【1957年】
○一月一日(火)  晴 暖
  暖い正月。午後、新開地、三の宮を歩く。香月でだんごを買う。
  一年前にくらべたら、随分元気になったわけだ。今年はどういう年になるだろうか。良い年であってほしい。
  「日記」を書く。書きぞめ。少しづつ書いていったのだが、それでも六〇枚になった。当分續けること。出版してくれるところはあるだろう。
  かりに「非常勤講師」が実現したら、やはりこれは大きいことである。収入の点では知れたものだが、たしかにキョウトウホになる。事実「近世哲学史概説」をやる人はいない。現在もこの講義はない。山元氏が去ったから。
  発信 年始狀、
  受信 年始狀、一六、

○一月二日(水)  雨 暖
  久しぶりの雨。休養。
  年始狀少し。どこかでたまっているらし。
  去年の正月にくらべたら随分平穏だ。退屈ではあるが、有難いわけだ。
  『世界評論』をよむ。面白い。
  発信 年始狀、
  受信 年始狀、六

○一月三日(木)  晴 暖
  午後、元町へ行く。人出多し。流泉堂、海文堂へよる。
  楠さんのいったこと。「小川先生も井上先生も気が弱い。」その通りだろう。
  今年は党でもレッド・パージの問題をとり上げる。社会的問題になるだけでも有効だ。
  『地の翼』をよむ。
  山口栄子さんのいうように、全く今年はいい年であってほしい。もう芽が出てもいい頃だ。今井林太郎も、ぼくの病気後心境の変化をいくらか起したようだ。当然だ。何といっても神戸大学の罪悪は消せない。
  今年の計畫を少し考えよう。非常勤講師でも大きな収穫だ。
  発信 年始狀
  受信 年始狀

○一月四日(金)  曇 寒
  午後、小川君を訪う。景色はいいが、坂を上るのが大変。
  今年は去年より年始狀が少い。どういうわけだろうか。
  又冬型気圧配置になってきた。
  ハタの「主張」にレッド・パージの問題が出ている。今年は眞験(ママ)にとり上げるだろう。
  『地の翼』をよむ。「日記」を書く。
  今年は世界の曲り角。日本は一番おくれているが、それでも曲るだろう。
  発信 年始狀
  受信 年始狀

○一月五日(土)  晴 寒
  午後、山本氏を訪う。
  山形方面の年始狀着。
  午後、入浴。今年はじめて。
  『地の翼』をよむ。「日記」を書く。
  レッド・パージの問題、今年は去年より飛躍的に発展するだろう。客観狀勢もいい、党もとりくみ出した。おそまきながら。
  今年のプランを考えなければならない。あまりのんびりしていてはいけない。健康もそれだけ回復した。
  発信 年始狀 山本晴義
  受信 年始狀

○一月六日(日)  曇 寒
  午前、兒玉医院。今年はじめて。
  夜、井上さんを訪う。
  去年の正月にくらべ、今年は平穏。それはいいわけだが、淋しい点もある。
  野間をよむ。
  去年は療養専門だった。今年は半分療養、半分仕事位でいきたい。そういう丁度いい仕事はなかなかないが。
  発信 年始狀 亀井蔀
  受信 年始狀

○一月七日(月)  晴 寒
  午後、みかげ。三浦さん、鍵本君、楠さん等に会う。今井さんとも電話で話をする。
  野間をよむ。
  「日記」を書く。
  発信 年始狀、
  受信 年始狀

○一月八日(火)  晴 寒
  午後、三の宮。そごうで時計の時間調整。流泉堂へよる。
  今頃になって年始狀が多くくるようになった。一〇〇枚買ったのが不足。
  山口さんから薬着。
  野間をよむ。明平さんといいコントラストをなす。
  「日記」を書く。
  この頃は、大体夜室内九度。去年の今頃の方が寒かった。
  発信 年始狀、
  受信 年始狀、

