○十一月一日(金) 曇 冷
十時、今泉君が来る。僕が風を引いてゐるのでかへる。(昨日速達を出したが、今泉が佐野君の住所を知らないので、きたのだ。)すぐ後へ佐野君が来る。やむなくかへる。少しまってゐてもらえばよかった。
今日も亦同じく気持がわるい。特に毎日午後晝寝をする頃がわるい。今日は咽は殆よくなって、鼻へ行った。つまったり、出たりする。ねつはやはりなく、頭がいたい。珍しい風だ。
池田徳真君が達筆名文の手紙をくれる。
夜に入って快方に向ふ。それでも、三日苦しかった。元気が出たら活動したくなった。風の始めにはこのままいつまでもねてゐたいやうに思った。おきて飛び廻るのはこりごりのやうに思った。所が治り出すと又活躍したくなるから妙である。
○十一月二日(土) 曇 寒
今日は風はいい。直ったと云ふものである。午後銭湯に入る、長くのびたひげを剃る。ねたり、おきたりですごす。
ヘーゲルをよむ。ヘーゲルが段々僕の中に生長して來る。
北沢がいい手紙を諏訪からくれた。
実は三木をまねて手一杯仕事を広げたのだが、やはり過勞であって、やっただけの演習を消化出來ない。やるだけの演習は十分に消化して尚其上いくらかなり自分の勉強
の出來る位の時間の余裕をもたねばならない、これからは特にさうである。必ずしも広さをさう求める必要はない。とにかくかう云ふ事を悟ったのである。
○十一月三日(日) 快晴 暖
三井君と河角さん訪問。僕の風邪のため止そうと思ってゐたが、余り天気がいいので行く事にする。式の間外で待つ、森卷の勅語奉讀をきく、五味、北原、上條に逢ふ。行きは省線。幸にゐる。望遠鏡をみたり散歩したりする。晩秋の武藏野を美しくみる。病み上りで少しへばる。かへりは京王電車により、新宿から市電による。三井君は中々しっかりしてゐる、若いものはいい。
夜、コーヘンをよむ。
病臥中にむしろこえた。第一、睡眠をよくしたからである。
自分一人で原書をぐんぐんよめるやうになった。演習は讀書の單に一部であって、大部分は自分でよむべきものと云ふ事が言葉以上に、卽実践的に分った。
○十一月四日(月) 晴 寒
アリストテレスを止したので少し樂である。午、学友会室で飯を食ったり、新聞をみたりする。三十日の経友会の三木さんの辯証法に関する講演は一千人も聴衆があったさうである。土曜には一高に三木淸座談会(哲学的人間等について)があった。近頃の彼の活躍は目覚しい。零時三十分、正門前で北原に會ひ、「思想」をかへして貰ふ。一所に本鄕通りを五分程歩き充実して話をする。一人明道館に行く。北沢の学校へ行ったすぐ後。矢島の所へ行く。ながらく話して五時辞す。
未だ病気で清々しない。喉がよくない。
かく悩み、かく苦む我々が卽人間である。
急に独逸語が樂によめるやうになった。之は一つの飛躍である。
○十一月五日(火) 快晴 暖
午、例によって靑木堂へ行ったら山岡に逢ふ。矢島・小沢と別れて明道館へ行く。北沢の梨をたべる。色々話す。北沢も心(シン)はいい人間である。
夕方、杉本が一寸よった。
学友会のスポンヂ野球のトーナメント、明日から。文藝講演会は西田さん、藤田氏、姉崎。村田委員が京都へ西田さんにたのみに行った。
病後、まだはなが出る。
近頃は学校へ行くのが、むしろ友達とつき合ふのが、甚だ愉快である。餓鬼大將になってるからである。今迄の永い学生生活において、大学が、近頃が最のびやかである。
Cohen、Husserlをよむ。馬鹿にすらすら分る。何故か近頃急によめるやうになった。独逸語の方が日本語より分り易い位である。
○十一月六日(水) 晴 暖
