○九月一日(火) 晴後雨 暑
午後、神戸。第一銀行へよる。三の宮で定期を買う。三の宮から大阪へ。創元社へ行く。西野氏不在。田代氏に会う。『哲学辞典』校正、チの始めまで、一六八頁。『弁証法』十日より少しおくれる。明日刷りはじめ。
夜、たまっていた新聞をよむ。
○九月二日(水) 晴 暑
午前、西野來る。
午後、みかげ。靑木氏、小川氏等に会う。
民科へは行かず。
まだ夏休み気分である。
夜、雜用。
『弁証法』はたしかに劃期的である。刊行がまち遠しい。その反響によって次の仕事も考える。
○九月三日(木) 晴 暑
ひる頃、西野氏「印紙」を持ってくる。一日かかって捺印する。四千。
発信 醇郎
受信 和郞
○九月四日(金) 曇小雨 暑
午後、大阪。ミナミを歩く。創元社へ行く。「検印」をわたす。『弁証法』、七日に見本ができ、十日までに全部できる。『辞典』は初校が全部出る。三〇一頁。
夜、『ワルシャワの平和祭』をよむ。
○九月五日(土) 晴 暑
午後、吹田へ行く。母の件。借金の件。八時半辞す。
夜、『世界』をよむ。
発信 和郞
受信 林省吾
○九月六日(日) 晴 暑
一日休養。靑木の風呂へ行く。
延世、陽子、「大音楽会」を見に行く。
夜、一ヶ月分のハタをよむ。
○九月七日(月) 晴 暑
午後、みかげ。笠井氏等にあう。『レ・コミュニスト』(四)を小島氏から貰う。
夜、西野氏來る。『弁証法入門』出來。十冊もってくる。
○九月八日(火) 晴 暑
午後、みかげ。みかげから六甲へ。古林さんに会う。海道氏の所へよる。本の寄贈。古林さんと一しょに六甲ガーデンによる。古林さんと別れる。文砦で本をかえす。省線で元町へ出る。海文堂へよる。
○九月九日(水) 晴 暑
午後、大阪。創元社。六時、民科。哲学部会總会。
○九月十日(木) 晴 暑
午後、みかげ。久しぶりでテニスをする。
今日『入門』全部できた筈。西野氏來らず。
北京へ手紙を書く。
発信 鈴木平八郎
受信 母
○九月十一日(金) 晴 暑
午後、みかげ。新開地へ行く。海文堂へよる。
夜、風呂へ行く。
北京へ手紙を出す。二十四円也。
留守に西野氏來る。『入門』二十冊をもってくる。
受信 西野顯
○九月十二日(土) 曇後雨 暑
一日中休養。テニスの疲れもある。
ニューヨーク株、続暴落。
夜、ワイルドの『嘘から出た誠』をよむ。
『入門』はぼくの轉機を示すものである。三四年間の沈黙の成果。
受信 佐藤代治、
○九月十三日(日) 曇 暑
午後、奈良。和郞の所へ行く。和郞、大阪からかえってくる。八時すぎ辞す。
『入門』店頭に現る。
○九月十四日(月) 晴 暑
午後、みかげ。『入門』を十何人かに寄贈。寄贈はこれで一応一段落。
北京へ『コーンフォース』と『入門』を送る。四十五円也。
みかげから元町へ行く。
夜、『日本武尊』讀了。
ここ二、三日むしあつい。
受信 西野顯
○九月十五日(火) 雨後晴 暑
午前、大雷雨。
午後、大阪。創元社。西野氏に会う。辞典、再校九五ページまで。
子供たち、風邪。
ニューヨーク株大暴落。アメリカもおち目になった。たしかに休戦の成立は轉機である。スターリングラードのように。
夜、風呂。
受信 榊原美文 林省吾
○九月十六日(水) 晴 暑
午後、大阪。民科。学術会議の相談。矢内原伊作にきまる。六時半、哲学部会。『弁証法入門』の話をする。
『日本文学研究入門』着。
もう一週間たったら、新聞類に批評が出るだろう。
発信 榊原美文
○九月十七日(木) 曇小雨 暑
午後、みかげ。『入門』十冊、笠井さんの机の上へおく。元町へ行く。海文堂、四十冊仕入れた由。
朝、西野氏來る。
内海氏から手紙。うまく行きそう。
受信 内海義夫 母
○九月十八日(金) 曇小雨 暑
午後、三の宮。「君の名は」を見る。余り面白くない。
夜、『レ・コミュニスト』(4)をよむ。
