1929年7~12月

○七月一日(月)  晴 暑

アリストテレス、メタフェジア、輪講、今日で終。それでも今学期に四〇頁進んだ。

午後、矢島羊吉が来る。共にディルタイをよむ。ディルタイは中々面白い。

宮坂準、杉本博、同種の型の馬鹿。

我々には何等幸福なる時代は豫約されてゐない。

人間は唯物論なんかでは片付くものではない。

一貫堂に古本をうる。四円五十戔。

この前の土曜に哲学科と倫理学科とで野球の仕合をして、九対七で倫理がかったさうだ。桑木さんの始球式。

 

○七月二日(火)  晴 暑

伊藤さん、哲学史、今日で終り。スピノザの途中。

夜、矢島の所へ行ってディルタイをよむ。

「新興科学」七月号の三木の「歴史主義の問題」をよむ。三木は理論が勇敢になった。

呑気な生活は私に既に失はれた。常に、常に、強力に苦考せねばならぬ。

ベーコン的なる仕事が強力的に継續されねばならぬ。

一作日太田が点呼の爲に上京して、昨日又かへったさうだ。

 

○七月三日(水)  雨後曇 暑

桑木敎授、十九世紀独逸哲学。もう一回あるのかないのか口の中でもごもご云ってゐて分らなかった。

午後、ヘーゲル、エンチクロペディ輪講。川上、日高。川上は馬鹿な男。かう云ふ男とこそ論戦せねばならぬ。日高、普通の男。川上君の所で。

 

○七月四日(木)  雨 暑

午前、「哲学研究」の勝部謙造「ディルタイの哲學的方法」をよむ。

午後、羊吉とディルタイをよんでゐる所へ今井が來る。矢島は先にかへる。醇郎が夜十時で松本へたつ。今井とおくって行く。小石川橋で市電を待つまに、辨証法について議論を始める。電車はそっちのけになる。レニン・エンゲルスの唯物辨証法がこびりついてゐて、何としても私の考――三木に等し――がどうしても分らぬ。が、終にはかなり分って來た。レニン等の唯物論に対しても批判的たりうるやうになった。自分の立場が段々しっかりしてくる。議論した後はさっぱりして気持がいい。物言はぬは腹ふくるるわざ。

 

○七月五日(金)  曇後雨 暑

午前、本鄕の本屋をあちこち廻り歩く。

午後、川上君日高君が來て、ヘーゲルの輪講。ヘーゲルは流石いいやうだ。輪講と云ふ事は収穫が多い。

入浴。

夜、秋子さんが來る。ゲーテの詩を訳して貰ひに。

戸坂潤著「科学方法論」讀了。前後十日。少し期待が外れた。〝『問題』に関する理論〟に較べて、理論が弱い。

自分の過去に足してunaugenehmに感ずる所が多い。

一ヶ年の損失―一方面においては得る所が多かったとは云へ―は大きい。とりかへすべく今努めてゐる。

 

○七月六日(土)  曇小雨 暖

忽ちにして晴れ、忽ちにして雨ふる。

午後、矢島の所へ行ってディルタイをよむ。それから雑司ヶ谷へ廻って五味智英を訪ふ。話したり、手の平療治を施したりする。

頭が疲れてゐる。

新たなる研究へ旅立つべき時であるのを感ずる。先づ客観へ、客観へ。自分の過去を一先づ一まとめにして、それを踏台にして一歩の前進をはからうと思ふ。自分の缼陷が漸くにして分って來た。そをうめるべく私は努力するであらう。

 

○七月七日(日)  曇小雨 暖

午後ヘーゲル、川上方。中々面白い。

夜、藤原氏理科会。河角さん、山岡さん、小椋君と私と四人。河角さんのDämmerungの話。

連中は一日おきだのに、私は毎日なので輪講の外は何も勉強をせぬ事にする。毎日四時間位の勉強だから少くはないだらう。

可成り前の三木の「自然辨証法」の講演について簡単に三木に手紙をかく。

 

○七月八日(月)  晴 暑

午前、本鄕の本屋を廻る。疲れる。

午後、ディルタイ。

いくつかの大波を今学期は私はこえてきたのを感ずる。今やおだやかな気持で勉強してゐる。河西先生ではないが、行くべき所へ行ったかに思ふ。

人はいくたびか其の環境を飜然轉換する事が必要であらう。かくて旅行が、轉地、轉住が要求される。かくする事によって、再び生々と其の歩みを踏み出す事が出來るのである。

 

○七月九日(火)  曇小雨 暑

百枝、御殿場の修養会へ出発。

午後、ヘーゲル、日高君の所。

夜、小椋君が来る。明日宇佐美へ行くと。

松本へかへってから、コーエン、ヘーゲル、アリストテレスをよむ。夏休に十分ととのへて、來学期には花々しく打って出る。が、どうもからだは休養を要求してゐる。熱っぽくていけない。

