十二月一日 天氣 快晴 寒暖 暖 受診 丸善株式会社

缼席届を試験用紙へ書いて行つたら、外の紙で書

いて來いとおこられた。そっとおいてきたら、後から追ひかけて來た。

今日から教室へストーブが入る。

当分の中、ホーム、リーディングはヴィンデルバントのアインライツング。

 

十二月二日 天氣 曇勝 寒暖 寒

 

十二月三日 天氣 晴 寒暖 寒 發信 今井博人

矢島の所へ遊びに行く。泊る。

岩本さんの点。哲学四拾点。此が相場となつた。独逸語

注意点でない。尤も、注意點は五人きりだつた。

 

十二月四日 天氣 曇 寒暖 寒 受信 母

明道館の先輩神田氏が福岡へ行かれる事になつた

ので、その送別の意味を兼ねて在京先輩と晩餐

会を催した。神田氏、小沢氏、井上氏三氏が来られた。

 

十二月五日 天氣 快晴 寒暖 暖

近頃藤村を讀んで、好きになつた。藤村と云ふ人が好

きだ。

午後、郊外散歩に行く。田舎道を歩きたくなつたの

だ。鶴見駅で下りる。其の辺を歩き廻る。九月以來

市内にばかりゐたので、実に自然が美しく見えた。畠の

靑物などは見にしみる様だつた。枯すヽきもうれしか

つた。

 

十二月六日 天氣 快晴 寒暖 暖 發信 今井博人 太田和彦 受信 醇郎

近日はねむれ過ぎる。

 

十二月七日 天氣 晴 寒暖 寒 發信 醇郎

昨夜就寝前に寝床で考へた事だが、讀書に関して

二つの事を考へ出した。

一.讀書は内部的要求に因るべき事。即ち讀みたい

と思ふ本をよむ様にして、形式的の理由からはよむべか

らざる事。

二.一時一主義とも云ふべき事で、或期間は或一冊のみ又は

或同じ事柄に関する本のみをよむ。即或本をよみ

おへるか又は興味を失ふ迄よむ事。

 

十二月八日 天氣 曇小雨 寒暖 寒

今朝は今迄で一番寒い。

月曜の軍教と金曜の体操と、今週から入れ変る。軍教は二大。

西洋史注意点を云ふ。僕はなかつたさうだ。

 

十二月九日 天氣 雨 寒暖 寒

ペツの答案。予はミステイクが二十八。

えらい男は小林直人と石澤次夫。

 

十二月十日 天氣 曇驟雨 寒暖 暖 發信 小松澪子 受信 太田和彦

通学願を出す。

午後から矢島と今井の所へ遊びに行く。九時頃辞し

てかへる。

 

十二月十一日 天氣 快晴 寒暖 暖

太田の手紙をきつかけに、京都大学へ行きたいと云ふ気が盛に起つて

來る。さわがしさや、不眠や、人に他する気がねやなどに頭を勞する

事なしに、専心勉強したいのだ。

佐藤さんの芥全集を三回に分けて讀了。

芥川は天才型だ。藤村は之に反して、おっとりとして、円滿だ。

芥川は怪奇趣味を持つ。藤村はない。

芥川は一種の気狂だ。

昭和二年に入つてからの作などをよむと彼が死ななくてはならない

事が良く分る。つまつて了つて局面展開が出來なかつたのだ。田舎へでも

ひっぱって行つて、のんびり百姓でもやらせたら良かつただらう。

予は芥よりは藤村の方が好きだ。

 

十二月十二日 天氣 快晴 寒暖 暖

色々考へて見るに東京にもゐたい。東京でアインザームの

生活の出來る所はないかしら。

大学に入つてからも明道館にゐる事はだうしてもい

やだ。そんなざわくした生活は送りたくない。

ヴィンデルバントの哲学概論も遠からず終へる。其を讀むのに、一回

拾頁は少し苦勞だ。七八頁が普通だつた。

 

