○九月一日(日)  晴 暑

朝五時半飯田町駅着。汽車は相当こんであつく苦しくて弱った。

東京は中々暑い。之でも樂になったのださうだが。

一日中ぐうぐうねむる。今日の午前程熟睡した事は近來にない。

片付けや隣廻りをする。

夜、金子先生の所へ遊びに行く。

 

○九月二日(月)  晴 暑

午前、本鄕へ行く。一高へ寄る。北原、三井、小椋、小口等に會ふ。

夜、矢島家を訪ふ。しばらく振りで皆に會って色々話す。

蘆花「不如歸」をよむ。やはり面白い。

意識的に將た無意識的に人からかりてゐるものを、どんどん棄てて、本当の自らに歸らなくてはならない。

平生は本筋以外のものは長いものはよめない。よみたくても時間がない。又、平生においては本筋に勢力を集中すべきである。而して休においてこそさまざまの方面のものをよむべきである。

 

○九月三日(火)  晴 暑

午前、蘆花「思出の記」をよむ。

午後、羊吉氏と二人で引越しをする。姉と私との引越し、即二階との入れ代り。暑かった、かつ疲れた。今夜から二階へねる。五味重が來る。

姉や百枝のだらしのないのに弱る。片付けるのは僕一人。

休暇には専門の勉強を放擲して、好きな本を思ふままによむべきである、原則として。この事を私はこの夏休において悟った。この事を私は來る正月休と試験休とにおいて実行するのであらう。

 

○九月四日(水)  晴 暑

デ・アニマをよむつもりで上京したが一向に進まぬ。今日三頁程よんだきり。

「思ひ出の記」讀了。蘆花も面白い。

未だ暑くて弱る。夜に入って小雨となった。

『私にしゃばをみる目が開けた。私の今までのしゃば観は余りに坊っちゃん的であった。しゃばは風波そのものである事を知った。

あらゆる観念論者を敵として感ずる。

私は厳密に私自身のものを確実に把握すべきであるのを感ずる。

姉や妹に対しても思想的に一致出來ない距離を感ずる。』――以上数項は私の近頃の感想である。ここに決算をして私は前に進まうと思ふ。

 

○九月五日(木)  雨 冷

蘆花の短篇ども(「現代日本文学全集」)をよむ。これで日本文学は一先づ中止する。今夏の日本文学研究において文学其物においては勿論尚其上に方法論的なるものにおいても得る所は少くはなかったのを感ずる。

夜、神田へ行く。「現象学敍説」を買ふ。

人は未練なくどんどんすてて行かなくてはならない。さうでなくては飛躍は生まれない。

人は常に楯の一面を見てゐるものである。一面の認識は他面の認識を蔽ふ性格をもってゐる。人は常により具体的へ進むべく心掛けてゐねばならない。

 

○九月六日(金)  曇 冷

「現象學敍説」をつづけてよむ。山内と云ふ人は余りすきでない。哲学其物に対して傳統的な考へ方から一歩も出てゐない。觀念論は次第に其の地盤を失ふ。

家は段々経済上困ってくる。しかしそれよりも社会の経済狀態を考へなくてはならない。農村の経済の実際をしりたい。

午後本鄕へ行く。歩きなれないので疲れる。

考へてみるに、「思ひ出の記」は中々面白い。

 

○九月七日(土)  曇小雨 冷

デ・アニマ、第三回がおへる。明日一日休んで明後日から書き始める。

午後報恩会を訪ふ。小椋に会ふ。しばらく話をして後で碁をする。

夜、金子さんを訪ふ。克郎さんが來てゐる。

私は事実をしりたい。現実の中へ入って行きたい。

私は私の日記をもっと心してかくべきであるのを感ずる。明日からそれを試るであらう。

 

