十月一日 天氣 曇 寒暖 冷 來信 小荷物(母ヨリ)
○午後六時より芝協調會館の囗民性講演を聞く。
一.開會の辞 宮西惟助
一.祈れ守られむ 赤木朝治
一.維新と神ながらの道 法学士 宮岡正篤
一.國家己性より見たる日本の世界的使命 伯爵 二荒芳徳
一.國民性に現はれたる哲学的思考 文學博士 紀平正美
十月二日 天氣 晴 寒暖 温 發信 弘道館
○余をして眞に哲学的思考へ導いて呉れた二恩人。西田幾多郎氏及
紀平正美氏。
○僕は勉学は總べて要求に従ふ。近来一年間強の間哲学を学んだのは要求
に従つたのである。然し其間佛教儒教基督教等に対する要求は先ず無か
つた。が、近頃佛教に対する要求が出て来た。持續する興味を以て佛教に
関する書籍を讀みうる様な気持になつて来た。今迄佛教の優秀さ
を知らなかつたのではない、只要求の実感が起らなかったのである。
近頃此要求の起ったのは一段の進歩でもあらう。此から世界を
覗く事にしやう。
十月三日 天氣 快晴 寒暖 冷
○伊藤三平氏訪問。ラヂオをきヽ、Lemon juiceをのませらる。
十月四日 天氣 快晴 寒暖 暖 發信 母
アスピリン0・5瓦服用してねる。
十月五日 天氣 曇 寒暖 冷 發信 弘道館
近來、風邪。三日咽喉痛む。主に左。さう大した事とは思はな
かつた。四日悪化。同じく咽喉痛む。主に左。うがひをする。
五日。咽喉痛む。主に右。咽より鼻へ遷つた形跡あり。
四日も五日も登校す。
十月六日 天氣 細雨 寒暖 冷 來信 弘道館(本) 新潮社
○休校。発熱。風邪。鼻。アスピリン 0・5瓦服してねる。
1日中、病魔と戰ふ。遂に余の勝に歸す。
体の左の半分の方が悪い。耳へも影響が行つた。
一髙へ入つてから二回目の風邪。第一回は昨年末、歸郷前。今年の二
月末から三月初めにかけて風気味であつたが、ねなかつた。其他咽が
痛んだり、体の具合の悪かつた事は多かつたがねたのは二回。
昨年九月十四日風気味。
○紀平博士著 論理学綱要著。
○自己の確立。余は己に鏡に過ぎざる者の境地より脱出せり。
嘗ての余は北澤正氏の鏡に過ぎざりき。石澤次夫氏の鏡に過ぎざり
き。今や、自己は確立せり。
○学期末始のあはたヾしい様な気分は良い。
十月七日 天氣 曇小雨 寒暖 冷 來信 母(妹) 弘道カン 發信 妹
○昨日よりは良い。ねてゐると良いが、出ると鼻が出る。
○矢島羊吉君来る。
○アスピリン一服服用してねる。
十月八日 天氣 雨 寒暖 冷 來信 姉 發信 姉
○昨日よりは良い。殆起きてゐる。來週より登校。授業は後五週間
きりだから、後はよく出やう。
○深き々々永劫を憶ふ。
○伊藤三平氏明道館へ来訪。明日から留守番に来て呉れ
との事。承知しました。
十月九日 天氣 曇 寒暖 冷
十月十日 天氣 快晴 寒暖 暖
○伊藤三平氏宅へ泊る。起きたら九時半だつた。
○久し振りの快晴。
○風は大体良いが鼻は未だ良くない。
十月十一日 天氣 曇 寒暖 寒
○前途洋々。
十月十二日 天氣 快晴 寒暖 暖
○岩本禎氏獨語、ケラーのダス、ジンゲディヒトを途中から止してスティフテルの
ホッホ、ヴワルトをやり始めた。
十月十三日 天氣 快晴 寒暖 暖
十月十四日 天氣 快晴 寒暖 暖 來信 姉 發信 姉
○朝六時、たヽき起こされる。伊藤三平氏夫妻が歸つたのである。今日で
お役目終了。
午後山岡克己氏河角広氏今井博人氏と四人で郊外散策に出かけ
る。池袋から武藏野鉄道に乘じ石神井下車。徒歩で秋晴
の郊外をぶらつく。小川、寺、すヽき、いも畠等々々。西荻窪駅
に出て面喰ふ。
○余は余の落第点を与へられし事に感謝す。何となれば、今迄の学
び方の不充分なるを知り、有能なる学び方を覚りしが故也。
Gesegneter Tag.
