○八月一日(木)  晴、夕立 暑

大分暇になって來た。夏休らしい日がつづきさうだ。仕事をしたい。どうもおちつかない。

河角さん、金子秋子さんへ夫々第二信を出す。

二つ位づつ手紙が來る。

人に逢はないので淋しいやうな気がする。

諏訪出身の人々との係累から一歩超躍すべきを思ふ。

 

○八月二日(金)  晴、夕立 暑

葉書が六枚來る。井上、今井、三井、新村、矢島、澪子。三枚返事を出す。三井、今井、新村。

どうも暇だと観念的になる。

家も不愉快だ。ごまかしてその日を過してゐるのだ。

俺はどうして一人でゐると勉強出来ないのだらう。井上なんか勉強してゐるやうだ。彼の思想は平凡だが、勉強する所は感心だ。

 

○八月三日(土)  晴、夕立 暑

近日は六時頃におきる。夕立の翌朝はとてもいい。

今日は珍しく強い夕立が來た。夕立後の夜が又きわめて凉しくて快い。

「ジャン・クリストフ」をよむ。

佐藤さんの所へ行く。午後。

和郞の頭を刈る。まきを切る。午前。

新しい境遇は新しい問題を呈供(ママ)する。如何なる問題でも取るべき道はある筈である。私は一つの問題に行き当ってゐる。百枝もあれでは弱る。過渡期としてのみ許しうる。

 

○八月四日(日)  晴、小夕立 暖

昨夜中、不如丘の「漠留比涅」を一気によんで了ふ。

朝、霧が深く下りてゐる。

午前太田が来る。久しぶりで話す。夕立が來さうになったのでかへる。

私、百枝、淸水昌子さん、三人でしばし話す。

夜、松原玄義氏を訪ふ。

夜、私、百枝、父、母の間に百枝の事について相当激しいおし問答、水掛論あり。父、母もあゝ分らなくては弱る。が、無理もない。家のものがかう気持がばらばらになってゐては困る。が、仕方がない。

 

○八月五日(月)  快晴 暑

午前菊池寛の「慈悲心鳥」を一気によんで了ふ。面白い所もある。しかし、好きではない。政治的・策略的であって、哲学的・生命的でない。

「藤十郎の恋」「恋愛病患者」もよむ。

昨日のいさかひが気になある。あれは起るべきものが勃発したにすぎない。各人の間における気持のくひちがひ次第々々に醸成されつつあったのだ。

父の影淋し。亡びゆくものは淋し。

私は私に対して厳密に良心的でなければならない。戦は妥協させられるべきではない。

近日手紙が來ない。

久し振りで夕立がなく、暑い。ほんとに夏らしい日。

 

○八月六日(火)  快晴 暑

午前、写眞の整理をする。アルバムを作らうと思ふ。

午後、姉がかへる。これで一家八人揃ったわけだ。家がざわざわする。どうも不愉快な事が多い。色々と評定が行はれる。

いささか勉強もしてみたくなった。かなり遊んでゐたので。養分を要求して來たとみえる。

北原から手紙が來て、返事を出す。

長坂(昨日)、五味、矢島(今日)へ三木調の名文の葉書を出す。

 

○八月七日(水)  快晴 暑

午後、二中へ行って目方をはかる。私、十二貫六五〇匁、醇郎、十三貫八百六十匁。

アルバムを二つ買ふ。盆の時にゆっくり作るつもり。

明日鄕津へ行くので準備をする。

 

○八月八日(木)  晴 暑

三時におきる。鄕津へ向ふ、同行四人。父、姉、醇郎、汽車がおくれておそくつく、直ぐ海に入る、夕方又入る、疲れる。

 

○八月九日(金)  晴 暑

午前、三時間も入ってゐたので皆やける。

夜に入って大夕立となった。こちらでは一月振りの雨だそうだ。

 

○八月十日(土)  晴 暑

朝、父がかへる。

岸へ色々のものが流れて來る。濱の人達が拾ひ集めて歩く。

避暑客がどんどんかへる。淋しくなる。

夕方一人で鄕津へ、夜三人で谷濱へ行く。

 

○八月十一日(日)  快晴 暑

swimmingが段々うまくなる。手が抜けるやうになった。

 

○八月十二日(月)  晴 暑

風を引いた、七度五分迄上る、アスピリンをのんで汗を出す。

この風は結局過勞からであらう。大体食欲が一寸もなかった。それに睡眠がどうも出來なかった。

 