私の今迄の哲学研究の一切は畢竟足ならしたるにすぎなかった。私は今や正に一歩を、しかも巨大なる一歩を踏み出すべき時となった。
今週は新にえたる境地より独りで勉強し、來週よりこの力を各種の演習において試み且つ確保する。
文学部スポンヂ・トーナメント。十二時半からの哲学対仏文に始る。七回戦で五アルファー対四でまける。研究室で桑木先生御寄附の林檎を頂く。
夜、金子先生方へ行く。金子貞郎氏が來てゐる。林檎を食べながら皆で色々話す。
今日のヘーゲル、休んで休養。十月のやうにつまってゐるのはよくない。てきぎ手をぬくこと。
夜、雨がふって生あたたかい。
○十一月七日(木) 曇小雨 冷
今日は気持がわるい。風がうまくとれなくて弱る。午後二時間程熟睡したら快くなった。
夕方小椋が来る。休学して歸郷するのださうである。
僕は屢々しっとをおこす人間である。而してそのしっとによって自ら苦しめられてゐる。しっとはつまり自ら足らざるが故に卽ち他に求むるあるが故におこるものである。かくてしっとの止揚は自らを豊にする事によってのみなされうる。
哲学(西洋)における今学期の私の発展は目ざましいものがあった。而して今尚ドイツ・イデヤリスムスが私の中においてどんどん成長しつつある。私は哲学においても亦秀れなくてはならないのである。
○十一月八日(金) 曇小雨 冷
午前、ラスク。佐野實仁君が加って三人。
午後、コーヘンをよむ。二百十五頁まで讀了して、四月輪講でよみ始めた所へ連結した。コーヘンはやはり私に多くをもたらすとは思ふ。
一日中家にゐる。身体を休息させたので気持がいい。
Encyclopädieの Einleitung讀了。大いに面白かった。
私は私の所謂哲學革命をなしとげた。しかしこれは長きたゆたひの後の結果である。
私の卒業論文のヘーゲルであり、その題目の「ヘーゲルのアントロポロギー」である事は未だ変らない。
○十一月九日(土) 晴 冷
午前、ヘーゲル、ラスクをよむ。
午後、出さんの演習後、白十字で井上君桐谷君とていたいし、更に桐谷君と靑木堂でていたいし、それから神田迄桐谷氏と別れ、僕は水道橋から省線で矢島氏訪問。金子直一氏が返って先に來てゐる、直一氏は先にかへる。後で音次氏羊吉氏と哲学論をする。米の事を頼む。九時半辞す。かへったら今井が來てゐる。
昨日休息したためでもあらう、今日は元気がいい。へばった時には思ひ切って休息する事。
某々のため記念すべき日。
○十一月十日(日) 雨 寒
一日中雨が降ってゐる。今迄になく寒い。一日中家にゐて本をよむ。ヘーゲル、ラスク等。
学校に行かず、一人で本をどんどんよんでゐるのは愉快である。
未だ参考書をよみたいと云ふ気持は起らない。今は只テキストをよむ事が当面の仕事である。
Hegel: Encyclopädieをよむ事二七頁。九二頁迄よんで七月よみ出した所まで連結する。
夜おそくまで火鉢の側で讀書する。
近日の私の讀書は近年まれの底のものである。
○十一月十一日(月) 小雨 寒
雨がふってゐるので羅典語迄休んで一日中家にゐる。炬燵を始めてかける。ヘーゲル、コーへンをよむ。しかし今日は能率は上らなかった。籠(ラウ)城も一日位はいいが二日となると返ってよくない。この事は考へるべきである。少しひるねをする。一日中頭が清々しない、沈滯してゐる。石沢がノートをかへしに來る。
ヘーゲルは金曜のを止して、月曜の午前にする事にする。少し楽(ラク)になる。
身体を近頃は使はないので、少しこえた。
三木さんのヘーゲルに関する論文をよみ返す。全くいい論文である。私のヘーゲルもどうも三木さん以上には出られないが如くに感ずる。ヘーゲル其物をよんでから、三木さんをよむとより深く分る。
