○五月一日(火) 晴後雨 暖
戦後最大のメーデー。
小選擧区法案、委員会差しもどし。今国会では通らない見通し。愉快である。ダレスはがっかりしているだろう。
午後、入浴。
川西にたいしては肩すかしという所。
哲学史。名越氏。
小選擧区法案タナ上げは大きい意義をもつだろう。場合によっては、日本の社会における地すべり的現象のきっかけになる。そうなるだけの條件は熟している。地すべりは世界中で起っている。日本だけ例外という筈はない。又、日本人はそんなにだらしない人間ではない。
ここらで逆コースをストップさせねばならない。
発信 山口栄子
○五月二日(水) 晴 暑
午後、三の宮。流泉書房へよる。古川はまだきていない。大丸へよる。海文堂へ行き、戸田氏に会う。
たしかにエネルギーが余って、身体をもてあます。
哲学史。鈴木亨。
川西を軽くあしらったのは上出來だった。少し当てが外れたろう。
山口さんにもっとよく事体を説明しておかねばならない。
科学研究費の時期を失したのは大失敗。
岩崎書店の『哲学辞典』の内容見本に僕のすいせん文あり。
○五月三日(木) 晴後曇 暖
午前、兒玉医院。
夜、醇郎來る。スワの件。井上さんに來て貰う。和郞、來る筈だが來らず。
いそいでつまらない仕事にとびつく必要はない。
考えてみれば、本に書いてあることはつまらないことである。切実な体験は文章では現せない。
自民党やぶれたり。
受信 醇郎
○五月四日(金) 晴 暑
退屈。
延世、婦人会で京都へ行く。
身体をもてあます。何かしなければならない。民科位が丁度いいだろう。
哲学史。藤本。
発信 山口栄子
受信 政界往來社
○五月五日(土) 曇後雨 暑
こどもの日。アメリカ、原爆実験。
山口さんも案外あまい。川西を信用するとは。
この段階では、もっと身体を動かす必要がある。來週からはもう少し動くことにしよう。神大も訪問しよう。
哲学史。田口君。
民科のことも、皆の意向を聞くというだけでなく、学習部会を再開するという指導性が必要である。しかし、再開には多分大部分が賛成だろう。これは信じていいと思う。
ミコヤンの演説をよむ。
自民党執行部は虛脱狀態。
断呼(ママ)として学習部会を再開するという意志が必要である。これがあれば実現可能である。その條件もある。もともとゼロからはじまったことだ。
○五月六日(日) 曇後晴 暖
午後、三の宮へ行く。人出多し。
哲学史。陸井君。
なるべくのんびりしよう。全体として狀勢は明るいのだから。
民科はどっちにしても大したことはない。もともと金もうけのためではない。僕の楽しみのためだ。一番少くて山口さんと秋田さんと二人だけでもいい。やっているうちにふえるだろう。
余り神経質にならぬがいい。人はそう神経質に考えるものではない。
発信 秋田和美
○五月七日(月) 曇小雨 冷
午前、兒玉医院。
午後、風呂。
山本君から葉書。
哲学史。山本君。
山本・岡と川西・山口の対立。この対立を激化させることはつまらない。調節をはからねばならない。山本君、岡君のやり方にもたしかに悪い所があった。しかし、川西・山口の方が何でもいいということにはならない。もっと高い立場に立たねばならない。
発信 山本晴義(二) 山口栄子
受信 山本晴義
○五月八日(火) 曇 暖
午前、第二銀映で「白い魔魚」をみる。割合面白い。ニュースもいい。
午後、散髪。
やはり、冷却期間はもっと必要だろう。又当分ほっておくこと。だまっているのが一番有効だろう。気味が悪い。これで後悔しないようならおしまい。
民科にもうけ仕事で出るわけではない。専門家が無報酬で出ますか。
二、三日ほっておいたら冷却するだろう。
「得るところがない」というのはこっちからいうことだ。冗談云ってはいけない。
発信 醇郎
受信 山口栄子 向井芳樹
○五月九日(水) 曇後晴 暖
若干疲労感がある。精神的か。
川西・山口を相手にするのもいやになった。学習部会も勝手にするがいい。
