○四月一日(水)  雨 冷

しばらく振りでずっと家にゐる。松村さんの英語とヘーゲルとの豫習。日高君が來て一緒に原稿用紙を見に行く筈であったが來られぬ由速達が來る。

松本壽美子さんが一寸寄る。

夜、出さん宅のヘーゲル会。今日から開始の、高田の馬場・早稻田間のバスに乘る。ぼろ自動車を使ってある。

休養を慾する。そして又更めて元気よく、且つ落付いて勉強したい。

ハルトマンの飜譯、この日より開始。事実上は明日開始であるが、形式上は今日とする。今日は始めの方を少し讀んだだけ。

 

○四月二日(木)  晴 暖

十時、矢島音次氏から呼びに來る。行く。松村氏の事。

誤解である事が分る。譯が分ればなんでもないが、それでも不愉快也。午後松村氏を訪ふ。授業なし。

「靜養」と「西洋」の間違ひがもとである。神田へ廻る、電車内で鬼頭君に逢ふ。三省堂でハルトマンの為の原稿用紙を買ひ、北スに會ふ。歸りに高田の馬場驛で松本壽美子氏母子に逢ふ。試験、出來た由。論理も問題がすっかり的中する。

夜、羊吉氏、祖母の見舞を持って來訪。

祖母、はかばかしからず。姉亦グデングデンしてゐる。憂鬱限なし。病気ほどいやなものなし。

ハルトマンの飜譯開始。

 

○四月三日(金)  晴 暖

午後、姉と新宿の三越へ帽子を買ひに行く。相場だけ見て買はず。ほてい屋、不二屋、二幸等による。電車内で小口平七君に逢ふ。

夕方、片山毅氏を葛ヶ谷に訪ふ。家がしめてあって、不在。その留守に、松本さん母子來訪。

夜、大学院の印を貰ひに行かうと思って桑木さんに電話をかけたら、今客があるから又にして呉れ、と。

伊藤三平氏おばあさんの見舞に來訪。祖母この日よし。

姉身体弱く、一人で家中を憂鬱にする。

ハルトマンを少し譯す。

 

○四月四日(土)  晴 暖

午前十一時半、太田和彦君來訪。飜譯を渡す。

郵便局。床屋。松村さんへ電話。

明日湯河原へ行くので、矢島氏を訪ふ。久し振りで碁を打つ、羊吉氏にまける。

夜、母と町に行き帽子を買ふ。大枚二円五十戔也。

岩波氏が憤慨する事早かりしは不愉快也。

常識から考へても一寸考へられない事であるのだから、憤慨するより先に先づ事実を調べてほしかった。

大久保靜枝さんに「現實へ」を三部送る。

 

○四月五日(日)  雨、曇 暖

六時起床。湯河原行。母と姉との口汚いいさかひを後にして家を出る、不愉快也。藤木屋投宿。山の溫泉場の気分又悪しからず。久し振りの獨り也。精神又安まる。入浴四回に及ぶ。用がないからである。〝理想〟と〝キング〟をよむ。夜はシネマをのぞく。辯士が下手で邪魔になる。街を歩くと妙な女が挨拶したり呼び止めたりする。樂しい旅行も、家の事を考へるとすっかり憂鬱になる。人は互に惡口を言ひ合ふ動物也。  苦しむは人の運命也。

 

○四月六日(月)  晴 冷

七時におきる。午前、山や街を歩く。午後は広河原の方へ行く。

今は一つの逃避?である。一時的ではあるが逃避である。逃避も時々は必要である。大分休養したが、未だしゃばに入って生活を戰ふ元気は出ないらしい。しかし家へ歸りたい様な気もせぬでもない。

しばしではあるが日常の生活の煩から離れて快し。

 

○四月七日(火)  晴 暖

午前、ぼんやり過す。

午後、熱海行。午後一時宿を出る。行きは汽車による。熱海の海岸や街を盛に歩き廻る。歸りは自動車による。のるもの我一人、夕方の海岸を眺めつつ駆る。日没後の海美し。初島、大島を望む。いささか旅情を催す。藤木屋についたのが午後六時半。

