○八月一日(土)  晴 暑

午前、論文。

午後、「野に叫ぶもの」を見る。面白し。

醇郎、「追想録」の原稿を岩波へ持って行く。但し一部分を残す。

太田貞一氏から「小序」の訂正が來る。若山君から「ヘーゲルとゲーテ」が來る。

「追想録」は醇郎一人が苦勞してやったので、遂に熱を出して了った。

感傷の克服。感情的愛の理性的愛への純化。之でなくては駄目だ。

この頃、大いに音樂が好きになった。

 

○八月二日(日)  晴 暑

「思想」の論文完成。二十九枚也。一昨日から一日約十枚の割で書く。尤も前に筋を書いておいたのを引き伸しただけである。凡そ論文は一日十枚位が適度であらう。多く書くとどうしても粗雜になる。これで仕事が一段落。〝追想録〟の文も書いたり、一寸樂になった。少し休養するであらう。後はハルトマンの飜譯のみ。

夜、今泉君來訪。金子さんの所へ行かうとしてゐる所へやって來る。しばらく話してから、外出して一緒に新宿を散歩する。しかし食ひ足りぬ感じあり。

なれない爲かもしれないが、或ものを公にする時には不安が伴ふ。しかしこれは止むを得ない事であらう。

 

○八月三日(月)  晴 暑

〝思想〟の原稿を送る。

午後一時、醇郎と〝追想録〟原稿の残部を持って、岩波書店に行く。五時近くまでかかって、すっかり用をすます。之で一段落。しかし又校正が大変也。

夜、松村氏。明日鎌倉へ行くと。それでこれからは一週二回。午前。

金子直一氏來訪。

東京で校正をする事になる。

感情のみの感情は假象である。Wahnsinn des Eigen dünkelsとヘーゲルは称する。理性と結び付いた感情、理性の中に止揚された感情でなくては駄目だ。

 

○八月四日(火)  晴後曇 暑

仕事が一段落したので、比較的よくねむる。従って少し元気よし。

午後、醇郎と銀座へ行く。松屋、不二屋。

夜、街でレコードを聞く。こっちで聞きたいのを向ふでは掛けてくれぬ。之はやむを得ない。蓄音器あらば良いと思ふ。

百枝は精神的かたわなり。

「梅・鳥(馬)・鶯」をよむ。芥川をよむは久し振りなり。多忙の爲文藝を離れる事久しかったが、今よみ返してみると面白い。

 

○八月五日(水)  晴 暑

昨夜ねむれず、朝になる。今日はいささか悲観した。之を治さなくてはいかん。

散髪。入浴。

〝追想録〟の後の残務をする。之が中々少くない。

夜、音次氏を訪ふ。

先づ始めに熱心、執着と云ふものが來る。之は未だ本当のものでなく、過渡的・臨時的である。之が落着くと無執着にして、而も之を攝容する事になる。之が止揚である。感情から理性への発展である。歴史的にはヤコービー一派は前者に屬し、ヘーゲルは後者に屬する。ヘーゲルが前者を非難するには理由がある。感情的愛から理性的愛への発展もこの過程である。執着の状態では他が我を従って、我は他の奴隷である。しかし我はいつまでも他の奴隷であってはならない。我は我に還歸しなくてはならない。私は今音樂に執着してゐるかの如くである。

 

○八月六日(木)  晴 暑

この日最暑し。又、この日一日中ねむし。けだしアダリンは疲勞を発散させる性質を有してゐる。ひるね。諏訪へ歸り度くなった。

午後、母と新宿三越へ行く。背広服を買ふ。十五円也。

後の仕事は飜譯のみ。今は休養してゐる。仕事も大事だが身体の方が尚大事だから。ねむれるやうになればいいが。

〝追想録〟の後の仕事。借りた本、手紙等を返す。

 

○八月七日(金)  晴 暑

昨日から急に暑く、本格的の東京の夏となった。

午前、松村氏。朝、母と醇郎と和郞と三人諏訪へ行く。

午後、姉と井上思外雄氏宅を問ふ。「成城学園前」。始めは留守。その中に奥さんだけ歸って來る。ライオンの子の様な赤ん坊がゐる。歸りに新宿の三越で姉に五十戔のネクタイを買って貰ふ。

 

