摂郎日記1929年1~6月

 

○一月一日(火)  雪勝ち 寒

年始狀を七八枚出す。

只ゴロゴロとしてゐる。友も來なければ、年始狀も來ない。カルタ、トランプの類もしない。

「謹賀新年」は結局は何等積極的の意義は持ってゐない。出來るだけ出さない方がいい。ただし少数ではあるが、心から年始狀をかいて出したい人もあるに違ない。

 

○一月二日(水)  曇 大寒

午前父と土橋羅紗店へ行きオーバーを買ふ。佐藤さんの所へ顔を出す。

午後町へ行き、「新興科學」の新年號と「岩波文庫」の「純理批判」とをかってくる。

今井博人、古山二郎、五味重郎から年始狀が來る。古山、小林へ年始狀を出す。

一週間振りで入浴する。

 

○一月三日(木)  快晴 寒

昔からの手紙葉書を出してみる。大正三年からある。今は恰も回顧の時に際してゐる。関西旅行、轉宅等がこの機縁をなしてゐる。數年振りで上田の友達へ年賀狀を出してみようと思って十枚程かいた。

晩、山田の所(高校前すずらん薬局)へ行く。可成り永く話す。山田も中々面白い。小林とゆっくりとりくんだら面白いと思ふ。渡辺薫美氏の話をきく。

長島しげ子さんが昨日來「試験様」に敎はる爲に來てゐる。國語等みてやる。

 

○一月四日(金)  晴 寒

昨日の溫度零下拾四度。平年より五度低い。

長坂から葉書が来る。長坂は人がよすぎる。

藤森環治君が来る。

午後おばあさんが藥屋へ行ったきり歸ってこないので大いに騒したら、道を迷って停車場から人力車でかへってきた。しかもうちの前に來てゐながらこの家ではないと言って居たさうだ。

休と云ふ奴はきらいだ。学校のある方がずっとましだ。うちで喧嘩するのもつらい。

長島しげ子はいい子だ。

うちにゐる事は苦痛だ。父母と思想がクロスして來たからだ。なるべくうちによりつきたくない。

 

○一月五日(土)  快晴 暖

河西先生、三澤先生、笠原保中、五味智英から葉書が來る。

明朝出立なので荷物を送って了ふ。

土橋洋服店がオーヴァーを持って來る。大枚二十五円也。

 

○一月六日(日)  雪後晴

五時におきる。父に送られて六時四十分発で立つ。荷物のかげんでとみのさんは一汽車後れる。東京に近づくにつれて雪から曇となり睛となる。寒より暖となる。百枝は女子大学による。先づ妹と先に行く。とみのさんを迎に行く。

晩はざうにをたべる。金子先生の所から色々貰ふ。

靜かで勉強しなければすまないやうだ。今井と五味がいち早くやってくる。

早くも京都哲学会と丸善とから葉書が來ている。

 

○一月七日(月)  晴 寒

色々雜務をする。今井が來て手傳ふ。三時、今井と明道館へ行く。

 

○一月八日(火)  晴 寒

午前、神保町の角で靴を五円五十戔でかってくる。

夜、女子大学の入試をうけた連中とかるたなんかをする。

 

○一月九日(水)

午前学校へ行ってみる。「△△敎授○○日開講」と云ふ掲示がボツボツ出てゐる。

淸水房子は随分出來た。出來ても房子はおしげにくらべたらずっと子供だ。

三木さんの「個性の問題」と云ふ論文をよむ。今とは随分違ふ。三木さんも苦しかったらう。

松本から出した荷がやうやくつく。宛所が見つからなかったとの事。愈々勉強する。

未だ新しい生活を克服しない。

 

○一月十日(木)  晴 暖

昨年來の風が未だすっかりぬけない。

午後学校へ行ってみる。未だはじまらない。新村に逢ふ。明道館へ一緒に行く。

小宮山忠雄、荒川嘉男から年賀狀の返狀が來る。

マルクスがたちがたき問題となった。当分この問題を考へて行ってみる。外の事は自然遠ざかりがちになるがやむをえぬ。哲学科へ入ったと云ふ事は傳統的のphylosophの道をたどる事を意味しはしない。余はもう傳統的の行き方へ入る事は出來なくなった。生活の中心問題となる事を考えへて行けばいい。

旦那さまの用をしてすごした一週間がおしい。

 

