○九月一日(土)  曇 冷
午前、学校。
午後、学校。田島義雄氏來る。村岡さんと一緒に家へかへる。紅茶をのんでから又一緒に学校へ行く。五時から道場で懇親会。七時解散。
昨日在郷軍人会解散。

○九月二日(日)  晴 暑
午前九時、降伏文書調印式。
午前、雑用。読書等。
午後、大映で“浪人吹雪”を見る。歸還工員多し。
煙草配給あり。みのり五個。きんし65本、あさひ55本。90日分也。
日中は暑いが朝夕涼し。秋の気候となった。
都会人振ってゐた醇郎が埴原田で百姓をしているのはまことに皮肉である。

○九月三日(月)  曇 暖
午前、学校。三日分の新聞をよむ。アメリカの遣り方に学ぶべきもの多し。日本の形式主義と正反対である。
午後、学校。罐詰等の配給あり。軍医学校の置土産也。
麥粉の件、大畑さんの態度感心せず。

○九月四日(火)  雨 冷
午前、学校。寺﨑さんの所へ行き、花岡さんを招いて研究会について話す。文科では村岡氏、白石氏、余の三人也。じゃがいもを藁(薬)罐で煮て食ふ。
午後、学校。学科受持決定。余は哲学、文ニ(3時間)、道義、文ニ(1時間)、理甲ニ(1時間宛計3時間)、理乙一(1時間宛計2時間)、独語、理乙ニ(3時間宛計6時間)、合計15時間となる。村岡さんと余が独語を手傳い、合わせて一本。大畑さんが英語を手傳ふ。
アメリカの占領区域は比較的少し。永久に日本を占領する積りかも知れない。
一日中雨、野菜類元気よくなる。
玉城肇、今里正次訳“ハリス日本滞在記”(上巻)読了。
昭和二十年に入ってからは哲学の本は一冊も出てゐないと云って良い。此処に哲学の中絶がある。今迄の日本の哲学は極言すればドイツ哲学によりかかってゐる。今後の日本哲学はどの方向に向って行くであらうか。近年のやうな神がかりの日本哲学であってはならないとは勿論である。

○九月五日(水)  雨後曇 暖
午前、学校。近江氏歸還。
午後、同じく。
朝、組長來る。一言やっつける。
夜、第八十八臨時議会に於ける総理大臣の施政方針演説の録音放送を聞く。一時間に及ぶ。
今日は父の命日。
余の独語の受持変更。理甲ニ2時間宛計6時間となる。

○九月六日(木)  晴 暑
午前、学校。佐藤幸治大尉來校。
午後、定例会議。後、大映へ行く。
一年生入寮。
明朝五時在郷軍人分会解散式。
“十訓抄”をよむ。
陸海軍の学校の生徒が大学高專に入る。
和郎無事也。
スタンドの故障のため家中の電燈が消える。やむなく早くねる。

○九月七日(金)  曇 冷
午前、学校。数学教室の本の整理をする。
晝食に家へかへる。串田君が來る。一緒に学校へ行く。
生徒は來週月曜迄作業。
夕方磯﨑君來る。電燈つく。
明日米軍東京へ進駐。東大、学士会館等占領さる。
“十訓抄”をよむ。中々面白い話がある。併し日本の古い書物には荒唐不稽の話が多い。日本人が非科学的である証拠である。
蚊もだいぶ減って來た。

○九月八日(土)  雨後曇 暖
午前、学校。内藤、今泉がくる。
午後、ひるね。学校へ行く。今日から土曜は半ドンの由。直ぐ去る。
午後、佐治が來る。
“翁問答”をよむ。
富岡氏と入れ代った余の靴歸還せり。
スタンド修繕出來。
夕方から南風となり、むしあつし。夜に入って雨。

○九月九日(日)  雨後曇 暖
午前、雑用。“翁問答”をよむ。
午後、日活へ行く。“ことぶき座”をみる。割合に面白い。街には若い者が汎濫してゐる。困ったことである。
“翁問答”は藤樹三十三、四才頃書いたものであると云ふ。今読んで見ると悟りすました所は六、七十才位の感じを受ける。

○九月十日(月)  晴 暖
午前、学校。近江氏今日から出勤。大戸さんからきんし四十本を貰ふ。関氏夫人、島村氏來る。
午後、学校。二年生がボツ~來てゐる。
一億総懺悔と云ふのは責任回避である。軍官の指導者が責任を負はねばならない。
高橋俊乗著“中江藤樹”読了。藤樹を説いて遺恨なし。
母橋倉さんの所へ行く。
食糧品以外の物價は下がりつつあり。