○十一月十二日(火) 曇 冷
Hidegger:Sein und Zeitを買ふ。これで今年は大きい本を買ふ最後とする。これからはよむのである。ハイデッガーは今泉君と奥田君とが火曜午後一時から四時半か五時頃まで奥田君の所でやってゐるのに割り込むのである。しかし毎週は出られない予測である。
靑木堂に集るもの、小松、小沢、小沼。矢島は來ない。二時までゐる。ここで小山に逢ふ。
フッサールをよむ。
○十一月十三日(水) 曇 冷
午後、ヘーゲル、僕の所で。自分の所でやるとからだは非常に樂である。今週の月曜から〝phaenomenologieのEinleitungからはじめてゐる。EncyclopädieはLogikが
終ったので、よして之にかへたのである。
長坂が來て、五味のチブスで帝大病院音羽分院入院中、しかも腸出血で重態であるのをしらせた。
不眠しやうにおち入るとき人は屢々薬を用ひる。しかしそれは外物であるが故に、その効は一時的であり、他律的である。その眞の克服は自己自身の力によってのみ、卽自律的にのみなされうるのである。
僕の演習の中ではヘーゲルが一番大物である。やってゐる人から云っても、テキストから云っても。正に力を悉すべき所である。
○十一月十四日(木) 曇 冷
午から二時半まで委員室にゐる。就職相談部がにぎはふ。
桐谷氏と一緒にコーヘンに一寸顔を出す、卽おそく行って早くかへる。伊藤謹一郎氏と下田がアインシュタインについて盛に何か云ってゐた。え差町まで桐谷氏と一緒に歩いて行って別れる。
昨日今日ラスクをよむ。一寸面白い。
僕は今や一つの課題に面してゐる。
人は自分の過去を足場として常に休まず前進すべきである。私の哲学革命をなしとげた私は、それを冷靜に反省し、更にそれを踏台として前進すべきときに到った。
近頃はいささか不眠症である。しかし、これだけ緊張した生活を送り、これだけ興奮が連續しておれば、きはめて神経質な小生にとってはさう云ふ結果をうるのは当然の事である。
○十一月十五日(金) 半曇 暖
午前、ラスク。大將になってやる事は甚だ愉快である。
午後、学校へ行く。呉講師休み、河角さんに逢ふ。一高の中を一廻りしてかへる。
夜、秋子さんが來る。長らく話してかへる。
ラスクを一寸よむ。ハイデッガーを少しのぞく、中々むつかしい。
十一月はまだそれでも樂である。
時間は海綿の如きものである。つめればいくらでもつまる。つめないでおけば、そのままでゐる。
○十一月十六日(土) 曇 冷
午前、ラスクをよむ。午後、法政大学社会学会講演会をききに行く。開会の辞、藤田喜作。Ⅰ受胎制限に對する社会的立場よりの批判、高山兼吉。これはねむった。Ⅱ農民文化と言語現象、柳田國男。これは二時間にわたる。Ⅲ社會學の改造、三木淸。四時三十五分から五時三十五分迄五十分。時間がなくて簡單にすませて残念である。北澤正、矢島羊吉が来る。おへて三人で神樂坂を歩く。矢來町から電車でかへる。三木さんは話は例によって勿論いい、が近頃は前よりはそれを冷靜にききうるやうになった。
若い者は同じ興味を永く持ちつづけえない。僕の論文を「ヘーゲル」と定めたことも一つのフォーマリズムであった。
○十一月十七日(日) 半晴 冷
午後二時間程植物園をぐるぐる歩き廻る。豊なる秋色愛づべし。ラスクとヘーゲルをよむ。ラスクはとにかく大したものではない。尤もコーヘンよりは面白い。ヘーゲル(フェノメノロギー)はやはり面白い。ラスクを通過して、返ってヘーゲルが面白い。
近頃の僕を神経衰弱と云ふのだらう。在京ももう長いのだからむりもない。