○一月十一日(金)  快晴 暖

小平は潤をかく。人間味がたりない。

今は正に沈滯の時期だ。昨年以來ずーっと何等の進展もない。

淸水昌子はしっかりしてゐるらしく見える。

仏敎靑年会から求められた作文をかく。

馬鹿に早く眼がさめる。未だ太陽が出てない。淸水房子―ヒヨコ―が伊那へかへる。これで家もおちつく。

十一時から二時迄金子先生の家で留守番をする。

学校へ一寸行ってみる。久し振りで銭湯に入る。気持がいい。

天気がいい。暖い。快適といふ所だ。冬もこの位なら全く樂だ。

「おしげ」から妹の所へ手紙が來る。どうも試験に出來なかったらしい。おちるときの事を考へると可愛さうになる。

○一月十二日(土)  快晴 暖

一高へ行って濱、小手に願書の件を相談する。

午後、今井が來る。とみ子さんを旦那さんのところへつれて行く。かねて今井と北原の所へ行ってみる。留守。

太田から葉書が來る。返事をかく。

矢島の年始狀が上諏訪―松本と追ひかけて來てやうやく今日つく。

○一月十三日(日)  晴 暖

考へればおしげの手紙は淋しい手紙だ。

中村三千代、小菅武夫から返狀が來る。藤森正雄から手紙が來る。

午前留守番。漸く頭がDenkenにむいて來た。とにかく勉強をマルクスに集中しよう。

午後、遊びに行く。先づポンサを訪ふ。留守。山岡の方へ向ふ。一族四人で荻窪の新宅を見に行くのに逢ふ。新宿迄一緒に行く。矢島を訪ふ。八時すぎまで遊ぶ。

頭はマルクス化しつつある。ただ正しいと思ふ所に從うだけだ。とにかくしっかりした覚悟は要する。

 

○一月十四日(月)  晴 暖

近日しきりに咳が出る。珍しい現象だ。午後六時に熱をはかったら七度一分だった。脉は八四。

午前、一高へ行って濱、北原と願書の件で打合せをする。

河西健兒先生、藤森正雄君へ端書を出す。

出先生の哲学史の本が店頭に出る。

気持がマルクスへ向いて來た。

金子先生ののと比較してみて、うちの検溫器が一分高い事を発見した。

小林正平君から返狀が來る。

 

○一月十五日(火)  晴 暖

せきは少し衰へる。気持が少し惡い。今日はあつい。

佐野千曲から願書が來る。かくて全く亦六時に行かねばならない。五味から手紙がき、返事を出す。

今日始めての授業。桑木さんの哲学概論。後半ねむって了ふ。今学期はこいつと大島さんの「英米現代の哲学」とをもきく。スピノザの演習は面白くないのでよす。

フォイエルバッハ原著川村三男譯「身體と霊魂、肉體と精神との二元論に抗して」と云ふ奴を讀了。

マルクスを知り始めたのは去年の夏だ。我ながら随分変ったものだ。

今は正に気持の上で過渡的なので、よむ本買ふ本に系統がつかない。

 

○一月十六日(水)  晴 寒

五時半におきる。六時少し前に一髙へつく。待ち札14を貰ふ。追々連中が來て札を貰ふ。又更めて九時から願書を出す。受験証票を各人に送る。

晝、矢島が來てしるこを貰ふ。

昨日、今日風で姉、欠缺。金子先生が見舞いに見える。

余の咳は減る。気持もいい。咳の薬のむ。

レーニン著佐野学譯「宗教について」讀了。

 

○一月十七日(木)  晴 寒

河上肇譯「レーニンの辯證法」讀了。良い本だ。レーニンの宗敎論には賛しえない。

夜、岡田正夫氏が姉の所へ來る。忽ちにして余と議論になって了った。基督敎やマルクス主義について。岡田と云ふ人も面白い人だ。

今日は咳も随分良い。僕はいいが、姉が今日は学校へ行ったので惡い。良くなる事をいのる。

河西先生、五味重、醇郎から端書が來る。

山田へ端書を出して哲学科をすすめる。

 

○一月十八日(金)  晴 寒

明道館へ行って晝食を食ふ。僕の辨当箱を収容して來る。

宮澤二郎、武居團夫、佐野千曲の三人から受験票到着のしらせが來る。

午後今井が來る。十一時かへる。

マルクス著久留間鮫造・細川嘉六譯「猶太人問題を論ず」讀了。分りにくい。

河上肇著「唯物史觀研究」をよむ。この説明法で行ってみる。限界がはっきりして來るまで。

 

○一月十九日(土)  曇 寒

学校の授業はさしてみにならない。傾動も感じない。考が学校とクロスして來た。さればとて他に取るべき生活もない。とまれ今のまま勉強する事だ。

夜、北澤が雜誌をかりに來る。

大和、波田野から受験票当(ママ)着のしらせが來る。後二人。

 

○一月二十日(日)  晴 寒

午前今井の所へ行く。そこにしばらくゐる。それから午後二人で矢島の所へ廻る。三人で色々のものをうんと食ふ。かるた等をして十時半辞す。

姉の病気は段々良いやうであるが、どうもよくない。明日医者にみて貰うと。心配になる。咳が多いから。

三井爲友から返狀が來る。

 

○一月二十一日(月)  曇 寒

菅野医師に姉が見て貰ふ。気管支。

女子大学の入試の発表がある。淸水房子、林まつ子(英専)、大久保しづ子(國専)、小岩正子、長島しげ子(不合格)。矢島春子(英専)。

 

○一月二十二日(火)  曇勝ち 寒

靑木敎授、Faust講義、Erster Teil 終り。晝の時間に今井と明道館へ行く。久し振りで辨当(箱)食ふ。

明日から二號館の校舎をも使ふ。

放課後今井と安永を見舞に行く。

太田、北原から葉書が來る。

新村、矢島、五味、北原へ葉書を出す。

「戰旗」をよむ。分らなくなる。マルクス主義の大きな限界は感ずるが。

 

