二月一日 天氣 晴 寒暖 暖 發信 姉 和郎

午後十時の汽車で父が歸つた。

咽は殆完全に治った、鼻は未だいかん。

 

二月二日 天氣 晴 寒暖 溫 受信 姉

わざく丸善迄行つたら、棚卸しの為二月一日二日休業。仕

方なく神田へ廻つた。

経験的の見方をして行けば、どうしても我々の知識の蓋然

性より外出て來ない。然し、少し見方を変へると大きな眞理が現

れる。何故に、知識の蓋然性が成立つか。其の根據に知識の必

然性がなくてはならない。必然性を否定するなら、知識は蓋然

に出でないと云ふ事も蓋然である.必然ではないと云ふ事になる。

さうすると自己矛盾に陥る、故に知識の必然性と云ふ事、即我々

には眞理が現れうると云ふ事はだうしても避くべからざる根本假

定である。

 

二月三日 天氣 晴 寒暖 冷、風 發信 姉 々(書籍) 寶文館 受信 東京開成館 母

寒さの峠は終へた。

御大葬參列員本校から七十人。一年二年各一組二人宛。三年三人。

余のクラスでは喜多村浩君と鈴木君。明日選擧の結果。

七日、八日御大葬で休業。

来年度は、余は成る可く要領をよくして、成る可く時間

を作つて、本職の方の勉強をする。そして、試験期日発表

より二週間位全然勉強を止して、全く試験勉強だけ頑張る

様にする。若し進級でけ(・)たら。

 

二月四日 天氣 曇 寒暖 寒 受信 丸善株式會社

本日で学校以外の勉強は一段落とする。讀み掛けの本を

良い切り迄讀む。明日は歸郷するつもりであるが、在郷一週間

(の予定)の間に岩本氏と菅氏と西洋史とを見る。つまり

明日から試験終了迄は学校及試験の事のみをする。來

年は要領よくやるつもりであるから、皇國の興廃此の一戦に

在りと云ふ譯である。此度の試験さへ通れば後はすらくゆく

だらう。以後約一箇月頑張る。後は運を天に任せる。

二年は余の心理状態から云へば悲惨であつた。一学期

は要領が悪かつたが為に、岩本にうんと時間を取られ、落ち付きの

ない、忙しい日を暮つた。二学期は岩本さんに二十点の宣告を受

けて以來、始終落第の恐怖が余の心を離れなかつた。従つて、始終

重荷を負つてゐる様であつた。三学期は比較的ゆるやかな生活

を暮つた。然し、落第の恐怖は可成りあつた。二学期よりは緩和

したが、未だ安心は出來なかつた。

 

二月五日 天氣 雪 寒暖 寒 受信 姉 和郎

正午、飯田町驛發。歸郷。

 

二月六日 天氣 吹雪 寒暖 寒

十時起床。スケートに行く。折しもオール上諏訪のスケー

ト大會がある。氷は良いが積雪の為め場所がなくて

駄目。家においてある笠原幸子氏の三本足を借りて

行く。三本足は初めはやりにくい。が、慣れると具合が

良い。

晩河西先生の所へ行く。丁度客が二人取れて(、、、)ゐたので

歸つて、振子の様に石川稔先生の所へ行くと二時間程

をしてかへる。

 

二月七日 天氣 荒 寒暖 暖 發信 姉(他人と一緒)

今夜より、明朝に掛けて御大葬。

スケートに行く。雪の為め、場所が少い。

 

二月八日 天氣 曇後雪 寒暖 寒 發信 冨山房 金滿堂書籍株式會社 明治書院 父

試験勉強しやうと思つて來たのだが、やはり家へ歸ると

吞気になる。

 

二月九日 天氣 晴 寒暖 暖

まあ晴と云ふ方、しかしあまりよい日ではない。

昨日、今日スケートに行かない。

我は勇敢なる理想主義の戦士なり。

今日は可成り勉強した。

近來頃に歴史に対する興味がました。

 

二月十日 天氣 晴 寒暖 暖

久し振りで良い日。

午後神宮寺なる笠原保仲君を訪問。歩いて行く。

一時間と少し掛つて諏訪神社に達する。大枚

一銭を投じて参拝して後、出てくると保仲君に逢ふ。一緒

に家に行く。神社の近く。君の家はお父さんと君と妹さんと

三人きり。御父様不在。其の中妹さんかへてくる。夕飯の

御馳走になる。六時三十分の自動車でかへらうと思つたら、茅

野行。歩いてかへる。河西先生の所へよる。不在。

 

二月十一日 天氣 晴 寒暖 寒

今年は何時迄も寒いとかや。

午前河西健兒先生訪問。しるこの御馳走になる。在

諏訪一週間、晝は毎日しるこであつた。

午後スケート。最後のスケート。つまり三日行つたわけ。

 

二月十二日 天氣 快晴 寒暖 暖 受信 金滿堂書籍株式會社 國際書房 学生礼拝本部 右三部来てゐる

五時半頃起きる。昨年行軍以來の朝起。未だくらい。

六時三十九分上諏訪駅発上京。姉の所へよる。東京は暗い。

一週間居ない中に暖かになつた。

 

二月十三日 天氣 晴 寒暖 溫 發信 姉

晝過ぎ、明道館一同小澤泉氏退館記念写眞撮影。

湯島中村館にて。

 