旅行は金のかかるもの也。一日ちぢめて明日でも歸るべし。

しゃばは不愉快也。しかしいつまでも逃避してゐる訣(ママ)にも行かない。

さて、東京へ歸ったら大いに働くぞ、とも思って見る。

 

○四月八日(水)  晴 冷

午前、十一時湯河原を去る。鎌倉に寄る。池田德真君を訪ふ、不在。江之島に行く。石段を上ったり下りたりするので疲れる。鎌倉から省線で歸る。

七時少し前歸宅。家へ歸れば相不変憂鬱也。

留守中の來訪者。小野勇、松本壽美子、小池とみの、小口平七、五味重郎。

 

○四月九日(木)  晴 冷

九時起床。江の島の疲れか、だるし。この日一日靜養。ハルトマンの飜譯。中々樂でない。友達と會はぬ事久しく、不愉快也。

就職運動は今更急ぐ事もないので、時々主な人を訪問しておいて、機を待つであらう。

これからは健康に注意するであらう。不健康のため愉快に働けなければ損也。

醇郎が部屋をちらすので気持悪し。

 

○四月十日(金) 快晴 暖

午前、飜譯。起床八時、轉地以來起臥が規則立つ。

午後、篠原氏訪問に出かける。うんと歩き廻ったが中々分らず、池袋驛に出たので、日高君の所へ行って了ふ。田平君が來てゐて、二人で碁を打ってゐる所。それから三人で学士会館の新学士招待会に出る。この頃から珍しく腹痛あり。終へて、武者の喫茶店日向堂でせんべいをかじる。水道橋で別れる。

我が憂鬱の取れざる事も久しい。その原因は境遇にある。係纍もよしあしである。

 

○四月十一日(土)  曇後雨 暖

午前、松村さんの豫習と飜譯。

午食後、篠原助市氏を訪ふ。又可成り迷って後家を見付けたが、不在。それから松村さんへ行く。今月に入っては始めて。頭は悪くないが意地が足りない。それに学習院なので力が足りない。未だ一年ある事ではあるが、困難であらう。これから時間割を変へて、火と木は四時→六時。土は二時半→四時半。

パスが昨日迄、今日返す。これからは、歩く度に金が入る。

夜、一週間振りで矢島氏を訪ふ。

祖母よからず。少し考へなくてはならない。

 

○四月十二日(日)  曇 寒

午前中飜譯。それで二頁位しか譯せない。

午後、守口氏白石氏來診。全體としてよろしからず。

それから訪問二つ。西武電車の中井で下りて、片山毅氏を訪ふ。よもやまの話をする。神経質だが、感じが良い。それから歩いて篠原助市氏を訪ふ。感じよからず。目白駅から電車にのる。

人は一度にさう何もかも出來ないし、又やる必要もない。

其の時其の時に出來る事をして行けばいい。ただし機會を逃がさない事は必要であらう。

死を考へる。赤ん坊の様になって死ぬのが自然の死であらう。若い人の死は無理がある。

 

○四月十三日(月)  曇 冷

午前、希臘語予習。

午食後直ちに学校へ行く。硏究室を訪ふ。桑木先生に判を貰ひ、大学院入学願書を出す。題して「獨逸浪漫派哲學硏究」と爲す。この題も一寸考へたものである。新しい時間割が事務室の所に出てゐる。そこで折よく今泉に逢ふ。一緒に今泉君の下宿に行く。希臘語をやる。授業が始るので、僕は吴さんの希臘前期に出る事にして、此の講讀はこれを以て一先づ中止とする。都合四回。その後今泉君と本鄕を歩き明治製菓に入る、やかましくてよからず。久し振りで本鄕に來り快し。街は活気を呈し始めた。

飜譯は歸京以來着々進んでゐる。完成の豫定は八月末日。一日三頁位は譯する必要がある。最底(ママ)二頁としておく。これでも一つの可成りの仕事である。

 

○四月十四日(火) 快晴 暖

午前、五味重郎氏が來る。不合格についての不審を聞く。

午食後一時間戸山ヶ原を散歩する。

夕方、松村氏。

守口氏。

健康を慾する。

憂鬱去るべくもない。

 