『入門』にかんしては自信をもってよろしい。
発信 内海義夫
○九月十九日(土) 晴 暑
やうやく秋晴れとなった。
午後、みかげ。小川君等に会う。三の宮へ行き、本屋を廻る。
夜、『レ・コミュニスト』をよむ。
受信 松村一人
○九月二十日(日) 晴 暑
一日休養。風呂へ行く。
パージというのは全く馬鹿げたことであった。そこから出発しなければならない。
夜、『レ・コミュニスト』をよむ。
○九月二十一日(月) 晴 暑
午後、みかげ。三の宮へ。後藤書店へよる。みかげへかえる。笠井氏、永積氏等に会う。『入門』好評なり。
夜、『レ・コミュニスト』をよむ。
受信 佐藤代治 日本哲学会、
○九月二十二日(火) 晴 暑
午後二時半、新在家で後藤といっしょになる。六甲の研究室へ行く。本を売る。
六甲から元町へ。月見まんじゅうを買う。今宵中秋の名月。
夜、『レ・コミュニスト』讀了。スターリンの言語学の論文をよむ。
発信 日本讀書新聞 日本哲学会
受信 日本讀書新聞
○九月二十三日(水) 雨後曇 暑
午後、大阪。民科。哲学部会。言語学の論文に入る。森信成氏來る。
夜、雜用。
『入門』について。直接連絡がつく範囲内での反響は分った。すこぶる好評。評判の書物になる自信はある。創元社が新聞広告を出さないのがけしからん。來週は書評が出るだろう。民科では二十冊大体売れた。まあ、やきもきしないこと。
受信 野島義一
○九月二十四日(木) 雨 暑
午後、みかげ。みかげから元町へ。海文堂へ。元町から新開地へ。聚楽館で「ヨーロッパ一九五一年」を見る。佳作。
台風十三号來る。
夜、雜用。
『入門』にかんしては自信滿々。遠からず評判になるにちがいない(來週頃)。日本の唯物論史にとっても劃期的なものである。日本の唯物論哲学者は、スターリンや毛沢東の論文が出るとその解説をする。それが一段落すると仕事がなくなる。かれらの頭の限界。創造的マルクス主義ではない。自分で考えた、新しい領域を開拓することを知らない。創造的マルクス主義。脚下照顧。
発信 図書新聞社
受信 図書新聞社
○九月二十五日(金) 風雨 冷
台風十三号來る。正午頃から風が強くなり、午後七時頃まで大暴風雨。壁がおち、泥が飛ぶ。くらがりの中をねる。強風時間の長いことは記録破りである。
○九月二十六日(土) 晴 暑
台風一過。上天気。台風でいたんだ所を修繕する。大工への拂い八百五十円也。
今夜も電気がつかない。電気がついたら『弁証法雑話』を書き始る。
『入門』が出てから二週間、書評が出ないのもむりもない。來週には出るだろう。佐藤氏、服部氏の批評には力づけられる。自信はある。率直にいえば、こんな面白い本はめったにない。
受信 服部英次郎 諏訪郷友会
○九月二十七日(日) 晴 暑
台風の後末。午後、井上さんに來て貰って、四疊半の壁にベニヤ板をはる。
風呂へ行く。
夜は寒い位になった。
発信 林省吾 母 醇郎、和郞、
受信 関西哲学会、
○九月二十八日(月) 晴 暖
午後、みかげ。みかげから三の宮へ。後藤へよる。元町へ出て、海文堂へよる。
まだ電燈がつかない。
『哲学の擁護』着。
受信 林省吾 醇郎
○九月二十九日(火) 曇後雨 暑
午後、みかげ。靑木君は服部さんといっしょに先に大阪へ行く。四時、大阪、創元社。西野氏不在。靑木君後から來る。辞典の件。校正を家へもちかえる。
電車にのってみると、台風禍は本山の辺が一番ひどいらしい。深江は電気がついた。ここはまだつかない。
『哲学の擁護』、訳者からも來る。
『思想』から原稿依頼。
急に忙しくなった。しかし、電気がつかないとどうにもならない。
発信 関西哲学会 スワ郷友会 岩波書店
受信 岩波書店
○九月三十日(水) 曇小雨 冷
午後、大阪。創元社。西野氏に会う。五時半、民科。地団研の話。高木氏も來る。
まだ電気がつかない。
受信 今泉三良