○八月十三日(火)  快晴 暑

雲なく、風なく、実にいい日。海を眺めてねてゐるとまこと残念である。午後から夜迄八度二三分のねつがづーっとつづく。脈搏百。ふとんがぬげないのでとてもあつい。

ねる前に一粒三十戔の万病感応丸を一丸のむ。

珍しく勇敢な風である。八度三分迄上った事は近年一寸ない。

 

○八月十四日(水)  晴 暑

午前四時頃かららくになる。朝、平熱にふくす。

午後一時十四分鄕津駅発で三人一緒にかへる。未だ足がよくさだまらないが、それでも無事松本へ七時につく。

これで今年の「夏」もおへた。

郵便物が十來てゐる。

 

○八月十五日(木)  小雨 冷

一日中ゴロゴロねてゐる。三時間余りもひるねをする。未だ疲れてゐる。手足が少しいたむ。熱はない。

葉書を五枚出す。

どこかへ行って來る事は何等かのいみできっと効果的である。

一週間ゐない中にめっきり松本は凉しくなったかにかんじられる。蟲の音がしげい。初秋の趣が深い。

今この家にゐるのは姉と妹と三人。

私は夏休の後半をおちついて勉強したく思ふ。

行く夏をおしむ。

 

○八月十六日(金)  曇 暖

未だせきとはながとまらない。頭もいたむ。熱はない。

今頃になって塩やけが出來て來た。

昨夜暴風雨、夜中に目がさめる。

春日村で逢ったさまざまの人の事をおもふ。あわきたまゆらの近づき。

 

○八月十七日(土)

哲学は学校のある時に出來るから、休にはほかの事をするのがいいと思ふ。

今井が何故不得意な理論をなすりつけてまで、今のやうになったかについては十分に理解と同情とを以て考へてやらねばならないのである。

昨夜から今朝までかかって寛の「新洙」をよんで了ふ。割合に面白かった。

午前、寛の短篇をよむ。

午後、四時間もひるねをする。

夜、佐藤さんと松原さんの所へ行く。本をかへし又かりる。

 

○八月十八日(日)  晴 暑

午前、アルバムを作る。

藤村の「新生」をよむ。彼の取った態度は感心しない。自分独りで観念的に苦しんでそれでいいとしてゐる。海外へにげれば自分はいいかもしれないが、節子をどうしてくれる。あのままでは節子に対して謝罪がすんではゐない。

醇と和が諏訪からかへる。夜、父母がかへる。

歸松以來手紙が一つも來ない。

どうも観念的になっていけない。何かする事がほしい。

 

○八月十九日(月)  晴 暑

高倉徳太郎氏が来る。

五味重郎が來る。

我が周りには観念論者が多い。之等に働きかけねばならない。自分の立場をしっかりつかんで。戦は戦はるべきである。

 

○八月二十日(火)  晴 暑

午前、五味重と城山へ行って、水密(ママ)桃をたべる。五味は自動車で上諏訪へかへる。

私は私の思想に対し厳密にピューリタンたるべく決心した。私は余りに多くの戦を見出す。

淸水兄弟が來てゐる。

 

○八月二十一日(水)  晴 暑

藤村「新生」讀了。やはりいいと思ふ。しかし私の好みから云ふと、藤村は意地っ張りでないので物足りない。

武者の「耶蘓(ソ)」をよみ出していやになって止して了った。さかしらな、小作工(コザイク)な、気取ったもので、いやな感じがする。

午後、醇郎を市立病院へつれて行く。足のけが。

私は戦の意識を獲得した。

淸水昌子はずい分しっかりして來た。多くの若い人達が各々自分の向く方へ伸びて行くのをみるのは面白い。

 

○八月二十二日(木)  晴後雨 暖

De animaをおそまきながらよみ出す。

「哲学雜誌」八月号をよむ。

歸松後始めて風呂に入る。潮をおとす。

うちにゐると不愉快な事が多い。思想上のギャップが大きくなってきてゐるので。ここ数日神経がいらいらしてゐる。

 

○八月二十三日(金)  晴 冷

私は再び私の學的活動を開始した。

非常に秋らしくなった。朝夕など寒い位だ。

現在は過去を変へる。現在の立場に立って、過去の自分の行動の意味が明になる。

 

○八月二十四日(土)  晴 暖

近日は毎晩夢に困らせられる。

De animaをよむ。

勉強もし出すと、まこと面白い。

長坂・日高へ手紙を出す。

眼鏡が出來て來た。六円〇五戔。

 

○八月二十五日(日)

マルクス エンゲルス フォイエルバッハ論 佐野文夫譯讀了。さまざまのいい問題に出逢った。非常にいいとは思ふが、あのままそっくりはうけ入れられない。

服部姉弟が来る。

 