どうも未だ三木さんから抜けられない。彼はどう考えてもえらい男である。日本の哲学者彼あるのみ。彼は一つの天才である。
○十一月十八日(月) 曇小雨 寒
午前、ヘーゲル。日高君の所。割合に快く出来た日。
日高君から借りて「哲学講座」の紀平さんの「ヘーゲル哲学解説」をよむ。思ひ切った独断もある、云はば「辨証法の形而上学」である。しかし中々面白い点もある、長所は採用してやらねばならない。
ヘーゲルを少しよむ。中々むつかしい。
Alark tone、また憂鬱になった。けちなものだ。早くぬけ出したい。
ヘーゲルでは、日本では第一は三木。ついで、小山、田辺、紀平。
○十一月十九日(火) 快晴 暖
七時におきる。久し振りの早起。
午後、奥田君の所でハイデッガー。今後はこれに出て、木曜のコースは当分出ない事にする。輪王寺から歩いてかへる。
紀平氏のヘーゲルは「辯証法の神秘主義」と云へる。アン・ラント・フュア・ジッヒを何らか特殊の体験に属するものと考へるのが正しくない。それは日常普通に経験される所のものである。而して氏のこの考へ方は氏の形而上学に由來してゐる。
神経衰弱と戦ってゐる。これは我慢してみて、時間による消滅をまつより外ない。今の余は自分の神経衰弱を反省しうるから妙である。之亦病気であって、十七日の朝おこったものである。今度のは重くはしない、しかし苦しいものである。
ハイデッガーをよむ。一寸面白い。
○十一月二十日(水) 曇 寒
午後、図書館研究室前の会談で学友会の写眞をとる、先生並に学生委員。
四時から委員会。
雜務にまぎれて神経衰弱少し直る。
フッサールをよむ。
紹介を、さらには飜譯さへを、いくらよんでも或中心の廻りをぐるぐる廻ってゐるだけで決して中心に至らない。必ずもとの資料についてみねばならない。その上で始めて、それらも亦その意義が表れてくる。
○十一月二十一日(木) 曇 寒
二時からの図書館懇談会なるものに出てみる。色々話をきいて五時去る。
「仏敎文化」第三巻第八号が來る。「宗敎の批判はあらゆる批判の前提である。」と云ふのも尤もである。
私は今や「理論闘爭」に向ふべき時となった。
一寸しばらくぶりでラスクをよむ。
昨今は一寸ボンヤリしてゐる、〝哲学革命〟の頃の緊張もない。従ってさう勉強もしない。しかし神経衰弱治療には丁度いいと思ってゐる。
○十一月二十二日(金) 曇 寒
午前、ラスク。
午後、希臘語。今日からアリストテレスのポエティカ。分らない。知ってゐる人が多く出てゐる。矢島、桐谷、川上、奥田、佐野。
午、委員室によったら橋本君が盛に学友会報の事をやってゐた。
夜、矢島訪問。米の代金を拂ふためと、柑(カキ)(ママ)をもって行くため。長くさまざまの事をしゃべって辞す。
私はラスクにおいて占領した。次にフッサールに及ばねばならない。次第に私に課題が表れて來る。
○十一月二十三日(土) 晴 寒
冬となった。木枯が外で吹いてゐる。炬燵を作ってあたる。一日中家にゐる。午後、疲れて思はず晝寝をする。
フッサールをよむ。私は二旬前にえた所のものを消化してゐる。卽、an und für sichならしめつつある。
しばらくぶりで端書を五枚かく。
私は今や一つの小轉換を企てねばならぬ時になった。卽征(ママ)來の消極的の態度を改め、積極的に理論闘爭に向ふ事が必要になったのである。かくて私に要するものは再び「勇気」と「勉強」とである。私は決心を固めねばない。
○十一月二十四日(日) 晴後曇 寒
昨日あたりから急に寒くなった。今日も亦一日中家にゐる。誰も來ない。
