○七月一日(水)  曇後雨 暑

十時起床、六時までに五頁半譯す。

夜、出先生宅のヘーゲル會。之で最後。

人は先へ先へと望みを掛けて生きてゐる。

或一事に熱中してゐる時は他の事は頭に入らない。又他の事が侵入して來ると、非常に不愉快である。

 

○七月二日(木)  曇後晴 暑

午後十一時十五分、ハルトマン、一四一頁迄譯了。卽「現象論」の終迄。僕の受持の三分の二也。但し「序文」は未だ譯してない。スピードが早かったので荒けづりである、よく訂正しなくてはならない。飜譯の方は一段落して、「論文」を先に書いて了ふであらう。

十時起床。午後は一時から五時までひるね。疲れてゐるのでどうしても目があかぬ。晝夜顚倒の觀がある。

不眠症を治す方法は、原因を除く事、卽生活を變へる事、境遇を變へる事。ねむり藥は不自然の方法である、その時限りのものであって、長續きはしない。

 

○七月三日(金)  晴 暑

夜、伊藤さんを訪ふ。出さんとちがって余計の事をしゃべらないので、話がとぎれる。

暑くなって來たのでだるい。この日仕事のつなぎの日なので休養する。

 

○七月四日(土)  晴、夕立 暑

十時起床。家を出る。先づ丸善へ行く。それから三越へ行く。本を見る、あまりいい本が來てゐない。本鄕へ行く、研究室を訪ふ。敎授連のだべりを聞く。クーノー・フィッシャーを借りる。今泉君を訪ふ。長らく話す。本鄕通りで本を探す。郁文堂でフェノメノロギーの英譯を買ふ。歸る。この行、多くの用が一時に済む。

夜、家中小野勇氏にチブスの豫防注射をして貰ふ。

仕事のつなぎ目で少し未だのんびりしてゐる。仕事はやりだしたら一応の終迄熱中してやらなければならないが、そのつなぎ目にはやはり休養を要する。

〝思想〟の論文の爲の準備を開始する。しかし、歸鄕前には本式には出來ないであらう。

 

○七月五日(日)  晴 暑

phänomenologieをvorredeから始めてよみ出す。前によんだ時よりは自ら又理解の程度が異る。勉強を始めるとテーマはいくつも出てくるもの也。

午後、母と岩波茂雄氏を小石川の自宅に問ふ。追想録の事等。それから貸家を一軒見て、伊藤三平氏の所へよる。金子武藏氏に逢ふ。この留守に太田和彦氏來訪。一寸の所で間に合はず。

伊藤さんではないが、飜譯は時間をくって損也。それより論文を多く書いた方がよろしい。その方が勉強にもなる。

己には意地がある。意地で頑張れば出來ぬ事はない。

當分就職運動も出來ない。論文と飜譯とがしばらくは私の仕事である。

 

○七月六日(月)  雨 凉

父の追想録の原稿をよみ、順序を定める。之がこの日の仕事であった。この日一日ちっきょ。

日高氏は田舎者だけあって、一寸鈍い所がある。今泉君の方が細い所は分る。

この社會にゐるものはどんな生活をしてゐても苦しむ。社会が矛盾してゐるのだから、その中の個人が苦しむのは当り前である。しかし之は若い人の苦しみであって、この苦しみは年を取った人には分らない。唯抑へつけようとする。――係櫐なくば我はもっと自由に我が思想を發展させる事が出來るのだが。

大觀すれば、昨年論文を書き出した頃以來常に不眠症に惱まされ、睡眠の具合よく行った日は非常に少い。つまり之は全体として神經衰弱の度の進んだ事を示すものである。不眠症から解放されればどんなにいいか分らない。

 

○七月七日(火)  曇 凉

朝、郵便物六つ。何れも我の所に來る。夫々返事を書いたりして仕末する。

「精神現象論」をよむ。面白し。

夜、金子直一氏來訪。追想録の事など相談する。

獨在を欲するや切なり。しかし多と切り離された独在ではなく、多を容れうるそれである。なんと係櫐の苦しい事か。

 

○七月八日(水)  曇 暖

午前、「フェノメノロギー」。

午後、神田を一廻りする。

川上繁男君來訪。ヨナス・コーンの飜譯に就いて。

夜、矢島氏を訪ひ、キング七月号を借りて來る。汽車中でよむため。

「哲學雜誌」七月号が出來て來る。

入浴。段々目方が減る。十二貫臺を割る。

 

