○九月一日(土) 晴 暑
今日はよくねた。いろいろ一段落して疲れが出たらしい。
午後、風呂。
又、夏型の気圧配置。あつくなってきた。それでも虫の音はしげくなった。
「共存」の論文をよむ。
鳩山内閣も末期的になってきた。てんやわんやになりそうだ。それがどうおさまるかが重大だ。保守政党の崩壊にまで行くかも知れない。それだけの條件は熟している。吉田内閣の末期とはちがう。
『国際』へ書いた七日分をまとめてみるとけだし傑作である。これだけの文章を書ける人はめったにいない。
○九月二日(日) 晴 暑
午後、流泉書房へ行く。古川君不在。元町へ行く。不二屋へ行く。
午前、藤田氏來る。
岡君はポーズばか大げさで、大事な所がぬけている。
『蛙昇天』をよむ。
発信 朝日新聞 理論社
受信 岡好賢
○九月三日(月) 晴 暑
午前、兒玉医院。御影分校、神戸銀行へよる。
午後、銀映会館へ行く。「朱と綠」見る。
発信 岡好賢
受信 玉井仁
○九月四日(火) 晴 暑
午後、風呂。
九月に入ってから暑いのはいやらしい。
夜、井上さんへ行く。
『蛙』をよむ。
発信 二葉株式会社 後藤やゑ 玉井仁 朝日新聞 讀売新聞
受信 二葉株式会社
○九月五日(水) 晴 暑
野島さんへ『国際新聞』を送る。
午後、みかげ。三浦さんに会う。
『蛙』讀了。
晝、三三度。夜、二九度。しかし残暑も明日までの由。
○九月六日(木) 晴小雨 暑
むしあつい。夕方、にわか雨。
『アサヒ写眞ブック』二冊着。
第一生命の社員來る。
川西の失禮、靑木のピンボケ、山本の間抜け。よくも揃ったものだ。
発信 山本晴義 安部健次郎
受信 山本晴義 安部健次郎
○九月七日(金) 曇、小雨 暑
午前、兒玉医院。
午後、流泉堂へ行く。古川君に会う。
台風十二号近づく。
受信 醇郎 理論社
○九月八日(土) 晴 暑
台風おくれる。明朝九州の西へ。
午後、みかげ。日文協理論部会。ルフェーヴルの第一回。
榊原さんから、日文協大阪支部の写眞來る。
シッシン、九月はじめからはじまる。少しだが、よくならない。涼しくなったら治るだろう。
受信 榊原美文
○九月九日(日) 曇小雨 暑
台風おくれる。明日來るよし。
午後、みかげ。日文協例会。『蛙昇天』について。元町へ行く。
五年前の今日、レッド・パージ。八日はサンフランシスコ條約調印の日。はじめの二年間はどうやらやっていけた。そのごの二年間は全く苦しかった。あとの一年間は病気。よくもここまできたものだ。
シッシン、いいらし。台風一過すれば、治るだろう。
発信 榊原美文
受信 後藤やゑ
○九月十日(月) 曇 暑
台風十二号、空(カラ)台風。近畿は大したことなし。靑木の浜へ行ってみる。波高し。
政局の混乱、戰爭末期や幕末ににてきた。維新以上の大変事がはじまりそうだ。もう一年たったら相当変るにちがいない。米日反動の崩壊はさけられない。こんどこそ第二の終戰も近い。
○九月十一日(火) 曇 暑
台風一過。だがまだ暑い。それでも夜は涼しくなった。
夕方、井上さん、藤田氏來る。
午後、入浴、散髪。
鳩山訪ソほぼ確実。
「庭いっぱいの春の気配をせきとめることはできない。」
発信 後藤やゑ
○九月十二日(水) 晴 暑
午前、兒玉医院。今後は月曜と水曜(又は木曜)になる。
『共存』の原稿をよむ。どれも平板だ。
紘一郎が、家にいても面白くないというのも無理はない。その通りだ。
靑木君も、数年前にくらべれば、随分後退したものだ。現在では、通俗的常識以上には出ない。コミュニストらしい所はどこにもない。
○九月十三日(木) 小雨 冷
午後、多井畑の療養所へ後藤さんの見舞に行く。割合に元気。三時―五時。
大阪の連中とはもう縁切りにしてもいいと思っている。
発信 第一生命
受信 第一生命
○九月十四日(金) 曇 冷
午後、みかげ。靑木君、三浦さん等に会う。
療養もそろそろ滿一年になる。いたくもかゆくもないし、あきてきた感じだ。十一月にでも手術しようかなどとも考える。
受信 野島義一
○九月十五日(土) 曇 冷
午後、入浴。
夜、井上さんを訪う。
シッシン、余りよくならない。梅雨のような天気だからだろう。
『共存』の論文をよむ。
○九月十六日(日) 雨 冷
午前、祐二郞をつれ兒玉医院へ。抗ヒスタミン剤の注射もする。寶盛館へよる。祐二郞の書物なし。
山口さんから薬着。
シッシン、昨日よりはいくらかいいらし。
『共存』の原稿をよむ。
発信 山口栄子
○九月十七日(月) 雨 冷
午後、朝日会館へ行く。「生きていてよかった」「オセロ」を見る。