○一月二十三日(水)  晴 寒

愈々寒くなった。

大島さんのおしゃべりを一席きく。

五味から葉書が來る。

デボーリン著志賀義雄譯「レーニンの戰闘的唯物論」讀了。こんどは感心しない点が多い。

社会問題を考へると苦しい。息がつまるやうな気がする。にげたくなる。しかし考へざるをえない。

 

○一月二十四日(木)

「資本論入門第七分冊」をかって來て一気によんで了ふ。

山田から葉書が來る。未だ唯物史観を誤解してゐる。

Hegel Vorrede 終り。

朝、水道がしばし凍る、耳がいたい。今迄で最寒い。

夜、本鄕通りや肴町の夜店を歩く。良い月。

風呂で目方を計ったら十三貫五百匁あった。去年十一月の始め京都で計ったときは十三貫以下であった。

 

○一月二十五日(金)  晴 寒

うちから手紙が來る。金が來る。手紙の中に女高師の発表が出たとあるので、行ってみたら未だだった。神田へ廻ってかへる。

金子先生の所へ用に行って上りこむ。二時間程ゐる。

哲学でも藝術でも之を切り離してみずに、生活との具体的連関においてみねばならぬ。

〝哲学の貧困〟とはよく云った。〝純理批判〟より〝資本論〟の方がピッタリするやうになった。

 

○一月二十六日(土)  晴 寒

夜、哲学会なるものに行ってみる。始めてだ。三枝博音氏の「ヘーゲル學に於ける経濟考察の問題」と云ふ話があった。割合に面白かった。

 

○一月二十七日(日)  晴 寒

午後明道館の写眞の記念撮影に参加する。駿河台の主婦の友寫眞館。家へかへったら今井が來てゐた。八時新村も來る。十一時二人かへる。

 

○一月二十八日(月)  曇後雪 寒

河上肇著「唯物史觀研究」讀了。

晩木原さんが來る。片岡美智。悲惨。

 

○一月二十九日(火)  晴 寒

雪が降ったら、一段と寒い。

五味から端書が二枚來る。返事を出す。

淸水さんから貰った魚がうまいと云ふので、辨当箱へうんとめしをつめて行って、今井と二人でたべる。後で今井にコーヒーをおごらせる。

行往坐臥 頭の中でマルクスの問題がうづまいてゐる。唯物史觀に即して哲学をどう考へたら良いかと云ふ事が中心だ。つまり社会に於いて哲学の演ずる役割だ。

受験届用紙を十三枚出す。

Philosophieの raison d’eterを知りえたかに思ふ。ほがらかな気持にさへなる。

 

○一月三十日(水)  晴 寒

武捨武手(平)氏の年始狀が松本から廻って來る。

「新興科學」の二月号が出る。三木さんの「唯物論とその現實形態」を息もつかずによんで了ふ。

すてるものは、思い切りよくすてねばならないと思ふ。

二十九日に得た考は近來の一飛躍である。息がつまるやうであったのが、気持が樂になった。觀念哲学の意義も定まった如く感ずるので、其等の本も返って素直によむ気がする。哲学には高い位置は与へられないやうに思ふ。何等積極的の役割を演ずるものでなく、社会の変革を反省して後から解釈するものにすぎない。

 

○一月三十一日(木)  晴 寒

どうも学校の授業がみにつかないで困る。

岩波文庫版「資本論」第一分冊讀了。

夕飯後記念祭イーブの景気をみに行く。小椋、高木、濱等に逢ふ。飾り物は例年の如し。出て本鄕通りを歩く。矢島、服部、荻原の連中がよっぱらって來るのに逢ふ。しばらくかまってゐたが、別れてうちへかへる。今井が來てゐる。二三十分僕に後れて來たと。おそかりしゆらのすけ。色々話してかへる。

 

古いイデオロギーは新たなる社會推移に對して認識不足となる。イデオロギーなるものは唯物的基礎を材料として、其上に打ち建てられるものであるが故に、下層建築が變らない中はいいが、變って來ると、獨自の下部構造から独立の展開をしてゐるイデオロギーは正にその無力性を表し、遂には没落する。

歴史を新にやり直してみたい。あらゆる文化現象、得に哲學を、其のみを切り離して考へるのではなく、具體的に各の生活と聯関して考へてみたい。つまり唯物史觀によって説明し直す事である。今迄の如く英雄の行爲を主とするのでなく、經濟關係の展開を主とする。而して經濟關係が如何に政治活動に迄發展するか、イデオロギーが如何にしてその役割を果すか、又藝術があらゆる他の現象と如何なる聯關の下にあるか等々を明にしたい。此に非常に有能の仕事ではあるが、又勞も多い事である。しかし、問題が差し迫って來て、此のやうな言はば回顧的な仕事をしてゐる餘裕は余にはあるまいと思ふ。

すてるものは未練なく棄てること。概念で引きとめてゐてはならない。常に生命の尖端に立たねばならぬ。(一月末日)