活を
送つて、人間味ある生活となすのは大間違である。
◎Vietor:Elemente der Phonetik,良し。
○西田幾多郎氏は日本の有する、最創造的の哲学者である。
尚氏の本の引用の実に方面の広いのには驚く。
三月十二日 天氣 快晴 寒暖 暖
○非常に春らしい。が若草、若芽が未だ萌え出さないから惜しい。
春の実感が伴はない。
○ミツマタ(三股)の辺迄散歩した。空は日本晴、風は柔かく、風
気は澄み、実に気持が良い。石の上に腰掛けて富岳を遙に望む。
ヒョロヒョロ、チョロチョロと水のさヽやきが聞える。時々「バサリバサリ」と春の日に
ゆるんだ土塊が落ちる。何処も自然は美しい。終に人工の美は自然の美に及ばない。
○醇郎が撃劔の道具を学校へ忘れて来たので、三股から中學校へ
行く。お面はあつたが、小手と竹刀はなかつた。
○子供の頃には幼年世界を取ってゐて、其後少年世界(兩者とも博文館)
を取つてゐた。培風館の幼年園も父が寄贈を
受けてゐたので、見てゐた。
○子供の頃面白かつた所謂〝お話〟と云うものが、大人は何故面白くないのだ
らうと思つた事があつた。今では、あの時分は何故面白かつたのだらうかと思ふ。
三月十三日 天氣 雨 寒暖 暖
○兪々、春雨だ。
○近來数日間、子猫が僕の家の縁の下へ来てニヤくとないて
ゐる。やかましいので、今夜和郎と女中と三人で棄てに行つた。
片羽の五町程離れた所へ、籠へ入れて布呂敷をかぶせて
持つて行つて、肉の残りの筋の所を呉れて、食べてゐる間に
歸つて来て了つた。どうやら来ないらしい。然し彼も又生物(イキモノ)
だ。可愛さうだ。雨の降る夜、身は一つ、宿るに家なく、食ふ
に食ない身の上を考へて見給へ。
三月十四日 天氣 曇 寒暖 暖
○今日は変に気持が悪い。今迄経験した事がない。で、色々の事をし
て見た。何か当るかと思つてである。アスピリン服用、うがひ、セメン
エン散服用等である。熱はない。午後一時六度七分。
○明朝醇郎、父と松本へ行く。受験の為である。
三月十五日 天気 晴 寒暖 冷
○今一家の問題がある。其は、來年度に於いて松本へ移住するかどうかと
云ふ問題である。
○中學校へ行つて、卒業成績証明書を貰って来る。
○朝、醇郎、父と松本へ行く。
○先日棄てて来た猫が又やって來た。
○三月十六日 天気 晴 寒暖 暖 來信 父
○午後二時五十四分上諏訪駅発。松本着。
三月十七日 天気 晴 寒暖 暖 發信 母
○醇郎の試験は今日からである。一緒に高等学校迄行く。醇郎を送
り込んでから、二中へ行つて、父と中澤医院へ行って、健康診断書
を貰つてくる。其から山本眼鏡店で、メガネのわくだけかへる。
度を変つてゐなかつたからである。
○二三日前から左のあごのすぢや骨がいたい。口をあく度
にゴッキンくと云ふ。今日は最甚しい。晝飯の時二度程大きく
ゴッキンと云つたら、大いによくなつた。
○醇郎の成績は余り良くはない。初めは良い様であつたが。
調べたら段々誤が出て来た。
三月十八日 天気 晴 寒暖 暖 來信 石澤次夫
○父と貸家を見て歩く。晴天の郊外散策は良い。良い家
がない。
三月十九日 天氣 曇 寒暖 冷
○用がないので、町を歩き廻つた。
○醇郎は数学は七題少し欠ける様だ。良く奮闘した。
三月二十日 天氣 雪 寒暖 寒 來信 小口幸夫
○午後三時三十三分發松本駅。上諏訪へ歸る。
○小口治男君が晝過二時頃来る。君は第一班の一髙は願書は
出したが受けずに、第二班だけ受けるのである。
○英語は醇郎は相当出来た。僕より出来てゐる。
三月二十一日 天気 荒 寒暖 冷
○雪が降つたり止んだりしてゐる。
○噫!人間醜!実に人間はいやだ。実に醜いものだ。
○感覚は其に注意を向ける程明瞭になり、感情は消滅する。
○醇郎は大概良いだらうと思ふ。
三月二十二日 天気 晴風 寒暖 暖 發信 小口幸夫
○僕は文を草してゐる時に、うまい文を書かう等と思った事がない。そん
な事は頭に浮んで来ない。只、内なる思想を、如何にしてより分りよく
発表せんかを努めるだけである。
○和郎の頭の毛を刈つてやった。初めて頭を刈つて見た。
○山崎貞先生譯註の」フィフティ、フェイマス、ストーリーズを読んでゐる。譯も註も
中々良い。
三月二十三日 天気 晴 寒暖 暖 發信 櫻沢ツル吉
○明道館へ出す書類を作り終へた。面倒臭い事が終つた訳だ。
