一月一日 天氣 快晴 寒暖 暖 受信 辰野茂

寒さが一時ゆるむ。

殆一日中、子供達でトランプをして遊ぶ。勉強

をしなければならないので、明日から勉強する為今日

一日思ひ切り遊ぶ。

 

一月二日 天氣 快晴 寒暖 暖

我にして信ぜば如何なる威力を以てしても屈せざ

る底の信念が欲しい。

五尺の自分にして承認するに非ずば、如何なる

方法で誘っても肯んじないだけの自我意識がなく

ては近代人ではない。

美喜治氏嫁を貰ふ為に、朝鮮から來て、今夜

家(ウチ)に泊つていく。

 

一月三日 天氣 快晴 寒暖 寒

豫記 我が神 我が神 何ぞ我を見捨て給ひし

又寒くなる。

スケートに行く。「オミ渡り」迄行つた。岡谷の方へ近い。

岡谷迄行かうかと思つたが、歸りがヘバルので止した。湖

水の眞中へ寝轉んで四圍の山々を眺めて居ると実に良

い気持になる。北に遠く穂髙の雪峰を靑空に望

み、南に富岳の勇姿を仰ぐ。美なる哉山河や、と

云ひたくなる。

昔は余は父は偉い人だと思つて居たが、近頃段々

あら(、、)が見えて來た。此方の頭が急激に進んだ為

だらう。

 

一月四日 天氣 快晴 寒暖 暖

豫記 此の道や 行く人なしに 秋の暮

機滿たば「哲学と宗教との境」なる一文を物せんと欲

す。

紀平博士の宗教觀はドットしない。西田博士の宗教

觀の方に賛する。

午後父と醇郎と三人で古山先生宅訪問。五目並べ

やトランプをして遊ぶ。夜一人で古山氏宅から直ちに

長坂端午氏訪問、不在。河西健兒先生訪問、不在。

三澤勝衞先生訪問。一時間ばかり話して歸る。家

へ來て見ると矢島羊吉君來てゐる。

 

一月五日 天氣 快晴 寒暖 暖

午前スケートに行く。大勢中学生の同級生

に逢ふ。矢島羊吉君を家へ連れて來る。トランプを

したりして遊ぶ。羊吉君泊る。

 

一月六日 天氣 晴 寒暖 寒

對象と方法とが定まると、科学が成立つ。學問

には何れも對象がある。哲學には對象が無い。せ

めて言へば、自己が其對象である。古來の哲学に

一致が無い、只勝手の事を云つてゐるに過ぎない

と云はれるのは此の為である。然し、自己と云つても

普遍性がないのではない。各の自己から何とかして

先天的普遍的の自己を求めたいと云ふ切ない望が

哲学である。

 

一月七日 天氣 雨 寒暖 暖 發信 姉

風雨。溫度ゆるむ。当分スケートは出來ないだら

う。

樽崎淺太郎博士の講演(諏訪高等女學校講堂)

精神科學の基本方法としての體認作用

個性發達の心理及教育

を聞く。九時半から始まり、途中一旦休憩して午後一時

過迄掛つた。余は十時半頃から聞いた。

 

一月八日 天氣 晴 寒暖 暖

暖くて春の様。

明朝上京する事とした。

晩、すきやき。

 

一月九日 天氣 晴 寒暖 冷 受信 國際書房の年始状來て居る

午前八時三十三分上諏訪驛發上京。長坂端午君等と一緒。

人間は他人の意見を尊重するだけの心が必要

である。意見の相違は意見の相違として、止むを得

ぬ事と認めるだけの寛容が欲しい。自分の意見で

他人の意見を押へやうとするのが悪い。

然し、自己の信念が余りに強い時には他人に其を

強ひざるを得ないのである。其の信念の絶対に強くなったのが

宗教である。だから、宗教的信仰は他人に強ひざるを得

ないのである。宗派の争の元は此処である。

 

一月十日 天氣 曇 寒暖 寒

昨夜即今朝三時迄皆と炬燵で話をした。

第二學期成績發表。參拾參番。一學期よりは

餘程出來た積りで居たが、やはり皆も出來たのだらう。

池松秀雄君死亡の由。

岩本先生久し振りでヒョコく出て來る。いやにニコく

して居られた。今日は授業はしなかつた。

 