書留が来る。月々家から多額の金を貰ふのはげに心苦しい事である。しかし何とも仕方がない。
ヘーゲルのフェノメノロギーをよむ。中々面白い。しかし極めて難解である。そこらに多いマルクス主義者達はこの苦勞を経ずしてヘーゲルについて語りうるが故に樂である。
○十一月二十五日(月) 晴後雨 寒
午前僕の所でヘーゲル。日高君缼席。
午後、銀行へ金を取りに行く。
ハイデッガーをよむ。様々の事が頭の中に出て來て精神の統一が出來ない。
一軒の家となれば色々のうるさい事が多いものである。風来坊の太田や今井の与り知らぬ事である。
色々の事で気が散乱する。二学期は長すぎてへこたれる。
痛みはそれを感じてゐる間だけ現実的に痛みであって、それを感じてゐないときには、如何にそれを想起しても現実の痛みとは全く異ったものである。哲学においても亦かくの如きものはあるのである。
○十一月二十六日(火) 晴 暖
午後、ハイデッガー。今日の所はムツカシイ。
神経衰弱や疲勞やらで不愉快である。
夜、フェノメノロギーをよむ。
私は今や一つの課題に面してゐる。之を克服する事によって一つの飛躍をなしうるであらう。
健康を欲する。いくら頑張ってもへこまない底の頑健の肉体を欲する。
○十一月二十七日(水) 晴 暖
午後、ヘーゲル。小川君の所で。文章の解釈について川上君と余等とに異見生じ、大いに主張する。今後とも注意してゐること。
夜、フッサールをよむ。近頃は多事で中々忙しい。五味君の事も、何の通知もなくて心配になるが、未だほったらかしてある。
神経衰弱少し直る。
私ははばからず自己を主張して、巨大なる一歩を踏み出さねばならないのである。
○十一月二十八日(木) 快晴 暖
午、委員室。橋本君、淸田君。橋本君から氏と征矢野さんとの関係をきく。一時、研究室。伊藤さんから氏の訪問の都合のいい日をきく。金曜、來週行くことにする。
午後、遠足。代々木駅下車。明治神皇をぐるぐる歩く。原宿を同じくぐるぐる歩く。池田君の家を見出す、時間がないので寄らずに、高橋穣先生を訪ねる。一時間程色々話す。新宿から市電でかへる。新宿のほてい屋にも一寸入ってみる。歸宅六時半、歩く事大。高橋先生との話により論文をヘーゲルにするのは止さうと云ふ気に益々なった。ヘーゲルはどうも少しむりなやうな気がする。之を止さうと思ったら、気が少し樂になった。ハイデッガーでもかかうかと思ふ。ディルタイでもいい。
神経衰弱大いに直る。これから本年掉尾の一振をすべし。
川上の独断論には常に監視を怠らない事。
ハイデッガーをよむ。
○十一月二十九日(金) 晴 暖
午前ラスク。その前に金子先生の所でしばらく留守番をする。ラスク、四十四頁まで。それでもかなりやった。
午後、希臘語、中休の時に一寸顔を出しただけで出席せず、音羽の帝大分院に五味智英君を見舞ふ。未だ特別の異状はなし。一家の人達に逢ひ、去って長坂君を問ふ。かなりの間色々話して、辞す。
昨夜おそく、今朝早く、しかも昨日は歩きすぎて大いに疲れて何をする元気もない。ねむい。
ラスクをよむ。
○十一月三十日(土) 曇後雨 寒
午前、デ・アニマとフッサールをよむ。
午後、出先生の授業、一時間位で切り上げた。哲学会大會秋季公開講演会があったからである。今井時郎氏「社会格(ママ)的認識の確立」の終の方をきく。それから桑木さん「言語と哲学」。之は二時間半に亘る。これはとにかく面白かった。五時少し前終了。夕飯後は姉のお伴をして東京高等師範学校の「第二十一回英語会大会」なるものに行く。かへったら十時。
夜、藤原博士理科会があったのだが、醇郎だけ出席する。
みのり多かりし一月であった。