○七月一日(日) 晴 暑
午前、岩波の石行寺へ行く。八時半家を出て、九時半岩波へ着く。荷物疎開依頼。晝食にお餅を御馳走になる。一時去る。
午後、大映へ行く。“航空体育”“日本ニュース”をみる。小夜福子事務室へ來る。
“水上瀧太郎全集(一巻)”読了。
チャーチルかばん出來。
○七月二日(月) 曇 暑
昨夜十時半から今晩零時半迄警戒警報発令。学校へ行く。一時から二時迄、二回目。今度はねてゐる。
午前、学校。チャーチルかばん使い初め。図書の検査等。
午後二時頃本堂氏の紹介で織田と云ふ人が來る。後、学校へ行く。
家へかへって防空壕を掘る。
母、高波さんに診て貰ふ。著患無き由。
受信 今泉三良。
○七月三日(火) 梅雨 暑
昨夜も少時間警戒警報発令。
午前、学校。
午後、同じく。“国史概況(下)”をよむ。
発信 今泉三良。
○七月四日(水) 晴後雨 暑
昨夜も警報発令。
朝起きたら目眩甚し。学校を休んで一日中ねる。一日中十分にねむる。睡眠不足のためか榮養関係か。夕方にはかなりよくなる。脈も45に下る。
○七月五日(木) 晴、夕立 暑
学校を休み、家にゐる。昨日より良いが、未だ少し具合が悪い。
織田氏來る。
“歎異抄”をよむ。
発信 林省吾。
○七月六日(金) 雨 冷
午前、学校。
午後、同じく。
二日休んだので気分はよし。
夜の出勤輪番制となる。教官の宿直本日より開始。余が第一回也。
佐藤直丸氏七月二日附で退官。
余の高岡行14日に延期。
六時すぎ学校の宿直室へ行く。相棒は会田氏。会田氏から櫻桃一箱を貰ふ。小使室の風呂へ入る。会田氏のいびき物凄く、ねむれず。
○七月七日(土) 暖 冷
午前三時警報発令。教務へ行く。三時半解除。宿直室へかへって少しねむる。午前七時家へかへる。
朝食後学校へ行く。
午前、学校。きゃべつの配給あり。
富山行は7月14日から8月7日迄。今度は岩瀬也。眩暈も幸した形也。
受信 御子柴楯男、関成一。
○七月八日(日) 雨 冷
午前、大畑氏來る。明日高松へ行く由。大畑氏駅へ。十一時、大畑氏の所へ寄り、身分証明書を借り、大映へ行く。羽前高松迄往復二枚を買ふ。
午後、大畑さんの所へ行く。切符を渡し、明日の打合せ。大映へ行き、“紅顔鼓笛隊”“神風特別攻撃隊”“日本ニュース”を見る。
発信 林和幸、醇郎。
○七月九日(月) 曇後晴 冷
一昨夜、昨夜と二日続いて警報出ず。午前、学校。馬車が行かない為高松行は中止となる。村岡氏來校。仙台の話など。警報発令。山形へは中々來ない。
午後、学校。家へかへって穴を掘る。岩波行の本箱一つを作る。“漱石全集”と“芥川全集”を入れる。
今井一郎氏昨日死去の由。
○七月十日(火) 晴 暑
昨夜九時半警戒警報発令。学校へ行く。十時解除。十二時迄学校で情報を聞く。家へかへる。この頃から仙台空襲。
朝の放送より、仙台來襲はB29七十機、零時6分より二時半迄空襲、五時?火等を知る。
午前、学校。図書検査。
正午、ホールで留学生の送別午餐会。一時終了。家へかへる。少しねむる。又学校へ行く。渡辺で散髪。家へかへって穴を掘る。家では疎開荷物を作るので大童也。
昨夜から今日にかけて全国的大空襲。
○七月十一日(水) 曇後雨 冷
午前、学校。一枝時、二年の授業。21頁迄。図書の検査等。今迄学校へ運んだ余の書物は約600冊なり。
午後、学校。
若干風邪気味なり。一昨日引いたもの也。
母も延世も消耗なり。
○七月十二日(木) 晴後雨 暑
午前、学校。三枝時、一年の授業。これで授業も終りであらう。
午後一時から諏訪町の成願寺で今井さんの告別式。一旦家へ寄って、又学校へ行く。図書課の書類をスロープの向側の壕へ入れる。
風邪気と睡眠不足で不快也。
高波さん応召。今朝出発。
○七月十三日(金) 曇 冷
風邪気で気持悪し。
午前、学校。
午後、大映へ行き、切符を依頼。
三時馬車屋來る。荷を積み、四時すぎ出発。五時すぎ石行寺着。延世と二人で附いて行く。荷を下し、一休みする。七時すぎ石行時寺を出て、八時少し前家へ着く。これでまづ一安心と云ふものである。和幸氏來らず。
○七月十四日(土) 晴 暑
午前、学校。雑用を果す。岩瀬行は16日出発とする。“国史概況(下)”読了。
午後、大映へ行く。切符を受取る。
和幸氏來る。
一日中東北地方に艦上機來襲。釜石に艦砲射撃。
学校の書庫へ入れた余の書籍は約800冊也。
入浴。
昨夜、発汗。今日は概して気分よし。
発信 黒田稲夫。
○七月十五日(日) 雨 冷
午前、出発用意。
午後、和幸氏と一緒に大映へ行く。橋倉さんに和幸氏の切符を頼む。“績(續)姿三四郎”を見る。面白し。かへりに花岡さんの所へよる。留守中の件をたのむ。疎開の件。