○七月九日(木)  曇小雨 凉

昨夜の夜行で歸京(ママ)。新宿発十一時五十六分。七時半茅野につく。母と二人。

鑄物師屋へ行く。

知ってはゐても、急に田舎に來ると物毎に珍し。

夜行で來ると。その日一日寒し。

たしかに田舎にゐると神經が休まる。

 

○七月十日(金)  曇後雨 凉

久し振りでよくねむる。九時から十二時まで十五時間の間、時々おきただけ也。環境の変るのはえらいもの也。

明日の爲の用意。宮原の家へ行く。

身體の疲れてゐるのを感ずる。

友達の、東京の、夢を見る。

かうやってゐても論文の構想を練ってゐる。

 

○七月十一日(土)  雨 凉

御施餓鬼。之も亦つとめなり。

田舎の慣習にもロゴスあり。

 

○七月十二日(日)  雨 冷

朝から後仕末をする。

午後、家を閉ぢて母と上諏訪へ行く。河西先生を訪ふ。不在。其の他の人と話をする。

それから三村安治氏を訪ふ。不在。九時に歸って來る。そこで追悼録の事など相談する。十二時の夜行で立つ。

この日旧知に逢ふ事多し。

 

○七月十三日(月)  雨後曇 凉

午前六時、東京に著く。

色々のものが來てゐる。「哲学雜誌」三冊、仝誌原稿料四拾壹円四拾戔、其他信書等。松村さんから御中元が來てゐる。

夜、松村氏。歸ったら、笹岡美代吉氏、笹岡茂雄氏來訪中。

諏訪へ行って來て大分健康的になった。

 

○七月十四日(火)  曇小雨 凉

午前から二笹岡氏を案内して東京見物。明治神宮―新宿―丸ビル―二重橋―三越―銀座―上野―淺草。疲れる。

笹岡二氏歸る。

夜、小野さんにチブスの予防注射をして貰ふ。第二回。

Phänomenologieをよむ。之から少し勉強して、兎に角論文を書いて了はないといけない。

 

○七月十五日(水)  曇小雨 凉

昨日の疲れあり。

「フェノメノロギー」。辯證法を考へる。

夜、松村氏。到底一髙へ入れはしない。既に先生の方であきらめてゐる。だから熱が入らない。――夜の街美し。歸りに道で「野に叫ぶもの」のラヂオを聞く。

美しきもの宜し。音樂を愛す。

東京にゐると神經衰弱になる。

 

○七月十六日(木)  曇 暖

午前、「論文」を書き始める。

午後、着流しで新宿を散歩する。高田の馬場驛で細谷恒夫氏に逢ふ。盆で人出多し。

夕方、百枝の用で女子大学へ行き、安井先生に會ふ。郊外美し。

 

○七月十七日(金)  曇後晴 暖

松村氏の豫習。

「論文」製作。今となって時間足らず。よむ本のみ多くてよめない。

夜、松村氏。

向ふに言分があれば、こっちにも言分がある。こっちには自惚がある、自尊がある。

二人一室は思索を妨げる。健全な生活状態ではない。

思想の違ふものと同居は出來ない。別れるより外ない。

人は気に喰はぬ事を言ふもの也。その時はフンフンと聞いてゐて、而も言ふ事を聽かないがよし。

 

○七月十八日(土)  晴後曇 暑

論文。しかし頁は頑張れぬもの也。

午後、本鄕へ行く。用が足りず。今泉君を訪ふ。太田和彦氏を訪ふ。不在。神田へ廻る。ヴィンデルバントの近世哲学史を買って歸る。

夜、矢島氏を訪ふ。

軽い風気である。頭痛し。

この日市電回数券が終へる。

 

○七月十九日(日)  晴後曇 暑

九時起床。午後晝寝をする。斷然暑し。

午後、小野勇氏、チブスの注射をして貰ふ。第三回目、之で終り。

暑いので頭が非哲学的になる。一人だけ固い事を頑張ってゐるのが苦勞になる。「思想」の論文も四苦八苦である。公になるものだから、どうも気が引ける。又、日が少いのであせり気味になる。

夜、街でラヂオ・トーキーを聞く。人間の声が一番美し。

軽い風気味。皮膚が丈夫になったらしく、風を引きさうな事をしても風気味で終へて了ふ。

正午、九十一度。

 

○七月二十日(月)  雨 凉

「論文」、昨日と今日で十三枚書く。未だ出來上りはしないが、一寸一段落。あせってはいかん。

夜、松村氏。苦勞な仕事でないのですまない様な気もする。各科とも七月の終りで切りの良い所まで行くやうにする。

論文を少し中止して、追想録の原稿を書く事にする。同種類のものを讀む。

 