十月十五日 天氣 曇 寒暖 寒 來信 父 發信 父
○姉ガ盲腸炎ナノデ、行ツテ見テ状態テヲヨク知ラセロト父ノ命令
ノ下ニ、姉ヲ問フ。病名未定。
十月十六日 天氣 細雨 寒暖 寒
○晩、飯田町ヲ立ツ竹内氏ニ時計ヲ托ス。
十月十七日 天氣 晴 寒暖 暖
○夕食に伊藤三平氏方に招待され松茸の御馳走になる。
歸りに、伊那の学生の寄宿舎の信陽舎の記念祭で芝居
をやつてゐたので見る。「仁和寺の僧」をやつてゐた。非常にうま
かつた。
○絶対を捕へんとする、是吾人の業也。相対を止揚して絶
対を得んとする、此哲学也。相対の
媒介を假らず、(直ちに飛躍に依りて、)絶対に至る、此藝術及、宗教也。相対
を如何に止揚するも遂に絶対は得べからず。されど哲学の
無用を説くは當らず。宗教は全人格的なる所に藝術と
の差異を有す。
○慾望の満足(追求)は吾人をして益々不安ならしむるものなり。
耽溺生活に満足し得ざる所に人類永劫の苦は生ず。即
哲学は生ず。
十月十八日 天氣 晴 寒暖 暖 來信 母 仝 栗 發信 母
○昨日ボートレースなので今日休。
○姉を訪問。昨日診察の結果 膽嚢、盲腸、腎臓等が悪いとの事。
呼吸器でない。
十月十九日 天氣 晴 寒暖 暖 發信 醇郎(本)
今日は八時から、予行演習と分列式。
十月二十日 天氣 快晴 寒暖 暖 發信 母 姉
服装ハ上ハシヤツ冬ノ一枚ト中間一枚。
宿ハ甲府市春日町淸川屋、相当綺麗デアル。
五時半頃皆ネテヰル中ニ家ヲ出ル。甲府ニツキ午後一度戦争ヲスル。
我軍ノ方ガ進ム。田舎家ノ間デ見物*(不明)ツタ。
東軍第一大隊第一中隊第一小隊文乙三、第二小隊文乙二、第三小隊文乙一。
夜町ヲ散歩ス。
十月二十一日 天氣 快晴 寒暖 冷 發信 小野圭治 伊藤三平
朝三時十分前ニ起コサレル。約二十分位ニシテ淸川屋前ニ全員整列シタ。実二
もーしよんガ早カツタ。好成績デアル。東軍集合所奥村へ行ツタ時ハ二着
デアツタ。講評ノ中聞イタダガ、此日西軍ノ方デ一小隊小隊長以下全
部寝過ゴシテ戦ニ不参加デアツタト。
六時頃ニ戦ガ終了。此日最寒ク、不覚ノ鼻水セキ合ヘザリシコ
ソ詮ナケレ。然モ其間ニ如シテ風ヲ引カナカツタノデ、スッカリ自信ヲツケテアツ
タ。まんとハ宿ヘ置イテキタ。此日東軍ハ守護。
朝飯後御獄ヘ行ク。同行今井博人、三井田重治、下田弘、髙柳貞逸、塙
金太、橋本文夫、等。其他一髙生、先生デ御獄ヘ行ツタモノ実ニ多カツタ。他二
行ク所ガナイノデアルカラ。行キハ徒歩デ和田峠ヲ越エテ行キ、歸リハ長*(不明)カラ自
動車(割引五五銭)。仙峨瀧迄行ク。
夜今井ト舞鶴城散歩。折シモ勸業博ランカイ。
十月二十二日 天氣 快晴 寒暖 暖 來信 父(来テヰル)
○午前五時起床。午前演習並ニ講評。今日ハ東軍ガ進ミ、敵ハ麓ニ陣
取ツテヰル。風土病(ワイルス氏病)ガ流行スルノデ河ヘ入ラナイ事。某神社デ
