十一月一日 天氣 晴 寒暖 暖 受信 日比谷図書館

今日から自分の勉強を一時中止して試験勉強をする。少

し早いが平生なをざりにしておいたので、その埋め合せをする。

放課後馬場の所へ遊びに行く。橋本の自惚病も膏盲

に入つてゐる。

 

十一月二日 天氣 快晴 寒暖 暖

岩本さん、七頁半弱進む。

始めてペツの和独をやつてやつて行つたら、丁度当つた。何だか

昨日は当る様な予感がした。

午後六時からよし松で諏訪中学大髙会。出席者髙等学校全

部十一名。大学、三輪保氏、河角広氏、山岡克己氏、黒河内透氏、矢

島羊吉氏、高木堯夫氏、小林正美氏、尚竹内潔先生、計十九名。

初めは話をしてゐたが、その中に碁と將棊の会みたいになつた。

 

十一月三日 天氣 半晴 寒暖 冷 發信 丸善 受信 丸善

明治節で授業なし。式もない。

階級なるものは経験的なり。其の存在は時代に因って

変動あり.何等先験的基礎付けを有するものに非ず。

之に反し、個人は経験的存在物に非ず。アプリオリー

に因りて存在するものなり。國家其他の團体も總べて

階級の類にして、アプリオリーを有せず。此の意味に於

いて個人主義は絶対に正し。在義主義的論

者の往々にして個人の前に社会或は階級の存在あり、

個人は二次的存在なりと云ふは誤なり。されど、個人も

小義の範囲に留る中は、未だ眞正のものたらず。多くの

個人も河原の石と何等揮(ママ)ぶ所なし。普遍妥当性

を有する大義に至りて始めて、個人は天地人?の人と

しての組織者たりう。此の意味に於ける個人主義

のみ正し。

 

十一月四日 天氣 雨 寒暖 寒

十一月十八日今學期の授業の終。十九日準備の為休。二十一日

から二十八日迄試驗。十二月一日から三學期。

志望大學及學科を書いて出す紙をよこした。十八日迄に提出の事。

如何に人生の難い事よ。如何に人には執着の起り易い

事か。

 

十一月五日 天氣 雨 寒暖 寒 發信 姉

諏訪中学校学友会誌原稿「信仰と思考」なる

論文を草す。一日にして一気に書き終る。原稿紙

八枚。此は長坂氏廻りにて寄こされしものなり。中

学の雑誌部に居りし頃原稿のほしかりしを思ひ、又貧

弱ながら髙等学校の記念にもと草したるなり。

自分に、

悠々と行かう。

ゆったりと行かう。

時間けちになるな。

遊ぶ時は遊べ。それも人生だ。

 

十一月六日 天氣 快晴 寒暖 暖

今井五介氏、櫻澤鶴吉氏二氏と共に晩餐会をなす。

 

十一月七日 天氣 晴 寒暖 冷

岩本さん八頁半。行がすいてはゐたけれども。

早慶野球戰昨日と今日。第一回六A対零、第二回三対零で

共に慶大勝つ。佐藤さんの喜ぶ事。

先月三十一日作文日だが、今日の漢文の時間にある。「明治節」。つま

らん題を出して困る。

夜、佐藤さんと銀座へ行く。慶應の連中のゐる事、ゐる事。

クロネコ、バッカス等は閉め切つてあつた。慶応の学生が暴行

を働いたのださうだ。ライオンへ上る。此処も大騒ぎであつた。

 

十一月八日 天氣 曇後小雨 寒暖 寒

猛烈に寒い。一番寒いだらう。

この間からズット岩本さんを調べてゐる。可成り丁寧に見て、八十

頁迄來た。岩本さんは一回だけに止めるつもりだ。独逸語に食傷

する。

 

