○五月一日(火)  曇 暖
午前、学校。雑用。
午後、街へ行く。純平氏に挨拶。橋倉氏に切符を依頼。八文字屋は事務所になれり。学校へかへる。
入浴。富山行の用意等。
ムッソリーニ殺害さる。ヒムラー降伏説。

○五月二日(水)  雨 寒
午前、学校。大豆の配給あり。
午後、大映へ行く。切符を受取る。学校へかへる。三時から教授会。工藤氏の教告等。五時終了。
又、若干風邪也。
一枝時初めて二年の授業(道義)。
ヒットラー氏死去。
明日の出発の用意。

○五月三日(木)  晴 暖
六時起床。七時家を出る。山形駅で岩瀬行の阿部弘介と一緒になる。七時半山形発。米沢、坂町、新津の乗換は具合よし。新津から大いに退屈也。途中で方針をかへて岩瀬へとまることにする。だいぶ汽車がおくれて十一時半本岩瀬着。十二時寮につく。手松さんをおこす。一泊。

○五月四日(金)  晴 暑
おそく起床。朝食抜き。午前、雑用。
晝食は久し振りで工場の食堂。
午後一時半越中岩瀬発、二時富山着。二時五十分第八報国寮到着。榊原さん一人をれり。
五時、工場の夕禮に参加。夕食は寮。
常木氏今朝立った由。
七時から生徒を集めて話をする。
発信 母。

○五月五日(土)  晴 暖
昨夜降雨。
午前、工場を廻る。相当の大工場也。
午後、ひるね。街へ行って買物をする。富山の街も懐し。
欧州戦局終了に近し。獨逸破れたり。
発信 母、醇郎、柳原吉治。

○五月六日(日)  晴 暖
午前、見廻り。寮へかへって読書など。
午後一時から第八愛国寮に於いて八日の行事に関し学校監督の打合せ。三時終了。
四時榊原さんと一緒に第八愛国寮の風呂に入る。これだけは優秀也。
寮は田舎の大きい病院の如し。騒々し。“のみ”には閉口也。生徒も師範学校の生徒の如し。常木式教育の悪影響著し。

○五月七日(月)  快晴 暑
午前、工場一巡。研究所で貞方に会う。
佐藤氏來らず、榊原氏歸形延期。
午後、街へ行って買物。

○五月八日(火)  曇後雨 暖
午前零時佐藤教授着任。午前三時発の汽車で榊原教授出発。
大詔奉戴日。不二越全従業員六時五十分運動場に集合。七時―八時、関兵分列式、不二越神社前。八時半―十時、大詔式、神風表彰式。教官は責察員。
正午B29一機富山縣に來る。
午後、街へ行く。人出多し。
兼子氏からも金子氏からも返事來らず。少しをかしい。
独逸全軍無條件降伏。
此処の生徒は精神的要求の極めてひくし。

○五月九日(水)  雨 寒
朝、佐藤さんと共に工場を一巡。後、寮にゐる。
発信 母、村岡哲、醇郎。
受信 醇郎。
遂に煙草全部盡きたり。

○五月十日(木)  曇 寒
午前、佐藤氏とともに南方氏、橋本氏、大沼氏を訪う。不二越図書館へも行く。
午後、売店へ行く。
発信 校長。
受信 母(延世、陽子)。

○五月十一日(金)  曇小雨 寒
午前、工場を巡る。寮へかへって“戦争史概観”をよむ。第一次世界大戦の所は面白い。
午後三時から工場長室で会議。四時終了。
煙草配給あり。二人分、みのり二ヶ、きんし20本、両切朝目20本(2円80銭)。
生徒は大事な夜を唯ボヤ~と遊んでゐる。
高山氏から葉書。一日延期で26日迄。
退屈な毎日也。
発信 大畑末吉。
受信 高山英夫。

○五月十二日(土)  半晴 冷
午前、寮にゐて読書など。今日は大半公休也。
午後、街へ行って買物。相当仕入れたり。もう山形へかへってもいい。
情報局改組。
発信 高山英夫、蛭川一男。
四手井綱正講述“戦争史概観”読了。

○五月十三日(日)  快晴 暖
久し振りの快晴。暑からず寒からずいい気候と云ふものである。
午前、工場。
午後、街へ行く。絵本と国民学校の教科書とを買ふ。
午後七時-八時半、教官室に生徒を集めて座談会。丁度貞方氏來訪。
発信 深町弘三。

○五月十四日(月)  晴 暖
午前、工場。寮へかへって国民学校の教科書(国史)をよむ。
午後一時、柳原さん來訪。街へ案内する。
山形へ十一日にB29偵察に來る。
今日は丁度中日也。後十日也。
発信 母。
受信 赤沼貢。

○五月十五日(火)  曇 暖
午前、工場。寮へかへって国民学校の教科書(修身)をよむ。
午後、富山劇場へ行って“撃減の歌”をみる。久し振りで金を拂って映晝をみれり。面白からず。大船は依然なり。
昨日B29四百機名古屋へ來る。今迄の最大也。

○五月十六日(水)  雨後晴 暑
午前、工場。貞方の所へ行ってだべる。十一時、寮へ寒河江氏來る。
午後、寒河江氏を伴って工場へ行く。学徒課長に会う。寒河江氏を案内して縣廰へ行く。又教課へよる。街で買物をする。
寒河江氏泊る。
海軍の兼子氏から返事。暫時延期のこと。
夜、小川等が話しにくる。
受信 兼子宙、上原楓。

