○三月一日(日)  曇小雨 暖

つづいて臥床。午前、七度五分、午後七度三分。徐々によろし。

長倉氏來る。図書の件。三万円の由。

今泉、竹内から原稿來る。

発信 矢内原伊作 紅松保雄

○三月二日(月)  雨後晴 暖

午前、七度二分。顔を剃る。食慾も出てきた。

暖。四月中旬のあたたかさ。

吉田懲罰。面白くなってきた。

久しぶりでゆっくりした数日をすごした。この機会に十分休んでおくこと。長い間の疲労があった割には、順調に治った。

発信 山本晴義

 

○三月三日(火)  曇 暖

午後、六度五分。脈、七〇。平常である。

夜、原稿をみる。

発信 今泉三良 大村晴雄 竹内良知 宮内久光

 

○三月四日(水)  晴 暖

午後、六度二分。こんどはすっかり治ったらしい。一週間休養したらだいぶぼけた。

スターリン重態。

夜、原稿を書く。

 

○三月五日(木)  曇 寒

久しぶりで外出。午後、みかげ。

夜、ざっしをよむ。

今泉から「エックハルト」がくる。

『季刊理論』着。これもまたずいぶんおくれた。

発信 西野顯 阿部敬吾

受信 西野顯

 

○三月六日(金)  晴 暖

午後、みかげ。みかげから神戸へ。元町を歩く。

原稿、あちこちからくる。

スターリン死去。

夜、原稿をみる。サ行まではだいぶ揃った。

もう一週間というものであろうか。

発信 矢内原伊作 紅松保雄、鈴木照雄、中島盛夫、

 

○三月七日(土)  曇 暖

午後、みかげ。青木、陸井、井上。サ行まであと僅かになった。

風邪のあとどうもさっぱりしない。食欲がない。元気がない。

午前、県立医大の学生來る。

夜、原稿を書く。

辞典も最後の追込みに入った(サ行までだが)。これから一週間位が忙しい。來週にサ行をわたせるだろう。あとはずっと楽になる。三月末の予定。

発信 理想社 甘粕石介

受信 理想社

 

○三月八日(日)  晴 寒

午後、風呂、散髪。

理論社から一万円來る。

原稿は一つもこない。

夜、原稿を書く。これでサ行まででぼくの書く分は終り。ア行をしらべる。

発信 理論社

受信 理論社

 

○三月九日(月)  晴 寒

午後、みかげ。樺氏等の原稿。サ行までもう一息。十二日でサ行まで終結とする。

夜、カ行の原稿をみる。

発信 今泉三良

受信 今泉三良

 

○三月十日(火)  晴 暖

紅松、中島、加藤(宮内璋)氏から原稿きたる。「カトリック」等はよくない。

午後、みかげ。西野氏とあう。十三日にサ行までを創元社へもって行くことにする。

夜、サ行をみる。相当厄介であった。

発信 加藤信朗 中島盛夫 紅松保雄

 

○三月十一日(水)  雨 暖

今泉から「ボナヴェンツラ」來る。

午後、平野へ行く。医大学生の会。平野から大阪へ。民科哲学部会。原稿をうけとる。

今日入手した原稿は二〇〇字で三三枚。

発信 中島盛夫 大村晴雄

受信 中島盛夫

 

○三月十二日(木)  曇小雨 冷

午後、みかげ。みかげから神戸へ。

井上さんヘリポートをとどける。だいぶやつれている。

明日カ行までを創元社へもって行く。サ行はむつかしい。

夜、手紙などを書く。

発信 高島徳三 森信成 甘粕石介 理論社

受信 笹川儀三郎

 

○三月十三日(金)  曇 冷

午後、みかげ。西村氏、青木氏とともに創元社へ行く。ア行とサ行をもって行く。社長と会う。田代氏と十へよる。

山本氏、甘粕氏から原稿來らず。どうも民科はよくない。

発信 大村晴雄 甘粕石介 山本晴義

 

○三月十四日(土)  晴 寒

辞典も一息つける形になった。午後、芦屋会館へ行き、「人生劇場、第二部」「權九郎旅日記」をみる。

不信任案可決。国会解散。この影響は大きい。

社会思想研究会の『弁証法』できた由。

コーンフォースももうできてもいい頃である。

夜、『現代詩手帖』をよむ。

発信 大村晴雄

受信 理想社 社会思想研究会

○三月十五日(日)  曇 冷

午後、高島氏、笹川氏來る。

風呂へ行く。

山本氏から原稿來らず。催促を出す。残ったのは山本氏だけ(サ行まで)。

こんどの政変は相当大きな影響を与える。

夜、雜用。

発信 山本晴義

 

○三月十六日(月)  雨 寒

午後、みかげ。のち、元町へ行って買物。

夜、雜用。

『弁証法』三冊着。

どうも民科はよくない。

この頃身体の具合はいい。この数日少しひまである。辞典のことを始終考えているが。

発信 山本晴義

受信 大村晴雄

 

○三月十七日(火)  晴 寒

午後、みかげ。みかげから六甲へ。海藤氏に会う。長倉氏と一しょにかえる。六甲から元町へ。阪神でかえる。

山本氏から原稿が來はじめる。

夜、原稿をみる。その他雜用。

発信 山本晴義 今泉三良 中島盛夫 矢内原伊作 竹内良知

受信 山本晴義 中島盛夫

 