十二月十三日 天氣 快晴 寒暖 暖 受信 姉

姉から手紙が來た。來年上京して百枝と三人で家を

持つて勉強する様にしては如何と云ふて來た。それならば

良いだらう。

 

十二月十四日 天氣 晴 寒暖 寒 發信 姉

我々は時の過ぎ去るのの早いのを歎ずる。然し、

早く過ぎると感ずるのは顧みた場合の事である。現在は

早いも遅いもない。其こそがベルグソンではないが流動の創造

的進化其物である。現実に経験する時間は早いも遅

いもない。

それでも未だ今迄位は早起きも平気だ。決して今迄早

起きをしたわけではない。來年度からは早起しやうと思つて

ゐる。六時と云ふのが、十二時の半分で丁度数が良い。此も

取越し苦勞の一つだらう。

 

十二月十五日 天氣 快晴 寒暖 暖 發信 岩波書店 太田和彦(二通)

Einleitung in die Philosophie von Wilhelm Windelbandを一年

餘りで讀了。十二月に入つてからは終の方のAesthetische

ProblemとReligiöse Problemeとを讀んだのだ。近頃では随

分易しくなつた。

ゲエテの對話抄。此は面白い本だ。譯も良し。

学校からの歸途、「此巻御持参の方には牛乳無料進呈」と云ふ

北星舎のビラをくばつてゐたので、貰つて本郷二丁目なる同舎へ下田、

塙、高柳の三人と行つて牛乳をのんで、半額八戔の菓子を食つて來る。

開店祝なのだ。

 

十二月十六日 天氣 晴 寒暖 暖

近頃不眠に苦められてゐるので、一つ気晴しに遠足でもし

やうと思つて、晝食を喫してから出かけた。先づ省線で行き

新宿で下りた。其からやたらに歩く。代々木から千駄ヶ谷

へ行き、神宮外苑を横切り、靑山へ出、市電に沿つて赤

坂見附迄行く。其処で左へ入り、電車通りを通らずに半

藏門へ出る。其から神田を通つて、五時歸着した。三時

間程歩き續けたわけだ。夕飯はうまかつた。

 

十二月十七日 天氣 晴 寒暖 風寒 受信 丸善 小松武平(書留)

久し振りで小林が來る。

晩、河角氏と藤原咲平氏宅の坐談会めいたものに出席する。竹

内潔氏、山岡克己氏、小椋恒夫氏、濱次雄氏、金子春雄氏出席。竹内

先生のガンディーの話がある。藤原さんのマルクスやストリントベルクの話があ

る。割合に面白かつた。

 

十二月十八日 天氣 雪後雨後曇 寒暖 寒

朝起きたら雪が降つてゐた。だうも寒いと思つた。

ゲーテの「我が生活より」を讀む。此も面白いが、面白いと云ふ点か

ら云つたら「ゲーテとの対話」の方が面白い。

 

十二月十九日 天氣 晴後曇後雪 寒暖 寒 發信 中島ベーカリー

初めて凍る。作文日。「力」。

己に足りて外に待つなき生活。之を自由の生活と云ふ。去る者は追

はず、來る者は拒まず。執着なき生活。外物に左右されず。外

物來るも可、來らざるも可。轉変自在、如何なる還境(ママ)にも応ず。

 

十二月二十日 天氣 晴 寒暖 寒 受信 母

二三日來、寒さ一段と增す。

放課後矢吹慶輝氏の「三階教に就いて」と云ふ講演を

聞く。

夜、五味智英氏が來る。阿部次郎の「美学」について

質問に來た。

近頃、又あせり出す。これではいかん。悠々と行かう。

讀みつつある本の数を少くする事。多いと精神の分裂を

來していかん。

取越苦勞をせぬ事。

今夜は無人で、明道館も靜かだ。気持が良い。

 

