○一月一日(木) 曇後雪 寒
元日だからとて、九時半に起きる。年始狀三十枚。
神樂坂、新宿を歩いて、正月の風物を觀る。紀の國屋で岩波文庫の「経験批判論」中巻を買ふ。
喪中の爲、往訪來訪なく、唯無爲に時間を過す。
夕食後、女中におけさ踊りを踊らせてゐる中に、皆踊り出して了ふ。醇郎まで然り。たまには又いいであらう。三ヶ日が終へたら矢島さんの人達を呼んで來て、驚かせる趣向。
○一月二日(金) 曇 寒
午後、散策、神樂坂を歩く。三日間訪問が出來ず憂鬱なので、せめて散歩でもする。
夕食後、挨拶狀の事について金子さんを訪ふ。京ちゃんがきれいにして出て來る。金子先生の話により、出す方がいい事になる。歸宅してから、葉書二百五十枚の印刷を頼む。一体昨年末出すべきであったのが音次氏の説によって止めたのであるが、金子氏の説は予の説に近い。なくなったからとて急に引きこんで了ふよりも、交際の領域をも相当には受け継がん事を慾する。
予はこよなく学問を愛す。されど生活を更に愛す。
久し振りで、この休は少し呑気に過さうと思ふ。
鬼頭君から來信。
○一月三日(土) 快晴 冷
午後、丸善へ行ったら休みであったので、銀座へ行く。伊東屋、松屋等でブラブラする。
夜、カルタやトランプをして遊ぶ。美しい空。
音次氏の何事も消極的にしようとする態度よからず。積極的に出て出し抜くべし。
明日から忙しいであらう。
○一月四日(日) 晴後曇 暖
午後、矢島さんを訪ふ。又夜皆で遊びに行く。トランプやかるたをする。
葉書二百五十枚の印刷出來て來る。宛名を書く。
○一月五日(月) 快晴 暖
午後、松本さん、論理學。「槪念」だけすませる。
夜、母と笹岡末吉氏を訪ふ。就職の作戰を聞く、以って参考にはなるであらう。
小澤泰一君からの久し振りの來信。〝君の論文をよんだ、むつかしいから少し宛よむ〟とある。
追悼録に要する金について文句を言った人二人、矢島音次氏、金子直一氏。その態度が気にくはぬ。一体この事は友達がやるべき事である。藪野義光氏には感謝する。
○一月六日(火) 雨 寒
九時起床。部屋代へをする。二階、四疊半を百枝に開け渡す。二階八疊、予と醇郎。
午後、神保格氏を訪ふ。大塚坂下町へ行ったら、轉居の後。小日向台町へ行く。不在。近くの出先生を訪ふ。「論文」の事等を聞く。問題になる論文三四あり、川上・小松・山本等、と。口述でやられさうなり。去って、神保氏を訪ふ、在宅。用件をすます。
此の日刺激を受ける事も多く、気にかかる事もある。
夜、金子秋子さん、矢島羊吉さん、文子さん、夏子さん等を呼ぶ。偶然に小野勇さんも來合せる。皆でかるた、トランプ等々をして一時間遊ぶ。金子さん泊す。
朝、橋本勝三君立ち寄らる。
○一月七日(水) 曇 寒
午後、矢島さんを訪ふ。「ノートラ」を敎へる。
敎育は尊い仕事である事が感ぜられる。
長すぎると言ふので、先日二中から送り返された「病床日記」を短く書き直す事になる。夜、よみ直す。更に、限りなき悲しみに襲はれる。今にして思へば、看病してゐる頃は樂しかった。
○一月八日(木) 雪 寒
午後、「病狀經過」を書く。九枚。
外出する事少く、人に會する少く、いささか憂鬱である。
○一月九日(金) 雨 寒
十一時少し前、新宿驛に金子秋子さんを送り、河西先生への贈物を托す。それから、三越、ほてい屋で靴を見る。適當のものなし。買はずに歸る。
午後、矢島さんへ遊びに行く。お春さんの一面を見出す。
夜、「病狀經過」を補正する。
風を引いたかもしれない。引いたのなら、靴に大きな穴があいてゐて、足がビショぬれになったためである。
この休はすっかり遊んで了ふ。学校が始まれば忙しいからと思って、呑気に暮してゐる。遊ぶも亦人生である。遊び事にも少し上達する。
○一月十日(土) 晴 大寒
午前、守口先生の來訪を乞ひ、百枝と祖母診察して貰ふ。
新村義広君から、突如水戸へ轉任を命ぜられ今日立つ旨の葉書が來る。午後零時五十分、上野駅に見送る。
午後、銀座へ靴を買ひに行く。白木屋から始めて銀座をずっと通り、松坂屋で買ふ。
遊びが分り、且つ学問が分る人は少い、何れか一面にのみ偏し勝ちのものである。
○一月十一日(日) 晴 大寒
午後、矢島羊吉君と碁をし、向ふが先手で、こちらが負けた、彼は遊んでゐるので少し強くなったとみえる。ラヂオで相撲を聞く。
