明治三七年年内日記
此帳簿附込ハ番 順送之事
紙數表書迠弐拾五枚
芽出度始
二月一日諏訪郡農會第三回農事講習会ハ来ル弐月拾八日ヨリ諏訪郡會議事院内ニ於テ開催セラル可キ旨照会
相成候条講習志願者ハ左記規程閲覧弐月七日限リ村農会ヲ経由シテ郡農会長ニ屆出ス可キ様御達有之候間此
段御組内ヘ無洩御通知相成候可也
明治三拾七年一月三十一日 左記
諏訪郡農会第三回農事講習會規程
第一条本会ニ於テ講習ス可キ科目左ノ如シ
作物生理論 作物病害論
第二条本会講師ハ本村技師柿崎釭太郎氏
(破損)農藝委員中浦藤吉(破損)
(破損)開設之期日ハ貮月十八日ヨリ同月廿三日迠五日間トス
第四条講習生ニシテ本会指ノ寄宿舎ニ宿泊スルモノハ一泊金拾五戔ヲ補助ス
第五条講習日数四分ノ三以上出席シタルモノハ履修証書ヲ附与ス
第六条講習ヲ受ケントスルモノハ左ノ書式ニ因リ其町村農会ヲ経由シ弐月七日限り郡農会長屆出候可シ
書式 農事講習会出席屆
何町何村何番地
氏名
生年月日
私義今回御開設第三回短期農事講習会ヘ出席仕度候間此段及御屆候也
右 何之誰
年月日
諏訪郡農会長殿
貮月二日
仝 三日本年四月師範学校第一種及第二種講習生左記之通リ募集相成候条入学志願者ハ当役
場ニ就キ規則熟覧弐月拾五日限薦擧願書差出ス可キ様御達シ有之候間此ノ段御組内へ無洩御通知相成候也
左記
第一種男子 ■■■■■
第二種女子 ■■■■■
貮月四日
貮月五日大畑山ノ件ニ付午後第七時区会召集右山ニ付繪圖面ヲ(破損)在両角彦六氏ニ送附シ一覧ヲ乞フ
ト云フニ議決(破損)米次氏前山掛リ主任者同行ニテ上桑原区へ繪圖面借用ニ出張ス〇小野冨吉氏今井茂
与蔵氏伊藤喜太郎氏トニテ永明村役場へ新堰開通ノ要件照会セニ出張ス〇緊急御協議申度儀有之候条本日
午后第一時遅刻ナク御出張相煩ハシ度以上及告知候也
右ニ付今井喜代蔵出張協議ニ預リ候件ハ
小松平作 折井萬吉
吉田熊重 村松時三郎 右四名本月十二三両日ニ豫備招集トシテ入隊候条当役場ヨリ御達相
成右ニ付テハ本人奨勵ノ為メ餞別ヲ送リ度ト役場ヨリ申越間夛少ヲ論ゼズ有志ノ諸氏奮テ
御賛助有之度此段御組内無洩御通知相成度候也
但シ右餞別金明八日正午迄ニ伍長ニテ取纏メ最寄区長宅ヘ御差出相成度当該氏ハ本月九
日出発ノ都合ニ付有志者へ当日御送リ有之度是又併テ申上候也
二月七日大畑山繪図面引寫トシテ田村孝三郎田村豊小松米次小野冨吉今井喜代蔵等ニテ議
事堂ニ集合此日寺ノ内普請ノ投票並且又右記ノ石材投票等相並候へ共三人出張セズ
二月八日折井萬吉小松平作吉田熊重村松時三郎右四名今般臨時召(ママ)トシテ本月拾日
出発入営之途ニ上ラレ候条本員会員ニハ萬障御善繰恭送者可有様御達ニ相成候間我區内此
旨御通知申候
二月九日注新申度義有之条即刻出張相成度此段申上候也ト御達シ相成候間仝日今井喜代蔵
出張ス右ハ餞別金出来不足ニ付尚御勸透(ママ)方御依頼ノ件
来ル十一日紀元節之式北大塩小學校ニ於テ執行候条午前九時御出張相成度ニ付小松米次氏
出張