○九月八日(日)  細雨 冷

細雨肅々。人も來ない。外へも出られないので一日中芥川(「現代日本文学全集」)をよんで暮す。

芥川に求めるべきものは理論では勿論なく、思想でも体験でもない、心理分析の鋭さである―彼は觀念論的懐疑的である―人間の皮肉な心理の反面を誠に鋭くあばく、しかし少し素直でなくひねくれた所がある――頭が良い、理智的、ひややか而して人をだますことがすき。したしみがない。

古いものはどんどんすてて、前へ前へと進んで行かう!後をもみずに。

 

○九月九日(月)  雨 冷

デ・アニマの宿題、かく。

芥川を續けてよむ。『寸鐵』人を刺す、が彼をよく表す。云はば警句的である。「侏儒の言葉」はかくて非常に面白い。「あの頃の自分の事」には彼の暖い一面がみえてゐる。彼と三木との間にどうも似た所が感ぜられる。しかし三木の方が健全だ。彼にはやはり病的の所がある。死ぬ頃のものには感心せれない所が多い。「將軍」は正に彼の特長を気持よく表す。芥川と蘆花とを較べると秀才と鈍才との区別が分る。

小説もよみ疲れた。

或物をよむ機会(よまうと思ふやうな気持になる時)は屢々來るものではないから、機会が來たらそれをしっかり摑へて十分によみつづけなくてはいけない。

 

○九月十日(火)  雨 冷

文学の勉強―私は小説をも勉強としてよむ―も一段落がついて、一寸何も手につかない形。

朝から風雨はげし。午後醇郎達を飯田町駅へ迎ひに云った頃が最甚しい。道は宛然川をなす、雨は横から頬に当っていたい。からだは皮迄ズブヌレ。汽車は三時四五分着。平林春さんは妹さんの所へ行く。

私は一緒にゐる中にどんな人でもきっと嫌になる時がある。

私は常に常に々々フォーマリズムを破るべく努めてゐる。しかもそれは又常に々々新に形作られる。宛も私はさいのかはらにおいて石をつみあげてはこわされしてゐる小兒の如くである。

 

○九月十一日(水)  曇雨 冷

平林春さんが來る。

夜、五味・長坂の所へ行き笠と本とを返す。矢島の所へ廻る。飴を持って。音次先生の妙なマルクス論をきく。

久米正雄「破船」を一氣によんで了ふ。感想。久米と云ふ男はにくめない、人はいいが骨がない。夏目鏡子が一体馬鹿なのだ。新太郎少年は既に不良の面影がある。冬子はやくざだ。芥川の言葉は水際立ってゐる。

私は芥川を高く評價する。彼がすきになった。

 

○九月十二日(木)  雨 冷

六時におきる。早起はいい。

アリストテレスの宿題をかき上げた。十一枚。四日間。

久米正雄「和靈」「受験生の手記」「三浦製絲場主」「地藏敎由來」「阿武隈心中」をよむ。

矢島文子さんからかりて來た有島全集第七巻をよみ出す。

芥川を憶ふ。

折にふれて小林の事を思ひ出す。

母と一つ喧嘩をしようか。

 

○九月十三日(金)  雨後晴 冷

コーヘンをよむ。

午後、福本書院へ行く。本鄕通りで知ってゐるひと四五人に逢ふ。

有島全集をつづけてよむ。僕の高等学校頃のやうな事を云ってゐる。既に非現実的のアントロポロギーである。

芥川の事を思ふ。彼が少からずすきになった。私は彼において一つの秀れたるアントロポロギーを発見した。

私はFがすきだ。ただそれだけ。

私は姉や妹と同居するのが苦痛になった。しかし、これからは私が忙しくなるからまあいいだらう。我に絶えてえられた事のない孤在を欲する。

 

○九月十四日(土)  快晴 暑

午前、醇郎と平林春さんと三人で、下の疊をあげて大掃除をする。天氣はよし。

有島武郎全集第七巻 評論・感想集(其三)

