12月1日
天気非常に暖かし長野でㇵ四十何年ぶりの暖かさ
なりしよし
帯の仕立を終る醇郎よりのハガキ有り建築仕上り
使って居るよしまづまづ安心せり
女中庭に穴を掘り菜を洗ひ等す
いよいよ今年も後一ケ月となりたり
主婦の友を見てマヨネーズを作るよく出来る
12月2日
くもり時々小雨
矢ケ崎へ林さんの薬水粉六日分つつ取って来て貰ふ
古新聞五十円高田やで取ってくれしよし
金三万円農協で出して来てくれる様頼む
12月3日
天気よし中々寒くなりしも平年よりハ一、九度高かりし様なり
午前■■材美しくなる
此日区の出払ひで女中お宮のこわしに行く 夕方四時迠
よくつとめし様なり
夕飯後さかん氏に来て貰ひ金四千二百円渡す
五千円渡さんとせしが受取らず来年の事は快く
引き受けてくれる
お菓子頂きお茶とトブを上げみかんを子供さんに上げる
12月4日
晴天かなり寒し
午前醇郎に手紙を書き出して貰ふ
木川氏に貸した振袖少し日に当て倉へ入れる
豫記
発 醇郎封書
12月5日
くもり寒し午後より雪始めて舞ふ
寺の■山式につき女中をやる米一升金二百円持たせてやる
朝豊平の長田睦治氏寄るお茶を入れて
ゆっくり話す正午頃いもじやの笹岡さん寺へ
来りしとえ寄る少し話して寺へ行く二人の来訪者
に疲れる
女中こたつふとんゆたんぽを出す
12月6日
昨夜中雪降り朝ㇵ止み居る 初雪なり
雪降れば寒くなるにつきいろいろ倉に入れたりする
新やの松雄氏来てくれてダリヤの芋を掘り穴に入れる
風呂をわかし久しぶりに入らんとする時心臓の工合心配故
夕飯後ビタカンファーを注射し休んで入るとても苦しく
始の方丈洗って貰ってやっとすます此様に苦しくてㇵ
以後入浴ㇵ出来ぬかと思ふ
12月7日
くもり
さかん氏しげる氏炭やきに来てくれる松雄氏に教えて貰ふ
新やへも炭を上げる様に頼む
女中沢山の洗濯をしてくれる
午後㐂七氏婆さん来りはがきを二枚書いてやる
パンを一つ持参 石鹸を上げる
12月8日
曇り 時々小雨
朝武内さんへ電話して午後一時のバスにて来診しく
れる 三時頃から女中買物ながら薬取りに行ってくれる
息苦しいこと一昨夜風呂に入りて苦しかりし事などよく
話して薬を調剤して貰ふ様に頼む よいお薬が貰へる事を祈る
12月9日
晴れたり曇ったり囚人なりし人来り不用なれども鉛筆を買ふ
さかん氏しげる氏松雄氏炭やきに来てくれる三時頃に一度
後今一度背負って来てくれる随分沢山なり
朝組の山のおろぬきの話に集る明日から行く事にするよし
吹田の夜具の裏を張らせる私は平常帯の
ひもを作り仕上げる
竹内さんの薬を飲んで脈ㇵ早けれども息切れは少しよろしい様なり
12月10日
くもり温度暖かし今日ㇵ女中組の木伐りに出るにつき前日より
用意す朝六時出発なれば五時に起きる私も神経を
使ひし故やよくよく眠れず
六時出発午後二時過ぎに帰るバラ一俵持参す
豫記
来河西てう氏
お歌■■■
12月11日
くもりなれども非常に暖し
十日は十二・一度二で十二度一高かりしよし
女中山へ木伐りに行く
心臓の工合悪しく弱く数も多かりし故ビタカンファーを
やりしがよろしいと思ハず苦し
夜寺へ婦人會より招かれ女中行く和尚さんのお衣
座ふとん等沢山有り美しかりし由
一美氏奥さん氷餅をわざわざ買って来てくれる
12月12日
うすぐもり女中山へ行く割合早く帰る
昨日一美氏奥さんにマヨーネーズとバターを頼みしに
買って来て下さるお里へ行く用事有り行く時なりし由
都合よくちのにて買って来てくださったよし
有り難し朝飯には氷餅を使ひおひるからマヨーネーズ
を使ふつぶし芋に工合よし
12月13日
晴天寒くなる久しぶりに霜降り有り
女中山へ行く疲れし由にて炭を持たずに帰り
タクヤさん持って来てくれる
此日は武内さんの薬終り氏し故飲まざりしが変りなし
脈の具合此の間中より少しよき様なり
豫記
来 摂郎ハガキ
12月14日
晴れ寒さ強し女中は山を休む
竹内さんへ薬取りに行って貰ふ先生留守奥さん
が少しつつけて飲む様云ハれしよし御尤もなり
山の仕事今日で終りしらし安心せり
12月15日
晴天少し寒くなる
今日ハ区長選挙行かず