二月十四日 天氣 曇後晴 寒暖 暖 發信 岩波書店 笠原保仲 笠原幸子

前週の水曜に岩本氏の試験はホッホ、バルトだけと云つたさう

である。

前週の水曜に作文(宿題)の題が出た。「自治」。明後日迄

に出すこと。

岩波書店に行き、「哲学辞典」を買つて來る。此度の食費

は約十八円なので、その分で今買つて、食費を拂ふ時

に郵便貯金から出すこと。

女髙師の発表あり。見にゆく。百枝はなし。小松愛子

さんもなし。

 

二月十五日 天氣 曇後晴 寒暖 暖 受信 明治書院

大いに暖い。

作文「自治」を書く。自分では上出來のつもりである。

晩、小林が來る。

 

二月十六日 天氣 雨後曇 寒暖 暖

近來、又睡眠不足。昨年來明瞭に神経衰弱で

ある。しかしさう重いと云ふのではない。

中学生であれ、髙校生であれ志望を早くきめると

云ふ事は寧ろ悪い事である。早くきめておくとどうしても

志望以外の方へは余り注意を向けなくなる。従つて、志望以

外の方面に適する才能があつても気付か

ない。人間の才能は早熟のも老成のもあるから、何時

どんな才能が出て來るか分らない。当座に必要だけの

方向をきめておく様にして、余りはっきりときめてお

かないのが良い。其の当座々々で、其の時の考によつて

其の時に必要なだけの方向を定めるのが良い。

 

二月十七日 天氣 快晴後曇、風 寒暖 冷

二十三日(水)本学年授業の最後。二十四日(木)休。二十五

日(金)二十六日(土)二十八日(月)一日(火)二日(水)三日(木)の六日試験。四

月十六日(土)来年度授業開始の予定。今週火曜経済

の山内正瞭講師出て來たと。

リップスの倫理学の根本問題。勿論良いには違ないが、

然し未だ物足りない。もう一歩の深さが足りない。否定の要素

が未だ少い。

 

二月十八日 天氣 晴 寒暖 溫 發信 弟 受信 弟 丸善株式會社

 

二月十九日 天氣 曇 寒暖 暖  發信 父 妹 受信 父 姉 妹

生に於ける自然科学の授業の終。

 

二月二十日 天氣 曇 寒暖 寒

 

二月二十一日 天氣 曇小雨 寒暖 寒 發信 妹 受信 姉 妹 醇郎

 

二月二十二日 天氣 雪 寒暖 寒

朝起きたら雪が降つてゐた。積雪三四寸。大雪である。終

日降つてゐる。

一昨夜二時間きりねむらなかつたので、昨夜は九時にねむる。

良いかげん朝になつたかと思つたら、一時で小口君がごそく

ねむる所であつた。五時から目が覚める。

試験時間割発表。近來大学の入学や何やで掲示面

がにぎやかである。

明日は岩元なし、漢文なし。近來段々神経衰弱直る。

-       文 經(二大) 自

122

-     ―

112

-   史(*)   独(菅)  史(中)  獨(ぺ)  心

102

-   漢 独(岩元) 國    英(四大) 兵(三大)

25

26

28

 

二月二十三日 天氣 晴 寒暖 冷 受信 冨山房

最後の授業。二年の授業は終へた。終へたであ

つて欲しい。

或人曰く、歴史は繰り返すと。他の人曰く、歴史は繰り返さ

ずと。又他の人は曰く、歴史の精神は繰り返すが、形

式は繰り返さないと。余曰く、歴史を繰返す方面から見

れば繰り返すし、繰返さない方面から見れば繰返さない。必意見

方の相違であると。

雪解けで道が惡い。

 

二月二十四日 天氣 快晴 寒暖 溫 發信 姉 々(書籍)

 

二月二十五日 天氣 曇 寒暖 寒

漢文。殆完全。意識的誤なし。

西洋史。一番はクリストロヂーの問題。部分的欠陥は少

しはある。二番 パヴィヤ、ペトリノ遺産、ツール、ラヴンナ。皆出來た。

部分的きづ少し。つまり八十点はある積りである。今まで百点

であるから百八十点で注意点は免れたと思ふ。やはり勉強す

ると出來る。西洋史のノートは六回程讀んだ譯である。二

学期は三回であつた。

又、うつとーしい日。

 

二月二十六日 天氣 曇 寒暖 寒

昨夜又雨と雪とが降る。道の悪い事。然し、

又天氣が続くと。

岩本教授。皆の予想を裏切つて、終の方(九九頁)を

しかも長い節を切つて出した。可成りには出來たが、岩本

だから分らない。

 

二月二十七日 天氣 晴後曇一時雪夜快晴 寒暖 風、寒

此度の冬は三度風を引いただけである。しかもねたのは一回

だけで、後の二回は熱にも殆出なかったらう、計らなかったが。

今度の試験は初が重くて後が軽い。もう大物はない。

近來気候不順で寒い。

 

二月二十八日 天氣 快晴 寒暖 寒 發信 岩崎忠郎 受信 姉 岩崎忠郎

今朝、もろに(、、、)寒い。

國語。少し違った予定。

菅。殆、きずを認めない。己に岩本氏の点が菅さ

んの処へ来てゐる。大変悪いと。

囗文学史。可。