○七月二十一日(火)  曇後雨 凉

午前、金子まさえ氏來訪。

追想録の仕事。手紙、遺稿をよむ。自分の思い出を書く。通信等。

〝思想〟の論文も前後一ヶ月掛るであらうが、その間中斷される事二回。歸鄕と追想録と。

この日外出せず。金はかからない。

 

○七月二十二日(水)  曇小雨 涼

曉まで傳記を書く。やせる。疲れる。

午前、矢島茂子刀自來訪。

傳記の續き、又書き直し。

松村氏。頭が疲れたので、歸りに新宿を散歩する。だいぶ快くなる。

百枝は困り者なり。あの様に調子を外してゐても困る。変な者が出來たものだ。

 

○七月二十三日(木)  曇 凉

小傳。思ひ出。を書く。編輯等で余も醇郎も大いにやせる。主として二人でやるのだから無理もない。それに、まざまざと昔を思ひ起して息がつまる様也。

夜、ラヂオ・ドラマ「カチューシャ」を聞く。

たまには早くねようと思って、九時に睡眠藥をのむ。

 

○七月二十四日(金)  曇 涼

上野の松坂屋に行き、零時半からの「ニットーレコード、音樂と舞踊の會」を見且つきく。面白し。

夜、松村氏。Royal Oak Readers. Book Four.終了。

「父を億ふ」を書く。明日と明後日とで、「追想録」の原稿を大体まとめねばならない。

 

○七月二十五日(土)  晴 暑

〝追想録〟で多忙を極める。「小傳」の第四稿を書く。二十枚。音次氏に見て貰ふ爲に持って行く。

百枝には困りもの也。する事なす事常軌を逸してゐる。

夜、小澤秋成氏夫妻來訪。

〝父を億ふ〟にかかる。本當に父を憶ひ、明方までねむれず、悲しみに堪へず。父の手紙の一字一字の間より惻々の情生じ、涙下る。

 

○七月二十六日(日)  晴後曇 暖

昨日斷然頑張り、而もねむれなかったので今日疲れる事甚し。体力消耗し盡した観あり。

「父を憶ふ」を兎に角完成の形にする。十四枚。

矢島音次氏の所へ行った所が、途中で行き違ひになる。そこで歸って來る。音次氏、我が「小松武平小傳」に九十五點を附ける。色々話す。

今度の夏にでも健康策を考へなければならない。兎に角父の発病以來無理に無理を重ねてゐるのだから。

 

○七月二十七日(月)  晴 暖

〝追想録〟の仕事。

昨夜、ねむり藥〇六。十時~十一時半、ねむる。又、ひるねも長くする。いくらか元気が出た。

松村氏。

そろそろ追想録を切り上げて、「思想」にかからねばならない。

 

○七月二十八日(火)  晴 暑

午前、學校へ行く。汽車の割引券を貰ふ。研究室へ行く。伊藤敎授に會ふ。冨山房へ廻ってリーダーを買ふ。

午後、日高君がヒョッコリ來る。

「父を憶ふ」を少し書きかへる。

醇郎が熱があるので、代って僕が三村安治氏の所へ行く。十二時発の夜行。

 

○七月二十九日(水)  晴 暑

朝、上諏訪著。三村安治氏の所へ行く。〝追想録〟に就いて、色々相談したり、原稿を見て貰ったりする。我、二回ひるねをする。用件をすまし、夜、九時発で上諏訪をたつ。

 

○七月三十日(木)  晴 暑

朝五時、新宿著。

長くひるねをする。

午後、井上思外雄氏夫妻來訪。

夜、店先でレコードを聞く。音程美しきものなし。姉、靑梅からかへる。

〝追想録〟の仕事。岩波へ持って行くは八月一日になるだらう。

係櫐も亦よきもの也。人は勝手を云ふものかな。

〝追想録〟の仕事が終へたのではないが、〝思想〟の論文の方に又かかる。

 

○七月三十一日(金)  晴 暑

九時におきる。論文執筆。題は「ヘーゲルに於ける意識の辨證法」。八月二日に出來上るであらう。

〝追想録〟も愈々準備整ひ、明日岩波へ持って行ける。

夜、松村氏。月謝、參拾圓。この次に拾圓返すであらう。幾何、面積終り。英語、リーダーに入る。

夜、母が太田貞一氏を訪ふ。余の「小序」がよくないので、訂正して呉れると。