○十月一日(火)  晴後曇 冷

六時におきる。雨上りの空が快い。

午後矢島が來る。夜一緒に白山を散歩して、指ヶ谷の停留場で分れる。明日遠足に行く事にする。

「漱石全集第三巻別冊」をよむ。その中の「雜文」「講演」「談話」をおへる。之も亦中々面白い。小説に表れたる思想の基礎付けとして。

在京一ヶ月、次第に意識活動が尖鋭化して神經衰弱的になるのももっともだ。からだも頭も疲れ易くなった。それで遠足にでも行って展開を計らうとするのだ。

街に並ぶ店々の各々が私にとって平等の関心の下にあるのではない。後藤時計店より白十字の方がより重要である。人は関心によって存在に抽象を行ふ。だからよみたい本だけよみ、必要な方面だけの勉強をしてゐればいいのである。

 

○十月二日(水)  曇 冷

朝、先づ矢島の所へ寄る。お茶をのんでから老人と出かける。京王電車の金子で下り、武藏野を左手の方歩く。梨やビスケットをし入れる。小田急が多摩川と交る所へ出る、そこで渡しをわたって向ヶ丘遊園地を徘徊する。無料のお茶をのむ。かへりには、稻田登戸驛から小田急による。矢島の所で風呂に入り、栗飯の御馳走になる。そこで矢島林次郎氏にあふ。九時辞す。多摩から梨五個の土産をもってかへる。

「滿韓ところどころ」をよむ。

今学期の生活状態は一学期と少しかはった。先づ人が來る事が少い。行く事も少くなった。つまり諏訪の人たちとの交渉がうすくなった。之に反し大学の方の人達とより近づいて來た。輪講もふえたし、授業も身が入ってくる。この傾向はいい傾向だと思ふ。今迄の所では一寸物足らない感じもあったが。

 

○十月三日(木)  曇小雨 冷

昨日遊んで了ったので、今朝フッサールを一寸予習して学校へ行く。

午、明道館へ行く。北沢と話をし、コーヘンを一寸よんでから仏敎靑年会館へ行く、コーヘン研究会今学期第一回。明道館に「折蘆遺稿」が來てゐる、居城君がもって來てくれたのだらう。又、僕が明道館誌のためにかいた旧論文を持って來て了ふ。

いやな手紙が二つ來る。一つは母から、二中の生徒死亡に関して。も一つは入院中の小椋君から。

夜、姉、春さんと散歩に出て雨にふられる。

矢島春子さんは非常にいい性質をもってゐる。ゆがめられたる所の一片だにない。

一つの立場を徹底させる事によって、より上の立場へ跳躍する事が出來る。

 

○十月四日(金)  雨後晴 冷

矢島・北澤・佐藤へ手紙を出す。午前。

午後、ギリシャ語を休む。雨がふったので。その中にひるねをして学友会委員会の時間を又すごして了った。

芥川の「羅生門」「梅・馬・鶯」をよむ。中々面白い。

夜、ヘーゲル輪講。中々むつかしい。

Fに対する気持を克服しえた。

Hの幻、幻のH。

私は哲学においても勉強の中心をもつべきであるのを感ずる。中心の移動するのは自然であり又正しい。ただ散発的に勉強するのは本当でない、本当の勉強なら何らか研究の中心となるべきものがある筈である。私は今迄哲学においては、そのやうなものを見出しえなかった。かくて今迄可成り色々に手を出したが、そこに中心がなかった。しかしこれらは何れにせよ基礎であるからいい。今後は統一的に哲学を勉強しようとしてゐる。

 

○十月五日(土)  晴 暖

「梅・馬・鶯」(新潮文庫十三巻)をよむ。大体おへる。芥川の随筆も面白い。憤慨家としての彼も表れてゐる。漱石と随分感じがちがふ。

夜、ヘーゲルの輪講。水曜がつぶれたので臨時に今日やる。ヘーゲルをよむ事によって、哲学の難さをしったと云ふものだ。ヘーゲルを口癖にする諸幺(諸氏か?)果してどの位ヘーゲルをよみしや、又どの位ヘーゲルを解してありやと云ひたくなる。

 