うるさいことはこの位で終りにしたい。
救援委員会にも感謝しなければならないわけだが、悩まされたことも事実だ。騒ぎの大きい割に実質は少い。結論をいえば、失敗。もっと病人の心理を考えなければならない。目標からそれた所で勝手な議論をしている。
発信 醇郎 法律文化社 政界往來社
受信 法律文化社
○五月十日(木) 曇後雨 暑
午後、神戸大学へ行く。三浦、楠、靑木、長倉、三田、名越、永積、その他に会う。青木君といっしょにバンビによる。
日ソ国交回復へ前進。
神戸大学で多くの人に会ったら気分がよくなった。民科のややこしいことは全くバカらしい。これからは消極的になる。
受信 秋田和美
○五月十一日(金) 曇 暖
午前、兒玉医院。
祐二郞、三、四日來発熱。血沈、四〇、八〇。割合に多い。写眞をとる。
ややこしい問題もまずは一段落だろう。少しのんびりしたい。
山本君來らず。又そそっかしいことをしなければいいが。川西も又そそっかしい。
日ソ漁業交渉。はじめから河野一郎の筋書通りだろう。河野一郎がかえってきたら相当の問題が起る。自明(ママ)党は分裂するかも知れない。
哲学史。紅橋君。
発信 醇郎
○五月十二日(土) 曇 暖
祐二郞、平熱。咳は出る。レントゲン写眞悪くないらし。井上さんにみて貰う。
山本君も全くいい加減だ。民科にも悩まされた。プラスよりマイナスの方がずっと多い。川西・山口の方がいいわけでもない。この二つのアツレキのしっぽがこっちへ來ただけで、いい迷惑だ。もう民科には最少(ママ)限しか協力しない。
哲学史。鈴木二郎。
ややこしい問題は一応一段落したとみていいだろう。緊張から弛緩への感がある。
発信 保坂富士夫 大同社
受信 保坂富士夫 大同社
○五月十三日(日) 雨 冷
午後、朝日会館へ。日文協の五周年記念總会。講演の途中で去る。近藤、榊原、小川、猪野、新島等に会う。
日ソ交渉調印延期。
ようやく身辺静かになった。やれやれという感じだ。全く心なき人びとが多い。
哲学史。小島輝正。
「千万人の声は逆コースをの(ママ)政治をおし戻せる。世論の力への信頼がかすかながらよみがえってきた。」
秋田さんの方が山口さんより思想的に進んでいるので、やはりそれだけしっかりした所がある。
○五月十四日(月) 雨 冷
午前、兒玉医院。マイシンがきれたので、カルシウムを注射する。家でのんでいたヒドラジッドも今日で終り。もうこれもいいだろう。――区役所へより、印カン証明をする。
午後、大阪。デリシャスで醇郎に会う。判と印カン証明をわたす。
民科方面から手紙がこない。丁度いい。こんどは民科の缺陷を遺憾なくバクロした。しかし、混乱のもとは川西だ。
「レッド・パージで被解雇者の復職斗爭は最近非常な勢で進んで來た。」(長周新聞)
日本にも地すべりが起りそうである。いな、もうはじまっている。
○五月十五日(火) 雨 寒
午後、風呂。
日ソ漁業條約調印。事実上の国交回復。
哲学史。木本幸造。
ソ連、兵力一二〇万削る。ニューヨーク株暴落。新しい地すべり。
発信 山口栄子
受信 山口栄子
○五月十六日(水) 晴 暖
午後、御影。鍵本君等に会う。三浦さんといっしょにかえる。武庫川短大ゆき。
日ソ交渉は、結局ソ連が河野をあやつっただけの話。ソ連の方が上手だ。あざやかなものだ。河野が日本にかえってきてからが問題だ。自民党が割れるかも知れない。とにかく今年は大きい変化がある。もうはじまっている。期して待つべし。あわてるな。
病中のややこしい問題。十分に解決とはいえないが、一応おちついた。又これをつつき出さないことが必要だ。まだ問題はあるにしても、とにかく久しぶりでのんびりした。
発信 後藤やゑ
受信 後藤やゑ
○五月十七日(木) 晴後曇 暖
午後、本山駅の方から靑木の浜まで散歩。
哲学史。高木正孝。
文部省から報告の催促がくる。山本君の底抜けにも全く困る。ビジネスの能力ゼロ。