○一月九日(水)  曇 寒
  今朝、零下一・五度。午後から暖くなる。夜、雨がふり始める。
  年始狀も今日で終りだろう。今年は少いと思っていたら、おそくなって沢山きた。結局去年より多くなった。
  夜、延世といっしょにうどんやでテレビをみる。おさん、茂兵衛(明治座)。
  午前、兒玉医院。
  「日記」を書く。
  山本晴義に期待しているわけではない。一応話しておくだけの話。かれのいうことははじから外れる。神大非常勤講師の件、事実ならば近い中に明かになるだろう。楠さんの口ぶりではそう思える。しかし、それから先、神大の意志がどこにあるかは分らない。
  発信 道家忠道 山田宗睦 山本晴義
  受信 道家忠道 山田宗睦

○一月十日(木)  小雨 暖
  午後、国際会館へ行く。「山」を見る。ヒマラヤが美しい。
  まだ年始狀がくる。
  イーデン辞職。
  レッド・パージ反対、復職斗爭はかなり急激に進んできた。この問題は一昨年の暮から出ていたが、去年一年は若干の進展はあったものの、概して足ぶみしていた。今年は、客觀狀勢もいいし、かなり急速に進むだろう。
  「日記」を書く。
  靑木君もコルニュの訳の「あとがき」で当然ぼくのことを書くべきだった。小島、井上の名をあげて、ぼくを無視するのはけしからん。誰のおかげでこの本が出來たかを考えるべきだ。コルニュとの交渉でも、ぼくの名前を使っているのに。
  発信 年始狀、
  受信 年始狀、

○一月十一日(金)  霧雨 暖
午後、みかげ。今井さんに会う。三浦さん休み。
延世、和郞の所へ行く。どうもしゃべりすぎて困る。
マクミラン首相になる。
野間をよむ。
「日記」を書く。
延世もそそっかしいというか、甘いというか、とにかく幼稚だ。單純だ。
山本氏、亀井氏から返事がこない。今は郵便がおくれているとはいっても、おそすぎる。ことに、山本君はたよりない。あの底ぬけはどうにも仕様があるまい。
非常勤講師の件、どうだろうか。分らない。二十一日の教授会には出ないだろう。哲学科は「近世哲学史概説」の講義をどうするつもりだろうか。なくてすませる訳はいくまい。どこからか人をもってくるつもりだろうか。
広島市議では復職。こういう例が沢山出てくるといい。
発信 醇郎

○一月十二日(土)  晴 寒
  又寒くなってきた。
  午後、入浴。
  年始狀、今年は約九〇枚、去年は約八〇枚。
  延世も單純すぎて困る。神戸大学のことまでしゃべったのにはおどろいた。
  『ビルマの竪琴』をよむ。
  米、英、日、大統領と首相がかわった。しかし、政策はかわらない。今迄の政策ではどうにもならない所へ來ている。国民はソッポを向いている。神武景気などといっても、国民はどらせられない(ママ)。
  発信 土屋保男
  受信 土屋保男

○一月十三日(日)  晴 寒
  午前、兒玉医院。
  午後、みかげ。日文協例会。『ビルマの竪琴』について。岡君きたる。
  『野間』をよむ。
  「日記」を書く。
  『図書新聞』から書評の依頼あり。
  発信 山本晴義 図書新聞
  受信 亀井蔀 山本晴義 田中菊雄 図書新聞

○一月十四日(月)  曇小雨 寒
  午後、京都へ。法律文化社へよる。亀井氏に会う。『知識人』の件。街で夕食。九時すぎ家へつく。
  「日記」を書く。
  レッド・パージの問題が各所でムクムクと出てきた。今年は相当発展しそうだ。それだけの條件ができてきたのだろう。
  発信 竹村美㐂治
  受信 竹村美㐂治

○一月十五日(火)  曇 暖
  休養。よくねむる。昨日の疲れか。
  延世等「居酒屋」を見に行く。
  図書新聞社から『認識論史』『弁証法的唯物論』着。
  野間をよむ。
  「日記」を書く。