弐月十日兵士送トシテ三名出張
仝拾日夜議事院内於テ區会開設右ハ中嶋繁太氏ヨリ廣石買受度申出ニヨリ前件開設致シ候
處過半数ニテ議案否決
二月十四日午後第七時區総会開設右ハ城山下新堰開通三區交渉一件ニ付召集候處闘議末原案
否決ニテ閉会ス
弐月十八日午後第一時区長及尚良會支部委員会当役場内ニ相開キ候条時刻無相違御出張相
成度候也
右召集ニ付小野冨吉氏出張候處今般憲兵上等兵田村理作氏補充員召集ニ應シ本月廿一日郷
里出発入隊之途ニ上ラレ候ニ付本会ニ於テ餞別トシテ金拾円也
本人ニ送ル議決ト相成此金出途法ハ植原田区金弐円鋳物師区金壱円北大塩区金五円塩沢区
金弐円ト相定メ区費任候間我区ニ於テハ十九日区会召集本案議決
二月二十日田村理出発ニ付酒壱升四合代四十戔カリ肴代参拾戔合計金四円四十六戔内肴
代ハ済右田村氏へ餞別金弐円ハ区内毎戸ヨリ徴集人名ハ別帳ニアリ伊藤作之助ニ貸附金五
円三十戔内金弐円也拾九日入小野君預リ又餞別金残額七拾戔八厘モ小野氏預リ此内ヨリ肴代
出
貳月廿四日廣石道路破損修繕トシテ組壱人宛出頭右修繕人足ハ下組田村萬蔵李久保小野継
兵衛淀下組両角作弥淀上組両角忠作岡下組伊藤弥太郎岡上組山岸杦太北街道伊藤代吉平組
伊藤仙三郎 外明俵拾五ヶ代 今井茂代蔵氏ヨリ買入レ
二月廿五日当役場内ニ於テ四区々長會議有之右ニ付小野冨吉今井喜代蔵出張会議ハ仝村軍
人一人ニ付金拾円宛餞別ヲ送事ニ是迠決定致シ有候契約ヲ解キ此原案ヲ否決シ各自の意思
ヲ以テ其人ニ附与スル事ニ決定ス
仝廿五日来ル三月一日衆議院議員選挙有之旨当役場ヨリ御達シ相成候ニ付此条毎戸無洩御
通知相成度候也
左記
一本村衆議院議員投票所ハ当役場内ニ之ヲ設ク
一投票所ハ明治三十七年三月一日午前第七時ニ開キ午后第六時ニ閉ヅ
一選挙人ハ実印携帯出張の事
選挙人名田村吉兵衛中嶋平作小松米次竹村亀蔵田村孝三郎田村浪右衛門田村英治郎伊藤林右衛門
田村源右衛門山岸円三郎伊藤弥太郎山岸鐵之助田村由太郎今井茂与蔵伊藤喜三郎今井喜代蔵伊藤常太郎伊藤仙三郎
二月廿五日別紙之趣旨普ク區民へ徹底セシメ債権應募者多數御勧透(ママ)方御尽力相成度此段申進候也
一宣戦〇照詔煥発セラレタ今日国民タルモノ其心ヲ一ニシテ奉公ノ誠意ヲ竭ス可キハ固
ヨリ言ウヲ挨タズ就中軍国之要務ハ軍資ノ充實ニ在リ今ヤ政府ハ戦時財政ノ第一計畫ト
シテ国庫債券一億円ヲ募集セラレ国威ノ宣揚ニ熱心ナル帝国臣民ハ挙国一致奉公ノ義風
ヲ奮起シ勤倹節約競ッテ軍資ノ募集ニ應ジ速ニ好成績ヲ奏ス可キハ信ジテ疑ハサル所ナ
リトスト雖モ此機ニ際シテ挙国奮励ノ実ト共ニ帝国ノ財力ヲ中外ニ公示スルハ極メテ緊
要ノ事ニ属ス殊ニ今回募集セラレタル債券其拂込数月ニ亙リ資力袷サラザルモノト雖モ
少シク勤倹ヲ勉ムレバ敢テ難シトセス各位ハ宜シク指導勧透(ママ)貧富ヲ問ハズ競ッ
テ其募集ニ應ジ非常ノ好成績ヲ挙グル様努力セラレンコトヲ希望スト御通知アリタリ
仝廿五日秣拂下願書ヲ当役場ヨリ調達被下候ニ付。左ニ
秣御拂下願