十一月九日 天氣 快晴 寒暖 冷 發信 三省堂書店

昨日、論理、断言判断を終つて假言判断へ入る。断

言判断は七時間半かかつたわけだ。

岩本さんは量があつて困る。

三日、六日、九日と三回神田へ行く。三日六日.と岩波で振

られて今日漸く開いてゐる。

凡そ勉強は次の三つである。

一.学校でやること。予習及復習。

二.右の參好書。之には平生よむのと、試験近くによむのと

二色ある。

三.ホーム、リーディング。

一.二.三.の順序で主従の関係にある。

 

十一月十日 天氣 快晴 寒暖 暖

今迄三年間の勉強の仕方の間違つてゐたのを悟つた。

以後断然改善する。今迄の惡かつたのは、つまりはせいて

ゐたのだ。多くの本をよまうとした事だ。それからも一つは学校

の事をおろそかにした事だ。学校の方をほつといて自分の勉

強ばかしてゐた事だ。学校が主で、自分の勉強は従で。自

分の勉強を主と見た結果、自然あせる様になつたのだ。多く

ばかよんでよくよむ事が出來なかつた。分らずに飛ばす様な事

が多かつた。以後学校を第一にしつかりやつて、(尤もつまらん

学科を省くのは良い)余暇でホームリーディングをゆっくりやる

事とする。従つて、讀む本の数はへるわけである。

 

十一月十一日 天氣 快晴 寒暖 寒

岩本さん八頁半強。

Trompeter von Säkkingenを調べながら感じてた事だが、隅

から隅迄一寸の漠然とした個所のない様にと一切を忘れてグット本

をにらんでゐると実際眼光紙に徹すと云ふ気がする。古人はうまい

事を云つたものだ。

今度の試験準備によつて、勉強するとはだういふ事かと云ふ事

が分つた。

 

十一月十二日 天氣 快晴 寒暖 暖

昨夜雨が降つたので、今日の天気を気づかつてゐたが

起きて見たら、朝日が部屋に差し込んでゐた。

岩本さん、一四四頁迄つまり第十章迄調べた。此

でDer Trompeter von Säkkingenは一段落にする。

予定通りだ。次は西洋史でもやらう。

西田氏著書發行日。

自覺に於ける直觀と反省    大正六年十月三日     四八才

意識の問題          大正九年一月十五日    五〇才

藝術と道徳          大正十二年七月二三日   五四才

働くものから見るものへ    昭和二年十月十五日    五八才

善の研究           明治四十四年       四二才

思索と體驗          大正三年         四五才

現代に於ける理想主義の哲學  大正六年五月二日     四八才

 

十一月十三日 天氣 快晴 寒暖 風寒 發信 河西健兒(二ツ) 受信 姉 妹 三省堂

午前十時起床。直ちに佛教靑年会館へ行く。

待てど暮せど紀平正美氏來らず。其の時間埋め

に妙な男のでかい男が登壇して、時間励行と汽

車内の態度について一時間弱もしやべ

つた。紀平氏の來たのは十二時十五分。直ちに講

演を初める。演題「第三世界」。すっかり忘れ

てゐて、学習院の運動会を見に行つたのださうだ。

二時半頃迄講演した。

先日物した「信仰と思考」なる論文を河西先

生の処へ送る。

晩、山口さん佐藤さんと呑㐂へ行く。

 

十一月十四日 天氣 快晴 寒暖 暖 受信 本郷郵便局

漢文は今日で終。一学期は韓非子二十五頁やつた

だけだつたが、今学期はそれでも頑張つて荀子莊子で

三十五頁やつた。

 

十一月十五日 天氣 小雨 寒暖 溫

論理は今日を以て終となす。須藤新吉氏著論理學綱要

で間接推理の所の第五兩刀論法迄。來學期は第六「省略

及び複合三段論法」から。試験は直接推理の始めから

断言三段論法迄。

 

十一月十六日 天氣 小雨 寒暖 冷 發信 姉 妹 弟 太田和彦 受信 弟

試験時間割発表。

文(池田)  英(四大)

國(今井)  史(齋藤)  独(菅)  論(須藤)  漢(島田)

―     〃        ―

哲(岩元)  独(ペツオールト)法(***)     兵(三大)  独(岩元)

 

8     9    10       11    12 1      2

 

 

 

21

 

22

 

24

 

25

 

26

 

28

十一月十七日 天氣 曇後晴後夕立後晴 寒暖 暖 發信 醇郎(二ツ) 受信 母

晝頃丸善からSelect Works of Plotinusを配達

して來た。注文してから半月もたつ。之はもう三省堂へ注

文してあるのだから、重複したわけだ。

醇郎から頼まれた次の二書を買つて送つてやる。

Planck:Das Wesen des Sichts.

