○六月一日(月)  晴 暑

午前中、「ヘーゲルとヘーゲル主義」。

午後、松村氏。行き届いた家である。かう言ふ家では親父がしっかりして居て、息子は段々骨抜になるものである。

追悼録の原稿を整理する。

澪子氏は思ひ上ってゐて困ったものである。家中の心配の大部分を一人で占めてゐる。

仕事の種類が多すぎるのでいけない。

人の幻ぞ殘る。

 

○六月二日(火)  晴 暑

午前、英語。追悼録原稿の整理。

午後、憤懣に堪へず家を飛び出し、井の頭公園に行く。ボートに乘る。林間を逍遙する。いささか慰められる。しばし係纍を離れるはよし。

夜、「精神現象論」。相不變むつかし。

何か新しい仕事もがな。何かつかまへなくてはいけない。

母の性格は思ひ切りが悪く、ぐずぐずしてゐて、厭はし。

 

○六月三日(水)  快晴 暖

昨夜、明るくなるまでねむれず。近頃では珍しい事である。この頃はアダリンをのんだ事なし。

一時よりはそれでも精神衰弱が確によくなった。やはり我慢する事あるのみ。そしても一つは忘れる事が大切である。

図書館ビュフエで今泉君、日高君に會ふ。斯波さんから、卒業論文を哲学雜誌に出す爲に、書き直す事を賴まれる。

夜、出先生宅。「精神現象論」は難解この上なし。

午後、松村氏。余の如きえらい人に敎はるはもったいない話也。

 

○六月四日(木)  晴 暖

午前、英語等。

午後、母、金子夫人と三人で貸家探し。千駄木町、駒込林町、原町、林町等をうんと歩く。適当な家は中々ないもの也。

夜、卒業論文を写す。

 

○六月五日(金)  晴後雨 暑

午前、論文を写す。

午後、伊藤敎授の講義。その後で研究室に行く。伊藤さん曰く、「先日岩波の店員が來て、秋のヘーゲルの特輯号に小松君に論文を書いて吴れ、と云って吴れと云った。おとりつぎだけしておく。」白十字。謹一郎、下品也。

松村氏。英語、ミニヨンの話、面白し。

夜、瀨戸歌次郎氏來訪。追悼録の印刷の事。

これからが大変である。しっかり勉強しなくてはならない。

早く学校から離れて独立出來るやうにならなければならない。

 

○六月六日(土)  晴 暑

午前、獨逸文法予習。

午後、三代川氏。独逸文法の講義は自信あり。

歸りに神田へ行って、岩波茂雄氏を訪ふ。不在。

原稿写し。

 

○六月七日(日)  晴 暑

午前、母と原町の家を見に行く。金子さんの所へ寄る。それから、上野の松坂屋へ行く。母と別れ、船田三郎氏を訪問する。三十分程ゐる。古在氏を訪ふ、來客があったので歸る。

卒業論文を写し終へる。四十九枚に縮める。

自分の力で道を開いて行かねばならない。学校は既に卒業した筈である。

 

○六月八日(月)  雨 冷

午食後、家を出る。新宿の布袋屋でオーバー、シューズと靴下止めを買ふ。神田へ行く。岩波氏を訪ふ、不在。それから松村氏。

夜、「ヘーゲルとヘーゲル主義」をよみ、且つ紹介を書く。この仕事は明日までに完了の事。

京都哲学会退会の返知を出す。

 

○六月九日(火)  晴 涼

珍しく一日中家にゐる。散歩には出たが。

午前、岩波氏に電話を掛けたが不在。午後、思想編輯掛から、ヘーゲル特輯號の爲に論文を書いて吴れとの手紙が來る。

午後、矢島羊吉君久し振りで來訪。長らく話す。

卒業論文の原稿を一部書き直す。「ヘーゲルとヘーゲル主義」の紹介も完成する。八枚也。之は一寸したものだが、自分ではよく出來た積りである。この日、甚だしく多忙である。しかし、〆切があると仕事は早くすすむ。

 

○六月十日(水)  晴夕立 暖

原稿二つ、卒業論文と「ヘーゲルとヘーゲル主義」の紹介、を斯波さんに渡す。

午後、岩波書店に岩波茂雄氏を訪ふ。高橋里美氏が來てゐる。「思想」の事は岩波氏与り知らず。引きではなし。一寸の事でも独力を尊ぶ。

岩波書店内森靜夫氏に承知の旨、葉書を出す。

夜、出先生宅。行きに夕立に逢ふ。歸り、冷しくて快し。

母は口が軽くて困る。口の軽いものは最も好まず。

これからの仕事は、飜譯と「思想」の論文と。

午前七時、松本寛次氏來訪。

 

○六月十一日(木)  晴後雨 涼

仕事が一段落付き、其の切れ目だから、この日一日休養デーとする。午前、持物の整理をする。文(ホ)故(ゴ)(ママ)を棄てる。掃除をする。午後、入浴。久し振りで矢島氏を訪ふ。面白くもなし。人間とは不愉快な動物の事也。