十二月二十一日 天氣 快晴 寒暖 溫

クラスでも既に行季をまとめて歸郷するもの多し。出席

半分。

午後百枝の処へ行く。明後日あたり歸ると云つてゐた。

快晴。寒からず、風和か。久し振りで武藏野美し。田

舎は良い。

良遊ぶもののみよく学び得。且つ、よく学ぶもののみ、よく遊び得。

明道館へ遊びに來る人だけに就いて見ても、長野中学の人と諏訪

中学の人とは随分気風が違う。諏訪中学の人は一般に、眞面目

で、眞劍で、学問的だ。長野中学の人はどつちかと云ふと、遊ぶ

事が好きで、デカタン的だ。余は勿論諏訪中学の方を好む。

 

十二月二十二日 天氣 曇勝 寒暖 寒 受信 太田和彦

久し振りで十二時前に寝た。十一時から十一時迄、無慮十二時

間ねた。気持が良い。

 

十二月二十三日 天氣 晴 寒暖 寒

「明日爐に投げ入れらる、名なし小草だに惑はず、お

のがしヽの手振美くしう、けふの一日を咲き誇れるにあ

らずや。」

働く事は人間の義務である。死ぬ迄働かなくて

はならない。働かない人間は人間の義務を怠つて

ゐる人間である。然し、此の説には人には働くべき

仕事があると云ふ事が前提になつてゐる。余は

此の前提を信ずる。

欄外注記 27日

 

十二月二十四日 天氣 雪 寒暖 冷

マルクスの「賃勞働と資本」と云ふ奴を讀む。割合に面白く

讀めた。マルクスの勞働者に對する愛を感ずる事が出來る。抑々

僕はマルクスと云ふ奴は嫌ひであつたが、マルキシズムにも興味を

持ち得る様になつたのは、「思想」に出た三木淸氏の論文によつて

である。尚、小さい問題ではあるが、岩波文庫版の同

書四五頁に「いかにも商品の実際の價格は何時でも生

産費の上か下かになつてゐるのだが、しかし騰費と下落

とは互に相殺するもの」とあるが、僕は商品の價格は生

産費よりは一般に髙いと思ふが、だうだらう。

欄外注記 28日

 

十二月二十五日 天氣 雨後曇 寒暖 冷 受信 囗際書房

漢文、注意点を云ふ。余は然らず。

学問は二次的のものだ。学問より前に人間がある、生

活がある。生活の為なら、学問を犠牲にしても良い。

学問の為に人間を犠牲にするのは惡だ。

欄外注記 此頁へ書行ガ事ハ23日へ行クベシ.

 

十二月二十六日 天氣 一時曇 寒暖 風寒 發信 佐藤國男 受信 佐藤囗男

昭和二年の最後の授業。

何と云つても、最自然な生活は家庭生活だ。下宿生活や寄宿

生活も不自然だ。しかし寄宿生活も少しの間はやつても良い。

欄外注記 24日へ.

 

十二月二十七日 天氣 快晴 寒暖 溫

午後十一時半飯田町駅発で歸郷。小林や五味

と一緒。

綱島梁川集を讀む。あヽ云ふ、体験を錄したもの

は、論理的のものと違つて、体験がなくばほんとに分るも

のではないが、しかし梁川は好きだ。深い宗教的体

験を有する事は、明治時代に於いて有数のものだ。

欄外注記 25日

 

十二月二十八日 天氣 吹雪 寒暖 寒

汽車の中で長野昌千代君遺稿集、「脚下の泉」を

讀む。小林が持つてゐたのだ。長野君は大正十三年四月

一日腸チブスの為に死去した人だ。大正十二年より一髙の三年

に在り、一髙社会科学研究会の基礎をきづいた人だ。

此本は近來に於いて、余を動かした本だ。長野君はすごい

男だつた。僕等とてもかなはない。君は初め西田さんあたり

の哲学に依つてゐたが、遂に哲学は生活の説明に過ぎずと

感じ、マルキシズムに入り、立派なコミュニストとなつた。僕等

と同じ様な本をよんでおり、実に鋭く讀んでおつた。

おやぢと碁をする。だうやら僕の方が強さう。

欄外注記 26日

 