山内少佐ノ講評。並ニ其処デ、長慶天皇ヲ皇宗ニ加ヘ奉ル事ノ御報告ガ今日
ナノデ式ヲ行フ。正午龍王発。五時三十九分飯田町着。
明道館ガ出来テ、遷ツテヰタモノモアル。僕ハ明日デモ遷ラウ。
風ヲ予定通リ全快サセタ。蓄膿気味デアツタノヲ。スッカリ直シタ。
今年ハサホド、豆デ苦シマナカツタ。行軍前靴デ歩イタ事ガ多カツタ
カラデアル。
十月二十三日 天氣 晴 寒暖 暖 發信 父
十一時ニネテ十一時ニ起キタ。ツマリ(十二時間)ネタワケデアル。
今日荷物ヲ新シク出来タ明道館ノ方ヘ遷ス。今夜カラ此処デネ、今晩ノ夕飯
カラ此処デ食フ。夕飯ニハ松茸飯。
僕ノ室ハ小口幸夫君ト同室デ二階ノ一番東ノ室。
十月二十四日 天氣 晴 寒暖 冷
午前十時―十二時。帝大佛教靑年會館の日曜講演を聴く。
惡人成佛の法門に就て 文學博士 紀平政美氏
午後姉を訪問。盲腸炎と決定。解放に趨(オモム)く。
近来余ハ生活ノ落チ着キヲ少々得タリ。哲学要求ノ強烈ナル余リ
矢無駄羅ニ哲学書ヲ讀メリ。近来、少シク自己ノ確立ヲ見、且ツ讀書ノ
必ズシモ急グニ及バザルヲ悟レリ。其他種々ノ方面ヨリ生活ノ落着ヲ得タルナリ。
十月二十五日 天氣 晴 寒暖 冷
十月二十六日 天氣 快晴 寒暖 暖
○近来吾人ニ一ノ新ナル要求生ジタリ。即チ思索慾トモ称スベキモノナリ。
従来ハ読書欲ノミナリシガ、近来只思索ニノミ費ス時間ヲ専スルニ至レリ。
噫哲学ト藝術トハ遂ニ手ヲ別タザルヲ得ザルニ致レリ。サレド吾人ハ信ズ、
宗教ノ彼岸ニ於イテ再ビ相合セン事ヲ。
十月二十七日 天氣 曇 寒暖 暖 來信 姉
十月二十八日 天氣 細雨 寒暖 寒
吾人ハ近来要求テウ事ヲ考ヘツツアリ。ソハ紀平博士著「哲学概論」ニひんと
ヲ得タルモノナリ。吾人ノ生命ハ遂ニ要求ニ過ギズ、即生命要求ノ現レニ過ギ
ザルナリ。哲学モ宗教モ藝術モ要求及ビ満足ニ過ギズ。哲学体系モ其ノ人
ニ取リテノ満足ナリ。
故ニ吾人ハ可義的生命ノ要求スル事ヲノミ為サント心掛リ。生命ノ内部ヨリ
要求スル所即生命ヲ育ツルモノタルナリ。機械的肉体ヨリ止ムナク為ス行(ギヤウ)
ハ眞ニ生命ノ行ト称スル能ハズ。
卑近ナル所ヲ以テセンニ、讀書ノ如キモ要求ノナキ書ハ讀マザル事トス。要求
スル書ヲ讀ム事ノミ眞ニ讀書ト称シラベシ。
十月二十九日 天氣 曇 寒暖 暖 發信 國際書房
歴史的日本哲学ノ背景ナキ為、吾人ハ寂シサヲ感ズ。
噫我一年有半ノ愚ヲ悟リヌ。
十月三十日 天氣 晴 寒暖 暖 來信 父(書留)
○午後丸善ヘ行キソノ足デ神田ヘ廻リ 中央佛教會館ノ大正大学
建立記念ダカノ講演、四名ノ中一人北昤吉氏ノ哲学ト宗教トノ
関係ト云フ奴ダケ途中カラ聞ク。
○人間醜。
○眞理確信ヨリ生ズル強キ力ヲ吾人ハ慾ス。
十月三十一日 天氣 快晴 寒暖 溫 發信 父 姉
天長節祝賀式。
謹ンデ天長節祝日ノ賀辰ヲ祝シ奉ル。