梅雨模様でうつとうしい毎日です 皆健康で居ります
が私はつい家の仕事に追はれて筆不精になつてしまい
御ぶさたして申譯ございません
 十一日の月曜に醇郎さんと和郎さんがいらつしやつて下さい
ました あいにく主人は會があつて大阪に出かけて留守
でした 私では例の問題についても十分な話も出来ない
ので隣の井上先生に来て頂いて今までの経過と、第三者
としての立場から色々お話があつたようでした。私は聞きた
かつたのですが 夕飯の用意をして居りましたので全部は
聴けませんでした。醇郎さんの方からもお話があつた
ことゝ思います。
まあお話の結末として 現在では小松個人の問題では
なく、全國的の問題になつてゐるし、文理学部の教授達は
揃つて問題の性格を理解して全員一致して心よく
支持してゐる だから脱黨は勿論のこと、すべての


行動は個人的に動くことはまづい 大きな線で動くよう
にする積りだとゆうお話でした。
又日曜の民主主義科学者協会の席上でも阪大教授の話があつて、個人的に
行動した人つまり、勝手に就職口をきめて退いてしまつた
人が実際にあったけれど何處え行つてもよくなく、よい結果でなかつたとゆう実例
を話されたそうです。
 ですからお母さまのおつしやるように他の学校に逃げたり脱黨することは余程
慎重にしなければならない事ですから、冷静に考えて参ります。
 共産黨は苦しい立場に追い込まれてゐるような状態
です かりに公職追放とゆう事が起こつたとしても、世界状勢
がめまぐるしく動いてゐる時ですから何年續くか分らないし、
たゞ気を落してばかりゐてはいけないのかと思います。
お母さまのおつしやる事よく分ります 子供達の幸せのため
にも私は本当にしつかりしなければなりません でも脱黨
さえすれば すべてが解決するとは考えられませんから、よくよく
考えてゐるところです。


 よく勉強してゐる立派な学者達が、主人を支持してくれて
ゐるとゆう事実は、主人が正しい事をしてゐるからで誤(あやま)つた
ことをしてゐるのではないとゆう事を証明してゐるのだと思います。
お母さま そうお思いになりませんかしら。
 埴原田は周囲が封建的だし、たまたま埴原田にゐる
黨員がよくないから、お母さまがとてもお苦しみになるのでは
ないでしょうか。お母さまが私どもと一緒にこちらでお暮しに
なれば決してそんな事はなく いやな目で見る人もなく、親切に
つき合つてくれます。お一人で暮してしらつしやると同じ心配でも
数倍になります。お母さまのお気持をお察しすれば私も
泣けてしまいます。 何とかして御一緒に暮すわけには
いかない物でしようか。無理の事とは思いますけれど。
 四月に名古屋で尚彦の子供が生れまして、先日、東京の
父母が名古屋え赤ん坊を見にゆき そのついでに母だけ
こちらに来まして数日泊つてゆきました 丁度、主人、山陰方面に


講演に出かけて参りまして、帰つて會つて母は帰京しました。

主人が小学中学高校大学といつも優秀で今までも常に
立派だつた事、度々伺つて知つては居ります。でも伺う度にますます
そうだからこそ、今だつてきつと立派なのだと私は信じたくなつて
しまいます。入黨とゆうことはとにかく過去の事だし、それを
取上げて何回言つたところで、いたづらに主人の心をかきみだす
ばかりに思えて可愛そうに思います。離黨が出来る状態が
くるまでそつとしておいてあげたいように思います。
 フランスの偉大な物理学者ジョリオ・キュリー氏も黨員ですし
中国や朝鮮もどんどん変つてゆきますし、そう悲感ばかりして
もつまらないですから、人生は愉快に送りたいとこの頃思うよう
になりました。 なんだかへんな手紙になりましたが、これから
お米の配給ですので今日はこれで失礼いたします。
どうぞお体をくれぐれもお大事に、お母さまもお元気でいつまでもがんばつて


頂きたいと思います。そうなると私も今日のように泣いたりしない
で元気がでますから。

    六月十四日              のぶよ

お母さま え