右讀了。批評をレターペーパー四枚にかいた。本へはさんで返さう。だまって。

僕は「人」に對してはスケプティックである。あらゆる人において必ず私はいやみをその中(ウチ*)に見出す。(*時間的のいみ)

姉が(又発熱した。一時間程肩をもむ。愛そもつきる。

私は一つの仕事を考へてゐる。この仕事の意義深いものである事ははっきり分ってゐる。私は何よりも先づこの事をしよう。他の事は二の次である、私は宗敎の如き既に向ふへおしやった。この仕事を存分したら死んでもいいやうに思ふ。

 

○九月十五日(日)  晴 暑

朝、コーヘンをよむ。

午後、小椋が来る。

夜、本鄕通りを歩く。羽仁五郎の「轉形期の歷史學」が出ていたので買ってくる。

明日のアリストテレスの予習を少しする。

この秋にうんと勉強しようと思ふ。

どうも不愉快の事が多い。

姉も可愛いそうだ。苦勞して働いて、惡いコンディションで生活してゐる。

 

○九月十六日(月)  晴 暑

輪講がおへてから明道館へ行く。そこで晝食をたべる。佐藤さんから芥川全集をかりる。かへりに正門前で小沢君に逢ふ。いっしょに靑木堂へ行く。永く話す。芥川で気が合ふ。小沢先生、嬉しさうな顔をして芥川を説く。靑木堂で山岡氏に逢ふ。そこを出て小沢君に別れて、正門前に來ると今度は桐谷君に逢ふ。白十字で少し話す。四時に歸宅。芥川全集其他を少しよむ。姉が熱があるので手の平療治をする。

私は宗敎の束縛から離れたかの如くである。永い間の束縛であった。

夏を通過して來ると、秋の恵まれた時であるのがしみじみ感ぜられる。

本鄕通りを歩くとアットホームを感ずる。道行く女学生迄智的な瞳を輝かせてゐるかにみえる。

 

○九月十七日(火)  快晴 暖

秋晴れのいい日。空が靑い、風がつめたい。朝早くおきて行ったら、出さん休講。初授業、伊藤さん。さまざまの人にあふ。

午後、輪講用書を調べに丸善へ行く。日高君をさそって行かうとしたら留守だった。どうも都合のいい本がない。

家へ手紙をかく。五枚。金をたのむ。月見をする。いい月。

羽仁五郎著「轉形期の歴史學」讀了。まとめてよむと又ちがふ。重要な書である。羽仁はよく勉強してある。論証は確実でない。三木にくらべるとずっと整ってゐない。もっと丁寧に論じないといけない。しかい鋭い考が含まれてゐる、敎へられる所が多かった。

 

○九月十八日(水)  曇勝 暑

日高君、今泉君等と本鄕通りで輪講用の本をさがす。いいのがない。三人で藪へ行く。それから日高君と神田へ行く。ラスク全集第二巻が都合三冊みつかった。日高君が分ってきた。

姉、百枝の療治をする。

 

○九月十九日(木)  晴 暑

晝食後矢島を訪ふ。風を引いたと云ふので見舞兼治療のため。所が本人不在、友達の所へ行って了った。二時から五時まで、御母堂と話をしたり、「キング」をよんだりしてゐたが、かへらぬので辞す。

過勞の傾向がある。しかし、頑張って行かう。その中によくなるだらう。

 

○九月二十日(金)  曇小雨 暖

十時起床。疲れてゐるのだ、それに早く一旦おこされるからだ。

晝食後新村を彼の下宿に訪ふ。しばし話す、それから出て、白十字で菓子をおごってもらふ。歩いて傳通院まで行って別れて、僕は矢島を訪ふ。これより先、新村を訪ふ途中、大学正門前で勞働者風の男の自動車に衝突したのに逢ふ。鼻がブラブラして、血だらけになってフラフラ歩いてゐた。気持の惡い事限りなし。後まで目にチラついて仕方がない。この事は何となく僕に一つのショックを与へた。老人と永らくしゃべる、たまってゐたのを出して気持がよい。きつねずしの御馳走になって、九時辞す。