○一月十六日(水)  曇 暖
  午前、兒玉医院。みかげへよる。天治でうどんをたべる。神甲へ行く。「居酒屋」と「理由なき反抗」を見る。佳作。
  図書新聞が今頃原稿料を送ってきた。
  野間をよむ。
  発信 図書新聞
  受信 大井正 図書新聞

○一月十七日(木)  晴 暖
  午後、夙川へ行く。山本君の所へ行く。よもやまの話。夕食の御馳走になる。八時半辞す。
  野間をよむ。
  「日記」を書く。
 
○一月十八日(金)  晴 寒
  午後、みかげ。社研、第一回。七時終了。
  永積さんから『古典文学の伝統』の寄贈あり。
  神大の学長の改選が今年の十二月にある。古林学長に一片の良心があるなら、それまでにぼくのことを何とかするべきだ。しかし、だらしのない古林㐂樂では何ともいえない。ずるい人間で、シンがないから。一片の責任感があるかどうか。かれのテスト・ケースにもなる。
  留守中に岡君來訪。
  発信 亀井蔀

○一月十九日(土)  曇 寒
  午後、入浴。オウギでテレビをみる。
  野間をよむ。明平さんの手にかかると何でも呑気になるが、野間は陰気になる。
  中ソ共同宣言発表。NY株暴落。
  『神大新聞』に学長、部長、主事の新年の抱負がのっている。いかにも貧弱だ。神大の水準を示している。こんな低級な頭で学生を指導できるだろうか。時代感覚がない、社会的認識がない。学生の方がずっと進んでいる。

○一月二十日(日)  晴 寒
  午後、祐二郞をつれて三の宮へ行く。そごうで最高最底(ママ)寒暖計を買う。三好野でテレビを見る。
  午前、兒玉医院。
  野間宏『地の翼(上巻)』讀了。とにかく力作だ。明平さんはどうも呑気すぎる。

○一月二十一日(月)  晴 暖
  山本君から電報。大阪行中止。
  だいぶ日が長くなった。今日あたり春らしい気分もする。
  今日は飛行機が沢山飛ぶ。何かはじまるのだろうか。
  この頃は大概夜十度。
  陽子のノイローゼにも困る。年齢の加減もあろうが。
  「日記」を書く。二〇〇枚(二〇〇字)突破。
  今年はアメリカが大失敗をする年のような気がする。去年英仏が大失敗をしたように。アメリカは帝国主義をむき出しにしてきた。あせりが見える。

○一月二十二日(火)  晴 寒
  午後、みかげ。靑木君からの手帖四冊を三浦さんから受取る。楠さんに会う。
  三の宮へ行く。流泉書房へよる。古川君に会う。
  夜、井上さんを訪う。
  『哲学全書』をよむ。
  楠さんのいったこと。根據がないことはない。井上さんのいったことと考え合せると、意味が分る。まだ、具体的には分らないが。
  発信 樋口金吾

○一月二十三日(水)  曇 寒
  午前、兒玉医院。御影へよる。猪野さんに会う。
  三の宮、新聞会館へ行く。「ビルマの竪琴」、面白くない。「夜の河」、色が美しい。
  山本君の『プラグマティズム』、靑木書店から着。
  山本君から手紙が來ない。例の如く。全くたよりにならん。
  樋口君へ書類を送る。
  『現代哲学全書』二冊の書評を書く。三枚。図書新聞社へ送る。

○一月二十四日(木)  晴 寒
  午後、散髪。オウギでテレビをみる。
  近所のおかみさんのように、人のいうことばかり気にしていたら何もできない。楠さんがじれったく感じるのはそういう所だろう。そこに井上さんの弱さと無原則さとがある。部長になっていい人だが、なれないのは、井上さんの押しの弱さを多くの人が知っているからである。あれではロクな仕事はできない。
  「日記」を書く。これは楽しみのためのものである。