○四月十五日(水)  曇 暖

午前、飜譯。今迄で二十頁、原稿用紙五十五枚。

午後、午睡。昨日も然り。

夜、出先生宅のヘーゲル會。

漸く、健康に留意しようと思ふ気になった。

ヘーゲルの精神現象論もよく調べて行けばいいのだが、時間が不足也。

金がなくて本が買へず、之又一の悩也。

 

○四月十六日(木)  晴 暖

昨夜、出さんの所からかえって、朝までねむれず。近頃では一寸久し振りの事である。

松村氏。

今健康の爲に行ってゐる事三つ。一、入浴の際、冷水をかぶる事。一、日光浴(散歩)。一、就床前の乾布摩擦。

祖、腹膜が引き始める。しかし、軽い腦溢血の気味あり。もう二三年もってほしい。

 

○四月十七日(金)  曇後晴 暖

七時起床。伊藤さんの演習。奥田君に久し振りで會ふ。テキストの事で一緒に丸善に行く。等々、午頃まで奥田君と行を共にする。神田によって、二三の買物をして歸る。

午後、しばらく振りで矢島氏を訪ふ、居る事一時間。不愉快の事もある。

電車代、一週間一円強、一ヶ月約五円也。

 

○四月十八日(土)  曇小雨 冷

八時からの桑木さんの演習に出る。

午後、松村氏。來週から時間割が變る豫定。

この留守に大久保靜枝さん來訪。話し度い事もあったので一寸惜しい。

夜、小野勇氏を坂本町に訪ふ。三代川氏の方の事を受繼ぐ。

 

○四月十九日(日)  晴 冷

午後、五中に行く。伊藤長七氏胸像除幕式並びに追悼會。

本を買へぬは淋し。しかしそれも仕方がない。自分の金だけでやって行けぬは潔しとしない。

あせらない事。冷靜に落付いてゐて、機会が來たら逃がさない事。

この日飜譯、四頁(原文)。多い方。

 

○四月二十日(月)  晴 暖

七時半起床。この頃早起なり。健康の爲よろし。

又日光浴等健康の爲に計るので、顔色もよろし。午前中飜譯、三頁。――午後、松村さんへ行く前に新宿の三越に行き封筒一包を買ふ。松村さんの時間は月、三~五、水三~五、金四~六、となる。英一氏、アクティブに出ないので張合なし、もっと意地があったらと思ふ。――夜、直一氏を訪ふ。よもやまの話をする。又ディアレクティクを談ずる。まこと直一氏の言の如く、數学の如き早く足を洗って、専門の仕事を見付けなくてはならない。――交通費は誠に大なるものがある。しかし之は止むを得ない費用である。――金といふ事を考へる。雜誌類をどうしようかと思ふ。今とってゐるのをやめようかと思ふ。雜誌類は損な様な気がする。

 

○四月二十一日(火)  淸後雨

午前、飜譯。午後、散歩。英語、ヘーゲル、の豫習。

夜、三代川國次郎氏を訪ふ。淸造氏に獨語を敎へる事になる。火曜ときめる。小野勇氏の後を繼ぐ也。

その留守に今泉君來訪との事。この前も留守であって、気の毒也。醇郎の所に中澤が來て十一時半までかへらず、非常識にも困りものである。

今後、飜譯は一日最少三頁とする。さうでないと間に合はない。もう計畫を立てねばならない。

 

○四月二十二日(水)  曇 暖

午前、飜譯三頁。飜譯のプラン立つ、第一節四月、第二節五月、第四節六月。猫の手を借りたい程忙し。

祖母、大局としてはよろしからず。

午後、松村さん。夜、出さん。疲勞はあれど元気よし。

 

○四月二十三日(木)  曇 冷

午前、飜譯、三頁。

午後、明日の爲の色々の豫習。

夜、母と考へ方硏究社に藤森良藏氏を訪ふ。

和郎に講習會の聽講券を貰ふ。それから、二週間講習に出ぬかとの話を受ける。どうしようか。

大学院入学願四月一七日附許可。

 

