六月一日(金)  晴 冷
午前、学校。
午後、街を一巡して学校へかへる。
後藤さんへ写眞を送る。
太宰治著“新釈諸国噺”読了。西鶴面白し。
撃沈破総計566隻となる。
大阪及び尼ヶ崎へ400機來襲。
陸軍は国民特に知識階級の反感を買ふやうな事のみやってゐる。学問と技術を尊敬しないのが病源である。
発信 後藤耕造。
今度はうるしかぶれ僅かなり。

○六月二日(土)  曇後雨 冷
午前、学校。校長、工藤さんは仙台、留学生は三本木、学校は閑散也。
午後、学校。源氏物語をよむ。をかしなものなり。
受信 村岡哲。

○六月三日(日)  曇 冷
午前、雑用。“戦争論”などよむ。山形へかへってから初めての日曜也。
午後、大映へ行く。“陸軍特別攻撃隊”を見る。谷野屋で“水上瀧太郎全集”(12冊)を100円で買ふ。学校の本也。大畑さんの所へ寄って置いておく。
紘一郎のいたずら激しく、恐るべし。
発信 村岡哲。
受信 林和幸。

○六月四日(月)  曇 暖
午前、学校。
午後、渡辺へ行ってみた所が人が多いので止して学校へかへる。
夕食後、延世、陽子とともに墓参りに行く。
沖縄島重大化。

○六月五日(火)  晴 暑
防衛隊訓練。八時下部校庭集合。射的場へ行く。射撃は200米で依託。0,0,10,4,7で計21点(15点以上が合格)。良い方也。後、日本刀のためし切り。十一時過ぎ終了。
午後、散髪。学校へかへる。
神戸、芦屋、御影へ350機來襲。撃墜は200機。
発信 関世男。

○六月六日(水)  曇 寒
午前、学校。
午後二時半から教授会。一年生の件、学徒隊の件。五時半終了。
発信 白石義夫。

○六月七日(木)  曇小雨 寒
午前、学校。会田氏からゆべし、佐藤淳治氏から葡萄酒を貰ふ。板裏草履の配給あり。米の配給あり。
午後、学校。“日本文化大歌”(第一巻)をよみ始める。
B29、二百五十機大阪へ來る。先日の横濱へ來た500機が最大で、以後漸次減ってゐる。これが精一杯の所であらう。沖縄は形勢非なり。
発信 林和幸。
○六月八日(金)  曇後晴 暑
昨夜、暴風雨。
午前、学校。学校で晝食。十二時半から防衛隊訓練。こんなことを一生縣命になってゐるから、戦争に負ける。三時十分終了。佐藤幸治大尉図書課へ來訪。
午後七時から三沢さんの所で常会あり、出席する。貯金の件、国民義勇隊の件。九時半終了。
受信 上原楓。

○六月九日(土)  曇 冷
午前、学校。
午後、遠藤へ行く。学校へかへる。
西田幾多郎氏七日鎌倉で逝去。

○六月十日(日)  晴 暖
午前、電報が二回出る。二回学校へ行く。大事な日曜の朝をつまらなくすごす。
午後、大映へ行く。“後に続くを信ず”と“日本ニュース”を見る。
この間から“太平記”を少しづつ読んでゐる。
臨時議会開会中。総現(総理)大臣の演説感心せず。海相の演説よろし。

○六月十一日(月)  曇 冷
午前、学校。
午後、学校。校長、勝川氏岩国へ行く。榊原氏、高木氏不二越行き。

○六月十二日(火)  雨 寒
午前、学校。教練は明日に延期。
午後、学校。一高の関さん來訪。一緒に大畑さんの所へ行く。
午後七時から常会。貯金の件。十時終了。

○六月十三日(水)  晴 暑
午前、学校。一校時、久し振りで従業(二年)。テキストは“臣民の道”。“図書課だより”を書く。
午後十二時半から防衛隊訓練。二時終了。後、常木さんと共に留学生の仲間に入って、野球をする。
久し振りの球技で快し。
午後五時教育会館へ行く。初めての宿直也。いささか退屈也。“太平記”をよむ。
○六月十四日(木)  晴 暑
午前一時警戒警報発令。一時五十分解除。
五時半起床。朝禮、点検、朝食等。七時会館を出て家へかへる。九時学校。明日高松行。
午後、街へ行く。久し振りで遠藤書店が開いてゐる。大映で切符をたのむ。今日は駄目で、明朝のこと。学校へかへる。
三校時、一年の授業。一年は初めて也。
流石に今日は疲れを感ずる。
発信 上原楓。
受信 今哲朗。

○六月十五日(金)  晴 暑
午前、学校。トラックの都合がつかず、高松行は延期。但し切符をたのんで貰ったので明日は大畑氏と二人で行くことにする。
午後十二時半から教練。二時半終了。大映へ行く。高松行切符を受取る。
炭の配給あり。
入浴。久し振りで“ポマード”をつける。
岡部さんから葉巻Alhambra二本を貰ふ。“図書課だより”の原稿料也。

