○十二月一日(水) 曇 暖
亀井のところから原光雄氏の書物着。
午後、大阪。民科哲学部会。風邪気味なので早目に去る。
夜、「哲学と平和」を書く。五枚也。すぐ発送。
自由党最後のあがき。数日中にぶっつぶれる。保守政党の、占領政策の地すべりがはじまる。世は明るくなる。
発信 亀井蔀
○十二月二日(木) 雨 寒
朝、発汗。雨の降るいやな日。
姫路行。十一時三の宮発の汽車。十二時半姫路着。神大分校へ。一時―二時、講演。現代のヒューマニズム。四時半まで座談会。午後五時四十分の汽車で姫路発。八時少し前家へつく。また風邪を悪くした。
○十二月三日(金) 曇 寒
午後、みかげ。青木君から立命の件をきく。五時、哲研。
「レ・コミュニスト(9)」をもらう。
まだ風邪がぬけないが、昨夜よりは気持がいい。ムルチンをのんだせいもあろう。
○十二月四日(土) 晴 寒
午後六時、あしや。人数が少いので雜談にする。九時家へつく。
七日、不信任案上提(ママ)。
まだ風邪はぬけない。やはりよく治さないといけない。
船山信一をとるのはコットウ趣味である。二十年の空白。スイセンする人もどうかしている。
発信 亀井蔀 青木清三
○十二月五日(日) 曇 寒
一日中休養。外出しないと具合はいいようである。
「史的唯物論」第二刷一部來る。
発信 平山高次 理論社 日本放送協会 新評論出版会
受信 藤野渉
○十二月六日(月) 晴 暖
二日休んだので、だいぶ疲れも去った。要するにこんどの風邪も疲れである。
明日、不信任案上程。いよいよ吉田政治も終り。解散か總辞職かは未定。しかし、いずれにしても当分流動狀態が続くだろう。
神戸、今朝三・七度。今冬の最底(ママ)。初霜が降る。
この秋は原稿はあまり書けなかった。しかし活動範囲は広くなった。
夜、『世界』をよむ。
この一年よく頑張ったものである。十二月ともなれば、疲れが出ると見える。
これから大阪の民科の方は少し手をぬくことにしよう。つまらないことでしばられるのはバカらしい。
○十二月七日(火) 曇 冷
午後、みかげ。青木君と平和楼へ行く。三一の集り。
吉田内閣總辞職。ついに吉田のたれ死に。
○十二月八日(水) 雨 暖
午後、京都。法律文化社。亀井氏と東洋亭へ行く。堀さんに來てもらう。三人で立命館へ行き、末川さんに会う。十一時家へつく。
○十二月九日(木) 曇 暖
政界往來社から原稿きたる。
午後六時あしや。コーンフォースは止め。岡本さんの連絡なし。組合の委員会をやっていたので、傍聴する。
風邪、いくらかいいらし。
首班指名、鳩山一郎。
みかげでは阿部眞琴が一番けしからんらしい。
受信 政界往來社
○十二月十日(金) 曇 寒
午後、みかげ。五時からコーンフォース。
受信 大井正
○十二月十一日(土) 晴 寒
一日臥床。まだ風邪がぬけない。
『政界往來』一月号着。「芭蕉について」は『理想』十二月号にのる。広告が出ている。
発信 山田宗睦 政界往來社 新評論 中村九一郎
受信 新評論
○十二月十二日(日) 晴 寒
知事選擧の投票に行っただけで、一日中家にいる。昨日より気分はいい。
阪本、圧倒的に優勢。やはり地すべり的現象が行われている。總選擧によって社会党内閣もできるだろう。
齋藤信治の後がなくて神戸大学は困っている。バカらしい話である。齋藤のようなイカサマ師をつれてきてペテンにかけられたり、武市のような気狂いを飼っておいたり、なっちゃいない。また船山のようなコットウをもってくる。
夜、室内九度。今迄で一番寒い。
○十二月十三日(月) 晴 寒
午後熱を計ったら七度三分。平尾さんに來て貰う。風邪なり。大してこじらせたわけでもない。まだ咳が出る。
祐二郞の誕生日。
阪本、四十二万票引きはなして大勝利。
○十二月十四日(火) 曇 寒
午後、七度。昨日より気分がいい。どうやらこれで治るだろう。
『理想』がこない。もう出たのだろうが。
まだ食慾は出ない。
理論社へ印税催促を出す。理論社ほどしんどい相手はない。
発信 野田文夫 竹内良知 理論社
○十二月十五日(水) 晴 寒
午後、六度九分。どうやらいいらしい。
理論社から八千円がくる。
発信 理論社 陸井四郎 服部英次郎 理想社
受信 理論社 姫路自治会
○十二月十六日(木) 晴 寒
みかげへ行く。堀さん等に会う。
『理想』十二月号が店頭に出ている。買う。
