繪書きのみち     小松百枝
あゝおつかなかつたと千惠ちゃんはまだ其の時の様子を思つて居るらしかつた。
私もあの事を考へるとまだ後から朝鮮人がおつかけてきさうの様な氣がして自然と足が早くなつて行く。
「ブロツクを明けて見れば松の木が半分書きかけになつて居る。
二人は「此の繪をどうすればよいら。今度行つても又朝鮮人がきさうでいやだし。其の繪をしまつておゝきな又いつか行くで」それで話はきれた。
朝鮮人が白い着物をきてそろそろずるずると坂から下りて來ると私達は一しやうけんめいで飛んでにげて來た様子を思ひ出すとおかしい様な笑へもしない様なへんな氣がしてならない。けれども其の時他で誰かゞ見て居ればどんなにおかしかつただらうと思ふとなんだか恥かしい様な氣がした。」
千惠ちゃんは思ひ出したやうに「私このことを綴方に書く」といかにもよいことがあつたの様に言つた。
私もそれにつれて「私も書く」と言つて見たが考へるとあまりおかしなことでへんに思つたがそおゆうことがかへつてよいだらうと思つてかかうと思つた。
書くにはどうゆうふうにかかう等と思つて居るうちにいつか自分のうちの前まで來てゐた。
ヲハリ
八月二十九日

「  」の中のあたりは大層よくかけてゐます。終の方には少し云ひわけがあつていけません。書かふと思つたことはかいてもいゝのですが。
その時おつかなかつたでせう。そのおつかなかつた心持を土台にしてかけばよいのです。

(用紙 諏訪高等女学校作文用紙)