○四月一日(日)  晴 暖
午前、雑用、読書等。
午後、勝川さんの所へ行く。不在。本を返す。上って休む。煙草を貰う。大映による。
沖縄本島に上陸開始。
○四月二日(月)  曇 冷
午前、学校。今日からストーヴなし。寒し。近江氏最後の出校。“吉田松陰書翰集”を贈る。煙草を貰う。森島來校。
午後、学校。高岡行、工藤、古域、荒田、岩瀬行、深町、村岡。学校のシャベル、ツルハシを借りる。
朝、近江氏玄関迄挨拶に來る。
阿部次郎退官。
和郎の結婚式の写真13枚着。
受信 岩活茂雄。 発信 大学新聞社。
尾崎紅葉の“伽羅枕”をよむ。

○四月三日(火)  曇 冷
午前、防空壕堀り。
午後、大映で“エノケンの一心太助”を見る。案外面白し。大畑さんの所へ寄る。
受信 母、村岡哲。
海軍の件に関する延世の言動極めて悪し。

○四月四日(水)  曇 寒
午前、学校。村岡氏來る。岩瀬へ行くことにした由。十二時駅へ行く。近江氏を送る。入管兵多し。
家へかへって晝食。二時、ホルツェルさんの所へ行く。又学校へよる。

○四月五日(木)  晴 寒
午前、学校。
午後一時から教授会。三時終了。動員に関する打合せ。頗る低調也。一番大事のことを皆忘れてゐる。それは頭の事である。
午後七時から三沢さんの所で常会。出席する。三沢の組長振り大いによろし。九時半終了。
小磯内閣総辞職。大命鈴木貫太郎大将に降下。79才の老人では駄目也。

○四月六日(金)  晴 寒
午前、学校。
午後、久し振りに家にゐる。ひるね。読書等。“カラマーゾフの兄弟(1)(2)”読了。
又寒くなって來た。風強し。
母未だ歸らず。
日ソ中立條約延期せず。
ドイツはゲリラ機の状態に入れり。

○四月七日(土)  晴 暖
九時、壮行式。駅迄行く。十時の汽車で富山へ向って出発。学校へかへる。田島教授着任。これで学校も一段落。疎開して來るものは陸軍軍医学校に決定の由。來週は原則として午前だけ学校へ行くこととする。
午後、防空壕掘り等。母未だ來らず。
夜、風呂をたてる。
鈴木内閣バドリオ政権ならざれば幸也。
受信 上原楓、醇郎。

○四月八日(日)  快晴 暖
午前、“カラマゾフ”をよむ。
十二時すぎ、母と仙台の女中來る。
女中の荷物を持って駅迄行く。街へ出て大映へよる。“龍の岬”の後半を見る。橋倉さんから東京の空襲の話をきく。
六日の沖縄島周辺の海戦の戦果発表あり。
鈴木内閣昨夜成立。こんな内閣では戦争は出來ない。

○四月九日(月)  晴 暖
午前、学校。生徒もゐなくなり、先生も來らず、学校はまことに閑散也。開店休業。
午後、“カラマーゾフの兄弟(3)”読了。
発信 串田孫一、佐古田寶之助、和郎。
受信 串田孫一。

○四月十日(火)  曇後雨 冷
午前、学校。軍医学校より連絡員來る。校舎転用の相談。海軍(本省)より校長に交渉あり。勤勞動員弁当漸く支給さる。
午後、渡辺へ行って散髪。
近來延世失敗つづき也。余りに幼稚也。ムイシュキン公爵の如し。
鈴木は正気の沙汰にあらず。隣組のガン也。
理科の先生はとられるだらうと云ってゐたのが、余が最先に海軍にとられ、理科の先生には何の沙汰も無いのは皮肉である。
常木、明日出発。不二越へ。