○一月二十五日(金)  晴 暖
  午前、延世、阿部さんの所へ行く。保証人の件承諾。
  午後、みかげ。研究会。
  「日記」を書く。
  文学部の中にもたしかに悪質な人間がいる。しかし、それは少数である。それが井上さんに影響している。そんなのを余り気にする必要はない。むしろ撃退すべきだ。それをせずに、かえってかれらに押されているのが井上さんの弱さだ。
  受信 山本晴義

○一月二十六日(土)  曇後雨 暖
  午後、みかげ。日文協理論部会。ルフェーヴル。
  『現代日本の思想』をよむ。
  樋口君から書物がかえってこない。
  「日記」を書く。
  志賀潔、小林一三、重光葵死去。昨年の十二月から有名人の死亡が多い。
  冬の気圧配置が崩れてきた。このまま春にはなるまい。まだ寒くなるだろう。
  受信 図書新聞社

○一月二十七日(日)  晴 暖
  午前、兒玉医院。
  午後、大阪。民科哲学部会。新島さんの報告。のち、A1で岡君、重原君と雜談。
  千代の山、全勝優勝。
  『現代日本の思想』をよむ。
  矢内原忠雄、大内兵衛、蝋山政道、瀧川幸辰、恒藤恭、末川博、これら戰爭中教壇を去った人びとが、今日奇妙に揃いも揃って学長になっている。要するに、追放される位の人はバック・ボーンがあり、優秀であるということである。
  発信 政界往來社 山本晴義
  受信 政界往來社

○一月二十八日(月)  晴 暖
  午後、靑木の銭湯へ行く。
  樋口から何もいってこない。速達を出す。
  いつもながら、どうも岡君はピント外れでこまる。主観主義が強い。重原君の方がまだましである。
  「日記」を書く。これも少し頭打ちの形である。少し休んだ方がいいかも知れない。
  『日本の知識人』二月中に初校が全部出る予定。三月には本になるだろう。今度送ってきた山下肇の文章もつまらない。相かわらずバッグ・ボーンがない。
  発信 樋口金吾(速達) 亀井蔀
  受信 亀井蔀

○一月二十九日(火)  曇小雨 暖
  午後、御影郵便局で樋口君へ電報を打つ。分校へよる。谷口君に会う。
  樋口君から返事がない。どういう訳か分らない。
  『世界』をよむ。
  楠さんに会う。近日会うことにした。延世もつとめた方がいい。生活にバッグ・ボーンができ、やることも合理的に、テキパキするようになるだろう。有閑夫人としゃべってばかりいても仕方がない。延世のノイローゼも治るだろう。それが又陽子にも影響するだろう。四月からは、うちの生活も全体として軌道ができるようにしたいものだ。
  「日記」を書く。
  発信 樋口金吾(電報) 

○一月三十日(水)  曇小雨 暖
  午前、兒玉医院。
  午後、阿部さん來る。判をもってきてくれる。
  夜、岡君きたる。
  朝、金吾氏から電報。午後、書類着。
  後藤さん、明日退所。
  山口さんから薬着。
  「日記」を書く。
  今日はいろいろの問題がいっぺんに片づいた。
  阿部真琴氏の収入、七三七・四〇〇円也。
  山本英一氏の収入、六九二・六八〇円也。
  国立の方が多いと見える。
  発信 樋口金吾
  受信 樋口金吾

○一月三十一日(木)  曇小雨 寒
  休養。
  住宅譲渡の書類を山中さんへ届ける。これでこの件は終り。随分手がかかった。お役所は馬鹿げたことをする。
  久しぶりで寒くなった。
  延世に対し、大いに怒る。
  岡君も重原君も余り優秀でない。神戸大学の方がいい学生がいる。
  『現代日本の思想』をよむ。
  これから少しづつ神戸大学を攻めよう。
  「日記」を書く。二六四枚(二〇〇字)。