丙第八三号
長野懸諏訪郡米沢村字後山御料原野反別参拾三丁歩
一秣貮千五百束
此料金拾円
右是迠毎年御拂下相成居候處尚本年モ壱ヶ年限リ御拂下相成度御許可ノ上ハ御料地ニ対スル御規則ヲ遵守スルハ勿論御定式ニ従ヒ御請可仕候依テ別紙圖面相添へ此段奉願候也
三十七年二月二十七日長野県諏訪郡米沢村長村松準三郎 印
御料局静岡支廳長
御料局理事
諏訪郡米沢村千九百九十番 字後山
一原野反別参拾参町歩
内八町歩但シ赤崩地砂押地岩崛地小石地
(図)
明治三十七年二月二十七日 長野県諏訪郡米沢村 村松準三郎 印
秣御拂下願
丙第八四号
長野縣諏訪郡米沢村字大畑山御料原野反別九町弐反四畝拾八歩
別紙圖之通り
一秣六百拾七束
御料金弐円四十六戔
右者是迠毎年御拂下相成居候御処尚本年モ壱ケ年限リ御拂下相成度御許可之上ハ御料地ニ対スル御規則ヲ遵守スルハ勿論御定式ニ従ヒ御請可仕候依而別紙圖面相添此段奉願候也
明治三拾七年二月二十七日長野県諏訪郡米沢村長村松準三郎 印
御料局静岡支廳長
御料局理事
諏訪郡米澤村弐千弐百八十七番イ号字大畑
一原野反別九町弐反四畝拾八歩
内参町歩〇赤崩砂押地小石地岩崛地
(図)
御請書
丙(ママ)八四号二
長野縣諏訪郡米沢村大畑反別六町壱反六畝拾八歩之内
一、 秣六百拾七束
拂下願人 信濃国諏訪郡米沢村長村松準三郎 印
仝 国 々郡四賀村長北沢分次 印
右御料地ヲ民有引戻方豫而申請居候処前記之件ハ御廳ニ於テ御拂下御処分相成候ヘ共更ニ故障之無追而民有ニ
引戻サルゝモ右ニ対スル已納代金ノ還附及ヒ損害賠償等決シテ請求不仕候此段御請候也
明治三十七年二月二十七日長野県諏訪郡米沢村長村松準三郎 印
御料局静岡支廳長
御料局理事
二月廿六日右大畑山秣拂下願書御請書ニ四賀村長ノ連印ニ小野冨吉小松米次出張
小野喜ヱ門笹岡晴吉小出義蔵
右之者去ル二十二三両日従軍出発致候間仝氏ニ餞別金ヲ送ラレ度旨当役場ヨリ御通知有之
ニ付テハ各自ヨリ有志餞別ヲ煩ハシ度尚該金ハ伍長ニテ取纏メ弐月廿八日迠ニ最寄区長へ
御差出相成度此段毎戸無洩御勧誘透(ママ)方御取斗ヒ有之度候也
豫而御条分ノ田租徴集之節慈教講受金弐戔五厘宛御持参願度ト各組ヘ配附
二月二十七日區総会開設右要件ハ国庫債應募方ニ付午後第七時ヲ期シ召集ス
区総会ノ結果トシテハ各組ヘ引降リ廿九日迠ニ決議ヲ持寄其上ニテ執行スル事
外ニ兵士餞別ノ儀ハ各區ニ負擔ニテ徴集自弁シ大ノ凡金拾円ト云フ見込ニテ該人ニ送附スル事ニ決ス
二月廿八日地租第四期田租及赤十字社兵士小野喜左衛門餞別金及慈教講費金徴集候也
一金百五十六円弐十七戔田租一金拾円赤十字費
一九円四十七戔五厘兵士小野喜ヱ門氏へ一弐円三十二戔五厘慈教講費
一弐円弐十六戔代納人欠 右徴集過金五戔五厘
二月廿七日■而米沢村区長会招集候条当役場ヨリ通知相成右ニ付小松米次氏出張要件ハ兵士餞別金賦課法ニ付闘議
ノ末各区受持区ノ自弁ト相成夫々帰村ス但シ當人ニ付金拾円見当トス (此召集書ハ後ニテ来リ候間此ニ誌ス)