○九月十一日(火)  曇後雨 冷
午前、学校。二年生來る。島村さんの演説あり。聞かず。
午後、同じく。
明後日大本警廃止。マッカーサー、東條大将の引渡しを要求。寺内元帥重態。九月十五日より宮城縣に一万五千人、山形、福島、岩手三縣に五千人進駐。
牛肉四百匁入手。大畑さんへ二百匁持って行く。百匁八円也。
この頃少し肥えて來たらし。
一年生は明日から授業開始。
直本氏の代りは神谷亞夫也。発令になった由。
山形は今迄一番つまらない所であった。つまらない所へ來たものだと思ってゐた。所が今では一番良い所になった。今度の戦争でも親類中で一番無事であった。人間万事塞翁が馬。

○九月十二日(水)  快晴 暑
午前、学校。米人視察團山高へ來ると云ふ話あり。九月六日附、神谷貫秀(旧名亞夫)、任山形高等学校教授、六等八級。中江藤樹著“翁問答”読了。
午後、学校。三時から生物教室で第一回研究会。花岡さんのヰモリの話あり。花岡、平松、榊原、村岡、寺崎及び余の六名。五時終了。今度は第一火曜のこと。この次は余が西田哲学について、その次は寺崎さんが原子爆彈について話す。
米兵、山高に來らず。
東條大将昨日ピストルで自決、重態。米國幕舎に連れて行かれる。戦争犯罪者38名の氏名発表あり。
初めての良い秋晴也。
夜大畑さんの所へ行く。坂部さんの家の件。

○九月十三日(木)  雨 寒
午前、学校。雨降りで寒し。
十二時半から定例会議。二年は明後日から授業開始の予定。
西田さんの“哲学論全集(第五)”をよむ。
母、大畑さんを坂部さんへ案内する。大体決定。
この頃の日本人には全く愛想が盡きる。
受信 鶴田千代子。

○九月十四日(金)  曇一時晴 暑
午前、学校。喜多氏研究会に加入。
午後、同じく。
鶴田眞次郎、八月二十六日死去。遠山績太郎、九月八日死去。

○九月十五日(土)  曇後晴 暑
午前、学校。今日から二年の授業開始。文ニの授業、講話。久し振りの授業也。
午後、済生館へ行って母の薬を受取る。廊下で高波さんに逢ふ。大映へ行く。馬車の件。
この頃電気がくらい。そして一日中電気が來てゐる。間抜けた話である。
独逸の大学再開。Kark Jaspers健在也。
西田哲学に悩まされる。

○九月十六日(日)  曇後晴 暑
午前、読書等。高山氏の“続西田哲学”明快也。
午後、日活へ行く。“三十三間堂通し矢物語”をみる。割合面白し。
高陽堂迄行く。八月以來初めて也。“映書評論”等を買ふ。今日は人出少し。米兵を恐れてか?米兵進駐は十九日に延期。巡査が多く街を歩いてゐる。日中でも外燈が点いてゐる。

○九月十七日(月)  雨 暖
午前、文二、講話(文化の問題)。理乙一、講話(学問論)。
午後、学校。
夕食後村岡さんの下宿へ行く。坂部さんの件を話す。村岡氏と一緒に家へ歸る。母、坂部さんへ行く。村岡氏借りることに決定。村岡氏去る。大畑氏來る。事体明瞭となる。
颱風九州に上陸。

○九月十八日(火)  曇 暑
颱風來る。昨夜半より風強し。併し中心はそれたらし。
午前、理甲ニ(3時間)。話。川岸來る。
午後、学校。高松の図書歸還。
村岡氏坂部さんの所へ行って決定。明日引越しの由。
図書疎開のため五校時(文ニ)の授業つぶれる。
颱風は午後二時山形に達す。
正午校長室で二年の級長任命式。
六時霞城館の前で川岸と会ふ。花小路で夕食を採る。八時家へかへる。

○九月十九日(水)  快晴 暖
颱風一過。快い秋日和。
午前、文ニ、哲学の授業開始。
午後、学校。
高山岩男著“続西田哲学”読了。
午後五時半坂部さんの所へ行く。村岡さんの引越し祝いと云ふわけ。夕食の御馳走になる。九時家へかへる。
延世、青田へ行く。母、岩波へ行く。
今日から国民服を着る。
受信 林尚彦。

