【1951年】

○一月一日 (月)    晴 寒

昨夜、おそくまでおきている。

朝、おぞうに。

午後、子供3人をつれて元町まで行く。港で船をみる。去年より人出が少いような気がする。

去年一ケ年を回顧すると感慨無量である。一年前の一月から斗爭が始まったのであった。よく一年頑張って來たと云える。それにしてもファシストに対する憎しみを更めて痛感する。

発信 野島義一、瀧野晋、岸田良彌、土屋保男、古賀哲夫、村岡哲、小松いさの、林省吾.

受信 野島義一、村岡哲、古賀哲夫、土屋保男、岸田良彌、瀧野晋、塙書房、常井直正.

 

○一月二日 (火)    晴 暖

午後、延世、祐二郎をつれて新開地え行く。人出多し。三の宮で別れ、古林さんを訪

う。阪神でかえる。

31日深夜、中共軍總攻撃開始。京城まで25キロ。

“「無防備都市」と「佐々木小次郎」”を書く。5枚也。

発信 橋倉武人、金井康悦.

受信 橋倉武人、金井康悦.

 

○一月三日 (水)    晴 寒

陽子、祐二郎をつれて吹田え行く。午後零時半吹田着。醇郎の家え行く。子供等夕方まで遊ぶ。午後六時本山着。

留守中に山内十三來る。

夜、カギ本來る。おそくまで話して行く。

中共軍京城迄13キロに迫る。

 

○一月四日 (木)    曇 寒

昨日、御馳走をたべすぎて腹の具合悪し。

夕方、六甲え行く。文砦、南天荘えよる。

夜、井上さん來る。

国連軍京城撤退。

発信 成田好文、古家実三.

受信 母、成田好文、古家実三.

 

○一月五日 (金)    曇 寒

午後、元町え行って買物。今井氏、中西氏と会う。

陽子、紘一郎、昨日吹田え行き、今日かえって來る。

腹の具合昨日よりわよろし。

国連軍仁川撤退。

発信 和郎、服部一男、芳村進、佐藤精也、岩橋久夫、常井直正.

受信 和郎、服部一男、芳村進、佐藤精也、岩橋久夫.

 

○一月六日 (土)    曇 寒

延世、子供三人、ターザンを見に行く。

午後三時半家を出る。五時から民科大阪で編集会議。九時終了。

発信 梅本克己.

受信 梅本克己、大黒隆博.

 

○一月七日 (日)    雨 寒

午後、陽子、紘一郎をつれて神戸え行く。大丸で給畫展をみる。六甲の文砦えよる。書物をかりる。

子供達にとってわいい正月であった。

共産軍、原州、忠州に迫る。

腹の具合大体よろし。

発信 道家忠道、芦田弘夫.

受信 道家忠道.

 

○一月八日 (月)    晴 暖

午後、学校。研究室。小川君、古林さん等に会う。

六甲のアメリカ人撤退の由。

水原陥落。毎日状勢が変っている。非常にテンポが早い。

戸坂潤をよむ。日本で哲学者と云えるのわ戸坂潤位のものである。

ブル新聞の社説をよむとブルジョアジーの不安動揺がよく分る。

発信 高橋正司、桃井律、守口武次、大学書林.

受信 高橋正司、桃井律、守口武次、大学書林.

 

○一月九日 (火)    曇後雨 寒

午後、学校。大黒等に会う。懇談会を17日にきめる。

原州、烏山陥落。37度線え撤退。

 

○一月十日 (水)    雨 暖

午後、南天荘え行って書物のとりかえをする。六甲から大阪え。阪急えよる。山内不在。民科え行く。拡大幹事会。五時終了。

発信 小川利夫.

受信 小川利夫、林省吾、民科大阪.