一月十一日 天氣 雨 寒暖 寒 發信 百枝 姉 々(書留) 受信 百枝

大島さんの倫理學概論を今日一日で讀んで了ふ。通

り一遍のものである。まあ、常識である。思索力の偉

大さは認められない。

子供の時には父母や先生の言ふ事は皆本当だと思つ

てゐる。未だ自己意識が生じないのである。自己は先生や父母

の中に没して了ふ。自己と云ふ独特の存在はない。稍成長

しても自分が非常に崇拝する人等の言は皆も眞理だと

思ふ。之も未だ自己意識が弱いのである。誰が何と云つて

もこの五尺の自分が本当にさうだと思ふのでなくては決し

て承認しないと云ふのでなくてはならない。絶対に信頼し

て良いのは神である。故に岩元教授曰く、「神の他恐るべ

きものなし。」と。

 

一月十二日 天氣 晴 寒暖 暖 發信 博文館 受信 姉

今年ハ第二外國語を止したが、来年度には又初めや

うと思ふ。

ベルグソンの「創造的進化」を讀了。此本は河角廣氏に

借りたものであつて、正月休に家へ持つて歸つて讀んだもので

ある。譯は良い。

ベルグソンの哲學は未だ何とも批評が出來ない。消化す

るには尚時日を要する。また、あヽ云ふ哲学が成立ちうるか

どうか、一つのドグマに過ぎないではないかとも思はれる。然し

兎に角大哲学には違ないだらう。

初めから何となくピッタリしない。本を讀みながら、他人の

喧嘩を見てゐる様な気がした。何だか、切実な生活体験

を欠いてゐる様にも思はれた。

科学的の事が多く、むしろ科学に近い様に思はれる。終りに

近づくに従つて哲学的になつて行つた。

 

一月十三日 天氣 晴 寒暖 暖 發信 姉 受信 姉 父 金星堂

非常に暖い。

心理学者は心理的に見、経済学者は経済的に見、数学

者は数学的に見る。何れも対象に或色彩を以て接する

のである。対象其物に即して見るのは哲学者と詩人と

である。

我考ふ、故に我あり。絶対的懐疑は論理的に成立たな

い。疑ふと云ふ事を疑ふ事は出來ない。疑ふと云ふ事を疑

へば、疑はない事になる。故に我考ふと云ふ事はどうしても疑

へない。

本を讀んで感心するは良い。然し、其の中に没して了つてはいけ

ない。其説にすっかり同じて了つてはいけない。其は自己がない事で

ある。どんな考や人やに対しても、暫時にしてそれに不滿を感じ

其を批評的に見る様にならなければならない。さもなくては自己

なるものの存在がなくなる。絶対的に自己を没して良いのは神である。

 

一月十四日 天氣 晴 寒暖 暖 發信 姉 々(書留) 受信 姉

昨日今井教授國語の注意点を言ふ。余は

ない。

 

一月十五日 天氣 曇 寒暖 暖 受信 弟 片岡美智(書留)

小林遊びに來る。

 

一月十六日 天氣 晴 寒暖 暖、風 發信 父 弟 受信 姉

松本博士著心理學講話。小澤さんから借りて三日

掛りで讀了。要領よく書いてある。引例が適切であ

る。

 

一月十七日 天氣 曇 寒暖 冷 受信 母 丸善株式會社

石原純著永遠への理想。彼はさう秀れた人間と云

ふのではない。

 

一月十八日 天氣 曇小雨 寒暖 寒

近頃はよくねむれる。

今日は寮の掃除で午後休なので歸つたが、一時頃

雨が降り出した。雨天順延であるが、どうなつたか知らない。

松永材著倫理學概論。中々良い。大島さんのより

は徹底して居る。

余は讀書するのにどうもあせる傾向があつていかん。

午後十時今井が來て、祖母危篤明朝歸郷すると云ふ

ので御別れに來た。先日父君を失ったばかりだのに氣の毒で

ある。

 

一月十九日 天氣 晴 寒暖 寒 受信 母 々(薄團)

愈々寒氣が加った。此度の寒さが今年の冬の

頂上だらう。一陽來復が待たれる。風氣味。

夜、小林直人君が濱次雄君を連れて來た。濱君

は初登城である。

一昨日あたりから咽喉が痛む。今日は咽より鼻に

移る。勿論熱はない。

 

一月二十日 天氣 晴 寒暖 寒 發信 母 受信 姉(二通)

風は今日が峠らしい。

阿部次郎著人格主義。百六十頁百六十一頁の処が

最共鳴した。

學校を休んで讀書する。今日は全部代返を頼んで

おいた。明日は出る積り。大概引っくり返へす事もない

だらう。

 