○四月十一日(水)  曇小雨強風 冷
午前、学校。岡部さん肺炎侵澖の由。
午後、読書。“カラマーゾフの兄弟(4)”読了。これでこの長篇をよみ終れり。やはりドストイェフスキーの代表作なり。ドストイェフスキーは恐るべきもの也。
延世、風邪。教練の疲れなり。
発信 醇郎、林省吾、村岡哲、上原楓。

○四月十二日(木)  晴風強し 暖
午前、学校。福島縣へB29編隊來襲。
午後、家にゐて“小鳥の巣”をよむ。面白くない小説である。
單調にして退屈である。早く海軍の仕事が始まればいい。
母は近年うるさいことを余に云ひつづけて來た。併し今日に至っては余の予測した通りになって來た。結局余の見込と処置は賢明であった。
頭の仕事では我々の年輩の者が働くべき時代である。五十以上のものは過去の者である。

○四月十三日(金)  曇 冷
午前、学校。珍しく純平氏來る。
午後、鈴木三重吉作“小鳥の巣”読了。感心しない小説である。
ルーズヴェルト脳溢血で死去。
退屈也。畠を耕す。
勝川(高岡)、榊原(不二越)明日出発。

○四月十四日(土)  快晴 暖
午前、学校。十時から教授会。宿直の件等。教官は隔日に学校へ來ること。
午後、街へ行く。学校へかへる。
鈴木三重吉作“千鳥他四篇”(岩波文庫)をよむ。短篇は中々よろし。
昨夜警戒警報。東京は170機來襲。被害相当らし。明治神宮消失。
受信 近江禜、駒宮俊太郎。

○四月十五日(日)  晴 暑
午前、“竹沢先生と云ふ人”をよむ。
午後、大映へ行って“姿なき敵”を見る。割合に面白い。

○四月十六日(月)  晴 暖
昨夜京濱にB29、200機來襲。東京からは何も來らず。
午前、学校。
午後、学校。遠藤へ行って牛肉150匁受取る。100匁8円也。明後日学校の図書疎開。
餅をつく。二升宛二臼也。
防空壕検査來る。
延世、済世館へ行って高波さんに診て貰う。單なる風邪也。
長與善郎作“竹沢先生と云ふ人”読了。案外面白い。武者の“幸福考”などよりはずっといい。杉山平助の批評では、思想小説として成功せるものと云ふのである。
受信 中野京直。
紘一郎のいたづらは全く閉口也。
“悪霊”よみ始め。

○四月十七日(火)  晴 寒
午前、学校。特に午前は寒し。荒田氏歸校。
午後、学校。薪の配給あり。図書課は長島が止め、佐藤富美子が代る。今日の宿直は白石さん(25日)に代って貰う。明日土橋行。今日一年生來らず。
夜、仙台の女中カキを持って來る。
発信 中野京直、駒宮俊太郎、近江禜。
受信 醇郎、村岡哲。

○四月十八日(水)  晴 暖
午前八時学校。一年生19名來る。中学からの連絡悪し、弁当を持って來ないので、打合せだけにし、明日土橋へ行くことにする。
午後一時から教授会。満蒙学生の件。二時半終了。校長図書課へだべりに來る。
母、カキをくばる。女中一泊して仙台へ歸る。
沖縄方面撃沈破総計393隻也。

○四月十九日(木)  曇 暖
図書疎開。八時半学校。一年生十九名來る。荷車一台、リヤカー四台に積む。十時出発。大畑さんと余とがついて行く。寒河江街道を行く。船町の先で十二時晝食。
土橋へ一時半に着く。村長と柏倉氏と二軒の倉へ分けて納める。三時土橋を出発。六時半学校へ着く。往復七里也。
夜、花岡さん來訪。
受信 深町弘三。

○四月二十日(金)  曇 寒
昨夜久し振りに雨降る。
午前、学校。
午後、学校。年度末賞与支給さる。
來週仙台へ出張。教科書探し。
この二三日少し咳が出る。
高木(高岡)今日、柳原(岩瀬)明日出発。
“悪霊(1)”読了。

