私の名前 二年一部 小松百枝
「百の枝」と私の名前は書く
百もなんでもたくさん取りこんでよくが深いやうで有るが私は外のどんな名よりも好きである。
これはきっと誰も同じ事であらうと思ふ。
もし大變えらい人が外の名を私にくれたとしてもきっとこの生れた時親から授かった名が一番心をひき良い名なんである
私が生れた時産婆がまき子とつけてはどうかと云ったさうである。私はそれを聞いてほんとにさうつけられずに良かったと思ふ。
まきちゃ嗚呼何といふいやな感のする名だらう
あの時まき子とつけられたなら一生まき子まき子で暮さなければならない
けれども自分が今まきと云ふ名だったとしたら唯一の良い名となっているかもしれない。
もう一つ私は名を持って居る。私のあだなである。
「おもち」別に私がもちが好きでも無い又もちのやうな顔をしているのでもない。
唯父がなにかで云ったのを皆が眞似るやうになった。
父は「おもち」と云はずに尚「おもちざん」等と呼ぶ時が有るので皆ころげないて笑ふ
母はさすがにやさしく「もゝさん」と平ぜいは呼ぶ
がおこる時は「もゝや」とこはいこゑをされる
たまには姉までも家へかへった時には「もちさん」等と人を馬鹿にしたやうな事を言ふのでなんだかいやだ
母は私に同情して「ちやんとした名前が有るから名前を云ひなさい」と云ってくれた。
けれど兄達はなかなかやまりさうもない
私はまき子よりもあだなでもおもちの方が好きだ
をはり
よく書けた
こうした事で「おもち」が好きなんでせう
(用紙 諏訪高等女学校)