 

○七月十日(水)  曇小雨 暑

午前、桑木さんの授業に出てみる。なし。小沢君に逢ふ。二人で桐谷君の所へ行く。午、辞す。一人だけ家へかへる。二時、又小沢君が来る。三時矢島が來る。小沢は先にかへる。夕飯をまたいでディルタイをよむ。それでも八頁進んだ。

津田からのヘーゲル、エンチクロペディがつく。

猛烈に暑い。

疲れがたまって來たやうだ。

○七月十一日(木)  晴 暑

川上君日高君がコーエンに出るので、僕は休息。コーエンは夏休によんで、二学期から出る。

暑い。午後二時、二十八度五分。

しばらく振りでひるねをする。疲れたのだ。

散髪、入浴。

矢島・小澤の覊絆もそろそろ脱すべき時であると思ふ。

空虚なる自負。客観へ。

流動。フォーマリズムを常々破る事。

手紙を出しすぎる事の愚。出すなら含蓄深きものでありたい。

 

○七月十二日(金)  晴 暑

午後二時、三〇・九。梅雨は明けたと。

午前、洗ったり、ふいたり、乾したり、等雜務をする。午前中は仕事がなくて弱る。勉強は、午後頭がきかなくなるので、しない事にしてある。

午後、矢島の所へ行く。ディルタイ。

かう暑いと気がおかしくなる。

哲学を我が中に生長せしめねばならぬ。我が中に生長してゐる哲学は偏してゐる。

矢島の所で女子大学の雜誌「欅」をみる。佐藤千重子の文、山内得立の講演筆記をよむ。

○七月十三日(土)  晴 暑

猛烈に暑い。午後二時、三一・九、うなぎ上り。

百枝がかへる。

午後、ヘーゲル。余りあついので、今日で終りとする。五回で三三頁進んだ。

夜、秋子さんが來る。十一時すぎまでゐる。

 

○七月十四日(日)  晴 暑

朝、父が上京する。

昨日に劣らずあつい。

午後、ディルタイ。

三木は非常にいい人だけれども、どうも少し物足らない所がある。もう一息と云ふやうな気がする。

今よみたいもの、トルストイ、ニイチェ。

夜、割合に凉しい風が吹く。

手紙も人も來ず、何だか靜かに日がくれて行く時のやうな気がする。

私に一つの課題が課せられてゐる。それを克服するべく努めるであらう。

 

○七月十五日(月)  晴 暑

三木淸氏から返事が来る。

フォン・ハルナック著山谷省吾譯「アウグスティンの懺悔録」讀了。

「哲学研究」の小島威彦「アリストテレースの運動について」をよむ。

昨日は昨年の最高温度(九月一日、三二・二)を突破したと(三二・五)。

入浴。目方を計ったら、十三貫にへってゐた。

蚊が多い。

午前、父の用で高木守三郎氏訪問。

 

○七月十六日(火)  晴 暑

ニーチェ著安倍能成譯「この人を見よ」讀了。ニーチェがすきになって來た。

午前、晝寝をする。

午後、矢島の所へ行く。ディルタイ。夜、戸山ヶ原を散歩する。

我がgeistige weltのいささか auflözenして來たのを感ずる。以前はまどらかであり、云はばkreisを形付くってゐたかにかんぜられた。それが形が崩れて來た。之は新しい要素が入って來たが爲であって、今は夫をaufnehmenし消化すべく努めてゐる。かくて我がgeistige welt が再びまどらかになるとき、私はよりreich になるであらう。

チェホフの「アニュータ」「紅い靴下」「唄うたひ」「父親」をよむ。

 

○七月十七日(水)  晴 暑

朝、父を送って行く。上野駅。歸りに松坂屋へよる。

近頃は比較的時間も多いので考ふる所も多い。併し徒らに観念的になって内実の伴はない嫌ひがある。

内に成長し始めたものはしっかりつかんで伸ばして行かなくてはならない。途中で消えさせてはいけない。

洋書による勉強をしっかり把握せねばならぬ。語学の関門は決して小さくはない。

ジャン・クリストフ(豐島譯)をよみ出す。面白さう。ロマン・ロオランをよむのは始めて。

 

○七月十八日(木)  晴 暑

からだを動かさないで考へてゐるとたしかに意識が不健全になる。

三十度以上が毎日つづくやうな暑さは中々つらいものだ。

ディルタイ。へばってゐるので時間が永くかかった。が、後一回で終り。おへると云ふのは気持のいいものだ。

夜、羊吉氏と本鄕通りを歩く。別れてから桐谷君に逢ふ。白十字で話す。指ヶ谷迄一緒に歩く。

輪講によって得た所のものを失はずに、しっかり把握して発展させて行かねばならない。

 