○八月八日(土)  晴 暑

昨今、だるく、ねむし。疲れが出たのでもあらう。暑いので一日中ねころんで雜誌などよむ。神經衰弱治りさう也。芥川の随筆面白し。しかし暑いには閉口する。

ハルトマンの飜譯の訂正。伊藤さんに見せる部分。始める。疲れぬ程度に少し宛やらう。かなり休養もしたから。自分でかがみを見るに顔付も少しよくなった。

百枝は想像を絶する馬鹿也。あの位抜けた人間も余り無い。

夏は音樂宜し。音樂の中でも僕は和樂を好まず、洋樂を好む。古いものはどうも感心しない。新しいものの方がいい。講談や落語よりはシネマの方がいい。

「睡眠」と云ふ事は我が惱み也。我に不眠症がなくなればどんなにいいか分らない。不眠症は我の税金のやうなもの也。

 

○八月九日(日)  晴 暑

午前、たまってゐた手紙を七八枚書く。

午後、池袋武藏野館へ「野に叫ぶもの」(爭闘篇)を見に行く。暑かったが面白し。この留守に笹岡末吉氏來訪との事。

夏の夜は音樂宜し。尤もいつでもいいが。

夜、神田へ行く。「岩波」で醇郎の本を受取る爲に。三省堂で原稿用紙を買ふ。バスが出来て、神田へ行くには大変便利になった。

断然早起早寝にしようか。

発信 小沢秋成

受信 小沢秋成

 

○八月十日(月)  晴 暑

午前、松村氏。

午後、雜事。少し退屈の影が射す。多忙の後を受けてしばし閑日月を樂しんでゐたが、退屈の傾向が生ずるに至っては又大いに頑張らねばなるまい。飜譯を進めよう。

もう校正が來る筈だのに何の音沙汰もない。堤氏に問合せる。

夜行で姉が立つ。その爲種々用を爲す。夜、矢島羊吉氏久し振りで來訪。一緒に西瓜を買ひに行ったり等する。

明日あたり鎌倉方面へ遊びに行かうかとも思ったが止す事にする。

 

○八月十一日(火)  晴、曇勝ち 暑

飜譯の訂正を少し宛する。

例の鍵屋が來る。「アキスヨケ」と「蝶番ヒ」九個とを付ける。

午後、日高氏が來る。少時にして忽ち歸る。

岩波の植村氏から手紙が來る。明日から校正刷を送ると。

新しい領地を開拓する事は必要である。既に持ってゐる領地を深く掘るのも勿論大事だが、それのみに止るのはよくない。進歩が少い。新しい領地が開ける事によって、却って前の領地の理解も深くなるものである。私に取って今新しい領地と云へば音樂とシネマであらうか。如何なる職業に携るにしても人は人である。だから人として生活範囲を広めるのは悪くはない。

 

○八月十二日(水)  晴後小雨 暑

飜譯訂正をし上げて日高氏へ速達で送る。原文九頁、五日かかったんだから、少し宛やったもの也。

百枝、同類項を連れて來て朝から晩迄隣の部屋で愚にも付かぬ事をしゃべってゐる。馬鹿とも非常識とも云ひ様がない。

午後、新宿を散歩する。

藤村の「市井にありて」をよむ。甘くて駄目也。もっと強い所がなくちゃだめだ。女学生向也。

連日三十二、三度。暑いと身心共に疲れ易い。

何事にまれ先達はあらまほしきものではあるが、又先達が素直な成長をさまたげる事もある。

哲学に於いても亦ヘーゲルを切り上げて新しい領域を開拓するは必要である。

午後八時半、校正刷が來る。第一回也。一先づ校正をして了ふ。

八月中の仕事。一、校正。一、伊藤先生へ送る飜譯(一章)。一、松村氏。以上の三つと明るい時に皆で校正をする。それがすんでから風呂に入る。夜は休養、文学ものをよんだりする。又松村氏の予習は主に午前、或は夜。成る可く早起早寝の事。飜譯は適宜時を見計ふ。

受信 堤

 

○八月十三日(木)  半晴 暑

この日今迄より凉し。

午前、松村氏の豫習。

午後、日高君と羊吉氏が校正の爲に來て呉れる。が、校正はして了ったので無駄話をして歸る。

校正もないので散歩をする。どうも飜譯の事が氣に掛ってゐて仕方がない。しかし、八月中には伊藤さんの所へ送るのだけすませて、後は九月に改めて着手する。それより外仕方がないだらう。

類は友を呼ぶ。百枝の友達は皆非常識なり。鼠の如く、盗棒猫の如し。物も言はず、挨拶もせず、チョロチョロと來ては又チョロチョロと逃げる様に行って了ふ。毎日來ながらこの通り。百枝にしてからが、だまって飛び出したっきり夜の十一時にもならねば歸っては來ない。敎会ではあれで通用するのだらう。あの調子では世の中は一歩も歩けぬ。物を知らぬにも程がある。喧嘩になるから文句は言はぬ。松本壽美子さんの様な人と較べてみるがいい。