○三月十八日(水)  晴 寒

午後、大阪。民科、哲学部会。

近くの市場開店。うるさいこと限りなし。

夜、雜用。

 

○三月十九日(木)  晴 暖

午後、みかげ。上林氏が來ている由。原稿に「文献」を入れる。

「形式主義」を書いて田代氏へ送る。

井上さん、肺シンジュンの由。

ふたたび原稿を書きはじめる。いよいよラスト・コース。この冬中「辞典」にかかっていた。今では全力をつくしている。

コーンフォース、明日までにできるかどうか。

 

○三月二十日(金)  雨 暖

午後、みかげ。みかげから六甲へ。民科の懇談会に出る。九時去る。

小野十三郎の『現代詩手帖』讀了。

夜、原稿。大体三月中に終る見当がついた。四月から『哲学者の手帖』をかく。

カ行は中村九一郎氏でつっかかっている。つっかかるのはいつも民科である。

発信 樺俊雄 紅松保雄

 

○三月二十一日(土)  晴 寒

午後、土建会館へ行く。日ソ甲南支部の例会。のち、池田氏と一しょに甲南の山本氏のところへ行く。

原稿來らず。

腹の具合悪し。二、三日前から。

夜、原稿を書く。人名十個。

 

○三月二十二日(日)  晴 暖

天気はいいが、家にいて休養。

午後、風呂へ行く。

山本氏から原稿來る。中村氏からは來らず。やっかいなのは、甘粕石介、山本晴義、中村九一郎。いずれも民科。

夜、原稿。人名十七個。

井上さん、快方に向った由。

腹の具合はよろし。

発信 山本晴義

受信 今泉三良 田代信幸

 

○三月二十三日(月)  雨後曇 暖

午後、みかげ。西村氏に原稿依頼。元町を歩く。

歸国船到着。

理論社の赤岩氏の本が出た。

夜、原稿。人名十二個。

発信 樺利雄 山本晴義

 

○三月二十四日(火)  晴 寒

午後、みかげ。小川君に会う。

山本君から原稿がくるようになった。中村九一郎は無責任である。

夜、カ行四項目を書く。三項目は削除。これでカ行は終り。

概略、カ行まで二五〇、サ行二〇〇、タ行以下二五〇(項目数)。

発信 山本晴義 理論社

 

○三月二十五日(水)  曇後晴 冷

午後、みかげ。青木、中村氏とともに創元社へ行く。サ行をわたす。カ行までは終り。民科、哲学部会。『矛盾論』一応終り。

夜、原稿の整理。

タ行以下は約四〇〇項目。割合に多い。しかし、小項目が多いようである。

午前、金井がくる。

発信 陸井四郎、森信成、

受信 陸井四郎、山崎正一、

 

○三月二十六日(木)  晴 寒

午前、瀧野、岩橋がくる。

午後、大阪。創元社。西野氏に会う。のち、心齋橋を歩く。

珍しく郵便が一つもこない。

夜、原稿。「ニーチェ」は厄介である。

 

○三月二十七日(金)  晴 寒

午後、みかげ。原稿を書く。服部氏、永積氏にあう。

『微視の史学』出来。コーンフォースはできない。

夜、原稿。「ニーチェ」を終る。二〇〇字で七枚。これで人名は終り。件名にうつる。手許に残ったのは二五項目。しかし、省いてもいいものもある。

発信 山崎正一

 

○三月二十八日(土)  曇後雨 寒

午後、みかげ。

山本氏、今泉氏から原稿來る。

理論社から返事。コーンフォース、四月はじめにできる。

樺さんは心得ているから、ギリギリになると書く。民科会員の底ぬけのだらしなさはどういうわけだろう。書いた原稿の内容も余りよくない。

夜、原稿。十二項目。あと十三項目。

発信 山本晴義 今泉三良

受信 樺俊雄 理論社

 

○三月二十九日(日)  雨後曇 寒

森信成から原稿來る。樺さんから來らず。

休養。風呂へ行く。

延世、陽子、映畫をみに行く。

夜、原稿。八項目。あと五項目。

受信 森信成

 

○三月三十日(月)  小雨 寒

午後、みかげ。みかげから三の宮へ。三映で映畫をみる。「雨月物語」、実存主義。「稻妻」、割合に面白い。

株式大暴落。

夜、原稿。三項目。あとは「哲学」と「哲学史」、それに「哲学者」を加える。

熟睡するのは夕食後ねるときだけ。

よく今迄までもったものである。初めの計算では、この三月で終る位であった。夏までもちそうである。

受信 今泉三良

 

○三月三十一日(火)  曇 寒

樺氏から原稿來る。

午後、みかげ。青木君とテニスをする。久しぶり。

ニューヨーク株暴落。周恩來声明。流石に狀勢判断は的確である。ガダルカナルまでのび切ったところを逆襲されたようなものである。形はちがうが。

夜、原稿をみる。サ行はあと四項目、山本氏と中村氏。おそくなるのはいつでも民科。

発信 樺俊雄 森信成