○六月十六日(土)  晴 暖
午前、学校。トラックが十八日に來ると云ふので、今日の高松行は中止して明後日にする。
午後、学校。明日登校のこと。直丸さんの所へ行く。
昨日から開襟シャツとなる。
東富士大関となる。

○六月十七日(日)  晴 冷
午前、学校。図書疎開の用事無しとなる。新聞をよんで家へかへる。
午後、大映へ行く。“突貫駅長”を見る。
午後八時少し前林の兩親桐生から來らる。

○六月十八日(月)  曇 寒
図書疎開。大畑さんと共に七時山形駅発、八時羽前高松着。国井禮助氏の家へ行く。待てどもトラック來らず。晝食後午後一時トラック來る。師範の生徒三名、小使二名、水口氏。荷は校長の分十箱、学校の分二十一箱。倉庫へ収めて了ったのが四時。
六時十四分高松発、山形着七時十五分。家へかへって夕食。
○六月十九日(火)  雨後曇 寒
午前、学校。
午後、学校。工藤弘氏來訪。一緒に家へ歸る。
入浴。
余の蔵書の疎開開始。学校の書庫へ収める。
教練明日に延期。

○六月二十日(水)  曇 冷
午前、学校。二年の授業。B(8)-11頁。
午後十二時半から教練。三時終了。
午前零時半、警戒警報発令。学校へかけつける。二時解除。
発信 和郎。
夜、水口氏の所へ行く。工藤氏來らず。

○六月二十一日(木)  曇小雨 冷
工藤氏朝來る。
午前、学校。一年の授業。大畑氏天竜行。
午後十二時半から教練。三時終了。午前十時からもあったのだが、授業のため不参。
受信 友繁健之助。

○六月二十二日(金)  曇後晴 暑
九時発の汽車で林の兩親出発。
朝、関成一君來訪。一緒に学校へ行く。
昨日草餅をたべ過ぎて腹具合悪し。下痢する。粥をたべる。
小野少尉の防衛隊査閲。午後零時半集合。査閲は一時から三時迄。終って所見開陣。概ねよろし。校長室で茶話会。
中小都市爆撃しきりなり。

○六月二十三日(土)  曇後雨 冷
午前、学校。
午後、同じく。
腹具合は快方に向かふ。昨夜下痢数回。これで少し気分よくなる。気分的には昨日が一番悪かった。今日は粥腹で力無し。
学校は閑散也。開店休業の有様也。
発信 佐古田寶之助。
○六月二十四日(日)  雨 冷
午前、雑用。岩波文庫を一部分箱へつめる。“水上瀧太郎全集”(一巻)を昨日からよみ初める。
 午後、外出。高陽堂迄行く。歸形以來初めて也。若干本が來てゐる。大映、遠藤へ寄る。
 腹は全快。母発熱。
 母も底意地の悪いやうなことを云ふ。やはり嫁いぢめの心理はある。
 昨夜も警報発令。今度は学校へは行かず。

○六月二十五日(月)  晴 暑
午前、学校。書庫への廊下昨日から取毀し開始。毎日学校へ少し宛本を持って行く。先づ洋書全部を持って行く予定。大畑氏立退きを命ぜられた由。
午後、学校。留学生、国へかへす由。
夜、花岡氏を訪う。
沖縄本島、最後の総攻撃。

○六月二十六日(火)  晴 暑
昨夜も警報発令。新庄方面にB29來る。学校へは行かず。
午前、学校。昨夜校長酔拂ってはだしで学校へ來た由。醜体なり。図書の順列等を調べる。
午後、学校。読書。
岩波書店解散。
山高もつくづく駄目な学校である。幹部の老人達が悪い。校長もそれらにまるめられてゐる。結局大したものでない。

○六月二十七日(水)  晴 暑
午前、学校。大畑さんの家決定。二年の授業、12-15頁。
午後、学校。
純平氏の世話で牛肉入手。100匁8円也。
今日は今迄で一番暑い。
母近頃弱くなったやう也。時々熱を出す。延世の方はどうやら良いらし。

○六月二十八日(木)  晴 暑
午前、一年の授業。これが最後の授業であらう。村岡氏來る。脚気の由。
今曉警戒警報発令。学校へ行く。十数名集って教務でだべるだけ。全くつまらないことである。
午後二時半から教授会。学徒隊の件等。四時終了。終って千歳山のこんにゃく茶屋へ行く。防衛隊の慰勞会。七時終了。
延世は全く子供扱いが下手である。
受信 林和幸。

○六月二十九日(金)  晴 暑
午前、学校。雑用。
午後、同じく。
岩波書店解教(散)説は誤報の由。
学習院中等科・高等科、慶応医科山形縣へ疎開。
入浴。
洋書の疎開本日で終り。洋書は根こそぎ学校へ持って行った。明日から和書。学校の書庫も廊下が外されたので相当安全になった。
受信 上原楓。

○六月三十日(土)  晴 暑
今曉も敵機來る。丁度隔日なり。四機山形上空を通過。確実に山形上空に來たのは初めてである。今度は学校へ行かず。
午前、学校。今日から和書をはこぶ。今迄で約三百冊運んだ。“日本文化大觀(第一巻)”読了。近江氏学校へ來る。
午後、学校。かへりに高陽堂迄行く。