○七月十九日(金)  晴 暑

DiltheyのZusätzen aus den Handschriften ををよむ。

松本へは洋書だけでもって行かうと思ふ。何も洋書だからどうと云ふ事はないが、一つの手段なのだ。

夜、開け放してゐてもだらだら汗が出る。こんな事は始めてだ。風がない。九十四度に及ぶ。

行李をあけて中を誰か探した形跡がある。盗棒かしら。ぬすまれてはゐないやうだが。

常々常々フォーマリズム破って行かねばならない。

二葉亭はいい。ぐんぐん人を引っぱって行く力がある。秋声はtiresome だ。だらだらならべてゐるにすぎない。

 

○七月二十日(土)  曇、雨 暖

日本の小説をあちこち抽讀する。午前。

矢島の所へ行く。午後。ディルタイ見事に終了。十二回会合、百二頁。十時近くまで遊んで、〝欅〟を貰ってかへる。ディルタイは一先づ一段落としよう。ディルタイはどうも全体がまとまって來ない。

來年の五月頃迄は卒業論文と云ふ事を頭におかずに勉強する事。

一仕事おへてほがらかだ。

百枝なんか甘いものだ。現実の社会をしらないからな。

フォーマリズムを破り、流動へ。Bewusztsein,Stimmungのみ依所たりしめよ。

 

○七月二十一日(日)  曇、晴 暖

近日、夜ねむれない。それで朝おそい。

片付けをする。かへる準備。

夜、今井が來る。

人間なんかどんな人でもいい方面だけ考へるとよく思へるし、惡い方面だけを考へると惡く思へる。

無知は必然的に反動になる。

姉や妹と気持が合はなくなって來た。別れてゐたら又よくもならう。親友に対してでも時間の流において気持に変化がある。

 

○七月二十二日(月)  曇、晴 暖

朝、両國駅へ姉を送って行く。円タク。

片付け、掃除。向三軒両隣に挨拶に廻る。

チッキを出して了ふ。運送屋。

夜、金子先生の所へ遊びに行く。かづまが來ている。五もくをする。

人間はごまかして生きてゐるのだ。或はがまんして生きてゐると云ふ方がいいかもしれない。自分と同じ人間と云ふのはない。他人と交渉すればいやな気持の事ばかりだ。これが堪えられなければ生きてはゐられない。だから人間はごまかしてゐるのだ。けんかして分れるか、ごまかすかだ。徹底的にやって行ったらどんな人ともけんかになるだらう。

 

○七月二十三日(火)  晴 暖

五時四十五分起床。七時十五分上野駅発。無事松本へつく。百枝と二人。

夏休でもただづるづると暮したくない。今迄の夏休は多くさうだった。何等かの仕事を常にしてゐたい。

松本へは一月以來だ。和郞が大きくなった。

松本の電車の中で河西先生に逢ふ。

人は凡そ猛烈に勉強する時があるべきであると同時に又子供の如くすっかり勉強を止して遊ぶ時もあるべきなのである。

 

○七月二十四日(水)  晴小夕立 暑

八時におきる。

午前、葉書を十枚かく。

晝はそれでも中々暑い。佐藤氏を訪ふ。不在。

夜、松本の町を歩く。松本は知ってゐる人がゐないので淋しい気がする。

明日上諏訪へ行く。

醇郎と碁をする。二度ともかつ。

 

○七月二十五日(木)  曇 暑

朝、汽車で上諏訪へ行く。長坂の所へ行く。午後、朽木と云ふ男が來て永い間面白い話をした。夜。波多野浩に逢ふ。牛山先生、河西先生の所へよる。町を歩く。

 

○七月二十六日(金)  晴、夕立 暑

朝、野沢由己が來る。五味重が來る。

長坂、五味重と湖水にボートをうかべる。夕立に逢ふ。

ひるねをする。

野沢由己の所で長坂と二人で夕飯の御馳走になる。高波を訪ふ。

 

○七月二十七日(土)  雨 暖

朝の中に下諏訪へ長坂と歩いて行く。宮坂兵衛、小林源二と一寸立話をする。石川先生の所へよる。しばらく話す。辞して五味智英の所へ廻る。晝食を御馳走になって、二人で永く話す。五時、自動車で下諏訪を出発し、雨の中を塩尻峠をこえてかへる。

 