○四月二十四日(金)  曇後雨 冷

伊藤さんの演習に出席。その後で日高氏と三越本店に行く。研究室に寄附する茶器を買ふ。洋書部をのぞく。それから研究室にかへる。――斯波さん、日高氏、若山氏等と明治製菓で午食を取る。歸宅。

松村さんの予習をする。三時、長坂君が來る。三十分話す。三時半、家を出て松村さんへ行く。

夜、入浴。茶をのむ。明日の桑木さんの予習。

甚だ多忙也。

この日、人に會ふ事多く、いささかほがらか也。

藤森氏の講習会の事を考へる。止すであらう。

あゝ云ふ仕事にかまけると返って悪いかもしれない。人はさう専門の事ばかりしてゐる必要はないにせよ、専門でない仕事は面白くない。

 

○四月二十五日(土)  晴 暖

桑木さんの演習。その後、圖書館前で山田坂仁氏と議論する事一時間半。つまらん所にかどを立てて妙な理屈を言ふ男也。傍聽者下田君。神田へ廻って歸る。

五時から、京橋の片倉本社で明道館の送別會。感じよからず。途中退席して、カント・アーベントに出る。横田氏の話。

疲れる。

この週、夜の外出五日。多忙なり。

金、土、は登校。兼ねて交友に資す。

藤森氏の方は引受けない事に決心した。

 

○四月二十六日(日)  晴 暖

日曜の午後、例によって訪問に出かける。北澤種一氏を訪ふ、不在。奥さんに會ふ。それから郊外を歩き京王電車に至り、初台から新宿に行く。吉田靜致氏を訪ふ。又、不在。新宿を散歩してから歸宅。郊外、街頭、春朗かなり。

この日、起床九時、久し振りで遅し。睡眠よろしく、元気よし。又、勉強能率上る。運動の後は能率上る、それは決して時間の損にはならない。

金と言ふ事を考へる。金の使ひ方も、計畫的にする必要があらう。保留十円、書籍十円、雜費十円、交通費等十円、は如何。書籍、一ヶ月一册で我慢する事にせんか。

藤森氏の仕事を引受けようかと考へ始める。自分でもどっちがいいか判断に苦しむ。あゝ云ふ仕事にかまけて了ふ様になる事を恐れる。

自分の専門に関する仕事があれば、少しでもいいものである。

 

○四月二十七日(月)  曇 暖

午後、松村氏。代數も幾何も敎科書より「考へ方」に移轉せり。Careless mistakeの多いのはよくない。

松村さんの所から神田へ行き、藤森良藏氏に會ふ。やはり「講習」の方へは出ない事になる、これでこの問題は型がついた。久し振りで神田の古本屋を歩く。

何か仕事を見付けなくてはならない。

今迄は健康と言ふ事は全然考へなかった。近頃漸くそれを顧慮するに至った。

 

○四月二十八日(火)  曇後晴 暖

午後、学校へ行く。検定の爲の体格検査をしようと思ったら、月水金でなくては駄目との事。事務室で「便覽」と「卒業者名簿」とを貰ふ。硏究室を訪ふ。

「池の端」で学生証の爲の写眞を取る。川上君、田平君、今泉君に逢ふ。高島平三郎氏を訪ふ。病気に就き會はず。今泉君の下宿に行く。永らく話す。

六時過ぎた頃歸宅したら、祖母死去との事、大いに驚く。五時四十五分。

伊藤三平氏小池とみの氏の所へ円タクを飛ばせてしらせに行く。小池とみの氏を一緒に連れて來る。

諸事。今更父を思ひ起して悲し。

 

○四月二十九日(水)  曇小雨 冷

雜事。

牛込の僧を頼む。

來る人多し。

人の減るは淋し。

係累なくばもっと勇敢に理論鬪爭をするのだが。

 

○四月三十日(木)  晴 暖

火葬。

輕い風気味。

今井が來る。彼も困りもの也。

就職の事を考へる。早く何處かへ入り込む事が必要である。