○十月六日(日)  晴 暖

鎌倉へ行く。姉と二人、東京駅で矢島文子さんと落ち合ふ。同駅九時三十五分発。鎌倉で下りて、他の二人は西島氏の所へ行く。僕は竹内潔氏を訪ふ。原の台へ行ったら引き越した後、名越の方へ廻る。久し振りで会見する。どうもどっとせん人だ。去って、停車場で三人おち合ふ。長谷の大佛、観音をみる。海岸へ出る。乱橋材木座の高橋穰先生の所へ行かうとする。長い道を歩いて行く。所がその家は夏休だけの住居で既にゐなかった。がっかりしたがやむなく駅迄歩いて、五時二分発にやうやく間に合ってかえる。品川で文子さんと分れる。天気がよくて愉快だった。かへりの汽車から見える夕方の外の景色が美しかった。文子さんが疲れたやうで気の毒であった。穰高の方迄引き廻したので。

 

○十月七日(月)  晴 暖

午後、小椋恒夫君を見舞ふ。帝大物療内科三一号。うちへかへったら今井が來てゐた。

昨日の疲れ、更には前からの疲れがたまって來てゐる。しかし意気は旺。朝は六時半頃にきっとめがあく。

「思想」十月特輯号をよむ。三木の論文は例によっていい。

よんでゐる本が各々本論へ入って來て面白い。一学期は何れも序論めいた所であったが。

 

○十月八日(火)  小雨 暖

漱石の「思ひ出す事など」等をよむ。

しばらくぶりで暇の時がえられるとしみじみうれしい。入浴する。前週矢島の所で入って以來だ。

矢島文子さんは割合にぬけてゐる。あの兄弟では頭は羊ちゃん、性格は春ちゃんが秀れてゐる。

矢島、太田、新村へ手紙をかく。

 

○十月九日(水)  曇 冷

午後、桐谷氏小沢氏と靑木堂で話す。

夜、ヘーゲル。Wesenがおへる。今日も当分夜の事。

「理想」「思想」十月特輯号をよむ。まづ出揃ったと云ふ所だ。今の哲学界がよく分る。

気むづかしい人間はまっぴらだ。頭はわるくても気むづかしくない人間がいい。

Domesticの用で煩はされるのはいやな事だ。

女性観が少しかはった。既より観念的でなくなったのである。而してそのモメントをなすのが○○である。

「現象学叙説」をよむ。山内氏は割合に現象学をこなしてゐる。佐竹氏なんかよりはいい。とまれこの本から学ぶ所は多かった。

 

○十月十日(木)  雨 冷

昨日から高い机になる。又気持がいい。

昨夜(今朝)ほの明るくなるまでねむれなかった。一体昨日は始めから何となく不愉快の日であった。今朝七時におきる。その割に今日気持がわるくない。時間が少くも熟睡したのだらう。

午後、図書館で伊原に逢ふ。きはめて素直な愛すべき人だ。久米の小説をよんでゐたらうらやましがってゐた。

コーヘン研究会。井上はたしかにえらい所がある。

哲学研究の精神・方法において僕は一つの飛躍をなしてゐる。

葉書を五枚かく。どうも用が多い。

 

○十月十一日(金)  曇 冷

平林春さんが明後日かへる。その後鍋(ママ)の小山さんが早朝来る。醇郎に新宿へ迎へに行って貰った。

午前九時~十三時、ラスク輪講、Logic der Philonsophie、今泉君と二人、六頁程進んだ、今日は第一回。

午後三時、希臘語がおへてから、池の端ホールで羊吉氏と會ふ。用を果す。

夜、ヘーゲル。どうも疲れる。しかし意気旺ん。(一寸気にかかるいやな事をきいた)

北澤君から一寸いい手紙が來る。

川上繁男君は一寸出來る。とにかく出色の方だ。

 

○十月十二日(土)  曇小雨 冷

昨夜(今朝)眠れぬままに、芥川の「影燈籠」をよみ、「黄雀風」(新潮文庫)をよみ、漱石の「永日小品」をよむ。これで小説はほんとに一段落とする。哲学に頭を集中させてくると他のものは一寸よむ気がしなくなってくる。それから、ヘーゲルの日はどうもねむれない。

午後、家政学院へレコード・コンサートをききに行く。老人に來いと云っておいたが來ない。

私は今や新たなる経験の渦中にある。それは結局、輪講から生じたものではあるが、決して意義の淺いものではない。それを克服する事によって私は一つの飛躍をなしうるであらう。

 