発信 志水靖博 亀井蔀
受信 池田薫
○九月十八日(火) 晴 暖
午後、みかげ。猪野氏、永積氏、山川氏等に会う。永積氏から手術の話をきく。
シッシン、よからず。
十月末日までには、農地の金には手をつけずにすむ。つまり一年間、印税とカンパでやってきたわけだ。十月末日で一周年。記念しなければなるまい。貯金は十九万円。
もっとも長く考えても、社会復歸まで後一年。手術まで半年。そのご半年。金もその位は十分もつ。療養開始後二ヵ年。今迄の一ヵ年は順調であった。
○九月十九日(水) 曇後雨 冷
午前、兒玉医院。
シッシン、よろしからず。厄介なものだ。
古林、服部、今井は責任を感じなければならない。無責任にも驚く。これでも人間だろうか。具体的な方法はいくらでもある。井上さんにまかせきりの形。靑木靖三の後退にも驚く。
発信 植口金吾
○九月二十日(木) 晴 暑
吾、阪大病院へ行く。凊水さんに会う。注射。薬を貰う。のち、久しぶりで南へ行く。
シッシンも結局夏の疲れが出てきたというものであろう。ヴィタミン不足。
ワクチンで結核を治す話。ワクチンで治るのなら楽だが。手術を引きのばして、頑張っているのもいいかも知れない。
あと一年というものだろう。順調に行って來年の今頃全快。社会復歸。その頃には日本も前向きになっているだろう。
○九月二十一日(金) 曇 暑
午後、みかげ。百瀬氏等に会う。看護婦に注射をして貰う。
シッシン、いいらし。
もう少し頑張っていたら、ワクチンが一般化するかも知れない。とにかくあわてて手術をしないことだ。
廊下で武市に会う。知らん顔をして行った。かれが人間なら、いくらかうしろめたい所があるだろう。だが、かれは人間ではあるまい。
受信 竹村英輔
○九月二十二日(土) 雨後曇 暑
午後、入浴。十三貫七〇〇匁。また体重がふえ始めたようだ。
第一生命から金がくる。
シッシン、少しよろし。
発信 竹村英輔 理論社
受信 成田日出雄
○九月二十三日(日) 晴 暑
午前、兒玉医院。
午後、民科。森信成の報告。
シッシン、よくない。パスをのむことをしばらく中止。
シッシンも治る條件にあるのだが治らない。気候もいいこと。体重もふえている。栄養もいい。パスもやめている。注射、ぬり薬。
大相撲八日目。全勝は若の花だけ。
発信 成田日出雄
受信 植口金吾
○九月二十四日(月) 曇 暑
シッシン、よからず。よくなる筈だがよくならない。悪化の條件は余りないのだが。
何故今頃シッシンが出てきたのか理由が分らない。ブロバソンの副作用もあろうか。これは何ともいえない。
東京へ『国際新聞』を送る。
○九月二十五日(火) 曇後雨 暑
午後、阪大皮フ科へ行く。志水氏、岡山へ出張で留守。
夜、杉原さんへ行って注射をして貰う。
レスタミンG軟膏をつける。いいらし。
夜、井上さんを訪う。
夜、雨が降ってむしあつい。皮フ病には悪い季候。
いま一番の問題はシッシン。胸の方はいたくもかゆくもない。シッシンは気持が悪い。レスタミンG軟膏はどうやらいいらしい。
志水さんから貰ったTH軟膏はきかない。きかないだけでなく、悪化させる。
○九月二十六日(水) 雨 冷
午前、兒玉医院。メチオニンの注射をして貰う。みかげへよる。後藤さん、手術をしないでいいらし。
レスタミン軟膏、いいらし。
台風十五号近づく。
考えてみれば、神戸大学もひどいことをしたものだ。その無責任にも驚く。
○九月二十七日(木) 雨後曇 冷
早朝、台風十五号來る。午後からは日もさす。急に涼しくなった。
午後、流泉書房へ行く。古川君に会う。
シッシン、いいらし。
黑田寛一著『社会観の探求』着。
宮城、富山、名古屋で自民党敗北。自民党の崩壊は免れないだろう。鳩山訪ソ後、混乱が生じるだろう。「維新」のはじまり。亡びゆくものをささえ切れないだろう。「維新」をまつ。あくせくしないこと。
発信 日本哲学会 日本讀書新聞
○九月二十八日(金) 晴 冷
午後、みかげ。看護婦にメチオニンの注射をして貰う。今井さんに会う。陸井君に会う。
急に涼しくなった。
若の花休場。
○九月二十九日(土) 曇 冷
午後、風呂。国際新聞記者原稿料をもってくる。
午後五時半、高津莊へ行く。民科の懇談会。八時半辞す。
東大、明治に勝つ。
○九月三十日(日) 晴 暖
いい秋日和。
午前、兒玉医院。
午後、祐二郞といっしょにドンでテレビを見る。鏡里優勝。
『細胞生活』をよむ。面白い。
シッシン、全体としていいのだが、まだ釈然としない。
たしかに、遠からず日本にも大きな変事がくる。早ければ今年中。
受信 林省吾