Natorp:Die Logischen Grundlagen des

escakten Wissenschaften.

西洋史の大類伸著新体西洋歴史で云ふと、「英蘭の内乱と

振興」から「ナポレオンの没落」迄(「佛蘭西の強大」省く)でう

んとある。太田和彦氏のノートによると五十枚に及ぶ。

只し、ウィーンの列囗会議から来学期。

 

十一月十八日 天氣 快晴 寒暖 暖 受信 河西健兒 父

今学期の授業終り。授業三時間だけ。岩本さん

頑張つてTrompeterを終やして了つた。來学期はやはり

ScheffelのEkkehard。

岩本さんはえらい。哲学のノートをよむと、よむ度に違ふ。段々明か

になる。感心した。かういふのこそ深みがあると云ふべきだ。純粋に

Wissenschaft的な態度でよみたい。記憶して試験の間に合は

せやうと云ふ様な功利的な態度でなしに。試験の点なんか二

次的だ。学門として学んだらそれで良い。

 

十一月十九日 天氣 曇 寒暖 冷 受信 國際書房雑誌部 書波(ママ)書店 丸善株式会社 太田和彦

昨夜ねられず、五時迄聞く。だうした訳か、こんな事は珍

しい。アダリン〇・三瓦服用してねる。十一時過ぎ起きる。

哲学、西洋史と云ふ面倒な奴が早く終つて良い。

夕飯後三時間程で祝詞三十頁をやつて了つたが、平生殆

やつてないのと、心あはてたのとで良くは分らなかった。

 

十一月二十日 天氣 快晴 寒暖 暖 受信 醇郎

佐藤さんとピンポンをする。一セツトしてゲーム八対六で

負けた。始は勝つてゐたが。

岩本さんのノートをよんで、古代中世の哲学も面白からう

と思ふやうになつた。

岩本さんでやつて見たのだがサブノートも一つの良い方法である。

試験の前には一科につきよむ本なりノートなりは一冊でなくてはいかん。

只し、字書並に之に類するものは勿論良い。參好書は平生よん

でおく性質のものである。

缼席日數一學期四日.二學期十五日(九月、八日、十月ナシ、十一月、七日、)計十九

日。

 

十一月二十一日 天氣 曇 寒暖 寒

憂鬱な日。試験によくある天気。寒い。今日から火鉢

を入れる。他の部屋ではチラホラもう入れたやうだ。

哲学問題次の如し。

哲學問題  二(◦)問  答案(◦◦)縦書(◦◦)ノ事(◦◦)

⑴シヨラスチケルノ認識論即スペシースノ説ヲ詳述セヨ

⑵エッケハルトノ神ノ觀念

彼ノ所謂魂ノ根基ヲ説キ此処ニテ行ハルヽ神秘冥想

ノ次第ヲ示セ

二番はどつちをかいてもいい。僕は相当にかいた。

國語。普通にかけた。

西洋史の対策次の如くせば如何。ノートは時間割発表前に於

いてよむ事。以後は中学校の教科書だけにして、ノートは只参照用

にだけする。

 

十一月二十二日 天氣 曇後晴後小雨 寒暖 寒

ペツは例の如し。

西洋史。妙な問題なので、あの答案で良いのか惡いのか分ら

ん。阿具と云ふ男は下らない問題を出す男だ。

家から果物を送つて來た。柿・蜜柑・梨・栗の混成旅

團。

明道館で近來金銭の紛失がある。

 

十一月二十三日 天氣 快晴 寒暖 寒 發信 父 妹 母 受信 父(書留)