 

○八月十四日(金)  晴 暑

午前、松村氏。幾何は比例に入る。

午前から午後へかけて金子秋子さん、午後矢島羊吉氏、校正を手傳って呉れる。

大体から云へば七月は思想の論文、八月は追想録と云ふ事が出來る。色々片付くので九月からは専心飜譯をする。

 

○八月十五日(土)  晴 暑

この日頃を校正のみに費すはもったいないと気附いてハルトマンの飜譯へ先へ進め始めた時(第四節)、日高氏から飜譯の原稿が速達で届いた。之を見る。

醇郎から手紙が來る。盆に歸らねばならぬ。そこで十七日晝行でかへる事にする。二十一日頃歸京する。そっきりスワへは行かぬ。夏休は三日也。

校正刷が沢山來始める。

夜、矢島氏を訪ふ。種々の用あり。

今度歸京したら、新學期の積り也。意気を新にして働く。「追想録」と「飜譯」と兩天秤で行くであらう。

 

○八月十六日(日)  晴 暑

秋子さんが朝から來て校正を手傳って呉れる。午後無駄話しをして、二時かへる。

それから僕が校正する。

明日かへると云ふのに、百枝は一向に家へ寄りつかない。重ね重ね其の馬鹿さ加減には腹も立たない。

留守中の校正は矢島氏に一任する。

百枝は何の用もせぬから、一切ひとりでやらねばならぬ。無責任のものは樂也。浮いたやうな事ばか云ってゐればそれでいいのだから。一切の相談相手にはなれぬ。又仕事をさせても、碌な仕事は出來ないので、結局自分でやった方がいい。

夜、新宿へ買物に行く。この日色々の仕事で疲れる。

 

○八月十七日(月)  晴 暑

十一時二十二分発で百枝と歸鄕。

夜、寺へ行ってピンポンをしたり、おどりをみたりする。

 

○八月十八日(火)  晴 暑

盆の十六日。祖母の百ヶ日法要。

夜、盆おどりをみる。

 

○八月十九日(水)  晴 暑

父の墓の移轉をする日。

東京から、盗棒が入った、と云ふ電報が來る。十一時五分茅野発で一人上京。探した跡はあるが、ぬすまれたものは一寸気がつかない。一汽車おくれて百枝と和郞上京。

 

○八月二十日(木)  晴 暑

校正。

日高氏が來る。折しも一寸するべき校正がないのでただかへる。

岩波の小僧が口絵と凸版の見本を持って來る。

どうも忙がしい。

夜、今泉君と羊吉氏が來る。

飜譯は一寸中止しようかと思ふ。百枝は役に立たず、相談相手にもなれず、一人で一切の畫策をするのだから忙しくて仕方がない。

 

○八月二十一日(金)  晴 暑

午前、秋子さん來る。午前、皆で校正。

午後、秋子さんと「武藏野館」へ行く。(三字不明)をみる。

校正は今たけなは也。忙しいってない。

軽い風気らしい。煙草を吸ひ過ぎたためだらう。

 

○八月二十二日(土)  晴 暑

軽い風也。鼻汁が出る。右半身よからず。計れば熱も出てゐるだらう。

午前、校正。今迄で二五〇頁程組まれた。残りの方が少くなって來た。

午後、日高君が來て、ハルトマンの飜譯の訂正をする。日高氏がよむ。日高氏の伊藤さんへ送る分だけすます。

夜、今泉君來訪。

 

○八月二十三日(日)  半晴 暑

少し凉しくなって來た。――未だ風氣だが、昨日よりは良いらし。

午前、校正刷を持って、矢島氏を訪ふ。英語を調べたり等する。

午後、金子秋子氏來り、校正をする。矢島羊吉氏も來る。駄辨る。秋子さんはそれでも師範へ行ってから、しっかりして來た。

この日日曜である爲、校正刷來らず。一寸のんびりする。夜、街など散歩する。十九日に上京してからと云ふものは息も付けなかった。

 

○八月二十四日(月)  曇後雨 暑

午前、松村氏。代数、聯立方程式に入る。

午後、午睡。それから矢島氏を訪ふ。

夜、今泉君が來る。校正刷の來るのを待てど來らず、遂に歸る。どうした譯だらう。

風、中々抜けず。

久し振りの雨。これからは一雨毎に凉しくなるだらう。これで今年の夏も終りか。今年は暑さを満喫したと云ふ所だらう。

百枝の行動は、よく見れば見る程常軌を逸してゐる。あれでは困る。

「編輯後記」を書く。約七枚。

 