十二月二十九日 天氣 晴後雪 寒暖 寒

近頃よく碁をする。だうやら父よりは僕の方が強さう

だ。醇郎は僕に三目おく。かるたも屢々する。醇

郎が一番下手だ。姉、妹、僕と三人は大体同じ

だが、まあ年の順と云ふものだらう。

歸郷以來、余の志望について父母からしきり、変改

を希望されるが、決して変りはせん。逆に父母に理

解して貰ふ能はず。志望の事のみではない。喜んで

哲学を勸める様な親があつたら頼もしい。クラス

でも親の為に哲学志望をすてるものがあるやうだ。

 

十二月三十日 天氣 吹雪 寒暖 寒

讀みたくない本はよむな.即内心の要求によつてのみ

書をよめ、と云ふ大原則が定つた。義理や都合では

決してよまない事。内心の要求なくしてよんでも、決して血と

なり肉となるものではない。和書洋書の正別も自ら

消滅する。

余は予定を立てて読書する事は出來ない。予定

に従つてよむと、偶像化し、固形化して生命なき讀書

になるからだ.常に内心の要求によらねばならない。

此の原理は理論としては今迄も分つてゐたが、実感として、つ

まり知力直觀として分つたのは、間接ながら長野

昌千代氏遺稿集をよんだのを原因とする。

 

十二月三十一日 天氣 晴 寒暖 寒

江渡狄嶺著「或る百姓の家」讀了。非常に良い本だ。長

野昌千代氏遺稿集と共に、本年掉尾の二良書だ。その

中でも「妻と子に興なる手紙」が一番良い。眞中頃は譯の分ら

ん事が書いてある。若い頃の文だからだらう。それから、同書

三七八頁等に見える如き教育法はだうかと思ふ。子供に宗

教的氣分を外部から注ぎ込むのはだうかと思ふ。それも必

ずしも惡くはなからうが、唯極くぼんやりとしたのもであつ

てほしい。明瞭な宗教教育(子供の)は賛成出來ない。や

はり子供はすなほに、のんびりと育てた方が良いと思ふ。

 

「ぶり」で年を越す。二十一才となる。さらば二十才よ。

余の生活に於けるや、年の事など殆考へる事はない。そんな事

を考へてるひまがないのだ。時々、人に年をきかれて一寸いくつだか

分らん事がある。

 

 

 

 

當用日記補遺

平安朝物語集   三〇四頁ヨリ

ホフマン  スキュデリ嬢

ヘッベル  ユーディツト

ゲーテ  イタリヤ紀行   六四頁ヨリ

新約聖書(独)       六八頁ヨリ

印度哲学研究第一      一七七頁ヨリ

エビングハウス心理(独)  二四頁ヨリ

仝訳  (日)       三四頁ヨリ

ティチェナー 心理学(英) 三一六頁ヨリ

スペンサー第一原理(日)  二〇九頁ヨリ

エルゼンハンス(独)    (一四―六六頁)未讀

日本文學全集.藤村     三七頁ヨリ

ゲエテ我生活より 生田訳  三五四頁ヨリ

 

本年度の讀書百冊。數のみ多くして

実にならんのが多い。此は義理や都合

の如き外部的事情から讀んだからだ。来

年からは断然内部的要求からのみ讀書

する。従つて書の數はずっと少くならなけ

ればならない。數の多いのは何の得る所も

ない。魂の良書を少しでも良いから讀

むに限る。

内部的要求からのみ讀むのだから、和

書だらうと洋書だらうと、その区別は問

題でない。只讀みたいのだけよむのだ。今

迄は語学の足しにもと洋書を一冊位は

よんでおらねばならぬと思つておった

が、來年からは断然さういふ事は止す。

さうなれば、気苦勞がなくなる。

よみたいものだけをよむのだからである。都

合などでよんだから気苦勞があつた

のだ。

抑々讀書は魂の為にのみすべきものな

のだ。我誤つてあつた。(年末)