○十月十三日(日)  曇 冷

昨夜、つかれてゐたので八時頃からねて了ふ。今朝七時におきる。よくねむると元気がいい。朝、アリストテレスのメタフィジィクをよむ。よく分る。それから新宿駅で平林春氏を送る。十時三十六分。汽車の丁度出た所へ、新村が来る。おしくも間に合わない。二人でシネマ・パレスへ行く。「生ける屍」と「四人の惡魔」。おへて喫茶店で色々とおごって貰ふ、そこで早慶戦をラヂオできく。次に新村と別れて一人で矢島の所へ廻る。一時間弱ゐて本をかへしたりかりたりしてかへる。田中君から速達が來てゐて、明朝アリストテレスがないとの事。からだを動かすと観念的でなくなっていい。

代助(漱石「それから」)…矢島羊吉。野々宮さん(「三四郎」)…醇郎。重子(?)(「行人」)…百枝。菊池寛「新珠」の三人姉妹の末の妹…矢島春子。

道々ラヂオで早慶戦をききつつかへる。

 

○十月十四日(月)  快晴 冷

羅典語が大分こなれて來た。

田邉元の「辨證法の論理」(二二六頁、未完)をよみ返す。

どうも過敏になって來て困る。

散髪。どこでもひげがこいと云ふ。一月程頭を洗はずにふけだらけにしておいたら、石鹸をつけてたわし様のものでゴシゴシこすってゐた。

僕は感覚的に嫌ひな人々がある。

愛は知的愛冷靜な愛でなくてはならない。興奪(ママ)的愛は假象である。かりそめである。(少くも僕にとっては。)

研究はピラミッド型に広より狭に統一されて行くべきものである。

理智的でない顔は嫌惡の情を催させる。

 

○十月十五日(火)  快晴 暖

出先生病気缼席

午後、老人・小沢氏と三人で靑木堂でラヂオで早慶戦をきく。十二時から四時半まで同堂にゐる。

人は学校を卒業するに際しては自己の過去を反省し回顧するであらう。一つの階級の亡びる時に当って、人はその階級に対する批判をなしうる。

はち切れるやうに一日一日をおくって行きたい。休息する事なしに。

川上君からかりた藤岡氏のコーヘンの訳をよむ。コーヘンは世界のせまい人だ。自分の世界にしっかりたてこもってゐて、多くの人の世界に入って行く事の出來なかった人である。

確実に地に足をつけて其の時其の時に出來る事だけを一歩一歩していけばいい。離れ業は結局何の効果をも生まない。

 

○十月十六日(水)  晴 暖

午過ぎ桐谷氏に逢ふ。白十字に一寸寄ってから氏の家へ行ってしばらく話す。

愛は理智的認識から生れるもののみ本当のものである。

私は先づ或人を好く、やがてその中にその人の中にいやみを見出して嫌ひになる、が、又良い所を見出して正当な認識に達する。或は始めが嫌ひで後に好きになる人もある。

人と隣接してゐて、腹がなるとき、自分か人かよく分らぬ事があるであらう。

 

○十月十七日(木)  曇小雨 暖

コーエンの譯をよむ。

近日はヘーゲルが自分の問題になって來た。ヘーゲルをよむと、コーヘンなんかよむ気がしなくなる。

川上君は、獨逸語が出來ると云ふ点だけで尊敬してゐる。その外には感心する点はない。

午後、櫻田本鄕町の飛行講堂で「箏曲菖蒲会秋季演奏会」なるものをきく。それでも面白かった。かへりに銀座を少し歩く。

論文の題目一つ、「ヘーゲルのアントロポロギー」。ヘーゲルについては余りにも多くが語られ、而もそれが單なる言葉や理屈のこね廻しにすぎないのが多いとかんぜられる。田辺元の論文さへ、返ってヘーゲルによって悟性の抽象と云はれるかにおもはれる。私は彼の経験に迄つっこんで行きたいのである。

○十月十八日(金)  晴 涼

ラスク。正味約二時間半。五、六頁。

午に学友会委員会室に行く。旅行の「案内」を渡される。希臘語に久し振りで矢島が出て來る。

晩のヘーゲル、十一時すぎまでかかった。

今日はつかれる日だ。

私においてヘーゲルが次第に生長して大きくなって行く、それに比して他は次第に縮小して行く。フッサールもコーヘンも。

 

