○二月一日(金)  晴 稍暖

九時半に授業がおへてから直ぐ一高へ行く。一旦晝食にかへってから又行く。記念祭は記念祭だ。今井を夕飯たべにうちへつれて來る。今井と金子先生の所へ行く。カルタやトランプをしたり、話したりする。十時去る。おそくなったので本鄕へ行くのを止す。それも亦わるくない。

 

○二月二日(土)  晴 稍暖

出さんの哲学史も割合に面白い。只しうんとかかせるには弱ゐ。今日でプラトン終り。

桑木さんを止して今井登志喜さんの史学概論をきく。リッケルトの歴史哲学の批評をしてゐた。よかった。

午後哲学史の勉強をする。哲学のみに限らず之を機会に一般の歴史との関聯において勉強しよう。

唯物史観の正しい事を益確信する。

今夜はあたたかだ。春の來るのがうれしい。静かな夜に浸る。

家へ手紙をかく。十二月分の会計報告をかねて。

 

○二月三日(日)  晴 風寒

午前一人で留守番。ノートを写したり、本をよんだりする。

午後百枝の友達の服部さんが來る。秋子さんをよぶ。トランプをしたり、馬鹿話をしたりしてゐるうちにおそくなる。

先日今井と金子先生の所へ行ったのはあの家にとっては革命的であったのだ。秋子さんは夢にもみたと。

プレハーノフ著外村史郎譯「藝術論」讀了。よし。

哲学については一段落した。今は宗敎が問題になってゐる。

自分の中に問題になってくる事はやがて解決される。求めよ然らば与へられん、とはよく云った。

 

○二月四日(月)  晴 暖

プレハノフ著恒藤恭譯「マルクス主義の根本問題」讀了。流石に名著。名譯。

哲学科豫饌会があるので、放課後家へかへらず明道館へ行く。五味智英君が來てゐる。長坂が師範大学敎育科に志望が変ったと。意外。その眞験な気持の轉化を思ふ。折よく明道館で肉鍋だったので、少し食ふ。五味君と山上御殿迄來る。会に出る。出席者四十人に余る。少しほらをふく。連中の意気地のないにもあきれる。歸りがけに益之進としゃべる。しかし今日は面白かった。

「瀧口入道」をよむ。やはり面白い。しかし、あのやうな死に方をせず、惡に殉じてほしかった。

 

○二月五日(火)  晴 暖

久し振りで、夜我々einsamで在宅。

臨風の「舞殿」をよむ。

十二日ぶりで入浴。十三貫四百弱。へった。

試験が近づいていやな気持だ。何でもないとは思ふが、氣にかかる。

だいぶあたたかになった。

四迷の「浮雲」をよむ。又小説をよみたい気持になった。毛頭マルクスは念頭を去らないのではあるが。

 

○二月六日(水)  晴 暖

昨夜二時迄かかって四迷の「浮雲」をよんで了ふ。一昨日よんだたくぼくの「雲は天才的である」の方が面白かった。

学校でねむくて弱った。

法政大学哲学会から九日の懇談会の招待が來た。九日には色々かさなったものだ。シネマ(これにだけ行く)、法大哲学会、文学部豫饌会、大高会(又は藤原さんの会)。

睡眠の調子のいい日がつづくと何だか物足りない。呑気な、いい気な生活を送ってゐるやうな気がする。

 

○二月七日(木)  晴 冷

矢島が本をかへしがてら遊びに来る。熱のない男。

〝講座〟の中の出さんの〝哲学史〟をよむ。試験の足しにもなる勉強をボチボチやってゐる。

 

○二月八日(金)  晴 暖

羅典語の試験、三月八日。ボツボツ試験の日がきまる。ラテン語の試験には弱る。

明道館の冊子へ出す文をかく。五枚。

哲学史に関する勉強を一段落とする。出さんも中々いい哲学史家である。

太田閑人、山岡忙人、矢島老人、小松旦那様。

 

○二月九日(土)  晴 暖

十時、授業がおへてから女高師へ入試の発表を見に行く。横内ふさ子、家事へ廻されて合格。大久保しづ、だめ。神田へ廻って本をみてかへる。

午後、今井が汗を流してみかん一箱もってくる。二人でがんがんたべて、半分以上おやす。五時、百枝ととみ子さんのかへるのと入れ代りに、出る。今井と信濃町駅へ行く。姉、淸水昌子、服部さんと合流する。今井はかへる。目的の「映畫と講演の会」は日本青年会館でなくて、青山会館だったので、市電で廻る。「アンクン・トム」「グラント氏の英詩朗読」「夢聲漫談」「プラーグの大学生」

 

○二月十日(日)  曇 寒

昨夜おそかったので十一時頃から一時迄ひるねをして了ふ。午後二時、淸水さんが松本高校を受ける人をつれて來る。しばらく試験等について話してからかへる。

晩、秋子さんが來る。十時半迄しゃべる。家へかへると子供ばかりだから、大きいものと話すと面白いのだろう。

色々ごたごたしているとやはり頭が空虚になる感あり。

 