百枝は馬鹿也。將來とも余の頭痛の種也。

夜、小野勇さん來訪。貸家の事。

 

○六月十二日(金)  雨 寒

森川町の家に就いて太田からしらせが來る。母と見に行く。よくない。

伊藤さんの授業に出る。面白くない。

又、飜譯を始める。前半だけ一册にして早く出さうかと思ふ。

近頃はずっと毎日ねる前にラテン、ギリシャの文法を少し宛見てゐる。語学はあせらず、たゆまずポツリポツリとする事にした。

研究室で桑木先生に會ふ。桑木さんは會ふ度に我々の飜譯に就いて尋ねる。

 

○六月十三日(土)  晴 暑

午前、飜譯。

午後、三代川氏。歸りに早慶戰のラヂオを少し立聽きする。歸宅したら、三村安治氏が來ておられる。追悼録の事など色々話しをする。七時半、家を出て大高會に出席。よし松。皆で七人。矢島と歸る。

半年や一年は直ぐたつ。仕事はコツコツと確實にやるべし。

家庭敎師を定収入とし、論文を副収入とする。

出版を以って立たうか。

 

○六月十四日(日)  晴 暑

飜譯をする。

午後、少しひるねをする。

家にゐるのが不愉快で仕方がない。人間は何故こんなにまで厭はしいものなのだらうか。我家のみなりや。又、我のみかく感ずるにや。

午後十時半、新宿驛に三村安治先生を送る。新宿の夜の町を憂鬱に閉されて歩く。よっぱらひのみ多し。

力になるのは自分の力のみ也。他人は他人也。

○六月十五日(月)  晴 暑

午前、約の如く日高君來る。田中氏の事を賴む。ハルトマンの飜譯に就いて打合せをする。伊藤さんさへいいと言へば、半分だけ先に出す事にする。

前の、二十九疊の貸家を見る。悪からず。

午後、松村氏。

早稻田が久し振りで慶応に勝つ。しかし相撲の方が面白い。

祖母の四十九日。

夕飯の頃、澪子氏も百枝もゐず、のどかなる事此上なし。

この二人ゐずば、我が家はいとものんびりする。一切の苦勞と憂鬱はあの二人に原因する。

晝夜兼行で飜譯を進めるであらう。

元気一杯で行かう。

 

○六月十六日(火)  曇 寒

午前、代數と英語。

午後、五中へ行く。保證人會。和郎、成績良し、五番也。それから古在由重氏を訪ふ。一時間程話す。

フォールレンダーの譯本を貰って來る。

夜、大学院学生の会。高見澤榮壽氏と蓮元啓文氏。その後で、日高、今泉の徒と中島に會す。日高氏、田中氏の所へ行った由、之でこの件は片がついた。

 

○六月十七日(水)  曇小雨 冷

午前、「現象論」。

午後、松村氏。

夜、出先生宅のヘーゲル會。強い地震あり。例として今日のメンバーをあげれば次の如し。出隆氏、川田熊太郎氏、細谷恒夫氏、金子武藏氏、須田豐太郎氏、坂田芳衞氏、小松攝郎氏、高橋文子氏、法政の某氏、以上九名。

飜譯のプラン。一先づ一氣呵成に譯して了ふ。之が七月の終迄。

八月に入っては右の訂正、及び「思想」の論文。九月中に完成して了ひたいもの也。

 

○六月十八日(木)  曇 冷

幾何と英語の豫習で随分時間を取られる。英語はまだしも、数学などは早く止したきもの也。

午後、母と大塚方面に貸家探しをする。なし。

夜、赤羽と云ふ大工が來る。色々話をする。

飜譯。

我が心配と憂鬱の殆ど全部は百枝と澪子氏から來る。何とも困り者也。一人だけで東京に來てゐる友達が羨しい。

他人は賴みにならない。人の事をさう眞味になって吴れる人はないもの也。

 

○六月十九日(金)  曇後晴 涼

午前、飜譯。

午後、登校、伊藤さんの授業。その後、若山君から出版の事に就て尋ねる。追悼録は五百円位で出來さうなり。

松村氏。近頃では英語でも代数、幾何でも説明が上手になり、いとも名講義也。併し聽手が惡いからいけない。

相手が一人の講義は飽きて來た。何処か口を探さなくてはならない。

仕事をしない人のみが惡口を言はれない。卽、だまってすっこんでゐる人は問題にされる事なく、従って攻撃もされない。

仕事は面白し。一寸した仕事でも意味があるもの也。有能な仕事を欲する。

 

○六月二十日(土)  半晴 暖

午後、三代川氏。独文法の講義は益明快となる。今学期は之で終り。神保町に廻り、岩波書店に森靜夫氏を訪ひ、「思想」の論文に就いて聞く。やはり伊藤先生が推せんしたる也。ハルトマンの譯の事。