『政界往來』笠井さんのところへ着いている。
○十二月十七日(金) 晴 暖
午後、みかげ。天治へ行く。哲学研究会の忘年会。
『神戸大学新聞』出來。ぼくの書いたものが一度に三つでた。
○十二月十八日(土) 晴 暖
休養。結局疲労というものであろう。
コダツをかける。
夜、『史的唯物論入門』を書きはじめる。
発信 内橋克人 出隆 鈴木照雄 山田宗睦
受信 内橋克人
○十二月十九日(日) 雨 暖
午後、風呂。散髪。
夕食後井上さんのところへ行く。
風邪も、十分とはいえないが、大体ぬけたらし。
理想社はけしからん。
夜、原稿。
創元社は仕事をはじめたらし。広告が出ている。
○十二月二十日(月) 晴 寒
午後、みかげ。長倉君に会う。
夜、原稿。
民科(大阪)も騒ぎが大きいだけで、結局何の成果もなかった。堀さんの方がよほどいい。
民科Gなどにしばられてはつまらない。
阿部敬吾の件。多分承諾するだろう。
受信 理想社
○十二月二十一日(火) 晴 寒
午後、久しぶりで元町へ行く。海文堂へよる。センター街を歩く。
夜、原稿。十五枚に達す。半分。
発信 内橋克人 金子伸
受信 内橋克人
○十二月二十二日(水) 曇 寒
午後、大阪。創元社へよる。六時、天四の大江氏へ。民科哲学部会の忘年会。十数人。九時半終了。
夜、原稿。
神戸へ來てから斗爭二年、浪人三年半、五年半もの苦しい生活を送った。よく今迄もってきたものである。しかしこの経験は決して無駄ではない。
今年のうちに阿部敬吾氏の件の結果を聞いておきたい。
○十二月二十三日(木) 晴 暖
午後、みかげ。小川君から子供たちへお年玉を貰う。今井、堀、井上、青木氏等にあう。笠井さんと天治へよる。
夜、原稿。
受信 榊原美文
○十二月二十四日(金) 晴 寒
午後、みかげ。ファイア・ストームのため研究会中止。
『理想』、今頃になってようやく來る。
榊原さんから『日本の詩歌』の寄贈あり。
仏国民議会、パリ協定を否決。
神大新聞部はけしからん。
夜、榊原さんの文をよむ。
客観狀勢は明るくなってきた。來年はいい年になるだろう。苦節六年。
○十二月二十五日(土) 曇 寒
一日休養。
井上さんきたる。
法律文科社からお年玉來る。
神戸大学新聞部きたる。
夜、原稿。
受信 友広清
○十二月二十六日(日) 晴 暖
休養。風呂。
どうも疲れている。元気がない。どういう訳だろうか。六ヶ年の疲れか。食慾もない。精神力の衰弱か。
夜、『史的唯物論』の原稿終り。三〇枚。
○十二月二十七日(月) 晴 寒
午後、醇郎來る。母、病狀悪化。
『新評論』の原稿送る。
夜、手紙を書く。
昨日今日酒を少しのんだら具合がいい。疲れがだいぶ抜けたようだ。
來年の仕事。『唯物論と弁証法』の改訳。『弁証法入門』の重版。『哲学小辞典』の改版。『現代の思潮』『哲学史概況』の編集。『現代哲学讀本』の書きおろし。雜誌では「史的唯物論入門」の連載。ずい分仕事は多い。収入がそれに伴わないのが残念。
発信 林省吾 榊原美文 金子伸 友広清 理論社 亀井蔀
○十二月二十八日(火) 曇 寒
午後、みかげ。小川、中村、青木君にあう。海文堂へよる。日記を買う。
分らない電報がくる。醇郎かららしい。明日來いとのこと。
夜、『唯物論と弁証法』の改訳をはじめる。どうやら又仕事をはじめようという気になった。疲れが去ったからである。疲れをとるには酒は有効である。
○十二月二十九日(水) 曇 寒
午後大阪。醇郎の所へ行く。「スグコイ」の電報がきている。よっちゃん夫婦が來ている。間もなく去る。和郞來る。母について相談。八時半去る。家へかえったら、家へも同文電報が來ている。明日行くことにする。
『唯物論と弁証法』來年一月十五日発行のが旭屋に出ている。
○十二月三十日(木) 曇 寒
午前六時起きる。七時家を出る。八時三十二分大阪発。名古屋、塩尻でのりかえる。名古屋、塩尻間こむ。九時半、スワ着。バスで茅野へ。茅野からハイヤーで家へつく。母、心臓悪し。百枝、醇郎先にきている。今日着いた由。
○十二月三十一日(金) 晴 寒
午後、茅野へ行ってのぶよへ電報を打つ。林省吾氏午後來る。和郞、夜來る。
竹内氏来診。この二、三日急激に悪化。ついに一月一日午前一時死去。
こうしたらよかったとか、ああしたらよかったとかいうこともあるが余り考えないことにする。しかし、あっけなかった。死んだような気がしない。