○靑木義雄氏夫人佐藤千恵子嬢 靑木千艸嬢 仝垂穂嬢の
四氏が来る。
○「英学生之友」へ僕の出した文。
5.1.P.76.S.K.生5.2.P.169.S.K.生.P169.Q.V.X生P.174.S.生 6.10.P101.樂水散士
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「受験と学生」六巻二号一四二頁エス・ケイ生の文。
「考へ方」に出た僕の文(考へ方及解の中)。
六巻七号八六頁 解 七巻十二号二七頁考へ方五一頁考へ方七四頁考へ方
八巻一号一〇五頁 解
三月二十四日 天気 晴 寒暖 冷 發信 櫻澤鶴吉
○午前ジャスト九時、上諏訪駅発茅野駅着。此列車は上諏訪から茅野へ行
くだけの滑稽の汽車。同勢、父小松武平、母小松いさの、僕小松攝郎、女中
閏間春の四名。目的は家を片付ける事。母は「ゴネンシュー」も兼ねる。
三月二十五日 天氣 晴後雪 寒暖 寒
○彼岸も開けるのに寒中の様である。
○松本市埋橋宮澤岩太郎方に巣喰つて、髙校受験をした人々。小松
醇郎、小口治男、田中誠一郎(飯山中学出身)、篠原久、小澤三平(共に諏訪中学四年修了)。
○午前家の片付をする。
○午後二時三十七分茅野駅発上諏訪駅着。父と二人。父は風を引いた。
今朝引いたのであつて、押して上諏訪へ歸つたのである。茅野駅へ出る途中
吹雪激しく、一時眼鏡に雪がたまって、見難くなつた。
○弟醇郎夕方松本から歸る。第二班も相当出来たらしい。体格
検査が二十八日なので、二十七日に亦行かねばならぬと。
三月二十六日 天氣 荒 寒暖 吹雪 寒
○長田秋穂君を中学へ連れて行く。中学の入学試験を受ける
為家にとまつてゐるのである。今日は席を見るだけ。
○受験準備時代に僕の見た雑誌。第一は「考へ方」、次が「受験と学生」や
「中学世界」増刊「受験界」。英語では「英語研究」、「英学生之友」。尚一寸
取つたのは、「数学研究」「英文研究」「受験英語」等である。昔は
「初等英語」「中等英語」を見た事がある。投書も好きで、良した。
「受験と学生」で入賞したのは作文で一回あるだけである。「自信」と
云ふ題である。
三月二十七日 天氣 雪荒後晴 寒暖 寒
○どうやら、天気が上つたらしい。
○朝長田秋穂君を中学へ連れて行く。
○午前十一時二十五分の上諏訪駅発、岡谷駅着。片倉兼太郎氏令嬢
(三女)片倉れい子嬢(二十才)の葬儀に父の代りに列す。初め自宅で
香典を呈し、後髙見墓地で葬儀執行。午後三時十五分岡谷駅発、上諏訪駅着。
○島木赤彦事久保田俊彦氏本朝九時四十五分死去。
五十一才。
○姉は少し衒ふ様な所がある。あれは悪い。
三月二十八日 天氣 快晴 寒暖 暖
○哲学と云ふ事、哲学すると云ふ事のほんとの意味が分つて来た様な
気がする。一寸云つて見れば、總べてに対して根本的に原理を知らうと
する事である。然し、此は実感の問題であるから、此だけの言葉ではとても
分らない。
○西田幾多郎著「意識の問題」讀了。随分難解で、殆んど分らなかつ
たと云つても良い程である。が、本のチャーミングなのに引かれて、嫌気も余
り起らず、讀了した。再讀、三讀の日を待つ。
○一日中日本晴である。終日雲影を認めない。
○今日の様な完全な日本晴も良いが、少し雲のある方が反つて味の
あるものである。
○長田秋穂君を中学へ連れて行く。大概入れるだらうとは思ふ
が、あぶなくもある。夕方岡谷へ歸つた。
三月二十九日 天氣 快晴 寒暖 暖
○昨日からめつきり春らしくなつて来た。
○今日も極く所々に薄い雲があるだけ。
○靑木義雄先生山形縣新庄中學校へ轉任さる。今日午後九時四
十分発で行かれた。父と僕と醇郎と百枝と四人見送る。
三月三十日 天氣 晴 寒暖 暖 來信 御木本隆之
○今日は不愉快である。
三月三十一日 天氣 快晴 寒暖 暖
○終日日本晴、但し朝方西方に細雲二三條を認めしのみ。
○日に増し、暖かに春らしくなる。
○午後、土橋彦衛君牛山正己君と三人で立石(裏山)で快談す。
○醇郎の点は英語一三〇(書取最良し、英和良し、書取悪しし)、代数
八〇、作文三十代と報知があつたと、父が松本から歸つて来て
云つた。すると、英語数学で二八〇位だから危くなつて来た。幾何は
七〇位に見積つてである。英語は英和八〇(一〇〇)、單語一五(二〇)、書
取二五(三〇)、和英一〇(五〇)と見た。