○十月十九日(土)  小雨 寒

エンチクロペディの始めの方を譯と対照してよみ始める。

出、演習。僕があたる。第一回はひとわたりすんで、第二回目の眞先を承った。

身心共に疲れてゐるが、一学期のやうに意気がネガティーフにはならない。いつもいさんでゐる。毎日の仕事を意気込んでやってゐる。

新カント派・現象学派は一般に“von kant bis Hegel” よりは遥かに劣ると思はれる。

 

○十月二十日(日)  曇小雨 寒

夜も十時間もねた上、午前は晝飯におこされるまでうつらうつらとねむる。疲れてゐるらしい。午後、入浴。目方を計ったら十二貫六百匁きりなかった。夏より八百匁へってゐる。過勞かもしれない。久し振りでゆっくり家にゐる。

由良哲次「コーヘンに於ける根源と非有」(九七頁)をよむ。西田さんのまねをよくする。

本を買ふのも亦自分の研究事項に従ってでなくてはならない。いい本だから買ふと云ふのであったら、余りに数が多くて困るだらう。買ふ本にも聯関がなくてはならない。一冊二冊と他と関係のない本を買ふのは賢明ではない。

 

○十月二十一日(月)  快晴 冷

アリストテレス、今日からは仏敎会館靑年会館第二応接室。八時すぎに目をさまして、大いそぎで飯もたべずに電車にのって行く。

今日から学生生計調査がある。書いて出す。

晝、学友会室へ行く。旅行へ行く人が少いと。(委員にはどうもいやな奴が多い。)

明道館へ行く。河角さんの本をもって來る。

ビニオンの講演をきく。姉と秋子さんと一緒にかへる。

太田の缼陷、特に哲学におけるそれがはっきり認知される。彼には結局哲学は分らない。

我は求めず。

 

○十月二十二日(火)  曇 寒

例の如く、午、小澤・矢島と靑木堂へ行く。ここで小山貞夫君に逢ふ。それから矢島と二人で上野へ行ってぐるぐる歩く。又大学へかへり、矢島と別れる。図書館にしばらくゐて、葉書をかいたりする。夜、哲学科懇親会に出る。出席者少い。しかし割合に面白かった。*

雜誌はどうも結局損のやうだ。それだけの金で單行本をかった方がいい。特に必要のの外は買ふものでない。かう云ふ事が近頃分った。

*今日えた人物評。鶴田眞次郎、素直ないい素質をもってゐる。斯波義悲、中々上品なユーモアをもってゐる。森島光繁、眞面目で少しにぶい。田手良治、一番馬鹿。紀平正美、やはりいい先生だ。伊藤吉之助、人の言を熱心にきくのは感心である。園田義道、感じの惡い男だ。

 

 

○十月二十三日(水)  曇 寒

三時間はねないが、元気はいい。五時頃までねむれない。主として「現象学叙説」をよむ。近頃は興奮の連續である。しかしいささかも悲觀的階調は帶びてゐない。力の充ちるのを感じる。今学年は未だある。

午後、ヘーゲル。川上は一寸小にくらしい男だ。しかし俺には薬かもしれぬ。

旅行〆切の日。二日延期の結果。僕の取り扱ったのは結局一人。鬼頭氏が止したので。

井上君が手紙をよこす。

公の仕事をいささかするにつれても、我がつまらぬはにかみをかんずる。

山内得立著「現象學叙説」讀了。よみ出してから四十九日。

 

○十月二十四日(木)  晴 暖

午、研究室へ行って哲学会費二重拂ひの事を山口副手に質す、了解。伊藤先生としばし雜談をする。それから学友会室へ寄って、かへる。コーヘンは休んで休養。

「現象学叙説」についての三木の批評と山内の返事とをよむ。山内の方がどうもおちる。

馬鹿に腹がへる。夕飯に三杯半食ひ、壽司を少し食ひ、二戔のあんパンを三つたべ、しかも未だ十分でない。「過勞」が休養すると消化がよくなるものとみえる。朝は一杯、晝は辨当であったけれども。

 

○十月二十五日(金)  雨 冷

七時におきる。八時半上野駅著。百人程集る。九時二十六分出発。一時十二分澁川駅著。二時半頃伊香保著、電車四十分、木暮武太夫旅館第二別館に投宿。雨があいにくふってゐる。湯に入ったりする。五時半から大宴會。人々ののんだりさわいだりしてゐるのを冷然と傍觀する。飯をすませて途中から池田徳眞君とぬけ出して町へ出る。お白粉をつけたカフェーの女が呼ぶ。二人で伊香保神社へ行ってしばし話す。かへって、福手の部屋でねる。