○八月二十五日(火)  曇小雨 凉

午前、飜譯の清書などする。「理想社活版印刷所」の小僧が來る。

午後、校正が來ぬまゝ新宿へ遊びに行く。「心の曉」よろし。

夜、今泉君が來て、校正刷を一部持って行く。

父なきは何と淋しい事である。

死を恐れるは本能的である。死が恐ろしくなれば大したもの也。人生のはかなさは誰しも感ずる所であらう。唯程度が違ふだけである。我又近頃人生のはかなさを感ず。

退屈は殺人的也。目の廻る程忙しきは喜ばしき也。しかし健康は損ってはいけない。その爲には休養が必要である。休養は無為を意味しはしないであらう。生活を変へる事であらう。

 

○八月二十六日(水)  晴 暑

午前、校正。

午後、矢島氏を訪ふ。「編輯後記」を送る。

夕方、「理想社印刷所」の小僧來る。残りの初校全部と再校の一部分を持って來る。休に忙がしくなった。しかし二三日にしてすむであらう。本文だけで四二一頁。大冊になったもの也。きれいだから三校はせぬと。印刷上の事は皆余に責任があるので、気苦勞也。百枝の様に呑気には行かぬ。

 

○八月二十七日(木)  晴 暑

日高氏、今泉氏の所へ校正刷をたっぷり送る。總動員で校正をする。矢島氏にも頼む。秋子さんにも來て貰ふ。そして兎に角この日で初校を大体終へて了った。未だ來ぬものは目次と編輯後記。

我、身體の衰へを感ずる。胃腸も弱ったらし。腹痛もあり。

この日音樂を満喫した感あり。街頭と銭湯とで。

 

○八月二十八日(金)  晴 暑

七時頃起床。午前、松村氏。

午後、岩波へ行く。植村氏に會ひ、色々相談する。岩波氏にも會ふ。この日初校完全終了。目次、編輯後記、奥附等。この日校正百二十頁。後に残るは再校一〇〇頁。夜、矢島氏、日高氏が來て手傳って呉れる。今泉君も来る。覆紙の色が一寸気になる。

東京、午後二時、三十三度五分。今年の最高。

再校は全部僕が目を通さなければならないので、明日も亦忙し。

百枝の校正一番惡し。よく見逸すし、又直し方がきたなくて、不明で、又直し変へなければならない事がよくある。秋子さんの方がよろし。百枝は仕事をさせれば役に立たない人間也。めったに事を頼めない。

 

○八月二十九日(土)  晴 涼

校正。この日、再校六十三頁。矢島羊吉氏、金子秋子氏手傳って呉れる。残り三十五頁。「安達謙藏宛」の「出版届」に判を附く。「追想録」は實際大したものだ。あれだけの内容のものはめったにあるものではない。

「讀賣」に濱口さんのデス・マスクの写眞がある。「生けるが如し」と書いてあるが、そんな事はない、たしかに死んでゐる。生と死との境。

秋子さんがよく來たので性格も頭もよく分ったが、大体考へ方が我々と全然違ふ。論理的に考へると云ふ事が全くない。その点では百枝も同じ。そばにゐてよく分ったが、百枝は想像を絶する馬鹿だ。何故あんな馬鹿が我家に生れたものだらう。

夜、十時半、校正刷三十五頁、速達で來る。後は「編輯後記」と「目次」のみ。

 

○八月三十日(日)  晴 暖

めっきり凉しくなった。午前、理想社が残りの校正刷を全部持って來る。午後一時完全に校了。大いに嬉しく、食後家を飛び出す。浅草へ行く。シネマも存外深い所があるから馬鹿にしたものでない。シネマは全身藝術也。どんなものでもあるものは馬鹿にしてはならない。

留守に矢島氏來訪。又、夜一寸外出した留守に日高氏來訪。伊藤敎授の所へ行く途中だらう。

送票五〇〇枚の宛名を書かねばならない。追想録の仕事がすめばたしかに一段落也。大事件以來一段落迄正しく一年かかった。之で本当に過去が決算される。

 

○八月三十一日(月)  小雨 凉

八月だのに寒さを感ずる。

朝、姉歸京。

松村氏の豫習。夜、松村氏。

表紙の事をえらう気にしてゐたのに、姉等は呑気也。やはり物は其の当時だけのもの也。〝追想録〟も結局我家だけのもの。もっと細かく云へば拙者と醇郎だけのものである位也。