レッド・パージ復職斗爭が全国的に起ってきた。当然である。これから盛んになるだろう。
パージ後五年近くなる。よくここまでもったものだ。過去を余りくよくよ考えず、先を考えることだ。せっかく五年頑張った。それは無駄ではない。狀勢も急変している。これからはそう長くはないだろう。期してまつべし。
川西に対しては根強い不信を持つ。青木君も余りに無原則だ。全くしっかりした人間はいない。
発信 山本晴義
受信 文部省
○五月十八日(金) 曇後雨 暖
午前、兒玉医院。今日は看護婦。分校の前で井上さんに会う。
アメリカで恐慌が勃発しそうな気がする。前駆症狀は出ている。
大阪市城東区の市議選擧。自民、社、共が大体互角。
「わが国の政治も、戦後十年にしてどうやら大きな曲り角にさしかかってきた。」
哲学史。堀。面白くない。
たしかに今年は大きな変化がある(国内)。戦後最大だろう。六、七月が轉機になりそうだ。
発信 名越悦
受信 名越悦
○五月十九日(土) 晴 暑
夜、井上さんの所へ行く。
大阪市城東区市議補選。共産党、二九・五パーセント。戦後の最高。えらい数字が飛び出したものである。
やがて第二の終戦がくる。そのとき徹底的にカタキウチをする。もう底があけはじめた。にぶい人には分らないだけの話。
哲学史。細野。余り面白くない。
山口さんも案外判断力がない。川西のような山カンにとびつくとは。僕が川西にとびつかなかったのは意外だったろう。
○五月二十日(日) 晴 暑
午後、神戸へ行く。流泉書房、海文堂へよる。
祐二郞、血沈下る。大丈夫だろう。
哲学史。星野。これで一応全部を見終る。
レッド・パージは何と馬鹿げたことをしたものだろう、という時代が遠からず來る。あわてないこと。
この二、三日睡眠不足の傾向あり。
一年や二年、本をよむ勉強ができなくても大したことはない。本からはえられないものを学んでいる。
発信 岡好賢
受信 岡好賢
○五月二十一日(月) 曇 暑
祐二郞、学校へ行ったが気持が悪くなって歸ってくる。
午前、兒玉医院。気ままにしていること。これが一番大事だ。
醇郎がおかしいことをいってくる。話をきかないと分らない。ややこしい問題が終ったと思ったら、又出てきた。
救援委員会は失敗。醜体(ママ)といえるほどの失敗。
何もあわてる必要はない。悠然とかまえること。遠からずわれわれの時代がくる。目先のことにまどわされないこと。こんどこそ、二、三年もたってみなさい。
発信 米沢支所 理論社
受信 米沢支所 醇郎
○五月二十二日(火) 曇後晴 暑
午後、風呂に入る。体重同じ。
醇郎の云ってきたことは気にかかる。今日吹田へ歸った筈。
家へ來る筈の人、山本、名越、岡。何れも來らず。あてにならない。
山口栄子もつまらない人間だ。三浦壽美子や後藤やゑにはるかに劣る。あの傲慢さ(川西の悪影響)は鼻もちならぬ。
中島健藏が『日本讀書新聞』(五月二十一日)で山下肇『大学の青春・駒場』の感想を書いている。レッド・パージの内政にふれている。これがきっかけになって、イールズ・レッド・パージの問題がジャーナリズムでとり上げられるようになるといいが。そういう時期に來ている。
発信 日本讀書新聞
○五月二十三日(水) 曇後雨 書
午後、流泉堂。古川君に会う。御影分校による。井上(庄)君等に会う。やはり人に会うと気分が変っていい。
延世、七度五分。
部長は今井林太郎の再選。永久部長。いいかげんで変えればいいのに。イージー・ゴーイング。
『大学の青春・駒場』をよむ。神吉晴夫(山下肇)へ手紙を書く。
醇郎のもってきたこと、何かよく分らない。しかし、ぼくは何もしたわけではない。樋口の件だろう。それなら、井上さんから手紙を出して貰うというような方法もある。
ニューヨーク株續落。恐慌のはじまり。
発信 神吉晴夫 山下肇
○五月二十四日(木) 雨後曇 冷
醇郎來らず。手紙もこない。急用でもあるまい。
『駒場』讀了。面白い。
NY株續落。こんどは異常だ。