一学期の如く、疲れてのぼせがちになった。しかし僕には引きこんで休養する所はないのだ。

 

○九月二十一日(土)  雨 冷

昨夜ねむれなかったので今朝おきたら十一時半だった。春さんが風呂に行きたくて待ちくたびれてゐた。

午後、学校へ行く、出さん休講、病気ださうだ。

葉書を六枚出す。

夜、秋子さんが來て、皆で長らくしゃべる。

菊池寛著「冷眼」、讀んで了ふ。「友と友の間」の彼の判定は穏当だ。

有島全集第四巻の戯曲を四つ五つよむ。

 

○九月二十二日(日)  雨後止む 冷

午前二時間、午後三時間ねむる。つかれてゐるのだらう。一週間振りで気分がよくなった。休息の一日。

漱石、芥川、有島等をちょくちょくよむ。

新村は同じ所にブライベンしてゐる。

哲学だけ勉強するのは血で血を洗ふ如し。

晩、白山神社のお祭に行ってみる。

私はさまざまの事を学びたい。今やってゐるの事は、哲学以外では明治大正日本文学と、経濟学特にマルクス主義とである。この二つは今の私の関心を保持してゐる。支那哲学、印度哲学、基督敎等はやる気はしない。

 

○九月二十三日(月)  晴 暖

昨夜から今朝にかけて「それから」をよむ。此作には「写生文」の調子が著しい。あれだけの事件を取扱ひながら、觀想的非実践的である。ここに、どうも物足りない所がある。代助は「老人」に性格がにてゐる。この作は二回目。

午後、新村と老人を問ふ。西瓜を途中でかってもって行く。萩餅の御馳走になる。長く話したり色々して八時辞す。

 

○九月二十四日(火)  晴 暖

漱石の小説を哲學に飜譯するとイデヤリスムスになる。彼は上品である、インテリゲンティヤ的である(当り前の事だが)。

春子さん、夏子さん、稀に見る素直で、無邪気で、しかも賢い人。

新村の中の卑小な点がかんぜられる。普通の人には到底分らない位のものだけれども。

「三四郎」をよむ。まことに愛す可き作だが、どうもあの色調が食ひ足りない気がする。

「福本」の小僧がディルタイ第五巻の製本し直しをもって來る。

神田へ行ってラスクを買ふ。昭和銀行駕籠町支店で金を出す。

 

○九月二十五日(水)  晴 暖

午後、ヘーゲルの輪講、今学期第一回、小川太郎君を加へる。川上君の所において。

藤原咲平氏厳父がなくなられたので、おくやみ狀を出す。

「こゝろ」をよむ。これになると随分調子がちがふ。(二回目)「代助」と「先生」は性格がにてゐる。これが「漱石」の姿だらう。漱石の小説は一般に始めより終の方が面白い。而して結論として漱石はインテリゲンティヤの文学である。

一つの本をくりかへしてよんでもあまり効果はない、それよりもそれの背景になってゐるやうなものをよむ方がいい。例へばその人の他の本、その人の随筆又は手紙、批評等である。

哲学の方が忙しくなったので呑気に小説もよんでゐられなくなった。日本文学の方はきりつめる事にする。哲学も人一倍やらなくちゃならないのだ。

 

○九月二十六日(木)  雨 冷

フッサール演習、面白い。伊藤さんもいい人だ。

ほんとに久し振りで入浴する。疲れて机によりまどろむ。

太田、小林に葉書を出す。

漱石全集「第十四巻」をよみ出してゐる。小説におけるとは又別の漱石がうかがはれる。「文藝の哲学的基礎」には彼のイデヤリスムスがよく表れてゐる。

山内得立氏の考へ方は生粋のイデヤリスムスの考へ方である。かういふ考へ方は忠実であり精密であればあるほど煩差的非現実的となる。

芥川の手紙から私は把握した所のものがある。ここに返って学者的精神がみられる。小事をも明確につかまねばやまない精神。

一月も一緒にゐるとどんな人をでもきらひになる。人はあくまで醜いものだ。

 