○四月二十一日(土)  曇 寒
午前、学校。疎開の本を箱へつめる。
午後、学校。ネギの配給あり。1貫100匁、1円50銭也。
沖縄決戦。もう一息也。
ベルリン迄11キロに迫る。
今日から山形新聞となる。
内務省大異動。若手進出。年寄りののさばってゐるのは学校だけである。
木々の芽が一斉に出て、花が咲き始めた。寒いけれど時節は争はれない。

○四月二十二日(日)  晴 冷
午前、読書等。
午後、大映へ行く。“勝利の日まで”等をみる。切符購入をたのむ。遠藤へより牛肉代を拂ふ。直丸さんの所へよる。辞表を出した由。
海軍もスローモーション也。もう辞令が出てもいい頃である。
母も延世も女は厄介なものである。
発信 深町弘三。
受信 林省吾。

○四月二十三日(月)  花曇り 暑
午前、学校。八時から留学生の入学式。
午後一時―二時、ホールで教官と留学生との会食。後、大映へ行く。切符を受取る。交通公社の奥山氏に紹介される。
“悪霊(2)”読了。
煙草のストックがかなりあったが漸次喰ひ込んで遂にピンチに近づいた。兩切は終了せり。
ソ軍ベルリン市内に突入。
花曇りのまことにいい気候である。
明日仙台へ行く。用意などする。

○四月二十四日(火)  晴 暖
草餅を作る。九時半家を出る。十時十五分山形駅発。関根と一緒になる。午後十二時四十分北仙台着。歩いて中村の所へ行く。晝食後村岡氏を訪う。丁度富山からかへった所で在宅。富山の話などする。仙台の町を歩いて中村の所へかへる。桜が満開。
夜写眞を持って武内さんの所へ行く。風呂に入る。

○四月二十五日(水)  晴 冷
午前九時、大学の研究室で村岡さんに会う。一緒に本屋を歩く。丸善で国文法と国学の本を買う。森永でランチをたべる。
家へかへって晝食。ひるね。後又街へ行く。

○四月二十六日(木)  晴 暖
午前、本屋を歩く。哲学研究室へ行って中川秀泰氏に会う。
家へかへって晝食。女中塩釜へ行く。二時半頃歸ってくる。かれえ(・・・)その他あり。三時半家を出る。駅迄女中が荷を持って來てくれる。四時半仙台発、七時半山形着。八時家につく。

○四月二十七日(金)  晴後雨 冷
午前、学校。軍医学校の本隊が來てゐる。桜も満開となった。三日見ぬ間の桜かな。ねぎ、木炭の配給あり。
午後、大畑さんの所へ魚を持って行く。学校へかへる。五月不二越へ行く件。海軍へ問合せを出す。
昨日咽喉痛む。今日鼻汁が出る。軽い風邪也。
理科の先生は軍医学校の嘱託になる由。
発信 御子柴楯男、中村吉治、兼子宙。

○四月二十八日(土)  晴 寒
午前、学校。ノート配給あり。
午後一時から教授会。動員の件等。三時終了。
五時村岡氏來る。
鼻汁が出て風邪気分也。
富山行は三日出発とのこと。
夜、井幕眞哉來る。

○四月二十九日(日)  曇 寒 天長節
午前、八時、天長節拝賀式。
ドストエーフスキイ作“悪霊(3)”読了(米川正夫訳)。これでロシア文学は一段落とする。“悪霊”をよむには相当忍耐力を必要とした。二週間を要せり。ドストイエフスキイも飽きた感である。これからは“戦争”を勉強する予定。
午後、大映へ行く。“名刀美女丸”をみる。良い所もある。
風邪昨日よりはよろし。
発信 金子武蔵。

○四月三十日(月)  晴 冷
午前、学校。豆はたき。
午後、同じく。金田氏に“誌四録”(岩波文庫)を贈る。
五時偕楽園へ行く。軍医学校の本校職員招待。相当の御馳走あり。八時すぎ散会。
“戦争史概観”よみ始め。
久し振りの大本營発表。撃沈破78隻。総計471隻。
受信 佐古田寶之助。