一月二十一日 天氣 晴曇半ばす 寒暖 寒 發信 姉

體操、狹窄射撃、膝射。余は壱点、零点、四点、

(五點滿点)。

風未全快。出校。今日は少し奮闘であつた。

余の生活は創造的進化の生活である。説明で分るものでは

なく、体験の問題である。然し、少し説明して見る。

人は予定を立てるから、何か障害が起ると苦しむ。余は

何等予定は立てない。否、予定を立てないのではない、いくらか

は立てなくては生きては生かれない。只、成る可く少くする

のである。そして、予定を邪魔するものが出て來ても

それを平静な心で受ける。其邪魔に順応する。自分の予

定を心よく曲げる。つまり臨機応変に曲げうる様に

予定を立てるのである。予定を通さうとするから心が乱

れる。邪魔がおきたら、を神の賜物として、其を受

ける。自分の予定で障害に突きあたらない。

 

一月二十二日 天氣 曇 寒暖 寒 豫記 五時半零点下七度三分今冬の記録 受信 甲子社書房(小包)

大寒だけあつて、愈々寒い。今朝、學校へ行く途中

で佛法の人に逢つたら、今日は先生が休んで物理も化学

もないとの事で直ちに引き返へす。

西洋史の中学校の教科書に就いて一言する。東大

教授村川堅固氏ののは寶文館。此は余が中学校で

使つた奴。同じく東大教授の齊藤淸太郎氏ののは明治

書院。東北大学の教授大類伸氏のは冨山房。

学習院教授瀬川秀雄氏のも冨山房。主なのは此だ

けだと思つてゐたら今日計らずも古本屋で京大教

授坂田昴氏ののを発見した。開成館発行である。

中学校の西洋史の教科書は一冊持つてゐる必要があるの

で、大類さんのを買はうと思つてゐたが、坂口さんのに

しやうと思ふ。

風は殆平常に復した。

 

一月二十三日 天氣 晴 寒暖 寒

午前佛教會館の日曜講演。

午後次の如し。「政道觀 木村泰賢氏。

佛教講演會

三解脱門    常磐大定氏

肉身の菩薩   釋 定 光氏

場所  日本靑年館

主催  東京釋迦牟尼會

 

一月二十四日 天氣 快晴 寒暖 寒 受信 醇郎

總ベテノ水道凍ツテ顔ヲ洗フ事ガ出來ナイ。大學ノ

池デすけーとガ出來ル。

『午前六時ノ氷點下が間もなく氷點下八度六分

に下つた、今までの最底記録大正七年一月九日の氷點下八

度二分よりも四分も低いのだ』―朝日

然し晝は割合に暖かであつた。風がなかつたから。

今日の服装。冬シャツ一枚、中シャツ一枚、ジヤケツ、

チョッキ、上衣、マント。猿又、股引、ズボン。

 

一月二十五日 天氣 曇 寒暖 寒

晩、矢島羊吉氏明道館へ遊びに來る。倫理学

科ださうだ。

 

一月二十六日 天氣 曇後晴 寒暖 寒 發信 姉 弟 々(書留) 妹 受信 姉 々(書留)

神我と共にあり。

倉田百三作赤い靈魂。近來共鳴した物。氏の考は計らず

も前日聞いた常磐大定氏の考と歸を一にする。対立は

決して対立で解決は出來ない。勞働が資本を征服したら理想

の社會が出來ると思ったら間違である。対立は一如に止揚

される事によつて解決する。

 

一月二十七日 天氣 曇後晴 寒暖 寒

 

一月二十八日 天氣 晴後曇 寒暖 寒 受信 百枝

午後父が來た。小野方へ泊る。晩小野方へ行く。

 

一月二十九日 天氣 快晴 寒暖 寒、風 發信 開成館

寒い。近來は正に頂上にあるだらう。

小林が遊びに來る。

勉強しなくてはならんと思ふ。

スピノザのエチカを小尾範治氏の譯で讀む。まだ々々分

らないが、かすかにすかして見える所によつてもすばらしい様

である。第二回第三回と讀んで段々理解して行く積り。

古來の大哲の驚嘆すべき偉大さを思ふにつけて、我が

眞理の道へ進まんとする事の殆絶望なのを思ひ、我が

身が恥づかしくなる。只の平役人でもして一生を過した方

が良い様な気がする。然し、止むに止まれぬ眞理思索

の心よ。

 

一月三十日 天氣 晴 寒暖 寒、風

十一時、父明道館へ來る。晝過ぎ父と牛込なる

高林先生の所へ行く。其から小野さんの所へかへり、夜明

道館へ歸り、入浴してねる。

 

一月三十一日 天氣 快晴 寒暖 溫

明日は記念祭であるが、諒闇中であるので対外的

事業は一切やらない。明日だけ休業。

今日から月曜の第三時と第四時と入れ代り。