○九月二十七日(金)  晴 暑

午前、芥川の手紙をよむ。中々面白いのがある。後百頁位でおへる。晝食後学校へ行く。ギリシャ語休み、図書館の屋上へ上って日光浴をしながらとりとめもない事を考へる、ただ考へてゐると同じ事ばかぐるぐる考へてゐるものだ、本鄕通りを歩く、ろくな人にあはない。夜、ヘーゲル輪講、小川君の所で。

有島さんはあまりすきではない。どうも漱石や芥川にはおちる。

人がある人を探さうとして群衆の中に求めるとき、多くの人がその人らしく見えて表れるであらう。即、人は自分の好むものを対象におしつけるものである。

 

○九月二十八日(土)  曇後雨 冷

「芥川龍之介全集第七巻書翰」讀了。「漱石全集第十四巻・評論雜篇」つづけてよむ。中々面白い。

出、演習、今学期第一回、リポートを出す。

夜、夢ゆたかにして熟睡出來ないので、疲れる。運動するとからだがつかれ、動かずにゐると色々考へてスケプティックになり頭がつかれる。

漱石は過ぎ行く階級の文学における、一つの中心峯であった。所謂高き敎養の人である。我々は彼を文学における一つの秀れたる遺産として受けとる。

 

○九月二十九日(日)  雨 暖

午後、姉の仕事の手傳ひである所の答案調べをする。

二人同室と云う事はいやな事だ。しかし仕方がない、我慢するより外ない。神経衰弱的になって來ると、死ぬ前あたりの芥川がなつかしまれる。割合にねむれはするのであるけれども、はっきりした夢をみるので返ってつかれる。けれども、自分には保養所はない、現在を現在において仕末つけねばならない。ヴェロナールはもうのまない事にしよう。体に対する顧慮なしに、勉強出來たら随分良いがなあと思ふ。去年迄はさういふ時があったが、今学年になっては少しもない。絶えず過勞で疲れてゐる。

 

○九月三十日(月)  雨 冷

「漱石全集第十四巻評論雜篇」讀了。甚だ面白くよんだ。漱石は自分の階級に対する批判をもってゐない。之は彼としては当然のことである。芥川は漱石に較べると、頭はいいが厚みをもってゐない、つまり著しく世紀末的である。以上のやうな事を岩波の原稿用紙六枚へかく。有島全集第四巻を矢島さんへかへすとき中へ入れておくつもり。

寒いので羽織を出して着る。昨日のつづきで採点をする。そぞろに中学の頃がなつかしくしのばれる。

僕は人がすきになったりきらいになったりする事がある。近頃は新村氏がきらひになった。

姉に電気スタンドをかって貰ふ。一円七十戔也。

松本から葡萄が來る。山辺のの。

 

私は今や何等か一段落ついたかの如き氣持の下においてある。それは今學期の躍進が一應型が付いた、卽一先づの落付きに達したかの如くであるからである。今學期の躍進は我ながら目覚しきものがあったとも思はれたが、今となっては少からぬ不滿足が殘ってゐる。今學期も亦結局失敗であったと云ふ感が深い。が今更過ぎし月日を取り返すわけにも行かない。せめてもの効(ママ)績になぐさめられてゐるべきであるのでもあらう。しかし又他面から考へてみるならば、過去を失敗と考へるのは卽ち過去の立場より一歩進んでゐるのであって、むしろ進歩の證であるのかもしれない。けだし飽き足らないとは、之を超越してある事であるからである。    ―十二・十二―