家に病人・半病人多し。不愉快也。健康に勝るものなし。病めば如何に多くの人に迷惑をかけるかを思ふべきである。
この休「キング」「改造」等をよむこと屢々。又棄てたものではない。
休にも飽きた頃である。一寸憂鬱である。
「三十年社」から「薄謝」金貳円也を貰ふ。
稲沼史と言ふ人に會する。
夜、守口さん來診(百枝)。後でトランプをする。
文子さんから「短歌写生の道」(齋藤茂吉)を借りる。哲学と通ずる所がある。
○一月十二日(月) 晴 寒
午後、松本さん、論理学。「判斷」をすませる。
高橋穣先生を訪ふ。一流の人生観を聞く。
○一月十三日(火) 晴 寒
午後、神田へ行く。三省堂に北澤君を問ふ。ブラジルで二十五戔のうなどんをおごらせる。
守口氏來診。祖母、姉、百枝の三人診て貰ふ。家中病人だらけ、健康は我一人のみ。正月早々不景気也。
人間とはお互いに他人の悪口を言ふ動物也。人の悪い所はみえて自分の悪い所は見えない、自分だけは世界で一番えらいと思ってゐる――人は同じ事を幾度でも云ふもの也。
○一月十四日(水) 晴 溫
午後、登校、長屋さんの講義なし。久し振りで学校へ行くと色々の人に逢ふ。日高君と例の如く、図書館四階や白十字でヘーゲルを談ずる。三時から下田君宅のヘーゲル研究会。おしるこの御馳走になる。
夜、矢島さんの所へ電話をかりに行って小一時間程音次さんやお文さんをつかまへてヘーゲル等を談ずる。小生甚だ元気よし。
「實相に觀入して自然・自己一元の生を寫す。これが短歌上の寫生である。」(齋藤茂吉著、短歌寫生の説、六一頁)
○一月十五日(木) 晴 冷
七時におこされ、八時におきる。九時から紀平さんの授業に出る。
午後二時から、若山君とヘーゲルをよむ。
夜、守口先生來訪。皆快方に向ってゐる。矢島茂子さん、文子さん、お見舞いに來訪。
我家のものは豪快の所なく、ウヂウヂしてゐて甚だ不愉快也。
○一月十六日(金) 晴 冷
七時起床。伊藤さんの演習。フッサールは調子に馴れず、分り難い。演習後図書館で、日高君、今泉君、若山君、阿部君等と駄辨る事久し。
○一月十七日(土) 晴 寒
桑木教授休講。
出先生の演習に出る。
早く起ると疲れる。
午後、矢島さんへラヂオの相撲を聞きに行く。面白し。
○一月十八日(日) 曇 冷
今度は母が風を引く。
午後、矢島さんでラヂオの相撲を聞く。千秋樂、相撲の如きクラシックのものも又悪くない。
せねばならぬ事多く、ただ気持だけであせる如き観がある。かくては返って仕事は出來ない。
來る人もなく、淋しさ勝る。一人位は訪問者があってもよささうである。
○一月十九日(月) 快晴 暖
登校、呉講師休み、研究室を訪ふ。佐藤さんに會ふ。クローナーの第一巻とphilosophischer anzeigerとを借りる。
午後、天気がよいので羊吉君をさそって散歩に行く。日本橋から始めて、銀座を歩く。
夜、ノート写し。勉強。
いささか憂鬱也。何の爲に人は生きるらん。
我は灰色の理論のみで生きる事は出來ない。
未だ仕事(勉強)に身が入らず、徒らにジプシィの歌のみぞ響く。
○一月二十日(火) 晴 風、寒
出さんの中世哲学、伊藤さんの哲學槪論、に出席。共に聴講證明を貰ふ積り。
午食後、日高君と神田へ行く。大の里の書いた相撲の本を買ふ、十銭也。水道橋で別れる。
外出する事少ければ家の空気が鼻について不愉快、憂鬱になる。が、家を空ける事長ければ、又家が戀しくなるから、よくしたものである。
○一月二十一日(水) 晴 風、寒
大島さんの演習に(遅刻して)出席。
午後、長屋さんの講義。それからヘーゲル研究会、大論理、今日だけ若山君宅。謹一郎氏と傳通會館の下の食堂で夕食を取り、若山君と出先生宅のヘーゲル研究会に始めて出席。金子武藏氏は中々よくやってゐるらしい。出先生、少し冗談に過ぎる観あり。十二時近く歸宅、寒風。留守に石澤次夫君來訪。
我がPessimismusは何に由來するや、如何にして克服さるるや。Pessimismusの中にOptimismusあり、前者がgrundton也。
○一月二十二日(木) 晴 冷
多忙にすぎるので紀平さんを休む。
午後、「法律哲学」研究。