○五月十七日(木)  雨 寒
梅雨模様の日。寒河江さんとともに寮にくすぶっている。
発信 母、上原楓、赤沼貢、林省吾。
受信 村岡哲。

○五月十八日(金)  曇 冷
午前、工場。寮へかへって雑用。本を荷造りする。一部分を山形へ送る。
午後、街へ行く。買物など。
寒河江氏朝六時半立つ。
発信 延世、日野月明㐂、醇郎。
受信 母、醇郎。
醇郎、富山へよらずに行く。

○五月十九日(土)  曇 冷
午前、憲兵隊へ行く。動員状況等の話。
荒田氏來訪。午後一時去る。
発信 会田吉秀。
受信 柳原吉次。

○五月二十日(日)  晴 暖
岩瀬行。九時寮を出る。十時のバスで岩瀬へ。第二東亜寮へ着く。荒田氏、諸月氏在室。魚井氏も丁度來てゐる。午食後、工場を一巡。荒田氏とともに海岸、岩瀬の町を歩く。夜、雑談。

○五月二十一日(月)  晴 暖
午前、一人で海岸を歩く。
午後一時のバスで富山へ。諸月さんの買物などする。三時少し前寮へ着く。
昨夜貞方來訪の由。
佐藤氏胸部疾患ある由。
受信 常木実。
煙草配給あり。一人分、きんし二十本、みのり一ケ(1円30銭)也。

○五月二十二日(火)  曇後雨 冷
午前、工場。十一時から勤勞本部樓上会議室で三軍事教官と男子学徒監督との座談会。事実は十一時半に始まり、軍事教官の挨拶のみにて十二時終了。
学校から電報。余の交代は白石さん也。
“戦時教育令”公布さる。
午後四時より運動場に於いて全男子学徒に対する軍事教官の訓辞あり。雨中行はれたり。四時十五分終了。
発信 母、林省吾。

○五月二十三日(水)  雨後曇 寒
午前、学徒課、研究所、工作機。学徒課で切符を依頼する。
白石氏明日二十三時着く旨電報來る。
東條義一の父親來訪。

○五月二十四日(木)  快晴 暑
午前、工場。学徒課で買ってくれた切符は余目廻り山形行で、桐生廻りは賣らない由。富山駅は甚だ生意気なり。桐生迄の切符を更めてたのむ。諸月氏寮へ來訪。
午後、街へ最後の買物に行く。寮で一休みしてから工場へ。桐生迄の切符買へたり。工場長へ挨拶。
佐藤氏日歸りで岩瀬行。
夜の点検の時生徒に挨拶する。
出発の用意など。
寮の日記へ三週間の感想を書く。この間退屈ではあったが、概して平穏無事であった。生徒も素直でいい。精神的要求は足りないが、良い点もたしかにある。

○五月二十五日(金)  晴 暑
昨夜十二時少し前白石氏到着。佐藤氏駅迄迎えに行く。寮で話をしてゐる中一時頃警戒警報発令。つづいて空襲。退避。附近の農家へ行く。爆音を聞き、爆弾一ケ投下されるのを見る。四時解除。寮へかへる。四時半寮を出る。五時半富山駅へ。六時富山発。九時古江津乗り換へ。午後四時高崎乗り換へ。五時半桐生着。富山からずっと掛けられる。大いに暑し。六時少し過ぎ天王宿の家につく。よもやまの話など。

○五月二十六日(土)  晴 暑
久し振りでおそくまでねむる。午前、省線相老駅へ行く。切符は駄目。
午後、桐生駅へ行く。一時から三時までかかって山形の切符を買う。政世さん、和幸さんと一緒に前橋へ行く。相当大きいがゴタ~した街也。四時半―五時半、前橋の街を歩く。

○五月二十七日(日)  晴 暑
四時起床。四時半家を出る。桐生迄歩く。三十分を要す。五時二十五分桐生発。六時四十分小山着。乗り換へ。七時六分小山発。思ったより空いてゐる。宇都宮から掛ける。午後一時福島乗り換へ。五時山形着。家迄歩く。子供等大喜びや。よもやまの話。

○五月二十八日(月)  晴 暑
午前、しばらく振りで登校。校長その他に挨拶。
午食後ひるね。後、学校。
今度の富山行は余り疲れなかった。山形の方が空気が澄んでゐて快し。
発信 林省吾、白石義夫、半田総一、八報職員。

○五月二十九日(火)  曇 暖
午前、学校。
午後、街へ行く。遠藤へよる。大映へよる。学校へかへる。
山高もつまらない学校である。実質は旧態依然なり。古い教授と古い事務員を一掃しなければ駄目である。事務員も古くなると生意気でいかん。
寺﨑恒信氏山高教授(五等)となる。余と喜多氏との間に入る。
明日行軍。用意など。
発信 橋本?夫、友繁健之助、今哲朗。
受信 佐古田寶之助。

○五月三十日(水)  晴、一時雨 暑
防衛隊の行軍。七時三十分下部校庭集合。三本木沼に十時少しすぎ到着。晝食。それからわらび取り。ふきも取る。午後一時歸路につく。道々ふきをとる。四時十分家に着く。参加十四名。校長、矢萩、深町、黒田、小松、高木、常木、黒沼、中村、寒河江、会田、水口、張谷、大戸。

○五月三十一日(木)  晴 暑
午前、学校。
今週から会食復活。一時すぎ迄かかる。
昨日延世、今日母映晝を見に行く。
査閲は六月二十二日の由。うるさきことなり。
林鎌太郎氏の命日なり。
発信 醇郎、佐古田寶之助。