○二月十一日(月)  晴 寒

午前中大体勉強。

午後、姉と伊藤ミキ方訪問。一時間程ゐる。姉と別れて一人で、簿見智英訪問。

唯物史観と宗敎の問題。

金子秋子は否定の要素を欠く。アジル必要あり。

五味は良い素質をもつ。やはり好きだ。重松君も敎育ださうだ。長坂と二人で何をやり出すか見参(ミモノ)だ。

戰闘的なれ。

岩波講座の三木さんの「現代思潮」を、更めてずっとよむ。実際良い論文だ。

 

○二月十二日(火)  晴 寒

今朝なんか随分寒い。

晝の休に明道館へ行く。新村にこの間の論文をわたす。きたすと少ししゃべったら気持がわるくなった。馬鹿な男だ。先日の明道館の写眞を貰って來る。

今井が休んだので、千駄ヶ谷の家へ行ってみる。今井穀積氏の家へ行って昨日からかへって居ないと。矢島の所へ廻る。矢島のおやぢとマルクス論爭をする。飯田安雄氏も來る。矢島から本をかりてかへる。気持がよかった。

マルクスをしった事は苦(クルシミ)のもとだ。ただ自己をいつはらずに行かう。

新村から端書が來る。

 

○二月十三日(水)  晴 寒

戸田貞三著「社会学講義案第一巻」讀了。

三木淸「現代思潮」讀了。

 

○二月十四日(木)  晴 寒

今朝零下七度。今年で最寒い。

僕の誕生日。壽司を作ってくれる。

紀平先生はやはり好きだ。先生の論文、「ヘーゲルの思考法について」を一気にかいて了ふ。九枚。一寸ひまがあく。

山崎洋君が二月十日に長逝されたと、三和会から通知が來た。

哲学科豫饌会の写眞が出來て來る。

 

○二月十五日(金)  晴 稍暖

一昨日來のくるしさしづみし如し。今井が來てくれたので助かった。話して、勇気が出て來た。気持の轉化と云ふ事も面白いものだ。

喜田村浩が中野署へ検擧された。

宗敎をどう考へたらいいだろうか。気持の上でピッタリする考がうかばない。

どうしても理論にひかれる。

 

○二月十六日(土)  晴 稍暖

我が〝桅憂性〟を嘆く。

〝哲学概論〟のノートを宮坂準からかりて來てよむ。

試験はつらくいやなもの。先生の講義は之を哲学概論として、即固定的に取扱はず、正に学問的、批判的、解釈的に取扱ふべし。

苦しい時には人のことばが身にしみる。

宗敎もすてえぬ。気分をとりのけて、自分の思想をよく検討してみること。

矢島と金子先生の所へ行く。子供達だけゐる。

 

○二月十七日(日)  性 暖

午前、桑木さんのノートをよむ。桑木さんもいい所もある。人の説の紹介は明解だが、批評はなってゐない。

午後、小林の所へ行く。來てくれと云ふので。本をしばしおいてくれと云ふ。二人でもってくる。

夕飯、すきやき。

長坂から手紙が來る。志望轉換について詳報。

我が頭、荒れ狂ふばかりなり。克服せよ。神経衰弱になるな。〝時〟も助けてくれるだらう。

桑木さんの〝哲学概論〟のノート。宮坂準からかりたもの。少し大きいノート、昨日三十頁。大きいノート。今日午前二十二頁、夜、十八頁。よんで心覚えをとめておく。

よみかけではあるが年末なので、かりた本を一旦かへす。妹尾義郎著「光を慕ひて」(二三二頁)有島武郎著「判(ママ)逆者」(七一頁)左右田喜一郎著「経済法則の論理的性質」(三一頁)

 

○二月十八日(月)  雨後曇 暖

昨夜來五十日振りの雨。

試験勉強をする。中々間に合いさうもない。

試験の日割発表がボツボツ出る。

喜田村がつかまったので、小平小林も危険だと。

苦しい。少しはないだとも思へるが。

東大哲(理)学部、哲(数)学科、十五人の所二十五人、醇郎も大概は入るだらう。哲学科二六人。

 

○二月十九日(火)  晴 風、寒

連日の苦しさ去りぬ。殆平常に復す。嬉しい。

初めて哲学槪論のノートがいやでなく、むしろうれしくとれた。〝気持〟と云ふ奴は妙なものだ。

敎育学槪論、倫理学槪論等をやってみるに実につまらない。敎授の中ではそれでも桑木さんなんか優れてゐる。

醇郎から葉書が來る。

「改造」三月號の三木淸「西田幾多郎先生」をよむ。尊敬をもって紹介してある。

三木さんは僕を占領した。今の所、非の打ち所がない。

「社会学」のプリントをよむ。社会学は下らぬものだ。また戸田貞三も馬鹿な男だ。

 