○八月二十六日(月)  夕立 暑

長興善郎作「陸奥直次郎」「春田の小説」をよむ。どうも感心しない。描写もゾンザイだ。

ロマン・ロオラン著豐島與志雄譯ジャン・クリストフ第一編讀了。クリストフが色々のものにぶっつかっては、のりこえのりこえして行く所が面白い。

矢島から手紙が來る。僕が少し勇敢な葉書をやったので心配してゐてくれる。僕も近頃は割合に平気で人の忠告をききえられるやうになった。

下田へ手紙をかく。「思想」の小倉と三木の論文について。その爲に三木の「社會と自然」をよみ返す。前より尚はっきりする。

実篤作「その妹」等をよむ。感心しない。

 

○八月二十七日(火)  小夕立 暑

実篤作「第三の隠者の運命」を一気によむ。一つのユートピアにすぎない。観念的であって、既に現実的の意義はない。

De animaの宿題の所を一通り讀了。

休が残り少なになったら、日がおしくなって來た。

近日意識がくらい。

私の今後の仕事は資料的研究に一歩を進める事である。

 

○八月二十八日(水)  晴 暑

父、姉、醇郎、百枝と五人で、松本市敎育会の夏期講習会、石原謙氏「知者」と「召されたる者」(希臘哲学及び基督敎に於ける人生観について)をきく。今日は希臘哲学の方。まあいいが、「出」には劣ると思ふ。午後は姉と浅間の西石川旅館に石原氏を訪ふ。歸りに一中に岡泰元先生を訪ひ、一時間弱話す。

中澤氏が来る。

山田がレターペーパー七枚の手紙をよこす。彼の考へ方はどうも変だ。マルクス主義はやはり未だ分らぬやうだ。

矢島へ葉書をかく。第十二信。之で終り。

 

○八月二十九日(木)  晴 暑

石原謙氏の講習。四人、姉だけ行かぬ。今日は基督敎の方。いいには違ひないが、觀念論者の解釈には既に物足らない。午後、氏を停車場に送る。

長坂が分らぬ長い手紙をよこした。

服部俊子氏が來る。

家にゐるは不愉快の事が多い。母は下俗の事を云ふ。

夜、肌寒い。

姉の性格に気に向はなくなって來た。百枝の方が正直でいい。

現代の我々はまことさまざまの苦しい問題をもってゐる。自分がとりくんで行くより外ない。人はたしにはならぬ。

イデヤリスムスは知識階級の生活の生んだ理論である。

 

○八月三十日(金)  晴 暖

人の世にみちてゐるものは爭ひ、喧嘩、爭闘、いさかひである。平和は特殊なる存在である。生きることは戦ふ事である。

家(ウチ)の中の衝突は今後益々増すであらう。既に距離が生じてゐるのであって、その距離は年と共に増大する性質のものである。調和はも早求めるべくもないのである。平穏は次第になくなるであらう。而も決裂する事も出來ず、不愉快な結合をつづけて行く事であらう。

かくの如き場合に際しても、取るべき正しい態度がある筈である。かくの如き事をも私は考へねばならぬ。

 

○八月三十一日(土)  晴 暑

朝から上京の準備をする。

正午、小池町宮澤寫眞館で家中で写眞をとる。但し祖母は諏訪にゐるので不参加。

午後六時五十九分で、中央線で姉、僕、百枝の三人上京。急いだのでさまざまのそごが生じた。

人はさまざまの事を経験する。

人は自己自身の道を確実に把握し夫れを徹底させて行くべきである。人からかりたものは棄て去らねばならない。

 

 

独立変数從屬変数と云ふ事がある。歯の痛みは前者である、肩のこりは後者である。社会において、下部構造は前者である、上部構造は後者である。   ―一〇・三―

新入生に言ひたい事―学生同志の輪講の事。去るに臨んで言ひたい事―勉強だけはあくまで續けたい事。

―参考書を列べて、フィール・ヴィツセライを誇るよりも、ヘーゲル自身をより深く掘り下げる事が私のもくろみである。 ―十・二七―

私は或メトーデの下において勉強してゐる。ところがその中にそのメトーデが支持し難くなる、卽そのメトーデでは勉強が生産的でありえなくなるのである。かくて方法論的反省が生ずる。この時においては勉強そのものは出来難くなる。(私は今やこのやうな時に際してゐる。)しかしやがて新しい方法を玃得して、再び勉強が勢よく行はれるようになる。かくてこのやうな過程を繰り返して行くのである。      ―十二・七―

勇気は決して意識的努力を以てして得られるものではない。努力によっては勇氣は増す

事僅少である。勇気を生むものは更に認識である、確信である、正義の意識である。

―十二・十二―