今日も東北、北海道へ艦載機來襲。
○七月十六日(月) 晴 暑
午前八時家を出る。九時山形発。相当混む。赤湯及び今泉で乗り換へ、米坂線に移る。車中で車掌が信越線青梅川、鉢崎間不通を知らせる。山形へ引返すことにする。羽前沼沢で下車、晝食。沼沢午後一時半発、同じ路を山形迄かへる。五時山形着。馬鹿らしいことである。家への歸り道和幸氏に逢ふ。和幸氏も五時の汽車で立つ予定の所、通勤者以外は乗せないので家へ歸る所へ也。
夜、大映へ行く。切符の件。明日調査をたのむ。
○七月十七日(火) 雨 冷
午前、学校。諸事報告。山形へ艦上機十機來る。斎藤茂吉氏学校へ來る。
午後、大映。両毛線で行くことにする。明朝出発。
夜、橋倉氏切符を持って來てくれる。諸事談合。
○七月十八日(水) 雨 冷
諏訪行の話などあり、今日の出発をのばす。結局山形にゐることにする。
午前中かかって部屋の片付け、書類の整理などする。
午後、大映へ行く。
中村の家は焼けなかった由。
○七月十九日(木) 曇小雨 冷
八時家を出る。九時山形発、十二時福島着。東北線は少しおくれて、午後一時四十分福島発。増結車に乗って?にかけられる。七時少しすぎ小山着。此処迄川辺美智雄と一緒。七時五十五分小山発、九時少しすぎ桐生着。電車で天王宿へ。十時林医院へ着く。間もなく警報が出る。
○七月二十日(金) 曇小雨 暑
八時家を出る。電車で天王宿へ。九時桐生発、十時高崎着。十一時高崎発。軽井沢辺りから掛ける。さう混んでゐる方ではない。午後六時半直江津着。六時十五分発の大阪行は出た後。八時直江津発(富山行)、十一時半東岩瀬着。十二時寮へ着き、黒田氏を起す。
発信 母。
○七月二十一日(土) 雨 冷
休養の一日。朝禮の際生徒に挨拶。
午後、入浴。岩瀬の風呂へ入ったのは始めて也。
夜、魚井氏來る。黒田氏から事務引継。
荒模様也。夜勤に行く。
発信 母。
○七月二十ニ日(日) 半晴 暖
午前、諸月氏來る。工場へ行き、工場長等に挨拶。現場見廻り。
午後、ひるね。岩瀬の町を歩く。
黒田氏午後六時越中岩瀬駅より出発。
夕方から又雨となる。
発信 林省吾。
○七月二十三日(月) 曇後晴 暖
午前、見廻り等。
午後、入浴等。夜、福永がくる。
午後七時―八時、班長、室長を集めて懇談する。
○七月二十四日(火) 晴 暑
午前、寮にゐる。西日本に艦載機來る。岡本教官來訪。
午後、長らくひるね。未だ疲れあり。
夜勤。
発信 母。
○七月二十五日(水) 晴 暑
岡本さんと一緒に富山へ行く。十時の電車で岩瀬発。富山の町で買物をし、十二時不二越の寮へ着く。勝川さん、平松さんに会ふ。
午後二時からグラウンドで不二越学徒隊の結成式あり。見学する。三時四十分終了。四時半寮を出る。六時半岩瀬へ着く。
漸く暑くなって夏らしくなった。
受信 母(延世)。
○七月二十六日(木) 雨後晴 暑
昨夜深夜空襲警報発令。壕に待避する。富山湾に機雷投下。魚井氏來る。
午前に又空襲。奥田に爆彈一ヶ投下。
煙草の配給あり。あさひ150本、きんし120本(10円95銭)。三人三十日分であらう。諸月さんと二人で切半する。
○七月二十七日(金) 晴 暑
午前、雑用。
午後、ひるね。度々警報が出る。
発信 母、大畑末吉。
伊藤斎氏より牛肉の寄贈あり、夕食にたべる。弁当を寮に持って來て貰って魚井氏を招き三人会食。
英国総選挙、勞働党大勝、内閣代る。
今日から哲学の座講会を開始の筈の所、多忙のため中止。明日からにする。
一日中寮にゐたが、用事が絶えず多忙であった。
○七月二十八日(土) 晴 暑
午前、事務。中々忙しい。
午後、ひるね。三時半―五時、哲学史の話(座講会)、夜勤者のため。
諸月と云ふのも馬鹿な男である。それに加えて砂をかむ如し。
○七月二十九日(日) 晴 暑
午前、事務。
午後、ひるね。入浴。
母から牛乳。村岡さんの所は焼けなかった由。
午後六時半―八時、座講会。晝勤者のため。
受信 母、山田照男。
○七月三十日(月) 晴 暑
午前、事務。しばらく振りで現場を廻る。
午後三時半―五時、座講会。Vorsokratiker終り。
諸月氏西伏へ行く。
今日で十日。相当の倦怠を感ずる。
発信 母。
○七月三十一日(火) 晴 暑
午前、事務。八月の出缼簿を作る。
午後、ひるね。入浴。諸月氏17時歸寮。
八時すぎ警報が出る。富山方面焼夷彈落下。
夜食は食はぬくことにする。
岩瀬は事務が甚だ多い。
午後六時半―八時、座講会。
母から手紙。待避壕出來た由。
受信 母。