○七月二十八日(日)  晴 暑

午前、東筑敎育会の講習会で今井登志喜さんに父とあひに行く。講習を一時間半程きく。

夏と云ふ時は随分面白い時期であると思ふ。一年の気分轉換気(ママ)である。

少しこえてきた。

当分すっかり遊ぼうと思ふ。体をよくしよう。勉強は出來るときにはうんと出來る。時間の問題ではない。盆迄位はのんきに馬鹿になってゐよう。

夜、佐藤國男氏と町を歩く。

 

○七月二十九日(月)  晴、曇 暑

午前、和郞をつれて縣營運動場へ甲信越野球大会をみに行く。松商体?蚕。四対〇で?蚕がかつ。

毎日ひるねをする。

毎日、父母(殊に母)と抗論(ママ)になる。むりもない。

東京の人をなつかしく思ふ。

諏訪行は色々と有益であった。

 

○七月三十日(火)  晴 暑

近頃の中で最暑い。

午前、髙校へ行く。鈴沢先生に逢ひに。図書課でまってゐたが、中々來ないので、歸って了った。

〝思想〟の八月号が來る。三木さんの「社会と自然」をよんで簡単な批評をかいてやる。

午後、父と宮沢さんの所へ遊びに行く。

父母(殊に母)の百枝に対する態度がよくない。今日猛烈に反対した。しかし母も可愛さうだ。

私は今や正により広い舞台へ雄々しく進出すべきであるのを感じてゐる。今迄の舞台は既に私にとって克服されてある。

 

○七月三十一日(水)  晴、夕立 暑

朝、六三銀行へ一寸用に行く。

醇郎、父と碁をする。みなまかす。

夜、母、百枝、和郞と散歩をする。服部さんの家を見出す。

太田、日高、奥田から手紙が來る。

七月は終り。

近頃はずーっときはめて気持がおちついてゐる。しかし之は相当の苦しみをへた上でなのだ。

 

近世のイデヤリスムスは資本主義社会における知識階級の生んだ哲学である。知識階級は其の名の如く、知識を事とするのであって何等現實的なる生産に從事する事があるのではない。彼等の觀念的なる生活の理論に於ける反映が卽觀念論の諸體系である。これらのものは彼等の生活を地盤として生長し、而してその地盤の下に於いてのみ根を張り且つ實のるものなのである。 ―九・一〇―

僕は一つの仕事をしようと意氣込んでゐる。その仕事の決定的重要さははつきり分ってゐる。その爲にはうんと勉強しなくてはならない。それでさまざまのアントロポロギーに入って行かうとしてゐる。一面的の勉強をしたのでは、力強い仕事は出來ない。僕はその仕事を華々しく始めるのも遠くないと思ふ。そして今の中だと思つて、一心に勉強しようとしてゐる。                     ―九・一六―

人は勉強において、常に何等かの中心をもつべきである。あながち一つの事にしばられる必要があるのではないが、主として頭を向ける所がある事が自然であり、又効果的である。頭を分裂させる事は、著しく能力の不經濟である。私は私の勉強の中心を今や、文学より哲学にうつすべく強要されてゐる。休中は文学を中心とするのが有能であったが、授業の方が忙しくなるにつれ、主力を哲学に注ぐ事が卽他をしばし拒ける事が、哲学の研究を生産的ならしめんが爲に必要になったのである。     ―九・二六―

 

○八月一日(木)  晴、夕立 暑

大分暇になって來た。夏休らしい日がつづきさうだ。仕事をしたい。どうもおちつかない。

河角さん、金子秋子さんへ夫々第二信を出す。

二つ位づつ手紙が來る。

人に逢はないので淋しいやうな気がする。

諏訪出身の人々との係累から一歩超躍すべきを思ふ。

 

○八月二日(金)  晴、夕立 暑

葉書が六枚來る。井上、今井、三井、新村、矢島、澪子。三枚返事を出す。三井、今井、新村。

どうも暇だと観念的になる。

家も不愉快だ。ごまかしてその日を過してゐるのだ。

俺はどうして一人でゐると勉強出来ないのだらう。井上なんか勉強してゐるやうだ。彼の思想は平凡だが、勉強する所は感心だ。

 

○八月三日(土)  晴、夕立 暑

近日は六時頃におきる。夕立の翌朝はとてもいい。

今日は珍しく強い夕立が來た。夕立後の夜が又きわめて凉しくて快い。

「ジャン・クリストフ」をよむ。

佐藤さんの所へ行く。午後。

和郞の頭を刈る。まきを切る。午前。

新しい境遇は新しい問題を呈供(ママ)する。如何なる問題でも取るべき道はある筈である。私は一つの問題に行き当ってゐる。百枝もあれでは弱る。過渡期としてのみ許しうる。

 

○八月四日(日)  晴、小夕立 暖

昨夜中、不如丘の「漠留比涅」を一気によんで了ふ。

朝、霧が深く下りてゐる。