○二月二十日(水)  晴 暖

忙しくて火の車だ。平生サボったむくひだ。一年分を数日にやって了ふと云ふのだ。

有坂君から「敎育学」のノートをかりて來てよむ。第一冊(三帖)を一晩でよんで了ふ。敎育学はつまらないものだ。同じ事ばかくりかへしてゐる。

午、明道館へ行って北沢から哲学史の本を二冊かりてくる。

太田、五味からはがきが來る。醇郎、山田、長坂、五味へ端書を出す。

 

○二月二十一日(木)  晴後曇 暖

フッサール、今日で終り。來学年もこの本をやると。

諏訪中学の〝学友会誌〟六部到着。今井の詩もよく除かれずにのってゐる。

有坂君の敎育学のノートをつひによんで了ふ。二日で一年分。

父が来る、午後五時頃。

矢島の倫理学のノート(昨年度)、第一回ザーッと讀了。

「試験に関聯して」

  • ノートがありさへすれば、試験は樂だ。ノートをよむのは割合に早いものだ。一回目に見出しをつけておけば、二回目はよむ必要ない。

二、参好(ママ)書は一二冊が可。多くて三冊。多くよむは不可。(つづく)

 

○二月二十二日(金)  晴 暖

著しく暖い。

羅典語終り。

佛語は試験受けず。聴講証明にしておかうと思ふ。そしてほかへ時間を廻す。

今井が來る。午後から夜。

明道館へ行く。午前。連中に「学友会誌」をくばる。

「社会学」のプリント讀了。ブルジョア社会学は駄目だ。

「試験に関聯して」(つづき)

試験勉強は試験の為でいい。形式主義に陥るな。其の講師の著書を第一とす。

 

○二月二十三日(土)  晴 大ニ暖

「社会学」「大島」の試験が來週にのびたので、大いにひまがあく。

「哲学槪論」をやる。

連日の睡眠不足でねむい。ねるのは一時~二時。おきるのは七時~八時。

桑木さんの「カント演習」終り。

 

○二月二十四日(日)  晴 風、寒

午後、神田へ行って「西洋宗敎思想史」と出さんの「西洋哲学史」をかって來る。

哲学槪論を切り上げて―面白くなくなった―哲学史の方をやり出す。

 

○二月二十五日(月)  晴 風、寒

たまには良いと思って全部出席。敎育学、論理学、印度仏敎、仏語。四科目とも今日で終り。仏語は聴講証明をして貰った。

夜行で父が長野へたった。

出隆著「西洋哲学史Ⅰ」讀了。

近頃は月がいい。毎晩窓をあけて眺める。月の光は美しいものだ。

波多野さんの「西洋宗敎思想史」讀了。

 

○二月二十六日(火)  晴 風、寒

〝哲学史〟の勉強。

ファウスト、哲学槪論。今日で終り。

〝西洋哲学史〟のノートの第三学期の分を、今日一日で、放課後からしてよんで了ふ。

ごまかさず、眞面目に勉強しようと思ふ。

 

○二月二十七日(水)  晴 暖

大島さんの「英米現代の哲學」、今日で終り。

河上さんの「資本論入門第八分冊」讀了。

放課後、関谷謹之助君の所へよって吉田静致の本をかりて來る。

 

○二月二十八日(木)  曇後小雨 暖

紀平先生の「ヘーゲル」、最後。矢島と桐谷信太郎君の所へ行って、哲学史のノートをかりて來る。小澤泰一、速水健一、今井博人、有賀勝。

太田の所へ葉書を出す。

「哲学史」の勉強。出先生の哲学史は実にいい。

今度の試験勉強で色々得る所が多かった。

やはり講義でやった事が一番しっかり頭へ入る。自分でする勉強はどうもすべりすぎて、知識が確実にならない。講義は正に一般的の事をやる、それを細部に迄研究して行くのが各人の勉強だ。

 

桑木さんの考へ方の決定的缼陷は、哲學を哲學の領域の内に於てのみ考へて、他の領域から、つまり歴史的社會的の具體的生活の流れから見ないと言ふ事である。人の説の紹介に實に手際よく明快に行ってゐる、又資料も豐富であり、偏ってもゐない、考へ方も寛大である。この點は誠に桑木さんの本領である。だが、イデオロギーを理論のみを以て取り扱ってゐる結果、結局の所しっかりした結論は出て來ない。どっちの議論も成立し、しかもどっちも不充分であると云ふ結論になってゐる。此れはつまり歴史的見方、基礎經驗から見る見方を缼いで居るからである。桑木さんの考へ方には、結局〝批判〟がない。紹介は明快だが、批判となると常識的の事しか言へない。桑木さんの限界は此処に於て存在する。(二月十七日)