上野の松坂屋へ廻り、母と姉と落合ふ。小野さんの所へ行く。勇さん不在。

「哲学雜誌」の原稿の校正刷が來る。校正をする。終へたのが明日の午前二時。

あせってはいけない。

「思想」の論文の題を〝「精神現象論」に於ける辯證法〟としよう。

 

○六月二十一日(日)  曇小雨 暖

久し振りで「佛敎文化」が來る。退会の通知を出す。

午後、新宿へ遊びに行く。帝都座へ入る。「しかも彼等は行く」を見る。面白くない。成功したものではないと思ふ。外に「レビュー」あり。

夜、飜譯。九十九頁迄。

久し振りで睡眠藥を用いる。

 

○六月二十二日(月)  晴 暖

「哲学雜誌」の原稿の校正を岩波に送る。

午食後、研究室を訪ふ。本を返す。今泉君に會ふ。

夜、矢島さんを訪ふ。やせたと言はれた。

昨夜、アダリンの爲長くねむる。この日だるし。

飜譯。第百頁を突破する。しかし六月中に「現象論」(一四一頁迄)を終やすはむつかしからう。

又不眠症の傾向が生ずる。之、我が持病也。

 

○六月二十三日(火)  晴 暑

早朝、林益一氏來訪。爲に七時におきる。ねたは三時か四時。睡眠不足は最気持悪く、又、疲れる。

この日一日外出せず。入浴、午睡。それでも一日家にゐると可成り飜譯も出來る。

神経衰弱とは考へないでもいい事を考へ、その考がつきまとってはなれず、それに惱まされる、事を症狀とする。又少し神経衰弱のやう也。鉄の如き神經を欲する。

三木氏の新著「觀念形態論」をよむ。よろし。人は何と言はうとも。

 

○六月二十四日(水)  雨 涼

午後、松村氏。代數は「式の變形」をおへる。

夜、出氏。もう一回。

この日咽が少し痛く、気分不快也。昨日のひるねのためであらう。

精神の爲の休養は忘れる事である。忘れられないのは精神が健全でない證據である、それは神經衰弱である。

敎へるのは最良い学び方法である。

 

○六月二十五日(木)  雨後曇 暖

午後、神田へ行く。本屋を一廻りする。三省堂にいつも買ふ原稿用紙なし。他に適當のを探して、神田、新宿を歩く。疲れる。やはり憂鬱也。

澪子氏一人で家中をどんなに暗くしてゐるか分らない。

未だ僅に風気。

飜譯。

苦惱の道。

批評は難い。頭から悪口を云ふのは簡単である。しかし悪口を言ふもの自身に書かせてみれば、何にも書けはしない。何にも書かないでゐれば悪口は言はれないですむ。

 

○六月二十六日(金)  曇小雨 暖

午前六時起床。いとも珍し。十時家を出る。本鄕の古本屋を一廻り見る。研究室を訪ふ。

伊藤さんの授業。今日で終り。夏休気分濃し。

松村氏。試験の爲、向二週間休業。

醇郎がいつまでもねないので、こっちもねむれない。迷惑甚し。

 

○六月二十七日(土)  晴 暑

午後、出先生の演習に出てみる。今泉君おらず。その後白十字で出先生桐谷氏とだべる。

それから原稿用紙を探しに銀座へ行く。三省堂にあったのと同じのを松屋で發見する。二册買ふ。

一人の人の知識は少いものである。知識を欲する。

ヘーゲルが飽きたと言ふ譯ではないが、色々他の事をしたくなった。ギリシャ、ラテン、それから古代哲学。西洋歴史。

我が神經衰弱治らず。

 

○六月二十八日(日)  晴 暑

午前、飜譯。

午後、散髪。それから日高氏を訪ふ。飜譯の事等に就いて色々相談したりする。

夜、母と矢島氏を訪ふ。来客の爲呼び返される。

高木守三郎氏夫人來訪。後で皆でたべって時間をつぶす。祖母の命日。

元気一杯。さあ來い。

 

○六月二十九日(月)  曇 暑

飜譯。

福島氏夫人來訪。

午後、岩波書店に谷川徹三氏に會ふ。山田に逢ふ。

夜、長坂端午君來訪。

澪子氏が僕の電気スタンドを壊したので、新しいのを買ふ。但し澪子氏の金で。スタンド一円、笠十五戔。

今迄のプランでは七月中で第一回の飜譯を完了し、八月中で思想の論文、九月に飜譯の訂正の積りであったが、谷川氏が早く書いて吴れと言ふので、七月と八月を入れ代へて七月中で論文を書いて了はうと思ふ。

 

○六月三十日(火)  晴 暑

又朝までねむらず。やぶれかぶれの嫌いあり。

この日一日外出せず。

飜譯は一三〇頁迄(夜の十二時まで)。この月の後半の進み方大いに早し。しかしやはり「現象論」は終へなかった。

六月を送る。漸う六月がおへる。