讀書会(授業)の多すぎるのは、唯棒読みであって十分消化出來ざるに至る恐れがある。勉強の前には讀書会を適度に制限し、自己からのアクティブの勉強の要素を増すのが良い事である。尚、一度に何もかもは出來ないものであるから、やりたい事であっても一応ひかえて、勉強に中心あらしめるべきである。
日高君は余が好敵手也。
○一月二十三日(金) 曇 暖
伊藤さんの「演習」と「講義」に出席。歸りに女子大学のシネマの事で矢島さんを訪ふ。
夜、日高君と伊藤さんを訪ふ。うまい話もなし、漫談。歸りに新宿の不二屋でコーヒーをのみつつ、ハルトマンのヘーゲルを二人で飜譯しやうかと言ふ話が出る。留守に矢島羊吉君來訪。
どうも伊藤さんとは性格が合はない。出さんの方が親しめる。
○一月二十四日(土) 晴 冷
桑木敎授、出助敎授共に休み。「受験科目届」を出す、十一科目也。日高君と研究室を訪ふ、斯波さんに會ふこと久し振り也。午食後、明道館を、やはり久し振りに訪ふ。
夜、母と太田貞一氏を訪ふ。同じく來訪中の若月岩吉氏にも會ふ。
威嚴を持つべし。自尊の意識。
それならばよし、こちらにも魂膽はある。
○一月二十五日(日) 曇 冷
午前、ノート写し。
午食後、醇郎と三越に行く、小澤秋成氏の展覧會のため。姉と千代田あい氏と落ち合ふ。小澤先生にも會ひ、三十分程みてから、松屋へ行って女学校展覧会なるものをみる。
手ぐすね引いて待ってゐるが、來らず。
こっちの方がえらいんだぞ、と云ふ事。
シリングの紹介を書き始める。
手より落ちし玉限りなく美し。されどそれを祝福して送るであらう。
○一月二十六日(月) 曇 暖
午前、雜事。手紙を多く出す。――松本さん、風で未だ來られず。
午後、母と岩波書店に岩波茂雄氏を訪ふ。隣の部屋で谷川徹三氏等が「思想」の編輯會議をしてゐる。
夜、矢島氏を訪ふ。音次氏風邪、見舞の爲。――羊吉氏と戸山ヶ原を歩く。
事體はなる様になるより外なし。苦しむは人の定めである。
姉はよく堪へられたもの也。
○一月二十七日(火) 晴 寒、風
中世哲学、哲学槪論、に出席。
午後、母と高木守三郎氏、高林璞藏氏を訪ふ。午後七時半歸宅。文子さん、春子さん、來訪、シネマの札の事。余の賣れるもの四枚。
正午、図書館ビュッフェで橋本君から記念祭の札を受取る。
近頃は本も買ふことなく、唯生きてゐると云ふだけ也。
卒業近くなり、「社會」が其の姿を現して來つつある。如何なる社會であるにせよ、社会に出るのは兎に角一つの時期を劃する事である。
常に我につきまとへる、わだかまりあり。
○一月二十八日(水) 晴 冷
午後、ヘーゲル研究會、大論理、若山君宅。これは本年度は今日で終り。若山君、伊藤氏と三人で、傳通會館下の食堂で夕食を取る。それから出先生宅のヘーゲル研究会、現象論。大学院学生はやはりよく勉強してゐる。今の所ではphänomenologieよりlogikの方が面白し。波多野通敏氏、細谷恒夫氏と十二時、大塚から省線でかへる。かへってみれば、姉の風悪し、三十九度。肺炎になる恐れあり。
余は神經質に屬し、感情家ではなく、返って理性家であらう。而して、好む所の他人は、多血質、の感情家である事に傾く。
○一月二十九日(木) 晴 寒
昨日より少し咽の具合悪し、一昨日入浴の際冷えたる爲ならん。
午後、笹岡一氏はるばる來訪。
ヘーゲル研究会、「法律哲学」。
夜、長坂端午君、「追悼録」の原稿を持って來る。
未だ言ひたい事は残ってゐる。
人は若いに限る。年を取ると、慾のみ深くなり、感情もなくなる。若い人は素直で、純情である。
○一月三十日(金) 晴 暖
伊藤敎綬、演習と講義に出席。久し振りで桐谷氏に會ふ。石澤君にも會ふ。
女子大学のシネマの札が又賣れる。計九枚也。自分のも合せて十枚。
シリングの抄訳はかどらず、しかし一応の一段落。
しゃばは忙し。明日の晩、會が四つあり。三独会、女子大のシネマ、哲学科大学院学生の会、鄕友会。中二つ位出るであらう。
○一月三十一日(土) 晴 暖
桑木敎綬、出助敎綬、の演習に出席。その後、日高君と靑木堂でしばらく話す。それから散髪して明道館へ行く。佐藤さんに會ふ。五時から切通江知勝、三独會。久し振りで会ふ人多し。三独会を七時半で切りあげ、日本靑年会館へ行く。東京女子大学映画会。淸水昌子さんに案内して貰ふ。ニーナ、ペトロヴナだけ見れる。終へたのは十時すぎ。
姉の風邪よくなし。其他風気のもの多く、元気よきは我一人也。我、闘志滿々、元気旺盛也。