愛知縣江南市(古知野地区)の市議選。共産党、三七・七パーセント。これは又えらい数字である。
発信 理論社
受信 理論社
○五月二十五日(金) 小雨 冷
午前、兒玉医院。
夜、岡君、深沢君來る。
井上さんは余りに常識的だ。
発信 岡好賢
受信 岡好賢
○五月二十六日(土) 晴 暑
午後、みかげへ行く。自治会の抗議集会が行われている。一寸しゃべれというので、出てしゃべる。則武君のいったこともいい。
三時、小川君の部屋で日文協理論部会。ニコラーヴァの論文。余り面白くない。
レッド・パージの問題もだいぶ公然と出てきた。例えば『神大新聞』。
山本も重ね重ねの失敗で、僕に合わせる顔はないだろう。この数年來、ことごとく失敗といってもいい。
河野一郎歸国。
小田切をよむ。
○五月二十七日(日) 小雨 冷
午後二時、民科。哲学部会。山口、重原、岡、深沢。のち、岡君等と「田舎」へよる。かえり、深江で醇郎と会う。「ドン」でスワの報告を聞く。もっとおかしいことがあったかと想像していたが、大したことがなく安心した。これで一応ややこしい問題は終った。少しのんびりしよう。研究会等で少し活躍しよう。
一年前には梅蘭芳を招くことはとてもムリであった。今日自然に実現した。世の進み方はテンポが早い。
矢内原、大内、瀧川、恒藤、末川等主な学長は大概パージ組である。パージになった位の人間は骨がある。
受信 醇郎 名越悦、
○五月二十八日(月) 晴 暑
午前、兒玉医院。
夜、井上さんを訪う。スワの件等。
延世、咳。紘一郎、発熱。
午後、藤田氏來る。不動産の件。
五月はいやな月だった。
甘粕さんに指導力があったら、委員会もあんなにおかしなものにはならなかった。
過ぎ去る冷い戦爭。
小田切をよむ。
科学研究費だけは何としても残念だ。
小田切秀雄へ『弁証法入門』を送る。
川西もいいかげんなものだ。山口さんも全く判断力がない。やはり理論的弱さがそういうところに現れる。三浦さんははるかに劣る。
発信 森信成
○五月二十九日(火) 曇後雨 暑
午後、甲南朝日で「君ひとすじに」を見る。面白くない。
NY株續落。こんどはかなり異常である。もう二週間になる。
小川君から『近代』(十四号)着。
原稿、少し。
神戸大学のバカ。僕を入れておいたらどんなに利益があるか分らない。もっとも、優秀だから追い出したともいえる。つまらない人間なら追い出しはしない。僕が神大にいたとしたら、部長か組合の委員長位にはなっている。いろいろの方面で活躍できる。敵にとってはそれが恐ろしいのだ。しかし、もう少し待て。狀勢の轉換もそう遠くはない。
○五月三十日(水) 雨 冷
午後、風呂。
山口さんから薬來る。
醇郎から手紙。樋口氏への手紙同封。井上さんと相談する。樋口氏への手紙、そのまま送る。
『生活の求眞』の原稿を書く。四枚。発送する。
樋口から返事がきたら一度吹田へ行ってこよう。いよいよ問題の具体化だ。それによって、療養もゆっくりできるし、気分にも余裕ができる。あくせくする必要もなくなる。生活もそう切りつめる必要もなくなる。最大限あと二年も気ままにしているとすれば、たしかに狀勢は変る。あまり先のことにとらわれないことだ。
発信 醇郎 山口栄子
受信 醇郎
○五月三十一日(木) 半晴 暑
いまのところ、大して引かかる問題もない。スワの問題も、何かあったかと思ったが、大したことはない。なるべくのんびりすごすことだ。やきもきしても仕方がない。今はゆっくり静養して將來を期すこと。僕が活躍しなければならないときは必ずくる。
神戸へきてから滿七年になる。早いものだ。苦悩の七年間だった。神戸大学も全くひどいものだ。どれだけの人間がその責任を感じているだろうか。いずれ最後の審判はする。
だが、大きく考えよう。僕の活躍するのはこれから二十年位だ。しかも、年齢から云っても、指導的な役割をすべき時だ。あまり目先のことにとらわれないこと。大きい気持でいること。
*甘粕さんではダメだ。