御無沙汰しました、

イモヂヤの息の職の件は未だに紹介に対して返事がありません、

その内に來るだらうと思つて居ります、

今山形に來て居りますが、母上より攝郎兄宛の澤山の手紙

拝見しました、農地制度改革の問題は困つた事が起きたものです、

突然ですが、少生今度米澤工事部をやめました、大体三月

一杯新潟の元の建設部に籍を置き、四月からは役人生活をやめ

野人になる豫定になつて居ます、

今迄の處四月からは舞鶴の佐古田氏の大阪の仕事を手傳ふつも

りで居ります、八百五十円の役人の給料では飯が食へません、民間に

出れば、その位の金は居ねむりしてゐても稼げます、

本月十日頃少生埴原田に参ります、精しい御話は其の時に

します、

尚今度の土地の問題に関しても、小生が休養がてら半年位

埴原田に歸り、(公職を離れた事だから)、土地は小生の名前に

名儀変更をするといふ案が、今日攝郎兄との話で出ました、名

儀変更で済むものでしたら悪い案では無いと思ひます、唯

気掛りは大阪の現場を半年間小生が空けられるか、どうか

といふ問題があります、半年位田舎で形勢觀望するのも

悪くは無いと思ひます、

尚精しくは会つて御話しませう、

 

三月二日夜 山形にて

和郎

 

母上様

 

追伸

明後日米澤を引揚げて新潟へ行きます、手紙は前の建和寮宛に下さい。