此の間私とおつかさまと、ねえさんとお湯へ行きました。そして、私が上ろうとして、着物をぬぐ所とお湯のある所の境にあるがらす戸を明けやうとして手を引ひたひやうしに、足がすべつたので思はず、がらす戸につかまらうとしたので、手ががらすをつきぬけて向うへ出ました。するとがらすがしやしやんなんて大きい音を立てゝ、お湯の方へも着物の方へも落ちました。私の手足はがらすが下へおちる時にさゝつて、所々小さいきずが八とこも出來ました。其の上、下はセとみたやうなものや、せめんとだので、よけい大きい音がしました。すると、おつかさまは「まあいやですよう」なんて、おつかない顔をして言ひました。おつかさまは、お前は、早く着物をおきなんて言つたので着ました。
其のお湯は諏訪ホテルのお湯なので、ホテルの女中が來ました。するとおつかさまは「まあこんなそそうな事をして申し分がございません」なんて、あやまるやうに言ひました。
女中は、おこつてはいないやうに、いひええ、そんな事はかまひませんなんて言つたが、私には何となくおこつてゐるやうに感じました。女中が行つてから、おつかさまは、ねえさんといろいろ話してゐましたが、それじやあ、かず家へ行つて、紙と、お金五十銭持つておいでなんて言ひましたが、途中には、ホテルの庭があつて、其の庭にはやなぎもあるし、池を飾る石や大きい松や、すゝきがあるし、其の上眞暗だので其のかげあたりから、何か出て來さうで、いやでいやでたまらなんだので、「いやだ」と言ふと、ほんとにしようがない子だね、なんて、おつかさまもねえさんも言つて、しきりに私にすゝめました。私はしようなし、決心して行きました。其の頃はちようど九時ぐらひでしたので私は行く途中後を見るのがいやなくらひでして、後を見ると何かついて來るやうな氣がしましたので、たゞ一生けんめいにとんで行きました。家のげんくわんまで來ると、むねのどきんどきんはおさまりましたが、又あそこを通るのだと思ふとぞつとしました。家へ來て見るとおばあさんはもうねむつてゐました。あんまりあわてたので、家を出る時げんくわんでお金を落してしまひました。私はおばあさんはねえつてゐて家には私一人だと思うと又家でもおつかなくなり出し、私は一生けんめえにたらひの下や、下駄の下を手でさぐつてお金を見つけました。やうやうみつけました。私は大いそぎ家をとび出し一生けんめえに、ありつたけの力で飛んで行きました。がそうおつかなくはありませんでした。
お湯へ行くとおつかさまは、おゝありがとうと笑ひながら、お金を取りました。私は今度こそ、やれよこつたと思ひました。行つて來た後は、自分が大したいゝ事をしたやうな氣がしてとてもうれしく思ひました。