仙台へ小包を作る下掛けと餅米と白黒豆
山岸りゑさん花蒔の学校のお祝の餅とて持参し
くれる私食欲無き事を聞きし故か有り難し
12月16日
晴天朝霜有り
㐂七氏来る川に有った太い棒を切って割る
女中小包を出し買物に行ってくれる 河西氏に珊瑚礁
に入社する事を頼み三ヶ月と会費百五十円と
後お祝等百五十円送る
河西氏と百枝に手紙を書き出す
ワラ五束公民館の前へ出す
豫記

発 河西氏 手紙 金
百枝 小包と手紙
12月17日
晴天
㐂七氏来り山ノ上の畑の上のシバを伐る昼食後
柿の木に肥料をやる
前に支拂ㇵぬのが三口あり昨日今日合せて五日分支拂ふ
前は一日百四十円昨日今日ハ日が短き故百二十円と云ふ
全部百四十円として支拂ふ

豫記
㐂  全部支拂ふ
12月18日
晴天雲一つなし寒さはつよくかげの方のしもはとけず
一美氏方へ三平氏と共にかぼちゃ二つどぶろく一本上げる
女中オニバへやり麹やで味噌を貰って来る
吹田へ送るこだつ下掛けさがしをなし少し張らせる
12月19日
晴天暖し
甘酒トブを作る
餘り食欲無き故昨日より竹内さんの薬を
止めて見しに非常に身体がだるくてだめなり
12月20日
晴天非常に暖し
午前矢ケ崎へ買物にやる午後
山ノ上よりボヤを背負ふ
今日も竹内の薬を止めて居りしに力なく心悪しく
食欲も餘り出ず
河西氏に百五十円歌誌代百五十円お祝のつもりにて送りしに此日歌誌
に入れし由困りたり私の病気につき心配しくれ親切に云ひくれる
一日に歌一首作る様にと
豫記
来信 河西てう子氏
12月21日
晴れ非常に暖く十二月と思へず 朝飯を食へて居る処
へとしさんとちかちゃん来る ちかちゃんハ友たちの家へ来り
様なりお昼におはぎを作りとしさん丈上げる
三時前に帰らる

紅葉して美しかりし四方の山も
色あせ葉落ちて淋しくなりぬ
12月22日
此日電話かけしに竹内さん明日来ると云ハれし由
豫記
発 河西さん
12月24日
くもり朝は八時半の上り
目のまハり足手にむくみ有り
明日は竹内さんへ尿を持参する

新やより年貢ノ千円 いろいろ併せてくれし様なり
見舞として卵十五
12月25日
豫記
来 百枝 白松が最中より

(日記終了  いさの1955年1月1日死去)

補遺
四尺四寸
吹田 こだつふとん
   四尺六寸
下掛 三尺七寸
こたつ小ふとん 三尺九寸
三尺九寸

處方箋
四月十二日
ネオフィリン            0、五
安息香酸ナトリウムカフェイン    0、五
ブロバリン             0 五
メチルエフェドリン         一、三
エビオス              二、0
石混私一日分トシ 分二包 毎食後に服用

潰地代金及支障物補償料代
土地十二坪    二万二千五百円
板塀 二十七尺      五百四拾円  尺当り二十円
紅葉 目通り六寸   一〇〇円      一〇〇円     

椹  目通り一尺     一〇〇円      一〇〇円     
生垣 九二尺       一、八四〇円  尺当り二〇円

29.12.23 後6-12の消印
いさの宛百枝からの仙台からのハガキが日記に挟まっていた

珍しくこちら雪がふり寒い風が吹いて
おります 益々気も心もちじみ上って
こだつにしがみついています
昨日かきと羊羹御送りいたしました
どちらも寒い時は長くもちますから
お一人で大丈夫と思います これが無く
なる頃来年また御気に召すようでしたら
御送りします 寒い時なら送れますから
とりいそぎ