 

○一月十一日 (木)    曇 寒

午後、阿部氏の所え。生島、中西、芳村、松原、住友。六時散会。

 

○一月十二日 (金)    曇 寒

午後、学校。研究室。服部さんに会う。奈良女子大え轉任の由。

アメリカわ段々折れて來た。状勢わソ連、中国の主張に接近して來つつある。

 

○一月十三日 (土)    曇 寒

午後、久し振りで岡田氏來る。

紘一郎と扇湯え行く。

今迄で一番寒い。室内で5度。

 

○一月十四日 (日)    晴 寒

午後、西の宮の敷島劇場え行き、“歸郷”と“偽れる盛装”とをみる。何れも相当面白い。

昨今が厳寒であろう。京都に雪が降る。大阪、零下1.1度、今年の最低。

延世、風邪。

寧越占領。丹陽に迫る。

十一人の評議員に御返しをするときがくる。十分に利息をつけて。学長のパンフレットも動かせない証據である。これが物を言うときがくる。

発信 鈴木平八郎.

受信 鈴木平八郎.

 

○一月十五日 (月)    晴 暖

午後、文砦え行って本をかりる。

受信 常井直正.

 

○一月十六日 (火)    晴 暖

午後、学校。二時ー五時、唯研。

今朝、大阪で零下3.1度。この冬の最底。日中わ暖くなった。

受信 母.

 

○一月十七日 (水)    晴 暖

午後、学校。食堂で学生との懇談会。五時終了。井上、多田、二宮、小川、浜田、学生数名。ゼミのことなど。

古林さんに会う。俸給のことなど。

日中わ少し春めく。

発信 豊川洋.

受信 豊川洋、日本評論社.

 

○一月十八日 (木)    晴 暖

午後、山口氏の所え。生島、阿部。かえりに古林さんの所えよる。

中共、停戦案拒否。中共の回答わ立派である。

若し俸給打切にしたら、契約不履行損害賠償で訴える。被免したら人事院に提訴する。あくまで神戸大学を攻める。

東京え雑誌を送る。

受信 民科大阪.

 

○一月十九日 (金)    雨 暖

午後、学校。研究室。二時ー五時、日本文学協会。

夜、永井氏來る。

発信 母.

 

○一月二十日 (土)    晴 寒

午後、延世と一緒に大阪え行く。阪急で買物など。山内に会う。延世と別れ、梅田劇場で“風にそよぐ葦”をみる。

7時民科え行く。幹事会。9時終了。

 

○一月二十一日 (日)    晴 寒

休養。大寒の入りだけあって寒い。

紘一郎をつれて扇湯え行く。

宮本百合子今暁死去。

発信 林省吾.

 

○一月二十二日 (月)    晴 寒

午後、学校。木戸來る。海道さんの所え話しに行く。

 

○一月二十三日 (火)    晴 寒

午後、学校。研究室。加藤氏を訪う。適性検査で休業のため、学内閑散。唯研もなし。

今朝、大阪、零下4.3度。今冬の最低。

受信 三沢春郎、民科大阪.

 

○一月二十四日 (水)    晴 寒

午後、大阪え。阪急で山内に会う。大手前会館え行く。アジア民族懇談会。六時終了。300名。

七時、民科え。幹事会。九時終了。

 

○一月二十五日 (木)    曇 寒

午後、阿部氏の所え。生島、中西、池田。

米英の対立深まる。

 

○一月二十六日 (金)    晴 暖

午後、学校。宇佐美通貞氏の講演あり。後、座談会。

研究室え山内來る。書物を賣る。

受信 母.

 

○一月二十七日 (土)    晴 暖

午後、学校。武井昭夫君に会う。研究室。かえりに古林さんの所えよる。留守。

夜、井上さんの所え行く。

受信 林省吾.

 

○一月二十八日 (日)    晴 暖

午後、古林さんを訪う。東京の話等。学長、又ねこんだ由。神戸え行き、元町を歩く。

アメリカも折れて來た。

 

○一月二十九日 (月)    晴 暖

午後、大阪え行く。民科。”新しい流れ”の編集会議。

六時、関大え行く。哲学会不明。無為にして去る。民科えよって、家えかえる。

留守中に山内、桂來訪。

 

○一月三十日 (火)    晴 暖

午後、学校。三時―五時、唯物論研究会。後、井上さんと一緒に古林さんの所え行く。加藤さん來る。4人でエクランえよる。

市民権第一則を収める。

発信 三沢春郎.

 

○一月三十一日 (水)    晴 暖

午後、学校。井上さん、大阪え行く。土曜に決定。古林さん等に連絡。

中共非難案可決。