○九月二十日(木)  半晴 暖
午前、理甲ニ、映晝を種にして話す。
学校で晝食。会議無し。生徒のドロボウ事件あり。五校時、授業。
米兵、山形に進駐。山高でも女子事務員は今日から十日間休み。
この頃睡眠不足也。
学校でも幹部は責任をとらねばならない。生活課も軍隊模倣教育をしてゐたのであるから、総辞職すべきである。山高教官もあっさり看板を塗り換へてゐるが、中味は旧態依然である。
神谷未だ來らず。本省仕込みは図々しくていかん。
受信 友繁健之助。
発信 林尚彦、鶴田賢士。

○九月二十一日(金)  雨後曇 冷
午前、理甲ニ。独語。教科書が無いので塗板に書いてうつす。
五校時、授業。
夜、久保と酒井がくる。庭球部再建の話。
女子事務員は午前中勤務となる。
中秋の名月だが曇ってゐて見えない。
本の復員昨日で和書が終り、今日から洋書。

○九月二十ニ日(土)  曇 冷
文ニ、哲学。ショーペンハウエル。
午後零時半から教授会。盗難事件。三時終了。遠藤迄行く。米兵がノソ~歩いてゐる。
西田幾多郎著“哲学論全集第五”読了。六ヶしいが西田哲学を大体了解せり。
国民の道義の頽廃恐る可し。
今週は多忙であった。15時間も授業があると忙しい。

○九月二十三日(日)  小雨 冷
午前、西田哲学の勉強。
午後、日活へ行く。“東海水滸傳”面白し。文化映晝、日本ニュース。米軍進駐等、久し振りの日本ニュースなり。
夜、福永がくる。

○九月二十四日(月)  晴 暖
文ニ、哲学、世界觀終り。理乙一は作業のためつぶれる。
岩波から荷物來る。片付けを手傳ふ。
つづいて西田哲学の勉強。

○九月二十五日(火)  晴 暖
理甲ニ、独語。初めて尺牘をする。
午後、文ニ、話、映晝のこと。
夜、草間がくる。
勝川さん今週中休み。法事で名古屋へかへる。
四時間授業をしたのは今日が初めて。
昨夜から蚊帳をつらない。

○九月二十六日(水)  晴 暖
午前、文ニ、科学と哲学。
夜、千葉と小川を家へ呼ぶ。佐々木が後から來る。岩瀬の横川氏からの‘にしん’をとどけてくれる。
アメリカは次第に鋭鋒を現してくる。戰争犯罪人多量検挙の模様なり。
島津保次郎死去。
鑓水八彌、山高助教授となる。
夕方から電気消える。晝点いて夜消えるとは間が抜けてゐる。

○九月二十七日(木)  晴後曇 冷
理甲ニ、道義、明治以後の小説の話。今日は前半。2組が三校時に繰上ったので午前中で終へる。
定例会議。轉科の件、陸海軍生徒の轉学の件、報国團の件。
午後、大映へ行って“柳生月影抄”後半をみる。
今度は電燈が点く。明るくなった。ラジオの声も大きくなった。
終戦後の新聞の論調は大体よろしい。デモクラシイの方向に向かってゐるのではあるが、それは元來の余の考えに一致する。

○九月二十八日(金)  雨後曇 冷
理甲ニ、独語。
大畑さん休み。
朝、窪田さんの家が火事になりかける。大事に至らず。
日本出版会解散(十月十日)。
“哲学論文集第四”をよむ。

○九月二十九日(土)  快晴 暖
文ニ、ヴィンデルバント迄。
午後、家にゐる。神谷貫秀氏來る。來週から授業開始のこと。神谷秀夫來る。復員につき挨拶。
轉科希望者多し。
來週から余の時間十時間となる。五時間神谷氏の方へ移る。
行水して快し。
アメリカ新しい言論政策を発表。たしかに社会は良い方向へ向ひつつある。自由は実現されつつある。圧迫がとれてのび~した感じである。

○九月三十日(日)  曇 暖
午前、西田哲学の勉強。“哲学論文集第四”読了。火曜の話のプラン出來。
午後、大映へ行く。日本ニュース、文化映晝“柳生月影抄”の後半をみる。醉拂ひの米兵が歩いてゐる。くろんぼも來てゐる。ミツマスニ階は米兵専門。小姓町も始めてゐるらし。