午後神田へ行つて、和辻哲郎氏の日本精神史研究家

の「物のあはれについて」をよむ。囗文学史の「物のあはれ」の

論文の為だ。歸つて來て、それをかく。

風がとても寒い。

父から手紙が來て、百枝が神軽衰弱で夜心

臓が鼓動していけないから、行つて見ろとの事。

 

十一月二十四日 天氣 快晴 寒暖 暖 受信 百枝

百枝から端書が來た。もう既に上諏訪へ歸つて

了つたのだ。

法政。出來た方だらう。

菅。普通と云ふもの。

囗文学史。問題が問題なので丸覚えして行つた奴をかく。

試験も峠を越した。髙等学校へ來てから八回目。よく受けた

ものだ。

論理の準備と云ふものは軽い。外に見るものがなければ前日

だけで沢山だ。

 

十一月二十五日 天氣 快晴 寒暖 暖 受信 岩波

連日の試驗に流石は疲れた。

論理、完全の積りだが、四番の題意が少しあいまいなので

或は間違つてゐるかもしれない。

漢文も準備としては前日だけで沢山だ。

漢文。荀子と莊子。莊子は面白い。久し振りで漢文を讀ん

だので非常に面白い―講義に列したのを除いて。老莊列は又何

時かよんでみたい。

 

十一月二十六日 天氣 快晴 寒暖 暖 受信 父

無風、快暖、良き日。

軍教、普通。

漢文。良い方だらう。前の休に下田から聞いた所だから。

朝は早く、夜は早くねられないので、疲れた。

午後小林が來る。試験が終つたら今井の処へ遊びに行くと

云ふので、一緒について行く事にする。それから、此の間買つて來た

フェヒナーを小林も讀むと云ふ。

 

十一月二十七日 天氣 晴 寒暖 暖 受信 國際書房

十一時起床。明日は岩本さんだけ。Trompeter von

Säkkingen(レクラムで二百四十一頁)一冊だから大きい。一四四

頁迄やつてあるが、此は二週間も前の事である。然しもう一度

やる時間はない。それから後を、昨日は十一、十二、十三章、今日午

後は十四章、夜十五、十六章をやつて、終了した。此本は、これで

随分徹底的によんだわけだ。

 

十一月二十八日 天氣 快晴 寒暖 暖 發信 丸善

岩本さん、昨日見た所が出る。誤なし。

九時一寸過ぎ答案を出す。それから、寮を廻り歩く。

午後、橋本が来る、小林が來る。

晩、黒河内の所へ行く。図書館へ行つて、ゐない。

今度の試験は出來た積り。

ゆったりする。

 

十一月二十九日 天氣 細雨 寒暖 寒 發信 父

藤田が朝つぱらから遊びに來る。朝つぱらと云つても

九時半だ。夕方迄碁をうつて遊んで行つた。

小林が晩來る。

 

十一月三十日 天氣 曇 寒暖 寒 豫記 東京帝大新人会の記録P.417

黒河内透氏を本郷菊坂町拾六番地紅葉閣に訪ふ。

一寸した父の用で。後、碁を打つてゐる。奴はうまい、余が

三四目おしと云ふ所だ。その留守に小平、北原、五味、小椋の

四氏が來たさうだ。本をかへしに來たのだ。居れば良かつた。

明日から三学期だ。又明日から勉強する。気が勇む。

睡眠について考へないと睡眠は出來る。不眠症の時

にはきつと、ねむれないと困ると考へる。さう考へるから益ねむれなく

なる。何故ねむれないのだらう.睡眠とはだういふ事だらうと考

へても分らないし、又考へるから益々ねむれない。つまり、睡眠

は吾々の思考の中へは入つて來ないものである、思考しうべか

らざるものである。死も之に類すると思ふ。死と云ふものは分ら

ないものである。分つたら死でない。我々の思考をなくすものが

死である。考へうべからざるものを死と名づけるのだ。

此を以て十一月を終とする。十一月は割合に日記がふるつた。