委員には実際いやな奴がゐる。学生らしくない、藝人めいてゐる。中島、橋本、小和田。

峯村三郎氏、木村伊勢雄氏、金澤二郎氏等をしる。

 

○十月二十六日(土)  雨 冷

六時におきる。雨が降ってゐても仕方がないので出かける。ケーブル・カーを下りてから笠をさして歩く。湖畔へ出、それから天神峠を越して榛名神社へ出る。歸りは同じ道を苦勞をして上る。峠の峯で晝飯を喫す。斯波さん、金澤氏と主として一緒。紅葉にかこまれた榛名湖が美しく雨の中にけぶってゐた。かへりは湖畔亭の前から自動車にのる。宿で風呂に入ったり、靴下を火鉢で乾したりする。それから電車汽車で歸行。

電車、伊香保発三時四十二分(おくれて五十分頃発)。澁川駅発四時五十一分。上野駅著八時四十分。斯波さん金沢氏と行を共にする。

父が來てゐる。

 

○十月二十七日(日)  晴 暖

一日中家にゐて休息する。Hegel 、Cohen等をよむ。一寸よまないでゐてよむとよく分る。

夜、今井が來る。理論としては、あゝ云ふ無茶な考へ方は弱る。

旅行に一緒に行くと人の平生は表れない方面も分る。益々よくなる人と案外平凡になる人とある。斯波さんはエネルギッシュではない。池田君は一つの安しんであった。

僕は一体に人に余計の干渉をするのは嫌ひである。出來るだけほったらかしておく。外から何と云っても本人が本当にその気にならなければだめだからである。又、無理に自分の思ふ通りにさせても、いやいやながらだと思ふと、こっちが心苦しい。それで自由意志に任せておくのである。

 

○十月二十八日(月)  晴 冷

金曜のラスクを今日代りにする、午前。

午後、本鄕へ行く。一高、帝大で多くの知人に逢ふ。高橋穣先生に久しぶりで逢ふ。小椋恒夫君に逢ふ、休学するそうだ。三井君に逢って、河角さん訪問と藤原氏理科会の事とをきめる。

夜、ヘーゲル。十二時までかかる。四時間半。随分つかれる。

もう今では今井がかみついて來ても、遥に動じなくなった。既に哲学へがっちり深入りしてゐるからである。主観的の問題は一学期において克服した。今では不安なく客観的の学問の問題に専心してゐる。

 

○十月二十九日(火)  細雨 寒

例の如く靑木堂で小沢・矢島・小沼洋夫氏等と集る。

羊吉氏が来る。來ると云っても呼んだに近い。伊香保土産をもたせてやる。父が來てゐるので夜まで話してかへった。頭の毛がのばしかけで、妙な形をしてゐる。

月曜の朝のアリストテレスを止す事にする。種々の理由からである。その事について田手君に葉書をかく。又井上君に葉書をかいて、コーヘンに時々しか出られないので了解をえておく。

父が夜かへらうとしたが、雨がふって來たので明朝にする。

咽が害はれた。風を引いたらしい。憩ひなき日が二月つづいて遂に引いたと云ふもの。直接には伊香保が原因だらう。午前、ノートをとってゐるとき胸が神経痛のやうにいたんだので、これは風を引いたなと思った。

 

○十月三十日(水)  半晴 暖

朝早く父がたった。

風は昨日より惡い。一日中ねてゐる。午前、午後共にかなり永く晝寝をした。特に左の咽が非常に害はれてゐる。熱は七度未満だがねつっぽい。頭の気持がわるい。はなは出ない。いつもの風とどうも少し調子がちがふ。

澪子・百枝共に気むずかしくていけない。気むずかしい人間はこりごりだ。

九・十月のやうな過勞の生活はやはりいけない。やるだけの演習は消化して行く程度に餘裕をもたなくてはいけない。

 

○十月三十一日(木)  晴 暖

やはり一日中ねてゐる。咽がかなりいたむ。頭もいたい。夕方からはなが出るやうになった。熱はひくい。かうゆっくり進行されてはかなはぬ。

首から上、特に左の方がわるい。僕はいつでも左の方が犯される。

夜に入って、気持がわるくなり。左のはなから水ばながしきりに出る。

アスピリン一瓦のんだら、いささか気持がよくなった。